第6話 モーニング・セット

「おはよう」

「遅いわよ」

 俺の朝の挨拶にこたえずに、モーニング・セットのスクランブルエッグをつついている。

「朝ご飯、食べたの?」

「うん」

「ほんとは学校に直行しても良かったんだけど」

 リツコは昨日の集団下校の時も持っていた白いスポーツバッグを足もとにおいている。部活で遠征に行くときになんかに使う大きなやつだ。

 その横の書類カバンから古びた冊子を取り出した。店内の穏やかな照明の中で、それは赤茶けて、相当な年代物なのがわかる。

「なんだそれ」

「部室で何日か手伝ったでしょ。そのときに見つけたの」

「開いてもいいか」

「うん。その間に食べちゃうから」

 俺はその茶色の塊をそっと持ち上げた。背表紙がいまにも外れそうだ。昔の酸性紙だから紙もぼろぼろになっている。しかも、冊子の綴じかたが乱雑で何回もやり直したみたいだった。

「これ、北高の文芸誌か?」

「ふむっ」

 リツコがトーストをかじったまま応答した。

「裏表紙の日付は私たちが生まれる前ね」

 表紙を開くと判読不能なロゴにグニャグニャした円環状のイラストがあった。

 ぱらっ、とめくるとポエムやら小説、そのころ流行したゲームの解説とか、将来計画なんかも書いてある。デートもどきの私小説があって、ちょっと子供っぽかった。二部構成になっており、半年ごとに発行しては綴り重ねたものらしい。

「これと今日の学校訪問に関係があるの?」

「冊子の最後の号、編集後記」

 俺は言われたとおり開いた。

「読んでみて」

 コーヒーカップごしに、リツコは大きな瞳で俺を見ていた。こいつが何かを企んでいるときはいつもこんな表情になる。でも、今日は素直にその企みに乗ってやるつもりだった。まあ、日曜なんだし。

「じゃ読むぞ……。“我々の再会を期して、有志の支援によりタイムカプセルを埋める。四十年後、我々が夢を実現したあかつきに集結し、開封する予定”」

「どお?」

「まさか、これ……」

「そのとおり。掘り起こすのよ。私たちで」

「でも埋めた連中がいるはずだろ」

「でも来るのは今から二十年も先よ? 解体工事は来週からなのに」

「当時は自分たちの学校がこんなに早く廃校になるなんて考えてなかったんだな」

「子供なんてそんなもんよ」

 俺たちもまだ社会的には子供なんだが。

「場所は書いてあるのか」

「これから探す」

 あらためて、冊子を眺めてみる。厚さは三センチくらいだ。表紙だけ上質紙のようだが中身は酸化が進んでいる。

 目次を読むと少なくとも十人近い人間が関わっているようだ。文体もそれぞれ違う。編集したのは、文芸部というか……変わった名前だった。編集後記には編者の名前が五つ並んでいた。

「文芸誌がここにある、ってことは埋められてんのはこれじゃないよな」

「当たり前でしょ」

「じゃ何を埋めたんだろ」

「あんたが四十年後に渡したいものって何かある?」

「それまで生きられるかどうか」

「ずいぶん悲観的ね? じゃ、質問を替えるけど、もしあんたが五十六か七くらいになって、過去からの贈り物は何が欲しい?」

「そんな年寄りの気持ちもわからん」

「たぶん、その子たちもきっと未来の自分を想像していろいろ書いたんだと思う」

 その子、って当時は今の俺たちと同じ年齢だろ。

「そっとしておいてやれば? 俺たちのものじゃないんだし」

「そうはいかないわ」

 リツコはきれいに食べ終えた皿を動かして、カバンを開け、折りたたまれた紙を広げた。A2版くらいある。

「学校の設計図? またしても親父さんのか」

「細かいことはどうでもいいから。ここを見て」

 リツコはすっと伸びた指先を図上の線にさっと走らせた。

「この太い一点鎖線は掘削予定線なんだけど、これだと土台のコンクリートごと全部掘り返すのよ。チャンスは今日しかない」

「どこに埋めたのかわかるのか?」

「歩きながら考えましょう」


 リツコは会計を済ませて俺のあとから出てきた。

「ちょっと、これもちなさいよ」

 スポーツバッグがはち切れんばかりになっている。いろいろ詰め込んできたらしい。収まりきれなかったのか、バールのような金属棒が突き出している。

「うわっ。なんだこれ。すごく重いんだけど」

「ここまで運ぶのも大変だったんだから」

「俺より体がでかいんだからすこしは自分で……」

 と言いかけてはっとなった。

 彼女は長いまつげをそっと伏せている。ちょうど建物の影に入った彫りの深い顔立ちに小さな怒りとためらいが見えた。

「悪かった。それ持つよ。全部。カバンも」

「じゃ、許してあげる」

 俺が背負ってきたリュックサックは軽かったが、リツコの荷物はかなり重かった。

 鉄板でも入っているのかと言うほど重い。その上、書類カバンは何か液体が容器の中で遊んでいるようなちゃぷちゃぷした音もする。

 リツコは朝日を背に大股で歩みを進めていく。長い髪が風に揺れ、ちょっとばかり見とれた俺は後を追った。

 ここからしばらくいって右に曲がると一本道で、母校に続く極めつけに長い坂になる。しばらくぶりに来たせいか、ずいぶん遠く感じる。

 毎日この道を通っていたのが嘘みたいだ。体力が低下しているのかもしれない。

 たった半年が過ぎただけなのに、すっかり閑散としていて、通り過ぎる家々の多くに表札がなかった。時折見かけるのはお年寄りだけだ。

 道なかばで俺は先を行くリツコに声をかけた。

「さっきの話だけど、埋めてある場所は見当がついてんのか」

「あんただったらどこに埋める?」

「学校敷地内ってのはガチだな。ほかに埋めるところも思いつかない」

「四十年後に、スコップを持った怪しい老人がふらふら学校に入った時点で通報されるんじゃない?」

「そりゃそうだけど……ちょっとまって」

 俺は足を止めた。上り坂にこの重量ではたまらん。少し休ませて欲しい。

 路側の壁に体を傾けると、すぐ横にリツコはぴたりと並んだ。

 背中にコンクリートの冷たい感触か伝わってきた。同時に俺の視界、ちょうど目の高さのところにリツコの肩があって胸は直近だ。思わず目を背ける。

 俺が上から目線でものを言われるのが嫌いなのがリツコもよくわかっていたから、ちょっと膝を曲げて合わせた。

「私、学校のことかなり調べたんだけど」

「何かわかったのか」

「結論を急がない。ね?」

 彼女は指を一本立てて俺の前で軽く振った。

「最初に旧棟がたてられて――ほら、私たちが部活で使っていた古いほう――その次にお隣に体育館、そして敷地が拡張されるように新棟が建った。埋めた時期はそれからだいぶ時間が経過してから。ということはどこにでも埋められたはず」

「あのさ、今気がついたんだけど」

「なに?」

 またしてもちょっぴり期待をこめた目つきで俺を見た。

「スコップを持っても怪しまれないところは二つある」

「どこよ」

「園芸部の花壇とそれと陸上部」

「園芸部はわかるけど、陸上部?」

「走り幅跳びとかで砂場を使うだろ」

「でも、砂場ねぇ?」

「あれって、かなり深さがあるんだ。そこが盲点だよ」

「ちょっと推理小説の読み過ぎかもね」

「まて、手がかりになりそうなのは書き留めておこう」

 俺はいつも持ち歩いているメモ帳を開いて、花壇、陸上部と書いた。

「……そろそろ歩けそう?」

 答えを待たずに、俺の右手から書類カバンを取り上げた。

 仕方なく俺も後に続く。荷物はスポーツバッグとリュックサックだけになったが、さほど重さは変わらない。

 やがて右手に続いていたブロック擁壁が切れると、小学校が見えてきた。ここもとっくに廃校になっている。通り過ぎてしばらくいくと、左手に俺たちの学校の正門がある……のだがリツコは通り過ぎた。

 門柱は蛇腹式鋼製ゲートで閉鎖されている。片側の斜面に雑草が生い茂っていたから、長いあいだ閉鎖されていたらしい。

「鍵を作ったんだろ」

「持ってるのは校舎のだけだし、ここは警備会社のセンサーがあるの」

「よく調べたな」

「私は決めたことは必ずやる」

「それにしちゃ書類整理の最初の二、三日でやめちゃったよな」

「文芸誌を見つけた時点で新たな目標ができたんだもん」

 俺はため息をついて這うように坂を登り切った。さすがにリツコも息を切らして顔色が少し青い。

 坂を登り切って左折、体育館の横を通り過ぎた。こっちの資材搬入路もスルー。取り壊しに使う重機が入り口を占領していた。

 しばらく歩いて、やがてリツコはぴたりと足を止めた。

「ここはどちらの入り口からも遠いから、センサーもなし。それに背後に人家がないから誰も通報しないわ。バッグにカッターが入ってるから、あとはお願い」

「カッター、って?」

 スポーツバッグから飛び出している金属棒を引っ張ると、ごそっと禍々しい凶器……じゃなかった大型のケーブルカッターだった。長さは六十センチちかくある巨大ばさみというか。

「どうすんだよ」

「ネットフェンスのあそこに切れ目があるでしょ。あそこから切っていけばいい。実は先週ここに来たんだけど、普通のカッターじゃ無理だった」

「じゃ、あの切れ目はリツコがつけたのか?」

「そこから先はあんたがやりなさいよ」

「いや、しかし……不法侵入になるんじゃ?」

「やる? やらない?」

 リツコは底知れぬ瞳で俺をじっと――その高みから――見下ろしていた。これにはいつも抵抗できない。

「やる。やるよ」

 俺より背の高いやつに逆らうつもりは毛頭無い。もともとここに入るのが目的だったんだし。

 俺はなかば野生化したツツジの群落をくぐって斜面を這いのぼった。

 リツコはバッグを持って俺の後ろから上がってくる。

 さすがに現場で使うプロ使用の道具だけあって、直径三ミリくらいある鋼線が面白いようにぶちぶちと切れる。縦横一メートルくらいのコの字型に切りかけたころ、俺の肩越しに白い形の良い手が伸びてネットを引っ張った。

「あとで元に戻すから全部は切らないで」

 俺が切り終えた隙間から中に入っている間、リツコがネットを押し広げておく。

 左手でしっかり野球帽をおさえながら俺は中に入った。

 ネットフェンスを切断した場所は新校舎の裏玄関近くの花壇で、ちょうど校紀が穿たれた石碑のすぐ横だった。

 昔は新校舎のこちら側には丸い木製の野外テーブルがあった。

 夏の放課後には蒸し暑い部室から脱出して、校内自販機で買った飲み物を持ち寄って副部長やたくさんいた文芸部員とおしゃべりに興じた記憶がある。

 

 ……テーブルはもう撤去されていた。

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