第2話 仮の宿にて

 新しい高校で進級して二年生になった。

「ねぇ、学校にいかない?」

 江島リツコが声をかけてきた。

 学食で一人飯を食っていた俺は箸を置いた。学生食堂とは名ばかりで、調理場は三月の末で閉鎖されていたし、今は単なる生徒が弁当を持ち寄って食事する場所になっていた。

 彼女の問いになんと答えたものか。

 俺はこのところ猛烈に忙しかった。幸南高校は学習進度が高くてついて行くのがやっとだし、俺は遠距離通学だ。高校は港のそばにあって、以前と違って自宅からはかなり遠い。電車を乗り継いでたどり着いた降車駅からは学校までは徒歩で二十分はかかる。

 今日なんか遅刻して、汗だくで教室になだれ込んで一限目の数学の小テストで全滅、授業にもついて行けず部活もある……てな状況だったのだ。

「ここだって一応、学校だろ」

 こんな返事だが、こいつの言ってる意味はわかっている。

 俺たちの本当の学校は別にある。受験で合格して、張り切って入学式に臨んだ北高だけが俺の母校だ。ここは仮の宿だ。

 同窓会だって市当局や教育委員会と戦った母校のみんなと集まるはずだ。

 だいたい、この幸南高校も俺たちが来たおかげで生徒数が二割も増えて、転入組はイジメや嫌がらせのターゲットになっていた。

 江島リツコは「母校」でもこの幸南高校でも一緒だった。廃校阻止委員会のメンバーでもあったから、同志と言って良かった。

 共有する経験はそこまでで、彼女はその高い身長を生かしてここのバスケ部でもがんばっていた。成績もいい。女子にはそのさっぱりした気性からものすごく人気がある。

 でも俺は背は彼女に及ばず、成績は比較するだけヤボだ。かろうじて化学と数学が何とか互角というところ。

「そういえば、閉校式が十一月だったからもう半年か」

「だからさ、」

 すっと伸びた箸が俺の弁当箱からイカフライを奪取した。

「なにすんだ!」

 リツコは、口を動かしながら自分の弁当から厚焼き卵を一切れ、俺の麦ご飯にのっけた。

「食べてるときは、ほんと子供なんだから」

 む、うまい。これはリツコの手作りだ。彼女の母親は三年前に血液の病気で亡くなっている。だから家事全般を全部やっているそうだ。父娘家庭で兄弟はいない。建設会社を経営している父親も忙しくてほとんど家に帰らないという。

 だから、かもしれない。去年の反対運動から俺に急接近しているような気もする。

「いつ行く?」

 忙しいけれど、しばらくぶりでちょっと俺も行ってみたかった。

 思い起こせば去年の今頃、母校のソメイヨシノの下で母親と記念写真を撮った。それから一年足らずで廃校になるとも知らずに……。

 普通は在校生の卒業をまって廃校となるはずが、市にはそんな余裕すらなかったらしい。

 壊れかけた校舎を補修する費用はなく、枯れかけたオアシスに群がる動物のように、市の資源と住民は中心部に向かっていた。

「制服を着ていこうよ」

「制服コスプレかよ」

 あの制服はまだ手元にある。去年まではコスプレじゃなかったんだし。

「なんなら駅から手を繋いでいってあげてもいいわよ。コスプレ演技だけど」

「別に嬉しかねーよ」

 こいつとは小学校から一緒だから、なんかこう身近すぎて、その種の感情は希薄だ。俺はそれでいい。

「てか、目立つよな。廃校はあの近所に住んでる人にはまだ記憶に新しいし、怪しまれるんじゃ」

「正式に取り壊しになるらしいよ」

「ほんとか?」

「うちの親父が言ってた。今度、取り壊し工事の下請けになったの」

「じゃあもう決まったんだな」

「ゴールデンウィークが終わってすぐ」

「なんで急に」

「三十年以上前のコンクリート材はリサイクルすると高く売れるんだって。今はいい材料が不足してるって」

 そういえば新聞で読んだ記憶がある。結局、値がついたんで取り壊すってわけか。

「行こう。でもコスプレはやめよう」

「それは考えとく」

 今の言葉は、俺の提案をとりあえず受け取っておく、くらいの意味だ。つまり彼女は俺に譲歩するつもりはない。リツコは子供のときからこうと決めたら断固として突き進むタイプだった。

「あのさ……」

「なに?」

「厚焼き卵、うまかったよ」

「高くつくわよ」

 後ろでキリリとまとめた長い髪をひらりと動かしてリツコは席を立った。出口に向かった彼女は学食に飛び込んできた一年の女の子と出会い頭にぶつかった。

 リツコに何かを言いかけた女子は突然涙をこぼしてもと来た廊下に戻っていった。彼女はバスケ部でも怖い先輩だったんだろうか。かわいそうに……。俺は少しばかり一年女子に同情した。

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