相克は輪廻、ただ赦しがあらんことを

今回のお題【ロールシャッハ】 【揺れる天秤】 【貧者の一灯】 【焦がれた日々】




「――神様、〝私〟は罪を告白します――」

 

 

 教会の告解室で、血塗れのその人物は懺悔する。どうしようもない何もかもを、永劫の輪廻を、神様へと。



◎◎



 〝僕〟を名乗る暗殺者と、〝私〟というコードネームを与えられた暗殺者が出逢ったのは、ある意味では必然だった。

 彼らはどちらも名うての暗殺者で、如何なるセキュリティー、如何なる障害をも突破して、必ず要人を暗殺してしまうという超常的な途方もない伝説を持っていた。

 彼らに殺せないものは存在せず、どちらも信念を持たない組織の従順な狗だった。

 〝僕〟は華僑系マフィアの九龍会クーロンかい

 〝私〟は教会と呼ばれる組織の一員であった。

 彼らは、組織に命じられればどんな物だって殺して見せた。

 神を自称する新興宗教の教主も、汚職の限りを尽くす政治家も、何の罪もない幼子も、必要であれば、必要とされる限り、一切の容赦なく一瞬で殺して見せてきた。

 すべては組織の為。

 それだけをインプットされた彼らが、だから出遭うのは必然だったと言える。


 記録に残る限り最初の遭遇は香港。

 そこで二人はニアミスを侵している。

 同じターゲット――李劉道を巡り、お互いを認識することなく暗殺を実行し――結果として、〝僕〟の刃と〝私〟の放った銃弾が全くの同時に劉道の心臓を貫くという結果に終わった。

 もっとも、この時彼らはまだ、互いをそこまで意識してはいなかった。


 本格的に彼らが対峙した始まりは、ニュー・メキシコの立食パーティーだ。

 地元のマフィアから大金を吸い上げ、司法をも黙らせる大地主ドン・エ・ラ・リーニャ。

 彼の主催したパーティーに、二人は変装し潜りこんだ。

 〝僕〟は、煌びやかな真紅のドレスを身に纏った美女として。

 〝私〟は、これ以上なく燕尾服を着こなした青年紳士として。

 パーティーに参加し、またしても全く同時に――しかし今度は、〝私〟のアイスピックがエ・ラ・リーニャの眼球を貫通し脳を破壊し、〝僕〟が食事に盛った即効性の毒が身体機能を破壊した。

 その瞬間は、ある意味で歴史的な瞬間だった。二人が本格的に殺し合えるステージに立った、快挙とも言える出来事だった。

 そしてその後、二人は幾度となく爪牙を交わらせることになる。


 同じターゲットを巡り、時に敵対し、時にお互いを利用し、殺す。

 違うターゲットを巡り、まるで引き寄せられたように出遭い、対立し、結局互いを利用し合って暗殺を成功させる。

 気が付けば二人は、その業界で名を知らぬ者はいない有名人となり果てていた。

 暗殺者が有名人になるなど、それはあってはならないことだったが――当たり前だ。暗殺者に知名度があっては、とてもじゃないが人は殺せない。警戒されてしまう――しかし、二人はそんな事など意にも介さず殺し続けた。

 殺して、殺して、殺して。

 その手が、指が、全身が。身体のありとあらゆる場所が、罪という穢れを被ってはいない場所が一点も存在しなくなるまで、二人は殺して殺して殺し続けた。

 時に協力し。

 時に敵対し。

 結局はお互いを利用して。

 殺し、続けた。

 彼らはその伝説を不動のものとして、それでも飽き足りないかのように殺し続けた。

 九龍会が存在しなくなっても。

 教会のトップが何度入れ替わっても。

 二人はその度に、身内すら殺し続けていった。


 ある時、九龍会を潰したのはきっと〝私〟に違いないと噂が立った。

 ある時、教会を攻撃し続けているのは〝僕〟ではないかと噂された。

 結果〝僕〟の飼い主は〝私〟を。

 〝私〟を擁する教会は〝僕〟を。

 互いの最も邪魔な手駒を排除するために、最強の切り札を斬ることになった。

 だから、その出会いは必然だった。



◎◎



「――〝はじめまして〟」

「〝はじめまして〟――」


 ある喫茶店で、背中合わせに座る少年と少女が、示し合わせたようにそう言った。

 といっても、お互いに別の人間を相手にしている中での会話だ。

 偶然同じ言葉が被ってしまっただけとも言えた。

 少年は、みすぼらしい恰好をしていて、同じような格好の男性に連れられてその店にやってきた。いま飲んでいるのはミルクだった。

 少女は、その店には場違いなほど豪奢な衣裳を着て、使用人と思わしき年配の女性と共に珈琲を嗜んでいる。


「彼方が〝僕〟か――」

「――君が、〝私〟ね」


 まったく違う文節の、まったく無関係なはずの言葉の群れの中で、また一つの言葉だけが噛み合った様に店内に響く。

 少年は、美味しそうにミルクを飲み干し。

少女は、不味そうに珈琲の杯を皿に置く。


「今日は、彼方あなたを殺すように命じられている――」

「――理解しているよ。こちらも同じように、だ」


 かち合う言葉。

 幾つもの会話と、店内に流れるジャズが掻き消してしまうから、他の誰にも届かないだけで、それは間違いなく、彼らの会話だった。

 彼らだけの会話だった。


「正直に話そう。迷っている――」

「――いまさら良心が疼くのかな」

「揺れる天秤の片方には自分を乗せている――」

「――反対側には相手の事なんて乗せやしない」

「これでも驚いているんだ。こんな偶然はあり得ないと思っていた――」

「――いつかはこんな日が来ると、破滅するとそう思うべきだったのに」

「彼方が最高傑作だった――」

「――それに君達が追随した」


 少年は、追加のミルクを同伴者にせがむ。

 少女は口直しに菓子を口の中に放り込む。


「覚えているのだろう? 本当は、覚えているのだろう――」

「――覚えていて、何になるというのか。悲しむのは君達だ」

「これでおしまいか――」

「――そう仕舞にするさ」

「――――」

「――――」


 一拍、沈黙があった。

 喫茶店の喧騒の中に、一瞬の空白があった。

 その刹那に、何かのやり取りがあったのは間違いない。

 だが、それを観測できたのは、その場にいた、たった二人の存在だけで、そしてそれも、次の瞬間には独りになっていた。

 ぐらりと傾ぎ、ほんの数瞬前までいのちの火を燃やしていた存在がテーブルに突っ伏す。その〝少女〟の肩を、使用人がゆする。

 少年と同伴者は立ち上がり、いつの間にかその場から姿を消した。

 ほんの少し後、喫茶店の中に、哀しい悲鳴が響き渡った。



◎◎



 〝私〟と〝僕〟の戦いは、大方すべての人間の予想通りの結末を迎えた。

 〝僕〟が死に、〝私〟が生き残った。

 教会は喝采にわき、その他は苦渋に怒りを燃やした。

 そして、〝私〟は――


◎◎


 世に名うての暗殺者が二人いる。

 殺せぬもの無しを謳う暗殺者が二人いる。

 ひとりは〝僕〟を名乗り、もうひとりは〝私〟というコードネームを与えられる。

 ふたりは存在した。

 いつだって廻り合ってきた。

 それは或いは必然。言うなれば仕組まれたものだった。


 ある組織が、最高の暗殺者を生みだそうと決意した。

 産まれた瞬間――否、それ以前の段階からありとあらゆる手段で〝教育〟を施し、この世界に産まれ落ちた刹那から誰よりも優れた人殺しとして生きられる、そんな存在を作りだそうとした。

 その組織の名を〝教会〟という。

 教会では、何百何千という人間に〝教育〟を施してきた。

 〝教会〟で生まれた子供たちは切磋琢磨し、時に敵対し、時に協力し、時に利用し合って暗殺者として成長を続けた。

 そのうちに、最高傑作と呼ばれる暗殺者が生まれた。

 それが〝僕〟だ。

 〝僕〟は考えられる限り最も優秀な人殺しだった。非の打ちどころがなかった。

 だけれど〝教会〟は満足しなかった。

 〝僕〟を超える暗殺者を求め――そして〝私〟を生み出した。


 はじめの〝私〟は〝僕〟に遠く及ばなかった。

 一瞬で、ニアミスした瞬間には殺されていた。

 完成品としての〝僕〟は、あまりに高性能だった。

 教会は試行錯誤を続けた。

 未完成品たる〝私〟を〝僕〟に挑ませ続けた。


 そのうちに〝僕〟を超える〝私〟が生まれた。

 〝私〟は暗殺対象の眼球を貫くのと同時に、〝僕〟の食事に毒を盛ることに成功したのだ。奇しくも〝僕〟は暗殺対象と同じ毒で死んだ。

 そして〝私〟は、最高の暗殺者の称号を――〝僕〟の名を受け継いだ。

 〝しもべ〟の名を受け継いだ。

 そんな〝僕〟――かつての〝私〟に、教会はそれでも満足しなかった。

 さらなる〝私〟が生まれ、〝僕〟へと挑んだ。

 返り討ちに会うこともあった。

 みごと討ちとることもあった。

 〝私〟と〝僕〟は激しく代替わりし、その勇名は高まり続けた。どれほど有名になっても、彼らの暗殺が失敗することはなかった。その容姿を警戒されても、だって暗殺に向かう頃には〝別人〟なのだから。


 そうして、どれほどその輪廻が繰り返されたか。

 その新陳代謝のようなメカニズムがどれほど繰り返されたのか。

 〝私〟。

 〝僕〟。

 その当代もまた、殺し合う。

 今回の〝僕〟は〝私〟の先輩だった。

 今回の〝私〟は〝僕〟の後輩だった。

 かつてくつわを並べた日々、同じ釜の飯を食った日々、寝所を同じくした日、幾つもの思い出が、彼らを苛んだ。

 彼らにも、焦がれるような日々があったのだ。

 だが、結果として〝僕〟は死に〝私〟は生き延びた。


 彼らの関係は、ロールシャッハ・テストに似ている。

 その生き様の無意味さは、意味などない模様のようだ。

 その一滴のインクから生じる相似形の模様は、まるで彼らの運命そのものだ。

 ただの地名だったものが、思考や障害を判定するためのテストにまでなったように、彼らの人生はあまりに記号的だった。

 だって、その輪廻は相克は、いつまでも、いつまでだって続くのだから。


「――哀しいじゃないか――」


 長い歳月の果てに、もはやどちらだったのかも解らなくなったひとりの暗殺者が、教会に――神の家たる教会へと入っていく。

 目指したのは、告解室だった。

 小さなその部屋の中に、巨体を畳み込むように押し込んで、ほんの少し前、ひとを殺したばかりの暗殺者は、血塗れで罪を懺悔する。


「――神様、〝私〟は罪を告白します――」


 一心不乱に、暗殺者が祈りを捧げようとした瞬間、隣から声が届いた。


「それは罪じゃない。罪じゃないんだ――」

「――――」


 隣室から差し込まれた刃が、滑るように踊って、一切の苦痛を与えることなく〝私〟の延髄を断ち切った。

 血塗れの〝私〟は、これ以上なく血塗れになって――


「だから、先に逝っていろよ。〝僕〟も、すぐに逝くさ――」


 後輩にゆるしを与えて、その魂が天に召されるよう十字を切り、〝僕〟はその場から歩き出す。

 何処かへ。

 例えば――


「〝教会〟の――外へ」


 神の家から歩み出る瞬間、何を思ったか暗殺者は一シリング硬貨を祭壇へと投げ入れた。

 それが貧者の一灯たるか、長者の万灯とみなされるのか――そんな事に、誰も興味を持ちはしなかった。


 ――ただ赦しがあらんことを。


 誰かがそう、呟いた。

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