眩い世界で、僕らは切実に、こいねがう
今回のお題――【グリザイユ】 【最高速の】 【ハッピーエンド症候群】
隠し回収お題――【リフレイン】
「〝はじめまして〟――あなたは、だぁれ?」
少女は、そう言った。
††
僕の眼には、時々世界が灰色に写る。
モノクロームって言えばいいのか、とにかく何でもかんでも味気なくなって、心底くだらないものに見えて、まるで砂でも噛んでいるような思いがするんだ。
すごく楽しい夢を見て、目が覚めてそれを忘れてしまった時、何だか手の平から大切なものがこぼれ落ちていってしまうような心地になったりするだろう?
そんな気分になると、世界が灰色に見えるんだ。
「グリザイユ絵画。あなたの見ているものって、きっとそれに近いんだわ。素敵ね!」
そう言われて、僕は大きく溜息をついた。
通りすがりに見つけて、たまたま入ったドーナツ屋で、対面に座った少女が、きらきらとした眼差しで僕を見ている。黒い瞳には、光が充ちている。
例えば僕が、心底世界に絶望しているとするならば――この少女は、心底世界に希望を見出している。
そら恐ろしいほどの希望。
ふと、彼女と出会ったのがいつだっただろうかと考えて、すぐにそれを止める。
あまりにも無意味だし、そんな気力は残っていない。もそもそとオールドファッションを貪っているので精いっぱいだ。
対して少女は、もくもくとハニーチュロを美味しそうに頬張っている。
陰々滅滅とした僕とは違い、彼女は実に幸福そうだった。
「なあ」
と、僕が彼女に声をかけ、
「なぁに?」
と、彼女が答えを返そうとした瞬間、
――唐突に / 世界が / 凍りついた――
すべてが、止まる。
静止する。
凍結するように動くことを止める。
フレンチクルーラーを齧ろうとしていたおっさんが、カップに注がれていたカフェ・オッレが、その場にいた――いや、世界中のあらゆる生命の鼓動が停止する。
「――――」
僕は見る。
窓の外を、静止した世界を。
そこに座す――〝虹色の化け物〟を。
それは、獣と呼ぶのなら獣に似ていた。だが同時に、あらゆるこの星に存在するどんな生命にも似ていなかった。
翼を持ち、
全長50メートルの異形。
〝審判者〟
或いは、
〝アグレッサー〟
僕らはその化け物を、そう呼んでいる。
僕ら。
そう、僕の対面で、少女もまた、その姿を見詰めていた。
『GUUURURIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!』
アグレッサーが吠える!
世界のすべてが恐怖に震撼する。
高層ビル群が砕け散る。
街が、その一瞬で崩壊し、破滅の波涛は世界中へと広がっていく。
瞬く間に街は破壊され、隣の町も、その隣の街も、もっと遠くの何もかもがすべて曠野のように荒廃し、無数の命が消し飛ばされる。
どうしようもないぐらい現実味がなく。
どうしようもないぐらい現実たる光景。
アグレッサー。
それは命を、文明を、世界を刈り取るもの。
人の世に審判を与える、天の御使い。
ああ、と、僕は呟く。
見なよ、ほら。やっぱり世界は、灰色じゃないか。
停止した世界は、なによりも灰色じゃないか。
大切なものは、やっぱり手の平からすり抜けてしまうんだよ……
「そんなこと、ないよ」
誰かが、そう呟いた。
「そんなこと、ないんだよっ!」
眼の前の少女が、叫んでいた。
その瞳に、何かが燃えている。
僕にとっては
それは、
少女は、確かな手つきで手に持っていたハニーチュロを皿に置くと、僕へとそっと手を伸ばして見せた。
「使ってよ、サマエル。私を、使って」
「……リリス。でも、それは」
「お願い。使って。それだけが……私たちに課せられた願いだから!」
……少女は、リリスは、燃える瞳でそう言った。
黒く、眩しく燃える瞳に、黄金色の願いを刻み訴える。
〝願い〟。
違うよ、リリス。それは願いなんかじゃない。これは――
これは呪いなんだよ――
「呪いでも――罪を償うための呪いでも、世界を――命を守れるのなら!」
リリスはなおも気高く叫ぶ。
ああ。
嗚呼。
僕は。僕は――
「泣かないで、サマエル。〝今度も〟私を、無駄にしないでね?」
「――――ッ!」
僕は、奥歯を噛み締めて、胸中で渦巻く想いの、そのすべてを振り切って少女の手を執った。
絶叫する、世界を揺るがす化け物に向けて。この状況を見て楽しんでいるクソ野郎に向かって。
僕は
「私は」
『「我らは原初の罪科によって
少女の姿が、炎に融けた――
††
遥かな昔、まだ人が知恵を身に着ける前に、一匹の蛇と、楽園から追放された始まりの少女がいた。
蛇は、とてもひねくれもので、人間なんて何も知らないまま、愛すら知らないままに生きればいいと思っていた。
だけれど、楽園から追放された少女を見て、それを憐れに思った。
人は愛を知らなかった。
愛を知る叡智がなかった。
愛を知らないから、少女は約束の園から遠ざけられてしまったのだ。
蛇は、それを憐れに思い、人に叡智を授けることにした。
いのちと引換の種火、文明の火、原初のともしび。
死と引き換えに叡智を手に入れた人間は、愛することを覚え、世界に満ちた。愛を覚えたからこそ、命が限りあると知ったからこそ、彼らは世界を充たそうと願った。
だけれど同時に、それを快く思わない存在もいた。
神様は、人間が愛を覚えることなんて望んでいなかったのだ。
だからあのクソ野郎は、蛇を自らより遠ざけ
そして、星霜の年月を待ち、わざわざ世界が生命の営みで満ちるのを待ってから、すべてを刈り取る天使を差し向けた。
それがアグレッサー。審判者にして侵犯者。
そして、零落に伴い喪われた蛇の名をルシフェル。不憫なる不死の少女の名をリリスと言った。
††
叡智の火には、魂を練成する権能があった。
僕が手を執った少女は、瞬く間にその姿を変えていく。
『使い潰して、サマエル――尊い世界を護るために、私のすべてを!』
僕の手の中に現れたのは、一振りの刃。
いや、刃と呼ぶには語弊がある。
その長い持ち手と、真っ直ぐに伸びる燃え盛る剣身――それは、言うなれば〝槍〟だった。
ほんの一瞬前まで少女だったその槍を手にし、僕は地を蹴る。
とうの昔にドーナツ屋は塵と化していた。
『RIRIGIRIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!』
獣の姿をした天使が吠えたてる。
僕らの姿を認めて殺意を滾らせる。
爪牙が、四足が、尻尾が、毒針が、僕らを滅ぼさんと殺到する!
僕は駆ける。
地を蹴って、蹴破って、天を翔る!
「はぁっ!」
突き出した槍は、弧を描き、炎の残滓をたなびかせ、僕らを叩き潰そうと迫った食腕を裁断し、燃やし尽くす。
止まらない。
飛翔する槍の勢いは微塵も衰えず、真っ直ぐに突き進む!
伸びきった穂先は、アグレッサーの頭蓋を容易く貫き、炎が乱舞! 一瞬で50メートルの巨体を灰燼とせしめる!
「塵は」
塵に!
「――帰れ!」
『RURILIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII――!!?』
断末魔をあげて
着地する僕ら。
横合いから飛来した衝撃が、構える暇も与えずに僕らを吹き飛ばした。
『ZEIRUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!!』
『OURUBAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
『IIIIIIIIIIIIIEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!』
現れたのは、無尽蔵の獣の群れ。
先程までのものよりよほど巨大な固体の群れ。どんな建造物よりも巨大な化け物ども。
そうか、今日は本気か。何もかも滅ぼすつもりかクソ野郎。
だけれどな、神様。
大莫迦野郎の神様よ。
「僕は、こんな世界には絶望してしまったけれど」
憐れな少女が生きることも叶わない世界を呪ったけれど。
「この少女は――誰よりも〝いのち〟を祝福しているんだぞッ!!」
手の中で、槍が震える。
ああ、解っている。
全部、全部倒してしまおう。
奴らが天使なら、僕らは死天使だ。
かつてルシフェルと呼ばれた熾天使は零落し、命の火を運ぶ死天使サマエルと化した。
サマエルは世界に絶望したけれど、神様を呪ったけれど。
――
――――聖女リリスは、命を祝福したのだから。
――
「……まったく、厭になる」
神様の遣わす化け物に勝てるかだって?
もしそれが出来るのなら、できると信じているのなら、そいつはハッピーエンド症候群だよ。
そして僕らは〝それ〟だった。
「さあ、世界を救って見せようか」
僕は、僕らは、また一歩を踏み出すために足をあげる。
次の瞬間には最高速の一撃を、眼前のアグレッサーの叩き込んでいるはずだ。
なあ、聴こえるか? 聴こえているか、リリス?
僕は、僕は君のことが――
「――――」
何もかもを飲みこんで、僕らは、一歩を踏み出した。
††
すべてのアグレッサーを葬り去って、灰燼に帰して、僕はその場に倒れ臥す。
今にも死んでしまいそうなくらい、僕は
「――――」
見上げる。
世界はまだ、灰色のままだ。
だけれどゆっくりと、先ほどまで壊れていたすべてが元に戻りつつあった。
そう言う仕組みなのだ。
手の中の槍が、ゆっくりと火の粉に変わる。燃え尽きていく。
槍が消え、その炎の中から、ひとりの少女が産まれ堕ちる。
「――……」
少女が、ゆっくりと目を開く。
その黒い瞳が、黄金の精神を宿す瞳が、僕を見て――
「〝はじめまして〟――あなたは、だぁれ?」
そう、言った。
そうだ。これは、そう言う呪いなのだ。
人間に知恵と死を与えてしまった僕らは、罪を背負った。
僕は永遠に戦い続ける呪いを。
そして少女は――戦いのたびに、その魂をリセットされる呪いを。
天使は、叡智の火で鍛造した魂――その武器でしか殺せない。
そして武器になった存在は、必ず死ぬ。でも少女には不死の呪いがかかっているから、その何もかもがリセットされてしまう。
ああ、ほら、これが絶望じゃなくって、なんだっていうんだよ。
無限に死に続けるなんて、呪いじゃなくて、なんだっていうんだよ。
神様ってのは、どうしようもないくそったれじゃないか!
「ちくしょう……」
力なく僕は呟く。世界は相変わらず灰色だ。希望なんてどこにもない。
だってのに、君は――
「みて! すごい!」
彼女の言葉の先で、世界が元に戻っていく。
何もかもが、巻き戻すように復元され、人の営みが、生命が回帰する。
変わる世界を見詰めて、少女はうっとりと、つぶやいた。
「素敵……世界って、こんなにも美しいのね……」
僕の眼には、時々世界が灰色に写る。
それは僕が、どうしようもなく絶望しているからだ。
でも、だけど。
希望は、決して尽きやしない。
世界は、いつまでも灰色じゃない。
色彩の戻る世界で、祈るように両手を組んで空を見詰める少女を見て、僕は、強くそう思った。
この、美しきいのちすべてに、祝福があらんことを――
眩い世界で、僕らは切実に、こいねがう。
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