第10話 婚約者?
風呂からあがってみると、脱衣所には着替えが置いてあった。下着も女性用が準備されていたのがありがたかった。
生成りのエプロンドレスと水色のベストを身に着けて部屋に戻ると、ソファに座っていたサー・ロビンソンは手にしていた本から顔を上げた。
「お待たせしました」
「いえ……よくお似合いです」
言われ慣れない言葉に思わず俯いてしまった。考えてみれば、私の周りにはそんな甘い言葉を言うような男の人はいない。
それに……今の言葉はテオに向けたもの、よね?
サー・ロビンソンは薬を毎月取りに来てたはずだから、テオとはそれなりに面識があったのはわかるけど、どういう距離感で接すればいいのかしら。
今の言葉は、どう見ても普通に女性に向けたほめ言葉だわ。テオに向けたものだと考えると、ものすごく違和感がある。
顔を上げてじっと見つめると、サー・ロビンソンは微笑を浮かべて私を見ていた。
「食事を用意させました。どうぞこちらへ」
手招きされてソファに近づくと、ローテーブルにすでに朝食がセットされていた。パンケーキにオレンジジュース、サンドイッチにサラダ。ローストビーフまである。
なんて豪勢な朝食だろう。普段の夕食より豪華だわ。分厚いローストビーフなんて、ずいぶんお目にかかってないわ。
「あの、サー・ロビンソン」
「はい?」
「……僕がテオだって、わかってます?」
「え? ええ。わかっています。ですが、今のテオ殿は女性ですから」
なんというか、むず痒い。
本当にこれがテオだったら、間違いなく暴れ出すわね。明日にはテオに戻るんだし、変な反応をされても困る。
「やめてください、サー・ロビンソン。……確かに女の姿になってますけど、普通にしてもらえませんか」
「……申し訳ない。ですが、それはできません」
まさかの拒絶に顔を上げると、サー・ロビンソンは不機嫌そうに顔をしかめていた。
「……その服を用意する際に誰のものかと詰問されまして。僭越ながら、私の婚約者のものだと、言ってしまいまして……」
「え……?」
ちょっと待って。誰が、サー・ロビンソンの婚約者だって……?
じっと見つめると、彼はほんの少し頬を赤らめ、頭を下げた。
「勝手なことをして申し訳ありません。ですが、こうしておけばテオ殿が屋敷内を歩いていてもとがめられることはありません。……明日まで薬の効果は抜けないと聞きましたし、その間ずっとこの部屋にいるのも気づまりでしょう?」
「えっ……あの」
私が、サー・ロビンソンの、婚約者?
サー・ロビンソンの話が頭にようやく入って来て、途端に顔に血が上る。
「あ、あの、でも、本当の婚約者の方は」
「ああ、いえ、いませんから大丈夫です」
いないと聞いて、ほっと胸をなでおろす。本物がいるなら、顔を知ってる人がいてもおかしくないし、本物の婚約者にも失礼だもの。
「わ、わかりました」
それなら、この姿で出歩く際は女性として扱ってもらわないと困るわけだし、テオに似せた振る舞いをするよりは素のままに振る舞うほうが楽だ。
そう思って頷くと、サー・ロビンソンはようやく表情を和らげた。
「ありがとうございます。では、ここからは私のことをウィルと呼んでください」
「ウィル?」
「ええ。婚約者ですから、愛称で呼ぶのが普通でしょう? サー・ロビンソンと呼ばれるのは少し……」
「あっ……そう、ですね」
「テオ殿については、ティナと呼ばせていただきます」
「ティナ……」
「ええ、クリスティナの愛称です」
もう一度おうむ返しに口の中でティナ、クリスティナとつぶやいてみる。
「さあ、どうぞ座って。たっぷり用意させましたから存分に召し上がれ。朝食が終わりましたら少し散歩に行きましょう」
「……わかりました」
促されるままにサー・ロビンソンの向かいに座る。
手と口を動かしながら、目を覚ましてからのことを考える。
色々面倒なことになってしまった。テオが寝るときにピアスさえ外していなければ、こんなことにはならなかったはずなのに。
……ううん、テオがどれだけ迂闊だからって、ピアスまで外して寝るはず、ない。外したまま目を覚ましたらどうなるのか、知らないテオじゃないもの。
だとしたら。
……昨夜、誰かが親切にも身に着けていたものを全部外したのね。
テオの服を着替えさせたのはサー・ロビンソンだと言っていたわ。となると……彼、なんでしょうね。
ため息がこぼれる。
テオもくたびれて寝込んだと言っていたし、これはもう、運が悪かったとしか言えない。
「お口にあいませんか?」
「え? いえ、おいしいです」
ため息に気付かれたのだろう、サー・ロビンソンが不安げにこちらを見ている。たぶん、育ち盛りの男の子のはずなのに、ちっとも食事が進んでないことも気にされてるのだろうな、と思う。
普段はもっと軽い食事で済ますんだもの、大目に見てほしいところだけど、仕方ないわね。
ローストビーフを何とか一枚平らげて、サラダをつつく。
味はどれも素晴らしかった。さすがは子爵の館ね。こんなおいしいものを知ってしまったら、いつもの料理が味気なく思えてしまう。
あ、でもパンだけはお隣のカールさんの焼いたパンのほうが美味しかった。さすがはカールさんね。
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