第11話 どういうことですか?

 食事を終えて、早速外へと連れ出される。

 靴もちゃんと入るサイズのものが準備されていて、どうやって計ったんだろう。

 館の中を通りながら案内もついでにされる。玄関のホールに出るまで何度曲がったか知れない。


「そういえば、薬は効きましたか?」

「えっと……」


 薬。ベッドサイドには特に何もそんなものはなかったけど、たぶんテオに処方されたものだろうなということは分かった。体には特に異常はなかったし。


「はい、ご心配をおかけしました」


 そう頭を下げると、サー・ロビンソンはほっと眉尻を下げた。


「それはよかった。乗馬は慣れるまでしばらく痛みますからね。また痛むようでしたらジェイルズ先生をお呼びしますから」

「ありがとうございます」


 玄関を出ると、二人掛けのオープンタイプの馬車が待っていた。サー・ロビンソンがさっさと乗り込んでしまったところを見ると、これに乗って庭を回る、ということみたい。

 ステップに足をかけたところでサー・ロビンソンが手を引っ張ってくれる。


「すみません」


 スカートをうまくさばいて横に腰を下ろすと、不意に腰に手が回ってぐいと引っ張られた。


「ひゃあっ」

「もっと寄ってください。……一応婚約者ですから」


 はっと周りに目をやると、メイドさんや厩番の人などがこっちを見ているのに気が付いた。

 そうでなくともサー・ロビンソンは目立つ人だ。……いろいろな意味合いで。私に向いている視線は必ずしも好意的なものばかりじゃなくて。明け透けに感情をぶつけてくる視線が恐い。

 今日一日だけのかりそめの婚約者で、サー・ロビンソンにとっては女ですらない存在だというのに。

 本当に女って怖い生き物だ。


「それから、できるだけウィルと呼んでください」

「あ、はい……でも」


 そんな小芝居、二人きりで馬車に乗ってるだけなのに必要なの? と首をかしげると、サー・ロビンソンは「どこに目があるかわかりませんから」と真面目な顔で答えた。


「わかりました……ウィル様」


 見た目の年齢差から考えても、呼び捨てにはできない。そう思って様づけで呼ぶと、眉根を寄せられてしまった。


「できれば呼び捨ててください、ティナ」

「でも、その」

「お願いです、ティナ」


 吐息がかかるような距離で、耳元で囁くように言うのはやめて欲しい。ぞくっと背筋が震えて膝の上で拳を握る。

 偽名でよかった、と思いつつ、ちいさく頷く。

 自分の名前を呼ばれていたら、きっと心臓が止まって息もできなくなっていたに違いない。それぐらい、サー・ロビンソンの声は優しく、甘やかだった。私が勘違いしそうになるほどに。

 腰に回されたままの手も、ドキドキの原因だわ。


「――ウィル」


 よくできました、と言わんばかりに頭を撫でられる。

 えっと、ここにいるのは一応テオということになってるのだけれど、わかってます? サー・ロビンソン。

 それとも、本当はテオのこと、好きなのかしら。……騎士の方々は戦場暮らしが長いとそういう道に行く人もいると聞いたことはあるけれど、もしかして、そうなの?

 ……だとしたら、複雑。サー・ロビンソンは悪い人には見えないけど、弟(テオ)をあげるわけにはいかないもの。

 馬車はゆっくりしたスピードで庭園を歩く。走らせる、というよりはぽっくりぽっくりと歩く感じで、揺れもそれほど感じない。座席は板ではなくて柔らかく、さらにその上にクッションを置いてあるのでお尻も痛くない。


「疲れたら言ってくださいね。お弁当を作ってもらいましたから、ピクニックにしましょう」

「はい」


 ちらりと後ろを見ると、いつの間にか座席の後ろにはバスケットが二つ積んであった。朝食をたっぷり食べたから、そうそうお腹はすかないと思うんだけど。

 それにしても広い庭園だ。私たちが出てきた館と、向こう側に白い建物が見える。それ以外にも、倉庫のような建物や東屋があちこちあるらしく、茶色い屋根が見える。ベランダから見えていたものだろう。


「そういえば、ジェイルズ先生から兵舎の医務室を見に来ないかと誘われていましたね」


 ジェイルズ先生、という単語はさっきも聞いたわね。テオのことだから、薬のことで興味を持ったのかもしれない。でも、この格好で行くのは困る。私には薬のことはさっぱりわからないし。


「また明日にでもお邪魔します」

「そうですね。……では、明日に時間を取ってもらうようにしましょう」


 それにしても広い庭だわ。緑の垣根のように木々が立ち並んでいるけれど、そこまでが子爵の庭なのかしら。庭と言いながら高低差があって、少し登りになっている。ぐるりと回ったところで子爵の館は木に隠れて見えなくなった。


「もうじき華の館が見えてきます」

「華の館?」

「ええ、本当は春の館と言うのですが、夜会や茶会に使用する館です。それぞれの時季に美しい花を咲かせるように手入れをした庭園が見事ですよ」

「そうですか」


 私としては花は好きだからうれしいけど、テオなら興味は持たないだろう、とそっけない返事を返す。


「庭の一角には薬草園もあります。そちらも時間があるようなら行きましょうか」


 一応の意図は伝わったみたいね。でも、私個人としては花のほうが好きなんだけどね。――薬草は、そりゃ手伝いもしてるから知らないわけじゃないけど、語れるほどは詳しくないし。

 しばらく馬車を走らせた後、サー・ロビンソンは道端に馬車を止めた。

 周りを見回しても、特に何かがあるわけではないみたいだけど、さっさと降りたサー・ロビンソンは馬車からバスケットを下ろした後、私を馬車からおろした。


「ここから少し歩くと裏から庭に入れますから。少し歩きましょう」


 バスケットを軽々と抱えて先を行くサー・ロビンソンに付き従いながら、あたりをきょろきょろと見回す。

 行く先には緑色の壁がそびえている。これが庭の外側の垣根なのだろう。途中で一か所だけアーチになっていて、どうやらそこが庭の裏口だったらしい。扉も何もない入口を通ると、花の香りがした。


「うわぁっ」


 思わず声が出た。

 緑色のじゅうたんの中に、ピンクや白、紫や赤の可憐な花があちこちに花開いている。花自体は珍しいものはないけれど、見事、というほかない。


「喜んでいただけましたか」

「はい」


 今の自分がテオだということも一瞬忘れて、声が弾む。

 店に飾る花を選ぶのは私のささやかな楽しみの一つでもある。花屋さんで買うこともあれば、野の花を探しに行くこともある。……ここしばらくは高いお花は買ってないけど。

 これほどの庭園を維持するのは大変に違いない。やはりさすがは子爵様だ、と認識を新たにする。


「ティナ、こちらへ」


 何度か呼ばれてようやくティナが自分の名前だと思い出し、サー・ロビンソンの傍へ行くと、さすがに苦笑を浮かべていた。


「できれば早く慣れてくださいね」

「ごめんなさい」


 素直に謝るとまた頭を撫でられる。……とても複雑な気分。ティナって名前もこの姿も、今日一日のことよね? 慣れる必要、あるのかしら。

 そんなことを考えてる間にサー・ロビンソンはシートを広げてバスケットを開けていて、ピクニックは始まった。

 用意されていたランチはやはりすごい量で、ゆっくり食べ進めるしかなかった。サー・ロビンソンはやはり元騎士だというだけあって健啖家で、ハムを挟んだバケットをあっという間に食べてしまった。

 食べきれなくて、食後のデザートは後回しにしたところでサー・ロビンソンはその場で寝転んだ。お行儀は決して良くないけれど、なんだか昔もピクニックに行ってテオがごろんと横になって寝ちゃったことを思い出してくすくす笑う。


「お行儀が悪いですよ」


 そう声をかけたものの、サー・ロビンソンは何やら口の中でもごもご言っただけで、そのまま目を閉じてしまった。

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