第7話 到着したけどどうしよう

「ふええ……」


 子爵領の入り口、街道の検問をサー・ロビンソンのおかげで難なく通り抜け、今僕は子爵の館の前にいる。

 正確には、子爵の館の門を抜けたところ。……まだサー・ロビンソンの馬に乗ったまま。


「手続き終わりましたよ」


 馬の手綱を引きながら、サー・ロビンソンがにこっと微笑んだ。トレードマークだった髭と丸眼鏡がないからずいぶん若く見える。ずっとおじさんだと思ってたのに。


「あの、僕降りなくていいんですか?」

「ああ、大丈夫です。それに、まだ歩けないでしょう?」

「……すみません」


 あの休憩の後、サー・ロビンソンはずいぶんスピードを落としてゆっくり走らせてくれたけど、すでに擦り剥けたお尻や太ももの痛みがなくなるわけでなく、股関節もばっきばきな気がする。

 今降ろされたら二度と立てないかも。


「いいえ、乗馬に慣れていないテオ殿を無理に乗せたのは私ですから、謝るのは私の方です。アリスさんのありがたいお申し出につい甘えてしまいました」


 僕の方に頭を下げてくるサー・ロビンソンに、慌てて両手を振った。


「いいんです、僕も子爵様のご依頼が気になってましたし……」

「いえ、やはり馬車でもう一度お迎えに上がるべきでした。申し訳ありません」


 でも馬車だともっと移動にかかるんだよね。あさイチに出発しても昼前には着かないに違いない。……って、今の僕らと一緒か。


「それで、子爵様のお屋敷って、あれですか?」


 とりあえず話題を変えよう、と目の前に見えてきた白い石造りの平べったい館を指さすと、サー・ロビンソンは首を横に振った。


「あれは兵舎です。館を守っている兵士たちが住んでいます。厩もあって、馬の世話は兵士たちがするんですよ」


 そういえば、ベルエニー様って乗馬がお得意なんだった。前に、王都まで走るからって痛み止めとか貼り薬を頼まれたこともあったっけ。途中の村で調達できると思うんだけど、子爵様だけでなくて護衛の人たちの分も頼まれたから、とてもじゃないけど揃えられないだろうって頼んでくれた。大口で僕としては助かったけど、材料集めも大変だったっけな。


「じゃあ、あちらの茶色い塔のある建物ですか?」

「ええ、そうです」


 少し暗めの壁の色だけど、さっきの兵舎に比べると格段に手が入った建物だとわかる。


「思ったより時間を食ってしまいましたから、今日はお泊りください。客室を用意しますから」

「……えっ」


 まだ日が高いのに、どうしていきなりお泊りになるのだろう。


「その、子爵様のお話を伺ったら僕すぐ帰るつもりで……」

「ですが、そうなるとまた馬で送り届けることになりますよ?」


 う。それは結構つらい。

 子爵様とお話ししてすぐに取って返せば馬車でも日が変わる前にはたどり着けると思うんだけどな。

 でもそうすると、サー・ロビンソンは夜中にまた馬車を走らせなきゃならなくなる。

 馬で連れ帰ってもらって、店で一泊してもらう?

 でも、そうなったら……姉ちゃんが出てこないの、不審がられるよね……。

 僕は思いっきり顔をしかめた。


「ああ、もしかして明日予定が入ってたんですか?」

「いえ、そうじゃないんですけど……ハンナさんにお留守番をお願いできなかったから、ちょっと」


 まあ、うちの店が閉まってたら、初めてのお客様でなければみんな知ってるから、お隣に言伝に行ってくれると思うけど、心配かけることになるなあ……。

 泊まることになるなんて思わなかったから、着替えなんか持ってきてないし、なにより――姉ちゃん、怒るだろうなあ。

 明日は姉ちゃんの日なのに。

 申し送りのノートには、特に何も書かれてなかった。買取や鑑定の予約も入ってなかったから、今日譲ってくれた分と、明日の分をどこかで交代しなくちゃ。

 耳のピアスをそっと撫でる。

 ごめん、姉ちゃん。

 顔を上げると、サー・ロビンソンは少し眉を寄せて僕のほうを見ていた。


「いつものことだから大丈夫だと思います。ハンナさんには何かお土産買って帰ります」

「……無理を聞いていただいて申し訳ない」


 ぴしっと足をそろえて頭を下げるサー・ロビンソンに、僕はあいまいに笑うしかできなかった。


 ◇◇◇◇


 館に到着すると、執事らしい人に迎えられた。馬から降ろしてもらった僕は案の定がに股でまっすぐ歩けない。お尻も内またもひりひりする。

 見るに見かねてサー・ロビンソンが抱っこしてくれたけど、お姫様抱っこ! さすがに恥ずかしかった。きれいなメイドの子もいっぱいいたのにそんなところ見られるなんて、もう顔上げて歩けない。

 サー・ロビンソンは優しいけど、僕はもう十四歳なんだ。もうじき成人なのに。

 案内された部屋はすごかった。寝室だけでお店の何倍あるんだろう。お風呂も見せてもらった。こんな広いお風呂、見たことないよ。泳げそう。

 一通り案内してもらったところで、サー・ロビンソンは僕にベッドにうつぶせに降ろした。


「もうすぐお医者様が来ますから」

「えっ」

「そのままだと動けないでしょうし、明日お店までお送りするのに馬車でも耐えられないでしょう?」


 僕はあわてて自分のお尻にそっと手を当てた。服がこすれるだけで涙が出そうになる。


「よく効く薬がありますから、それを塗ってもらいましょう。半日もすればすっかり痛みが治まりますから。カレル様は夕食前にはお戻りになりますから、それまでは体を休めてください。夕食前にまたお迎えに参りますから」

「は、はい。ありがとうございます」


 腕の力で上体を起こすと、サー・ロビンソンはやっぱりにっこり笑ってお辞儀をしてから部屋を出て行った。

 それからすぐ白衣のお医者様がやってきた。挨拶がてら薬師だというと、お医者様は目を丸くしていた。

 こんなに若い薬師を見たことがない、だって。

 ベルエニー領にも薬師はいるらしい。お尻に塗ってもらった薬は子爵様お抱えの薬師が作ったものだと言っていた。

 あれ、でもおかしくない?

 お抱えの薬師がいるんなら、どうして隣の領の僕のところまでわざわざ薬を注文しにくるわけ?

 胃薬とアレの薬。……もしかしてそれが原因かな。

 子爵様がアレがアレだと領内で知られるのはまずいのかもしれない。

 僕が作る薬はあの人から教わった処方で作ってる。以前薬草市で薬師の人と話をした時に、ずいぶん古い作り方だと言われた。今はもっと効率の良い処方があると教えてもらったけど、どうにもしっくりこないし、あの人の処方を守りたい気もあって、作り方は変えてない。だからなのか、僕の薬はよく『苦い』『薬っぽい』と言われる。

 ということは、この後子爵様から頼まれる薬って、領内の薬師には頼めない何かだってことだよね。

 変な薬――毒とかでないことだけは祈っておこう。

 お医者様は――ジェイルズ先生というのだそうだけど――兵舎に住んでいるんだそうだ。もともと兵舎付きのお医者様としてやってきたらしい。

 子爵様お抱えのお医者様はほかにいるけど、それ以外の人――たとえば僕みたいなお客さんはジェイルズ先生が呼ばれることが多いんだって。

 兵舎に新兵が入ると、たいてい最初にお尻の皮がむけるらしくて、それ用の薬はたっぷり準備してるんだそうだ。おかげで僕のお尻もだいぶ痛くなくなってきた。


「興味があるなら、明日兵舎の医務室においで。いろいろ見せてあげよう」


 そう行ってジェイルズ先生はにこにこしながら帰って行った。そうそう、栗色のウェーブがかかった髪と焦げ茶の瞳で、ひげがすごかった。昔のサー・ロビンソンみたい。

 あそこまで伸ばすとお茶飲むときとか大変なんじゃないかな。

 そんなことを考えながらうつ伏せになっていたけど、薬のせいか、気がついたら眠ってしまっていた。

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