第61話 旅立ちの身支度
若い読者にはピンと来ないだろうが、老人が“旅立ちの身支度”と言えば、それは終活である。
一方で、誰もがネット社会にドップリと浸かった生活を送る昨今、「もしも突然死したら、今使っているIDやパスワードはどうなるんだろう? ちょっと他人には見られたくない閲覧履歴もあるが、白日の下に曝け出されたら、人生の汚点として家族に記憶されるんだろうなあ」なんて考えた事は無いだろうか?
まあ、若者には“もしも突然死したら・・・・・・”の部分が希薄だし、意に介さないだろう。
でもね。年寄りだってエッチなサイトは見たい。心の片隅で先述の様な心配を抱えながら閲覧するので、性的興奮とは少々異なったドキドキ感を感じながら、ネット画像に向かっていたりする。
そんなニーズに応えて発売されたのが、『ポックリ・スッキリ』である。
“ポックリ・スッキリ”は、IoT産業が産み出した製品の一つだ。電子機器をユーザーの体内に埋め込み、心拍停止と認識したら、生前に登録していたアカウントを全て抹消してくれる。
正確には退会手続きを代行してくれるだけなので、プロバイダーのサーバーには記録が残っているのだが、一般庶民が自分の恥を封印したいと言う程度のニーズであれば、これで十分である。
“ポックリ・スッキリ”の電子機器は、直径5㎜程度の円盤状。極小のボタン電池を想像してもらえば良い。
その電子機器を右か左の前腕、肘の直ぐ下辺りに埋め込む。製品の販売開始当初は、心臓近くの胸部に埋め込もうと考えたらしいが、街中で心臓発作を起こしてAEDを当てられたら電子機器がショートしてしまうので、前腕に落ち着いたらしい。手首で脈を取るのと同じ事なので、問題無いそうだ。
外科医が施術しているが、形成外科手術と同じ様に、健康保険の適用外だ。なあに、大した料金は掛からない。埋め込む場所に麻酔注射を打ち、メスで前腕皮膚に1㎝程度の浅い切れ込みを入れる、電子機器を潜り込ませ、縫い合わせるだけ。30分も掛からない。
民間企業とは貪欲なもので、ユーザー数の拡大を目指して、保険適用化を目論見始めた。
「先生。高齢者に
自宅で心肺停止状態に陥ったら、電子機器が消防署に救急車の出動を要請しますから、早いタイミングでの蘇生を期待できます。比較的軽度の後遺症で済み、医療費抑制に
「高齢者にアピールできる対策なら、ワシも支援は惜しまない。
だが、衛生労働省の役人が賛成するかな?」
「大丈夫です。“ポックリ・スッキリ”の普及を後押しする協会を設立します。その協会には衛労省OBの方に天下って頂き、使途拡大に向けた知恵を出して頂きます」
「そうか。そう言う事ならば、衛生労働省の協力も得易いだろう」
こうして、“ポックリ・スッキリ”は医療器具として認定され、埋め込み施術にも健康保険が適用されるようになった。
さて、ナンチャラ協会に天下った官僚は、旧帝大を卒業した優秀な人材だけあって、目覚ましい働きをする。“ポックリ・スッキリ”の心拍情報を、本人が同意した第三者に開示できるようにした。開示対象者の大半は家族であったが、国民の受けは非常に良かった。
30代の夫婦が、埼玉の自宅リビングでスマホ画面を見ながら、談笑している。
「親父や御袋に“ポックリ・スッキリ”を埋め込んだから、安否確認が気軽になったよ」
「そうね。私が青森の御実家に電話を掛けるにしても、中々話題が続かないものね。
本来なら、実の息子の貴方が電話すべきなのに、週末はゴロゴロしてばっかり」
スマホで専用アプリを立ち上げると、日本地図の一画で“ポックリ・スッキリ”の所在地を示す輝点が心拍に合わせて点滅している。
「お前の両親にも“ポックリ・スッキリ”を埋め込んでもらったらどうだ?」
「あらっ! 言わなかったかしら? もう埋め込んでいるのよ。ほらっ」
妻が自分のスマホを夫に見せる。夫のスマホと異なり、妻のスマホでは4つの輝点が点滅している。
「私の実家じゃ、お兄さんが親の面倒を見てくれているじゃない?
お父さんの方で呆けが始まっているから、夜中に徘徊しないか?――が、心配なんですって。
でも、“ポックリ・スッキリ”が有るから、もう安心だって、そう言っていたわ。
考えてみると、息子の寛太にも“ポックリ・スッキリ”を埋め込めたら、塾の帰りでも安心なのにね」
「子供は保険適用外だろう? 安くなるのは後期高齢者だけだからな」
「でも、何故なの?」
「電池寿命が10年くらいらしい。電池が切れる度に埋め込み直していては、国も医療費が嵩んで困るんだろう。だから、電池交換が必要無さそうな後期高齢者だけを対象にしているんだって」
「寛太には自費で埋め込む?」
「そうだなあ・・・・・・」
夫が思案顔で考慮していた事は施術費用の心配ではない。
――息子に“ポックリ・スッキリ”を埋め込むと、次は自分に順番が回って来るかもしれない。別に浮気をするつもりは無いが、妻に四六時中、監視されているのは居心地が悪い。
「家計も苦しいからなあ。でも、寛太の安全を考えると、お前の言う事も分かる。
次のボーナスが出たら、寛太にも埋め込もうか」
夫は渋い顔をしながら、早々に“ポックリ・スッキリ”の話題を手仕舞いにした。
天下り官僚は他にも“ポックリ・スッキリ”の使途を広げた。
銀行口座や証券口座、不動産の名義の書換えだ。平たく言えば、相続手続きの代行である。被相続人が心肺停止に陥ると、相続人の名義に書き換えられる。
相続人が何人も居る場合、遺族間で醜い相続争いが勃発し兼ねない。“ポックリ・スッキリ”を使えば、被相続人が生前に考えた通りに、淡々と遺産相続が遂行される。
誰に幾ら相続されたのか?――は、相続人本人しか知り得ず、他の相続人の遺産額は不明のままである。互いに疑心暗鬼に陥るにしても、分配金額を巡って相続争いが泥沼化する事態は回避できた。
特に、妻に内緒で妾を囲っていたり、隠し子が居る場合、好都合な相続方法だった。だから、“ポックリ・スッキリ”を使う資産家は多かった。
よって、資産家の被相続人が意識不明の状態で病院に担ぎ込まれると、往々にして、家族や親戚一堂は延命治療を拒否する傾向が強くなった。
誰だって、自分の遺産相続額は早く知りたい。被相続人だって、何本ものチューブに
但し、遺産相続の世界から弁護士や司法書士を一掃したわけではない。遺産が自宅不動産1つしかなく、複数の相続人が居る場合、財産処分のプロセスに第三者が介在する必要がある。
それに、税務署の目を逃れて相続税を脱税・節税しようと考えれば、税理士なんかも追加で雇わないといけないからだ。
ところで、目下の所、優秀な天下り官僚が取り組んでいる事案は、災害時の効果的な救助手段としての活用である。助成金の交付対象を後期高齢者から国民全般に広げようと、東奔西走していた。
この原稿を書いている時点では、南海トラフ地震も関東大震災も発生していない。幸いな事ではあるが、プレートの
また、異常気象の発生件数も、読者の時代よりは鰻登りに増えている。
倒壊したビルや建屋、土砂崩れに住民が生き埋めになった場合、救助活動の手始めは未だ存命している負傷者の探索である。
警察犬や探索ロボットの投入を否定するつもりはないが、全ての国民に“ポックリ・スッキリ”を埋め込んでいれば、円滑な初動着手が図られ、無事に救助できる負傷者の数も増やせるだろう。
現在、国会では、その法案を審議中である。
「国民皆背番号制である。政府は徴兵制の復活を目論んでいる!」
なんて見当違いの反論を野党が声高に叫んでいる。
「でも、“ポックリ・スッキリ”の施術に助成金を出さなければ、普及率は上昇しないと思われます。
自然災害に備え、国民の生命を守るのは政府の使命です」
「助成金を予算化する財源を何処に求めるのか? 再び消費税を上げるのか? それとも、福祉予算を削るのか?」
ああ言えば、こう言う。野党の支離滅裂な追及は空回り気味である。テレビで国会審議を眺めている国民の大半は野党の無能さに辟易している。明日にも大地震が発生するかもしれない。
牛歩戦術とか、何の意味も無い抵抗運動を野党は展開するのだろうが、最終的には法案が衆参両院を通過するだろう。
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