第58話 飛行車

 飛行車と聞けば、「ドローンの改造版か」と早合点する読者が多いのではないか。

 平たく言えば、ドローンはヘリコプターの亜流である。揚力はプロペラの巻き起こす気流しかない。車体と搭乗者を持ち上げるならば、相当な大きさのプロペラを装備しなければならない。駐機場の整備が大変である。

 プロペラの大きさを小さくするならば、プロペラの回転数を驚異的に上げ、気流を強くするしかない。台風で人間が吹き飛ばされたとは聞かないから、竜巻並みの強い風速を実現する必要が有るだろう。強烈な気流を巻き下ろしながら降下したら、周辺の歩行者はぎ倒されるだろう。

 だから、ドローンではない。


 正解は飛行船に近い。

 揚力は水素。原子番号1の水素は、原子番号7の窒素や8の酸素より遥かに軽い。空気中では上昇する。20世紀初頭に誕生した初期の飛行船の気嚢きのうには水素が充満していた。1937年のヒンデンブルグ号の爆発事故以来、読者の時代では、気嚢に充填される気体は原子番号2のヘリウムが一般的だと思う。

 私の時代に至るまでの間、燃料電池車の普及なんかで水素を取り扱う技術も格段に進化した。

 更に、植物の光合成プロセスの解明が進み、新発明の触媒を使って、水を酸素と水素に分解するだけでなく、可逆的に水素と酸素を水に合成できるようになっている。

 飛行車の気嚢は伸縮自在の素材で製造されており、駐機時には水が溜まっている。飛行時には水素と酸素に分解される。液体が気体になる過程で気嚢は大きく膨らむ。

 膨らんだ気嚢が地上で邪魔にならないか――だって?

 大丈夫。気嚢は瓜実うりざね型に縦方向へと伸びるから。上空に舞い上がった段階で、気嚢は90度回転し、前後方向に瓜実が伸びた状態に変換する。気嚢の回転軸と車体を繋ぐために左右2本の支柱が伸びている。

 推進力は? 飛行船にだってプロペラは有る――だって?

 おっしゃる通り。先にプロペラに難癖を付けてドローンを否定したが、飛行車にもプロペラを装備している。但し、揚力まで担う必要は無いので、小さくて済む。推進プロペラの動力は電気だ。ちなみに、触媒を使った水の分解や再合成にも電気を必要とする。


 最高時速は毎時100㎞程度。読者の時代に浮遊する飛行船と大差無い。プロペラの数を増やしたり、パワーを上げる改造を施せば更なる高速も実現できるが、標準仕様としては、そんなものだ。

 尚、飛行車の利用には運転免許証の類は不要である。何故なら、運転しないから。ナビゲーション・システムに目的地を設定すれば、全自動で運んでくれる。実は、車内に着座して目的地を設定しない限り、気嚢が膨らまず、浮上しない。

 上空に舞い上がった飛行車の全ては自動運転であり、蟻の行列みたいに無数の飛行車が滑空している。

 交差ポイントには信号が無い。三次元で交差するので、一方が他方を跨ぐ。追い越し車線も無い。全ての飛行車は同じ速度で滑空している。


 ところで、台風の時とか、ゲリラ豪雨に襲われても大丈夫なの――だって?

 普通、台風の時に出歩かないでしょう。飛行機だって欠航になるし・・・・・・。

 ゲリラ豪雨の場合は回避するから大丈夫。気象予測システムとリンクした飛行車管制システムが通行ルートを変更する。

 通常の雨ならば全く問題無い。通行ルートの高度は5㎞程度の上空であり、雨雲の上を通っている。積乱雲が発生した時は、ゲリラ豪雨と同様、管制システムが通行ルートを迂回させる。


 帰省シーズンの或る光景。

「お父さん! 見て、見てっ! 右下に富士山が見えるよ」

「貴方。九州の実家まで何時間くらいかしら?」

「12時間って言う処じゃないかな。陽の暮れる頃には着陸すると思うがな・・・・・・」

「それまで何をして時間を潰そうかしら? 貴方、話し相手には成ってくれないんでしょ?」

「勘弁してくれよ。深夜まで残業していたんだから・・・・・・。俺は寝る」

「折角の家族旅行なのに、貴方ったら」

 妻は夫に膨れっ面を見せる。だが、夫は既にまぶたを閉じている。仕方無しに子供の相手をする妻。

 国民は運転の苦痛から完全に解放されていた。

 替りに、長時間の密閉空間で妻のおしゃべりから如何に逃れるか?――と言う悩みを、男性諸氏は抱えるようになった。昔は「運転中だから」とあらがえたが、今は出来ない。露骨に無視すると、夫婦喧嘩の種になる。飛行中に口喧嘩を始めると、逃げ場が無いだけに修羅場と化す。

 最後の最後は公営休憩所に降下して頭を冷やす。流石さすがにトイレ休憩無しで長時間移動する事は、飛行車に問題無くても、搭乗者が耐えられない。それなりの社会インフラが整備されていた。


 別の光景を覗いてみよう。

 建設交通省の会議室では、課長と係長が額を突き合わせていた。

「先日の土砂崩れで埋まった国道○号線ですが、復旧予算が付くでしょうか?」

「財政省の奴等やつらがネチネチ質問してくるぞ。誰が利用しているんですか? 費用対効果は見合うんでしょうか?――だって」

「そうですよね。渋滞監視カメラの録画映像を見てみましたけど、罹災りさい前1カ月の通行車両は3台だけですものね」

「どんな車輛?」

「山奥の橋梁きょうりょう工事に使う鉄骨を運んでいたトレーラーです」

「そうだよな。飛行車で運搬不能な重量物を運ぶトレーラーしか地上の道路を通行しないものな」

 一時期は隆盛を誇った燃料電池車も、今やトレーラーの類として細々と残存するのみである。

「財政省がゴーサインを出すはずないですよね?」

「そもそも、なんで山奥に橋梁なんて建設していたんだ? この御時勢に利用者なんか見込めたのか?」

「鉄道架橋です。老朽した架橋を据え替えようとしていました」

「国道○号線が復旧しないと、工事は進捗しないと言い切れるか?」

「道路が無いと重量の嵩張かさばる資材は搬入できませんよね?」

「貨物車輛で資材を搬入したら? 線路は伸びているわけだろう?」

「資材搬入には対応できても、途中に通るトンネルの高さ制約から、重機の搬入は不可能だと思いますよ。既に工事現場で稼動している重機だって、回収不能になります」

「自衛隊に運んで貰ったら? 彼らの装備だったら、山間部だろうと、運搬可能だろ?」

 自衛隊は戦車だって運べる大型輸送オスプレイを保有している。プロペラ性能が向上しているが、読者の時代から基本構造は余り変化していない。

「国防予算で? 国防省が了解してくれますかね?」

「活躍の場が広がるわけだし、財政省だって追加予算を出すだろう。どうせ、国道の復旧費用よりも安上がりなんだろう?」

「まあ、そうでしょうね」

 建設交通省が財政省に掛け合う事も無く、国道○号の実質的閉鎖が決まった。

 災害復旧だけでなく、道路にメンテナンスは不可欠である。長く使用していれば、わだちも出来る。表面のアスファルトも割れてしまう。

 ところが、飛行車が普及した事で、道路がメンテナンスされる事は無くなった。荒れ放題である。

 地中の水道管やガス管などの更新工事を考えると、アスファルトで覆っていない方が効率的だ。道路復旧費を節約する事は、社会保障費で財政を圧迫されている政府としても、合理的判断だと言えた。

 結果、全国の道路は、土埃の上がる剥き出しのスペースと化していった。

「国は土埃対策を講じるべきだ! 国民の健康を守る義務が有る!」

 と、声を張り上げる活動家も散見されたが、

「道路復旧費と社会保障費のどちらを優先しますか?」

 と問えば、口をモゴモゴさせて引き下がった。

 ――どうせ、中国大陸から海を越えて黄砂やPM2・5が飛んで来るんだもの。今更、土埃くらい・・・・・・。消費税の税率を上げる方が嫌だわ。

 それが国民大多数の平均的意見だった。

 国は道路整備から手を引いたが、一部の地域では道路を花壇に変える区間も散見される。全てボランティアなので、地域愛の強い住民が住んでいない区間では雑草が生い茂る事になった。住民意識のバロメータとして一目瞭然であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る