第56話 4D地図
今から説明する時代。社会の一部では、3D地図ならぬ、4D地図が普及している。
3D地図は三次元の立体地図だが、4D地図には何が加わっているのか?
答えは時間軸だ。つまり、近未来の予想図だ。例えば、20年後の東京駅周辺の街並みとか、10年後の福島県の風景とか。
4D地図を描き出す人工知能は、MAP・AIと名付けられ、ローマ字読みでマパイと呼ばれている。
卓越した性能の割には、未開地域の原住民に信仰されている守護神みたいな語感で、愛嬌があると言うか、何だか間抜けな感じがすると言うか、至高の存在だと全く感じさせない。だからこそ、一般人は好んで「マパイ」と呼んだ。
マパイには世界中のあらゆるネット情報が流れ込んでいる。ビッグデータに基づき近未来を試算しているのだ。
公的な情報を挙げれば、戸籍、不動産登記簿、納税額、路線価などなど。マパイは国勢調査も想定ネタとして採用している。
準公的な情報としては、医療ネットワークに保存された治療データや各種の世論調査、銀行の預金残高や証券会社に預けている有価証券情報が挙げられる。
民間情報ならば、SNSを通じた会話記録や日記、呟き情報が圧倒的に多い。社内資料でも、孤立したネットワークに保存せず、情報保管サービス会社が提供するネットワークに保存していれば、マパイの知る処となる。
そうやって、大量のデータを集め、人々が合理的な判断をすると仮定して、近未来を予測するのだ。
幾つか具体的な事例を列挙してみよう。
資産家のA氏。メトロポリス都心部に平屋の邸宅を構えている。A氏は高齢だ。体調も悪い。
精密検査を受けた大病院の医師が家族だけを診察室に呼び、
「残念ながら、末期癌です。余命は半年から1年と言う処でしょうか・・・・・・」
と、沈痛な面持ちで診断結果を告げた。告げた通りの内容を電子カルテに書き込む。
すると、マパイの5年後の世界では、平屋邸宅が消え、高層マンションが建つ事になる。
マパイの仮想世界の時間を進めると、地方の限界集落なんかでは、木造の廃屋が草木に覆われていく。山裾に孤立した一軒家だと森に飲み込まれる。衛星写真による植物相情報と学術的な生態知識に基づき、マパイは創造主か?――と
自治体条例で空家の撤去が定められると、仮想世界の中でポツリ、ポツリと更地になっていく。再利用価値の高い場所から順番に更地化するので、一般的には路線価の高い物件から更地に変化する。
リフォームやリノベーションの技術が進化したので、仮想世界の中では、集合住宅の景観が変わらない事がある。住民減退の方向なのか、住民の入替えが進んで人口増加の方向なのか、一見しただけでは判明しない。ところが、目を凝らして眺めていると、コンビニが開店したりする。それは人口増加の兆候だ。
全知全能と
土砂崩れや河川の氾濫などの自然災害で様相が変われば、シミュレーションが遣り直される。流石に、マパイの中で自然災害を予測する事は無い。今もって自然災害を定量的に予測する事は不可能であった。
また、仮想世界で描かれる対象は不動産情報である。道路や線路、建物や様々な構築物に限られ、人や車の往来は描かれない。5年、10年後の人々の具体的行動を予測する事は、卓越した人工知能と
だから、マパイの世界を覗くと、SF映画に出てくる人類滅亡後の近未来都市にソックリである。 その荒廃感を体験したいと、VRゴーグルを装着して仮想現実を楽しむ人々も居る。
さて、マパイに最も関心を寄せた人々は、何と言っても不動産業界の従事者だ。
分かり易い事例が、大規模再開発の案件だ。再開発案件が進み始めると、マパイでは施主の求める粗いデザインの直方体だの円柱形の構築物がスペースを占める。
コンペに参加するゼネコン企業チームが勢揃いし、デザインを施主に提案し始めると、具体的な動きが現れる。
「どうやら、S社の提案の方が良さそうだな」
「それでは、S社の担当者を呼んで、詳細なプレゼンの場をセットしましょうか?」
みたいな遣り取りがメールやSNSで為されると、マパイの仮想世界が変化する。無味乾燥だった構築物がS社のデザインに置き換わるのだ。
「おい! マパイを見てみろ! 我が社以外のデザインに置き換わったぞ。
このコンペ、我が社は不利な展開に甘んじていると言う事だ。施主に新たな提案を行い、巻き返すんだ!」
N社の営業部長が部下に檄を飛ばす。
また、売り手だけでなく、不動産の購買層もマパイを重宝した。10年後、20年後の街の姿をイメージアップした上でマンションなり一戸建てを購入できる。一生に一度の買い物なので、マパイの描く仮想世界を確認しない手は無い。
但し、マパイの描く仮想世界は千里眼に見えても、参考に出来る近未来は30年先が限界だった。現在の出生率を参考にして人口動態的な試算を行うので、未だ生まれていない世代の動行を反映させる事は不可能だった。30年の間に出生率が急変すると、当然ながら仮想世界の街並みも崩れてくるはずだ。
とは言え、20年後の街並みを参考に出来るので、不動産価格は現状を反映した路線価よりも、近未来の可能性を反映した先物みたいな路線価が形成されていった。
地方自治体の都市計画部門の公務員もマパイに関心を寄せている。マパイのシミュレーション機能に期待していた。
当世の一般的なアプローチとして、地方議会で新たな都市計画を試案として採択する。それをネット上で公告する。すると、マパイが想定作業を開始する。関心を持つ住民はマパイの仮想世界を確認する。反対運動を起こしたいならば、公告の1年後に地方議会で正式案として採択するまでに意思表示する。
何事にも反対したがる者は存在するが、以前に比べると、遥かに冷静な議論が可能となった。
マパイによる近未来予測能力を活用すべきだと判断した政府も、意識的に観測気球を上げるようになった。
「このまま農家保護政策を続けていても、耕作放棄地は拡大の一途じゃないか!」
窮状を打破できない程に、農家の高齢化が進んでいた。
「だったら、農産物の輸入拡大、輸出奨励の方向に、通商政策を大きく転換した方が得策では?」
「政権与党を下支えしている農民票が離反するぞ!」
「耕作放棄地の増加に拍車を掛けるか否か、マパイで確かめてみよう」
政府と与党の遣り取りを経て、新聞紙面に観測記事が掲載される。
『政府、通商政策の転換を検討』
固唾を飲んで見守っていると、マパイの試算する近未来で耕作放棄地は増えなかった。
「よし! 通商政策を転換しよう。今後は自由貿易に大きく舵を切るぞ!」
「だが、耕作放棄地の問題は何ら解決していないぞ」
「日本人が農業に従事しないなら、外国人に農業を任せては
誰が田畑を耕そうが、大した問題ではあるまい? 土地は日本から逃げ出さないのだから」
「日系自動車メーカーがアメリカに工場を建てたみたいに、アメリカ企業に日本の田畑を耕してもらうとか?」
「良いんじゃない? アメリカ人に限らず、アジア諸国だって構わないんじゃないか?」
政府と与党の遣り取りを経て、またまた新聞紙面に観測記事が掲載される。
『政府、諸外国に対する日本農業の門戸開放を検討』
またまた固唾を飲んで見守っていると、マパイの試算する近未来で耕作放棄地が大きく減少した。
人口1億人の胃袋を目指して、農業法人の対日進出が続出するとマパイは試算した。マパイの集めるビッグデータは日本国内に限らない。世界中の人々がネット上で交わす呟きも対象である。
政府は地方自治体に根回しを始めた。
「地域社会消滅を座して待つか? 外国人労働者を受け入れ、地域活性化を図るか?」
「でも、外国人労働者が増えたら、治安が心配では?」
「残念ながら、マパイで犯罪率は試算できない。治安対策は別途検討する必要が有るだろう」
「外国人と意思疎通するには、少なくとも英語を話せるようにならないと・・・・・・」
「頑張って勉強するしかないな。義務教育の英語学習を強化しよう」
「年寄りは?」
「う~ん。外国人相手の日本語学校を増やす方が現実的か・・・・・・?」
マパイの仮想世界を
「何だか、マパイに御託宣を述べて
マパイに助言機能を装備すべく予算を確保した政府は、スーパーコンピューターを運営する理化学研究所に開発を促した。
四半世紀も経てば、政策立案機能の過半をマパイが担っている事だろう。政治家が右往左往して立案するよりも、遥かに安定するはずである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます