第52話 紫外線遮断機
光は粒子なのか。それとも、波なのか。
科学書ではない本編で論じる事は無いが、光には波長が有り、波長に応じて様々な色となるのは自然界の真実である。
人間の目に見える光を可視光線と呼び、最も波長の短い光は「紫」、最も波長の長い光は「赤」に見える。更に波長が短いと紫外線。逆に波長がもっと長いと赤外線。どちらも人間の目には見えないので、結果的に黒く見える。黒く見えると言うか、闇である。宇宙が黒く見える理由である。
反面、全ての波長の可視光線が合わさると白く見える。青空に浮かんだ雲が白く見える理由である。
余談だが、何色もの絵の具を混ぜると黒に近付いていく。光とは逆である。
これは何故か?
例えば、赤い絵の具は、赤の波長の可視光線を重点的に反射している。他の波長は吸収しているのだ。青い絵の具は、青の波長以外の可視光線を吸収している。
何色もの絵の具を混ぜると、全ての波長が吸収されるように成るので、黒くなる。
身の回りで黒い日用品を見掛けたら、それには可視光線を殆ど反射しない着色剤や染料で覆われていると言う事だ。
さて、今回のテーマは紫外線である。
波長の短い紫外線は物質に吸収され易く、太陽が照射した紫外線の大半は地球の大気に吸収されてしまい、地表には届かない。それでも可視光線の紫に波長が近い紫外線の一部は地表まで届いている。
紫外線にはタンパク質を変質させる性格があり、日常生活レベルで考えると、肌荒れである。
だから、女性人は若い頃から紫外線対策に余念が無い。手入れを怠ると、中年になってシミ・ソバカスに悩む羽目となる。
ところで、熱線暗視装置と和訳されるサーモグラフィーとは、波長の長い赤外線を可視光線の領域で表現し直す装置である。つまり、サーモグラフィーは光の波長を短く翻訳する装置だ。
これとは逆転の発想で、波長を長くして遣ろうと考えたのが「紫外線遮断機」だった。
メカニズムの詳しい説明は省くが、その外観は直径5㎝ほどのシリコン・ウェハーに似ている。その薄い円盤が3枚で1セット。頭の頭頂部に1つ、左右の手首に1つずつ着用する。
手首に装着する物は少し大き目の腕時計みたいである。頭頂部の方は顎紐で固定する。細い顎紐の方は目立たないが、円盤部分はメタリックに鈍く反射しており、河童の様に見えない事もない。
この紫外線遮断機を作動させれば、頭から手首までの上半身を紫外線から守る事が可能となる。
この紫外線遮断機は女性の間で「超」の付く人気アイテムとなったので、日本の生活習慣に少なからず変化を生じさせた。
紫外線遮断機とは光の波長を長くする装置なので、今までとは色の見え方が微妙に変わってしまう。
唇の色は鮮度の落ちた肉の様に赤黒く見える。当然ながら、ファッションに敏感な女性は口紅を着けるのだが、その口紅は黄色味を帯びている。その色でないと、装置を作動した時に赤く見えない。
また、薄化粧する女性は居なくなった。
化粧をしなくても、ほんのりと赤味を差した桜色の肌に見える。頬にチークを塗れば黒ずんで見えるので、却って逆効果だった。紫外線対策の必要は無いのだから、誰も面倒な化粧をしない。
色白の美人は居なくなった。
可視光線の中で、赤が黒に押し出された玉突きで、従来の橙、黄、緑、青、紫が繰り上がる。空席となった紫の席に、少量しか地表に届かなかった紫外線が繰り上がるのだ。可視光線内のバランスが崩れ、白くはならない。
実は、赤外線遮断機の最大の特徴は温暖化効果であった。地球の話ではない。紫外線遮断機を作動させた女性の話である。
従来の「赤」は赤外線に格上げとなり、従来の赤外線は更に波長の長い電磁波となる。波長が長いほど、発熱効果が強い。
それに適応するために、女性は薄着になった。
端的には夏だが、殆どの女性は上半身だけ水着姿になった。セパレート水着のブラジャーだけしか身に着けない。お臍も丸出しだ。下半身は従前通りパンツを履いている。変化したのは上半身だけ。
イスラム圏で働く男性の間では「夏は日本へ出張旅行だ」と言うフレーズが密かに合言葉になった。イスラム教は女性が素肌を露わにする行為を禁じている。イスラム教徒の男性も、それを当たり前だと思っている。
――でも、日本に行けば上半身裸の女性を見られるぞ! 仕事で行くなら、・・・・・・神様も許してくれるだろう。
家族旅行で日本を訪れる人口は殆ど変化しなかった。奥方と一緒に訪日しても、ゆっくりとは目の保養ができない。
冬の女性は、夏服を着用していると言うだけで、特段のインパクトは無い。
こう言う御時勢になると、日本の企業文化も進化を遂げる部分が出てくる。
最大の変化は、入社時期が4月から7月に繰り下げられた事だ。
――採用面でも、日本企業はグローバル化を推進せねばならない。
――海外の学校は9月始まりの6月終わりが一般的だ。6月に卒業した学生が円滑に溶け込めるよう、7月入社とする。それが真のグローバル化だ。
それが大義名分だったが、本音は別に有る。女性の社会進出が徐々に広がってはいたが、日本の民間企業では依然として男性優位だった事が背景に有った。
或る企業の或る職場が新人歓迎会を開いた。新人は女性だ。
「有本千里です。宜しくお願いします」
新人の女性社員がペコリと頭を下げると、「乾杯」と声を合わせ、職場メンバーがビールジョッキを掲げる。
いつもと変わらぬ居酒屋での宴会風景が広がるが、読者の時代と異なる点は、男性陣が女性陣に酒を勧めない事。勿論、酒豪の女性は好きで酒を飲んでいるが、手酌である。
紫外線遮断機のスイッチを入れたままなので、酔って顔を赤らめると、痛んだ肉の様に黒ずんで見える。
素面の時は綺麗な桜色に染まっていた顔が徐々にドス黒くなると、何と言うか、ゾンビみたいに見える。酒を飲みながら眺めるには、気色悪いのだ。
実質的に男性陣だけで飲むと、ジョッキを空けるスピードは加速する。体育会系の宴会と同じだ。
素面の女性陣を眺める男性陣の顔付きは弛緩してくる。目付きは変態親爺のそれになる。
何せ、目の前には、水着姿の女性が並んでいるのだ。老眼鏡をズラして注視すれば、ブラジャーの隙間から胸の谷間を覗けそうな気がする。上半身の肌は桜色に染まっている。
そうだ。男性陣にとって、これは花見なのだ。季節外れの風物詩であった。
但し、羽目を外して、女性の身体に手を伸ばしてはいけない。その行為は即座にセクハラと認定される。
アルコールで妄想を逞しくしつつ、理性を失わない程度に酔いを制御しなくてはならない。平安貴族が桜の花を愛でるように、現代紳士には風流な心が求められるのだ。
これと同じ光景が、役員と役員秘書の間でも繰り広げられている。役員秘書は美人と決まっている。入社時期の決定権を有する役員が、この状況を妄想しないはずが無い。だから、7月入社が一般的となったのだ。
酔っ払いから好色な視線を注がれる女性陣の方も、多少は居心地が悪い。それはそうだ。
でも、紫外線遮断機のスイッチを切って、薄着を羽織ろうとはしない。
誰もが上半身を殆ど裸にした状態なので、今さら恥ずかしくないと言うか、自分だけ抜け駆けできないと言うか、そんな複雑な心境も確かに有る。海水浴やプールと同じだと言う割り切りも有る。
だが、最大の理由は別に有った。
紫外線遮断機を鞄に仕舞い、酔わされて頬を赤らめる様子を天然色で見せる相手は、本命の殿方に限られるようになった。男としての征服欲をくすぐる楽しみを提供する相手は本命の殿方だけなのだ。
それに、紫外線遮断機の1つを顎紐で頭頂に載せていては、河童みたいで間抜けだし、殿方が女性の髪を梳く仕草を顎紐が邪魔してしまう。色気が無い。
読者の時代でも「勝負下着」なる言葉が使われていたと思う。
この時代では「勝負服」。文字通り、夏でも可愛いブラウスをコーディネートして、お洒落な姿でデートに臨むのだ。
――女のプライドに賭けて、職場の下らない中年親爺を相手に勝負服なんて着用しない。私の可愛い姿は彼氏だけの物なのだ!
この時代の女性は、そう発想する。
だから夏場、街中で一張羅を着込んだ女性を見掛けたならば、その女性は勝負に挑もうとしているのだ。男性諸氏にとっても、単なる遊びなのか、本気で付き合おうと意気込んでいるか、が一目瞭然なので、たとえ草食系男子と
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