第51話 デブは乗るな!

 今回の物語に登場する技術は、読者の時代、既に存在していた。世情の移ろいに伴い、この技術の活用が徹底されただけなのだが、人々の暮らしを大きく変えたので、ご紹介しておきたいと思う。

 その前に、どの様に世界情勢が変化したかを伝えなければならないだろう。

 まず、世界人口は増えに増え、100億人となった。食糧の確保が国際社会の最優先事項となった。

 次に、財政破綻の危機に瀕する先進国が相次いだ。高齢化に伴い、医療費補助の社会福祉予算が際限無く膨張したのだ。

 この2つの理由により、肥満体の者への人道的迫害が広がったのだ。人道的迫害とは奇妙な単語だが、この造語が流布した理由は、物語を読み進めて頂ければ、ご理解頂けると思う。

 要は、肥満体の人間がダイエットに取り組めば、食糧危機も緩和されるし、生活習慣病の予防を通じて医療費も抑制できるだろうと言う趣旨である。

 無事にダイエットに成功すれば、人道的迫害からは自動的に解放される。


 その技術とは、体脂肪測定技術である。そう。体重計に内蔵されている機能だ。金属片に足の裏を接触させると体脂肪率が計測される。技術の進化と言えば、液晶画面でも測定できるように改善した点がせいぜいだ。

 あの技術を使い、社会のあらゆるスイッチボタンに体脂肪測定機能を埋め込み、肥満体の者が押しても作動しないように徹底したのだ。


 東京丸の内の高層ビルの出勤現場。

 幾つも並んだエレベーターに従業員が足早に乗り込む。その人の流れを遠巻きに眺めながら、少し離れた処で寂しげに立っている中年男性が居た。

「部長! 済みません。電車に乗っている最中に便意を催しまして・・・・・・」

「ああ。本間君。おはよう」

「部長をお待たせするなんて、本当に面目ない。明日からは下痢止めを持って電車に乗ります」

「いいよ、いいよ。そこまでしなくても。ダイエットしない俺が悪いんだから。

 じゃあ、行こうか?」

 若手の部下を伴った部長はエレベーター・ホールに向かった。

 壁の昇降ボタンを本間氏が押す。その行為を物欲しそうに部長が見ている。

 エレベーター・ドアが開き、始業時間に数分の遅刻で2人は乗り込んだ。

 本間氏が23階のボタンを押す。

「うちの会社も、もっと低層階に入れば良いのになあ・・・・・・。23階とも成ると、階段を登る気にも成らない」

「今や高層ビルのテナント料は低層階の方が高いですからね。経費削減の為には仕方ありませんよ」

「時代は変わったよな。昔なら眺望の良い高層階の方が家賃は高かったのにな」

「そうですね」

「本間君。知っているか?」

 突然聞かれても分かるわけが無い。本間氏は後ろを振り返るが、無言のままである。

「役員昇進の条件に、体脂肪率が加えられるそうだ。歳を取れば、自然と痩せて行くのにな。

 本間君も出世したければ、ダイエットに励めよ」

 部長は「英語力なんかなら納得できるんだが・・・・・・」と独白した。


 住宅地を抜け、そこそこ交通量の多い一般道路に出て来た中年主婦。道路を渡った向こうに広がる公園が散歩コースの折り返し地点だ。

 横断歩道の脇に立つ押しボタン信号の前で中年主婦が深呼吸する。彼女の日課となった儀式だった。

 ボタンを押す。ボタンを押しても信号は直ぐに変わらない。

 車用の信号が青から黄色に変わるか。祈るような気持ちで凝視する。

 だが、彼女の願いも虚しく、1分が経っても信号は変わらない。

 ふうっ。

 落胆の溜息が彼女の口から洩れる。

――歩いて10分先の真面まともな交差点まで行くしかない。往復20分の超過ペナルティーだ。

 自宅で自分の体脂肪率を確認してくれば、こんな溜息を吐かなくても済むのだが、彼女は体重計に乗る行為にウンザリしていた。

――それに・・・・・・。或る日、押しボタン信号が私の指に反応したら・・・・・・、それは奇跡の記念日だわ。

 その光景を想像すると少しワクワクする。それを楽しみにして毎日の散歩に励んでいた。

 彼女は名残惜しそうに左右を確認する。

 車の往来を確認したのではない。信号を無視して横断歩道を渡るつもりは無い。そうではなくて、誰か痩せた人が来ないかと、次なるプチ幸福を確認したのだ。

 ふうっ。

 2度目の落胆の溜息が彼女の口から洩れる。

 極力動きたくないと考えてしまう彼女が、自宅に戻って食べるスナック菓子の量を減らそうとする事は無かった。


 読者の時代でも、自動車の主流はキーレスエントリー方式に移り変わっているのではないだろうか?

 エンジンを始動する時も、ハンドル脇に差し込んだエンジンキーを回すのではなく、始動ボタンを押すはずだ。

 勿論、この遠隔操作方式のキーボタンにも、エンジン始動ボタンにも体脂肪率測定機能が組み込まれている。つまり、肥満体の方には運転できないのだ。

「この新型、格好良いなあ!」

「だって、貴方、運転できないでしょ?」

「お父さん! お願いだからダイエットしてよ。我が家は中古車ばっかりだよ。僕だって新車に乗りたいよ」

「そうよね。俊太の言う通りだわ。私が貴方と新車に乗ったのは結婚前よ」

 流石に父親は「お前の料理が旨いからだよ」とオベンチャラを言う気分には成らなかった。

「中古車市場でもキーレスエントリー式が主流になったら、もう自動車生活を送れないように成るわよ。そろそろ本気でダイエットしなさいよ」

「分かっているよ。五月蠅いなあ」

 中々、車を買い替えないので、この家庭の家計も肥満気味であった。そっちの肥満は全く問題無い。


 深夜のコンビニでの一場面。

 肥満体の若者がレジに酒とタバコを並べた。

「年齢確認をお願いします!」

 レジの液晶画面に映った「20歳以上」のカーソルに指を当てる。

 プッ、プー。

「変ですね。失礼ですが、お客様は20歳を超えていらっしゃいますよね?」

「そうだよ。だから、20歳以上の方のボタンを押したんだ」

 肥満体の若者が憮然とした表情で答える。

 バイトを始めたばかりの大学生が戸惑う。

「故障ですかね。ちょっと店長の自宅に電話して聞いてみますので、少々お待ちください」

 店内には誰も居ない。肥満体の若者は怒りもせず、手持無沙汰に立っていた。

 数分後にスタッフオンリーと書かれたドアを開けて、バイトが戻って来た。

「店長に聞きました。聞き慣れないブザー音だと思いましたが、体脂肪率が引っ掛かったんですね」

――何度も引っ掛かったんだから、言われなくても知っているよ。

「今度は私が画面にタッチしますから、大丈夫です」

 肥満体の若者は憮然とした表情のまま、会計を済ませた。

――店長もチャンと新人教育をしておいて欲しいもんだな。時々、不慣れなバイトが居るから、他に客が誰も居ない深夜にしか、酒とタバコを買いに行けないじゃないか!

 依然として不慣れなバイトが現れる理由には、新人だからと言う事も有るが、体脂肪率で精算拒否される客が減っていると言う状況変化も大きい。滅多に発生しないトラブルの新人教育は疎かになる。

――そろそろ俺も自堕落な生活を改め、肥満体を何とかするか。・・・・・・女の子にもモテないしな。

――それに、酒の流通センターで購入できないから、選べる銘柄も少ないし、値段も高い。肥満体で居続ける事は全く経済的ではない。給料が高いわけでもないんだから・・・・・・。

 自宅アパートへの道すがら、肥満体の若者は改心の念を抱いた。


 先進国で肥満体の人間が急速に減少した最大の理由は、別に有る。


「お客様。指紋認証をお願いします」

 プッ、プー。

「お客様。申し訳ありませんが、体脂肪率の高い方は、当店ではクレジットカードを御利用できません」

「何故? 今まで暗証番号を打ち込む機械が有ったじゃないか!」

「申し訳ありません。先月いっぱいで、クレジットカード会社が本人確認のツールとして、セキュリティーが万全でない署名方式や暗証番号方式を廃止したんです」

「じゃあ、現金でしか支払えないって言う事?」

「はい。申し訳ありません」

 口が裂けても「標準体型の方ならクレジットカードを御使用できます」とは言えない。

「だって、宴会費用みたいな大金。財布に持ち合せが無いよ」

 居酒屋の会計係も困った顔をするが、何も言わない。流石に「無銭飲食で構いません」とは言えない。

「・・・・・・分かった。別の人に頼むから」

 この幹事は宴会場に戻り、同僚に頭を下げる羽目となる。

「なんだよ。デブは金も払えないのか!」

 酔った勢いで口から出る言葉には情け容赦が無い。それでも幹事役には、愛想笑いで頭を下げるしか選択肢が無かった。

 ちなみに、この時代では、肥満体の紳士淑女はガラ携に甘んじている。彼らにはスマホを立ち上げる術が無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る