第48話 ツルツル歯車
一説に依ると、20世紀最大の発明はボルト・ナット、ネジの類だそうである。
2つの物体を接合するわけではないが、物体間でエネルギーを伝達していくツールとしての歯車も、大雑把に言えば、同じ原理だと言えるだろう。
但し、歯車の歯を切削する手間は相当な物である。金型でポンポン打ち抜いた後、1つ1つの歯を丁寧に研磨していく。そうしないと噛み合わせが悪くなり、動力伝達の効率が劣化する。
この手間暇を省こうと、或る大学の工学部教授がベンチャー企業を立ち上げた。
そして開発した商品が『摩擦の粉』。
この摩擦の粉を振り掛けると、信じられない程に摩擦係数が上昇する。
具体的な活用例をイメージできないかもしれないので、工学部教授がテレビカメラの前で行ったデモンストレーションの映像を振り返ってみたい。
実験現場となるデスクの上には、おでんの大根の中心に竹串を刺した様な形状の2つのコマが置かれている。
「この2つのコマを歯車だと思ってください」
「先生。歯車って、普通、円周がギザギザですよね。でも、これはツルツルですよね」
「そうですね。でも、心配要りません。歯を切る替りに、摩擦の粉を振り掛けていますから」
「摩擦の粉? 何だか、魔法の粉みたいな響きですね」
実際、ウケを狙い、“魔法の粉”をモジって命名していた。
「ところで、これを歯車と呼ぶんでしょうか? 歯が有りませんけれど・・・・・・」
「まあ、そうですね。でも、何と呼ぶかは、私ではなくて、歯車メーカーが考えてくれるでしょう。
今日のところは、ツルツル歯車とでも呼んでおきましょう」
デスクの上には他に、縦20㎝、横10㎝、深さ10㎝程度の小さな園芸用プランターが1つ。
工学部教授は、その2つのツルツル歯車の中心軸をプランターの上に引っ掛ける。そして、ツルツル歯車の円周部分が互いに接するように、2本の中心軸の間隔を調整した。
「さあ、準備できました。では、貴女。こちらの中心軸を回してみてください」
指示された女子アナが片方の中心軸を回転させる。すると、もう1つのツルツル歯車も逆方向に回り始めた。1つのツルツル歯車から動力が他方に伝わっている事が一目瞭然であった。
「まあ! 凄いです!」
女子アナが大袈裟に驚く。
「先生。この摩擦の粉は、どの様な分野で活用されるのですか?」
「現時点で想定している活用分野は、御覧の通り、歯車の分野ですが、他にも色々と有るでしょうね」
この摩擦の粉は爆発的に売れた。売れに、売れた。
従来の歯車に比べてツルツル歯車の直径は、歯の部分だけ小さい。部品の小型化が可能となる。
消費者として、家電製品では小型化の恩恵を感じ難いが、自動車の様な大型商品だと居住空間が広くなったと実感できる。部品重量も減るので、僅かながら燃費向上にも貢献した。
消費者が恩恵を実感しない家電製品でも、メーカー側からは歯を切るコストが浮くので、やはりツルツル歯車に切り替わっていった。
残念ながら、この摩擦の粉。ネジやボルトには使えなかった。
従来よりも細いネジやボルトで締め付けられると目論んだのだが、摩擦係数が大き過ぎて、ドライバーで捻じれないのだ。木片にネジを捻じ込む際、その先端を木片に埋め込むや否や、DIY用の電動ドライバーのパワーでは歯飛びを繰り返すだけで、ネジが
タイヤメーカーも関心を示した。
「この摩擦の粉をタイヤの接地面に振り掛ければ、円周に溝を掘らなくても良いんじゃないか?
テレビに出ていた教授の大学に話を聞いて来い!」
残念ながら、この目論見も上手くは行かなかった。
走行中は問題無い。目論見通り、ツルツルタイヤでも順調に走行できた。
問題はブレーキを掛けた時に有った。
タイヤが一切スリップしないので、ブレーキを踏む度に急ブレーキと成るのだ。ジワリとブレーキを踏めば大丈夫なのだが、ポンピング・ブレーキを踏もうものなら、ガックン、ガックンしてしまう。
とても商品として販売できそうになかった。
このエピソードを耳にして、ほくそ笑んだ集団が居た。大学で学問以外の道に逸れた過激派の学生達だった。
「よし! この摩擦の粉を使って、社会生活を混乱に陥れよう。
それをネタに政府を脅し、我々の主義主張を押し通すのだ!」
夜陰に乗じて、学生達は公共バスの操車場に潜り込む。数週間前には工学部の実験室に潜り込んで、摩擦の粉を盗み出していた。
ビンの中に入った黒い粉を、バスのタイヤに振り掛ける。ブレーキを踏んだ時にドリフトが掛かる様に、ワザと片側の前輪・後輪のタイヤだけに摩擦の粉を振った。作業が楽だった事もある。
自分達の悪事に有頂天となった学生達は、クスクスと笑い声を噛み殺しながら、意気揚々と引き揚げて行った。
翌日、都内の至る所で交通マヒが発生するものだと思い込んでいた学生達は、過激派アジトで小さな中古テレビを囲み、朝からニュース番組を見ていた。
だが、交通マヒを報道するニュースは全く流れず、昼過ぎのバラエティー番組の時間帯に成っても何ら動きは無かった。
「何故だ?」
学生達は一様に首を傾げた。
製造現場で働いた経験の無い学生達は知らなかったのだが、摩擦の粉を付着させるには別途、付着液が必要なのだ。
確かに摩擦係数を上昇させる摩擦の粉だが、粉自体には付着力が無い。
接地した状態で擦るように動かそうとしても絶対に動かない。反面、接地した状態から引き離す方向に動かす事は
つまり、学生達がバスのタイヤに振り掛けた摩擦の粉は、夜風に吹かれて、何処かに吹き飛ばされていた。
考えてみれば、これは当然の商品設計であった。
――もし何かの手違いで、歯車の中心軸を受ける輪軸に摩擦の粉が振り掛かったとしたら?
輪軸は回転しなくなり、歯車全体も回転しなくなる。それでは意味が無い。
だから、付着液を塗るアクションと、摩擦の粉を振り掛けるアクションの2つが施されないと、効果を発揮しない。その様に安全策を取っていたのだ。
――それでも万が一、付着液と摩擦の粉の2つが輪軸の回転部分に付着したら?
付着液を無効化する溶材も同時に開発していた。その溶材をスプレーで吹き掛ければ、水や普通の潤滑油で洗い流せるように成る。
製造現場に精通した工学部の教授に抜かりは無いのだ。
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