第47話 伸びる牛肉
カップラーメンを食べた時、食べ終わった直後と比べて30分でも時間の経った時の方が、満腹感が高いと感じた経験は無いだろうか?
ブドウ糖や脂肪酸が脳の満腹中枢を刺激した結果ではなく、明らかに胃壁が中から押される感覚を感じるのではないだろうか?
それは、麺が伸びたからである。
胃袋に入った麺がスープを吸水して膨らんだのだ。麺とスープを足した容積は変わりようがないが、スープは胃壁を押さない。膨張した麺は胃壁を押す。この違いが満腹感を生んでいる。
「麺が伸びるのと同じ現象を、牛肉でも再現できないかなあ・・・・・・?」
そう考えた経営者が居た。食べ放題の焼肉チェーン店の重役達であった。
食べ放題の店舗の存在意義は、定額料金で如何に、客に満腹感を楽しませるか?――に尽きる。
客の方は看板商品である焼肉を食べたい。でも店側の方は、焼肉ばかりを食べられては儲けが減るので、何とか単価の安い他の料理を食べてもらおうと知恵を絞っている。
実際に食べ放題の店舗を覗いてみよう。
ご飯、焼飯、カレーライス、うどん、そば、スパゲッティ、タコ焼き、薄い具を載せた寿司などの炭水化物系。
盛り放題のサラダも美容の為と言うよりは、焼肉を食べる前の胃袋の空き容量を小さくするのが目的である。
スーパーの惣菜コーナーに並んでいるような揚げ物は必須メニューだ。揚げ物は衣の分だけ胃袋を早く占有するし、そもそも味に飽き易い揚げ物は満腹感を誘発する。
ビールや発泡酒だって、単価が高いと言う利点も然る事ながら、気泡が胃壁を圧迫する効果を狙っている。
客の方も店側の戦術は百も承知しており、百戦錬磨の客となれば脇目も振らずに焼肉を集中的に攻める。
防衛する店側は、豚肉、鶏肉、ソーセージと安い肉類を豊富に揃え、本丸の牛肉は細切れや成形肉で応戦する。
この成形肉。単価は安いが、本物の細切れよりも美味しかったりする。
成形肉だから、何物かを混入する余地が有る。
――何を混ぜるか?
これが知恵の出し処であった。
最初は発泡剤を混ぜてみた。胃カメラ検査の直前に服用する、胃を膨張させるための発泡剤である。
結論を先に言うと、駄目だった。確かに胃は膨れるのだが、それも一瞬の事で、ゲップが出てしまう。満腹感が持続しない。やはり、空気で胃を膨らましても駄目なのだ。
やはり、温故知新。麺の原料であるデンプン粉に立ち返る事にした。
これまた結論を先に言うと、こっちは上手く行った。
ここで、デンプンについて、おさらいしてみましょう。
常温ではデンプンは水に溶けません。溶けずに沈殿するので、デンプンを漢字で“澱粉”と書くのです。ところが、水に浸した状態で加熱すると、水を吸収し始めます。これを“
さて、糊化が始まる温度は、どの穀物からデンプンを採取するかで微妙に違いますが、50℃から65℃です。だから、麺を茹でるには、お湯が必要なのです。
焼肉チェーン店は長年、或るベンチャー企業に研究資金を支援してきた。
そのベンチャー企業の研究テーマは、糊化温度の低いデンプンの分子構造を探し、遺伝子操作した穀物で生成する事、であった。
体温で糊化現象を起こすデンプンを発明できたら、後は早い。
デンプンを胡椒くらいの大きさに丸め、それをコーティングするのだ。そのコーティングにも技術の粋が投じられていた。
まず胡椒を混ぜて、辛味を加えた。混ぜ物なので当然、本物の胡椒ほどには辛くない。
次に、そのコーティングは、水溶性ではなく、強酸性の胃液で溶ける様に加工した。
色も肉と同じピンク色。胡椒とは異なり、硬度は肉と同じ様に軟らかい設計とした。
このデンプン・カプセルを成形肉の製造過程で混ぜたのだ。見た目には、デンプン・カプセルを判別できない。成形肉を噛んでも異物感は無い。
その成形肉を食べると、スパイシーな味がした。1つ1つのデンプン・カプセルは大して辛くないとは言え、大量に混ぜれば程良く辛くなる。焼肉チェーン店の狙いは客の胃袋を膨らませる事に有ったので、デンプン・カプセルを大量に混ぜないと意味が無い。
店頭では、スパイシー成形肉との名札を掲げ、食材陳列台の最も目立つ場所に置いた。
客は、腑に落ちないと言う顔で首を傾げながらも、満足して会計を済ます。兎に角、満腹になったのだから。
勿論、焼肉チェーン店の重役達も満足した。この商品開発チームには社長賞が贈られた。だが、いつもと違って、社内表彰式は限定メンバーだけが呼ばれた、ひっそりとした授与式だった。
秘密保持に腐心したつもりだったが、情報とは何処かから漏れるものである。
或る週刊誌が『某焼肉チェーン店は紛い物の肉を客に出している!』と告発記事を掲載した。
社長が額に浮かぶ汗を拭きながら、記者会見に臨む羽目になった。
「社長! 紛い肉を提供していたと言うのは、本当ですか?」
「紛い肉と指弾されるのは不本意ですが、どの肉の事を言っているのですか?」
ムっとした表情の社長が、質問した記者を睨み付ける。
「スパイシー成形肉の事ですよ!」
海千山千の記者も怯む事なく、追及の手を緩めない。
「何を以て本物の肉と呼ぶのか、私には理解できませんが、成形肉は本物の肉ではありませんよ」
社長の反論は尤もだった。
「成形肉と陳列棚に表示していなければ、食品表示法に抵触するでしょうが、弊社の店舗ではチャンと表示しています」
「そうは言っても、肉以外の物を混ぜているのでしょう?」
「当たり前です。成形肉なのですから。牛脂やら何やら、製造過程で混ぜ合わせております」
「その成形肉における肉の構成比は何%なんですか?」
「70%から80%は牛肉です。本物の肉とは言えませんが、殆ど肉です」
マスコミ側の形勢は明らかに不利である。それでも簡単には負けを認めない。
「その“牛脂やら何やら”の“何”の方です! 我々が問題視しているのは。それは何ですか?」
「企業秘密です。教えられません」
社長はニベもない。だが、素っ気ない対応をされると、過剰反応してしまうのがマスコミである。彼らは疑心暗鬼の塊なのだから。
「匿名の情報に依りますと、その“何か”は、胃の中で肉を
――そこまで情報を掴んでいるのか・・・・・・。
苦虫を噛み潰した表情で、社長が黙り込む。「ここが攻め時!」とばかりに、記者達が騒ぎ立てる。
「・・・・・・分かりました。我が社が既に特許で抑えた技術ですので、公表しましょう」
会見場がシーンと静まる。記者が唾を飲み込む喉の音が聞こえそうである。
或る記者はペンを持つ指に力を入れ、別の記者は録音機能をオンにしたスマホを握る手を小刻みに震わせた。
「デンプンです」
「?????」
その有り触れた回答は、期待感で高ぶった記者達の梯子を見事に外した。今度は拍子抜けで白けた空気が会見場に広がった。
「もう記者会見を終えて構いませんか?」
静寂が包み込んだままのマスコミ席を見回した社長が質問する。
――これでは記事にならない。成形肉の正体はハンバーグ
記者達は互いに顔を見合わせた。その内の1人が、今度は謙虚な態度で挙手した。
「社長! そのデンプンとは・・・・・・そのう、どんな特許と関係有るんでしょうか?」
予定に無かったので配布資料は準備していないが、社長は口頭で済ませられる範囲内で、開発デンプンを丁寧に説明した。
その後、焼肉チェーン店の客足が遠ざかる事は無かった。腹一杯になれば、客としては文句が無い。
それよりも、焼肉チェーン店は食品メーカーとして新たな事業チャンスを得た。
家庭料理の食材として、成形肉をスーパーの店頭で売り始めたのだ。そのダイエット効果に消費者が飛び付いた。しかも、本物の肉に比べて安い。ソーセージよりも安く、ソーセージよりも肉の味に近かった。
家計を預かる主婦は好んで成形肉を購入し、その替りに肉料理を作る頻度を増やした。育ち盛りの子供達は大いに喜んだ。
商品名は『スマート成形肉スパイシー味』。
本音は『スマート肉』と名付けたかったが、食品表示法が許さなかった。
現在、香草味、ワサビ味、味噌味、タコス味と様々な味付けの成形肉をシリーズ化している。
だから、焼肉チェーン店は告発記事を書いた週刊誌を名誉棄損や風評被害で訴えたりしなかった。
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