第42話 ~記憶物語~遺産相続

 闇社会と契約し、自らの技能を活かしているドクター・Mであるが、贈収賄や殺人の犯罪者から犯行記憶を抹消するよりも、実は遺産相続に関る方が多い。こっちは、コンスタントに依頼が有る。

 勿論、ドクター・Mの施術料や闇社会の手数料を払っても、莫大な相続税に比べれば惜しくないと考える大資産家が相手である。


 税務署は、あらゆる資産情報にアクセスできる。

 法政省に登記せざるをえない不動産は勿論、債券や株式の類も証券会社から税務署に情報が流れる。現金だって銀行から税務署に預金残高として情報が流れる。

 最近は海外の税務当局とも情報を共有しているので、海外に資産を移しても、相続税から逃れることができない。

 但し、現金化した後、宝飾品の類を購入すれば、税務署の目を眩ませることが可能だ。

 次なる悩みは保管場所だが、銀行の貸金庫であれば、貸金庫料の支払い実績を通じて税務署に気付かれるので、露呈するのは時間の問題である。

 そうは言っても、防犯設備の劣るレンタル倉庫なんかに保管する気にはならない。

 税務署の目を逃れても、今度は泥棒が心配である。自宅に保管すれば、床下まで掘り返す税務署の査察部門に見付かってしまう。

 八方塞がりであるが、ドクター・Mが加担している相続税逃れのカラクリは、こうである。

 闇社会が保管場所を提供する。闇社会の事務所で窃盗を働く犯罪者はいない。見付かれば、東京湾に沈むことになるからだ。


 何を保管するか?

 ダイヤモンドであった。

 ダイヤモンドを詰め込んだアタッシュケースが、その相続ツールである。

 縦35㎝、横50㎝、深さ10㎝のアタッシュケースの容積は、17,500立方㎝。水の重さで換算すると、17.5㎏。

 ダイヤモンドの比重は3.52なので、ダイヤモンドの重さに換算し直すと、61.6㎏となる。1カラットは約0.2gなので、約31万カラット相当。まあ隙間も空くだろうから、切りの良いところで、30万カラットで計算を続けよう。

 一方で、業者間の取引価格をガイ価格と呼ぶが、1カラットのガイ価格が約30万円。

 つまり、アタッシュケース1つで約900億円の資産移動が可能だ。税務署の目の届かないところで、900億円を動かせるのだ。

 世界のダイヤモンド産出国を御存知だろうか。ロシアが最大で20%強、アフリカのボツナワとコンゴが20%弱で続き、オーストラリアと南アフリカ、カナダが10%前後のシェアで続く。今挙げた6カ国で90%のシェアを握る。

 このうち、日本の闇社会はロシアと取引をしていた。ロシアの闇社会とは、ダイヤモンドだけでなく、銃なんかも取引している。

 だから、依頼者は不動産や債権を売却する度に、闇社会からダイヤモンドを購入し、それを一時的に預け、相続人がダイヤモンドを受け取るのだ。

 急に処分するとボロが出かねないので、通常は10年、短くても5年の時間を掛けて、ゆっくりと事を進める。

 その間、闇社会の手元に資金が集まることになるが、その運用益は闇社会の小遣いだ。


 さて、話を遺産相続に戻そう。

 死期の近づいた依頼者は、外付け記憶レコーダーに保存した記憶を外部の記憶媒体にコピーする。

 一応、この作業がドクター・Mの領域なのだが、この施術自体は高度なテクニックを必要とせず、街中の記憶ディーラーでも対応可能だ。だが、その記憶ディーラーを糸口に税務署にバレる事を懸念して、ドクター・Mが対応する。

 依頼者の記憶は残しておく。この時点では違法行為に相当しないので、税務署がバーチャルカプセルを使って依頼者の記憶を取り調べることは無いからだ。

 依頼者が亡くなると、遺族は財産目録を目にすることになるが、その資産の少なさに驚愕する。

 顧問弁護士を問い質すも、知らないので埒が明かない。

 次に、欲に目の眩んだ遺族は、顧問弁護士が横領したのでは? と疑い出す。

 警察に告発し、バーチャルカプセルで顧問弁護士の記憶を調べるが、何の成果も出ない。横領していないのだから、当然である。

 こうして、遺族は少ない相続財産に納得する。大概のケースで同じ顛末を繰り返すのだが、実はこのプロセスが税務署の査察部門を騙す煙幕ともなる。

 ほとぼりが冷めた頃。闇社会のエージェントが、指定された遺産相続人を訪ねるのだ。


 或る日の夜更け、黒ずくめの男が、相続人宅の呼び鈴を鳴らす。家政婦が応対に出てくる。

「御主人にビジネスの話が有ります。どうか、御取次を。

 御主人には、名刺代わりに、これをお渡しください」

 黒ずくめの男は、黒く小さな巾着袋を、家政婦に預ける。その巾着袋にはダイヤモンドが1つ入っている。掌に転がしたダイヤモンドの輝きを見た遺産相続人は、十中八九、黒ずくめの男を応接室に招き入れる。

「御用件は何でしょう?」

「遺産相続の件です」

「遺産相続?

 似つかわしくない格好をしてらっしゃるが、税務署の方ですか?

 税務署の方でも構わないが、もう申告を済ませたはずです。我ながら期待した程の遺産は有りませんでしたがね」

「いいえ。あなたに遺された遺産は、もっと他に有るのです」

「他に有る?」

 呆気に取られるか、胡散臭い目付きになるか、人に依って違うが、凡そ同じセリフを吐く。

「私が説明するよりも、故人の生前記憶を自分で御覧になった方が早いでしょう。

 あなたの外付け記憶レコーダーに、その記憶を移植しても構いませんか?」

 工学的な記憶レコーダーから、人間の頭脳にウィルスの類が感染することはない。

 気色の悪い申し出であるが、少し警戒の表情を浮かべつつも、遺産相続人は自分の頭から記憶レコーダーを外し、黒ずくめの男に手渡す。

 依頼人の記憶を移植し終わった男は、記憶レコーダーを遺産相続人に返す。

 そして、遺産相続人は誰しも、驚愕の表情を浮かべる。

 闇社会に預ける程の巨額な遺産の存在を知るのだ。驚愕しない者はいない。

 その後は、弁財天を見るような顔付きで黒ずくめの男に接し始め、素直に指示を聞くようになる。

「今夜の事は他言無用です。

 実際の相続行為は、他の相続人の皆様も集まったところで行います。

 その期日は追って御連絡致しますので、今日のところは失礼致します」

 ソファーから立ち上がった黒ずくめの男は、黒いハットを被ると、恭しい態度で応接間を立ち去った。


 後日、全ての遺産相続人が集まった小部屋で、黒ずくめの男がアタッシュケースを開く。

「これらは、皆様の資産でございます」

 ケースの中に敷き詰められたダイヤモンドの数に圧倒され、息の呑む相続人達。

「手前共の手数料は、故人の記憶で御確認された通りです。それでは、皆様の見ている前で徴収させて頂きます」

 黒ずくめの男は、アタッシュケースの横に置いた宝石用トレイの上に、ダイヤモンドを取り分けていく。

 黒いベルベット生地に転がったダイヤモンドが怪しい輝きを放つ。

 黒ずくめの男は、手に取ったトレイを腰の前で持ち、テーブル天板のスペースを空けた。

「さて、残ったダイヤが、あなた方の取り分です。

 故人の記憶通りの個数であることを、御確認ください」

 相続人達は互いに顔を見合わせていたが、代表として長男が数を数えることに落ち着いた。

 その長男が、アタッシュケースの横にダイヤモンドを取り出しては、10個刻みの小山を作り、続いて100個単位の山に小分けしていった。長男の目付きが怪しくなり、口が半開きになっていく。

 長男の作業を横で眺めながら、他の相続人達の顔付きも怪しくなっていく。ダイヤモンドの数を数え終わると、長男が「確かに」と厳かに宣言した。

「宜しゅうございました。これで遺産の相続行為を完了致します」

 その一言で、相続人達はホっと胸を撫で下ろす。その必要は無いのだが、何故か緊張してしまうのだ。

「さて、皆様に注意事項がございます」

 その一言で再び緊張してしまい、相続人達はゴクリと生唾を飲み込んだ。

「このダイヤを市中で換金するのは、お止めください。

 税務署に気付かれてはいけませんので、換金するのは手前共とだけ。

 手前共は、お売りしたダイヤを預かっただけで後ろ暗くはないのですが、ビジネスモデルが崩れては多大な損害を被りますので、御理解ください。

 また、一挙に換金することは御断り致します。皆様が豪遊し始めれば、税務署の関心を招きかねませんから。

 このダイヤは、本日、御自宅に引き取って頂いて結構でございます。御自宅で無数のダイヤを眺めて楽しみたいという方も、いらっしゃるでしょう。

 一方、保管に不安を感じ、引き続き手前共に御預けになっても構いません。これ以降の保管料はサービスとさせて頂きます。

 宜しいでしょうか?」

 黒ずくめの男の説明に、相続人達は頷く。或る者は持ち帰り、或る者は預け続けることを選択した。


問題は、その後である。

 相続したダイヤモンドを自宅に持ち帰った者の中からは、市中で一挙に換金したがる者が、一定の確率で発生する。

 豪遊の誘惑を断ち切れない者はいるのだ。闇社会はダイヤモンドの正規ルートにも網を張っているので、そういう者は直ぐに拉致する。

 ドクター・Mが本領を発揮するのは、そういう者に対してである。

 黒ずくめの男が訪ねてきた時点からの記憶を一切抹消する替わりに、或る日突然、自宅に札束の山が現れた記憶に摺り替えるのだ。

 豪遊し始めた挙動を不審に思った税務署がバーチャルカプセルで遺産相続人の記憶を探ったとしても、闇社会に司直の手が及ばないようにするのだ。

 税務当局は「札束が突然現れるなんて非現実的だ」等と深い詮索はしない。

 彼らは徴税できれば構わないのだ。それが相続税でなく、不労収入に対する所得税の課税でも構わない。

 なお、闇社会は裏切り者に手厳しい。

 だから、ドクター・Mが改竄した後の記憶では、突然現れた札束の総額が、実際の相続金額よりも遥かに巨額となっている。

 約束を違えた相続人は、騙された気になって(実際、騙されているのだが)、不労収入に課税された所得税を支払う羽目になる。課税対象額が増えているので、本来の相続税よりも多額の所得税を支払う。

 場合によっては、その所得税を支払えずに自己破産する事も有る。所詮、不労収入は記憶の中だけの話であり、現実には手にしていないのだから、納税に際して手持ち現金が不足する可能性は多分に有るからだ。

 納税額という形で、裏切り者にペナルティーが課されるように仕組むのだ。

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