第40話 ~記憶物語~ルックル

 インターネットの世界で、ワードルという検索エンジンが一世を風靡していた。

 キーワードを打ち込めば、それに関連するネット情報がズラズラと検索され、閲覧者はその中から欲しい情報を選ぶのだ。記憶学習が意味を失い、人々は人類の英知を簡単な操作で入手できるようになった。まさに革命的な福韻であった。

 ところが、全世界で高齢化が進展すると、このワードルにも限界が訪れる。

 若い読者には想像がつかないだろうが、歳を取ると物忘れが激しくなるのだ。不思議と視覚を通じて得た記憶は根強く頭の中に残るのだが、言葉に関しては情けないほどに脳細胞から抜け落ちて行く。

 インターネットが世に存在する前の半世紀ほど前の日本において、「抜け始めて分かる、髪は長~い友達」というキャッチコピーで、養毛剤のCMが人気を博した。

 が、インターネット無しでは暮らしていけないと言っても過言ではない現代においては、「抜け始めて分かる、“言葉”は長~い友達」が至言なのである。

 そんな事を書き連ねても理解頂けないだろうから、具体的な事例を御紹介しよう。


「婆さんや。若い頃、デートで行った、あの辛いレストランに行ってみないか?」

「辛いレストランって、何ですか?」

「あれじゃよ、辛くて、赤い色をした料理じゃ」

――“辛い”、“赤い”というなら、香辛料を使った料理かしら?

 香辛料を使った料理と言っても、カレーの類ではなさそうだ。だが、それ以上の特定は難しいだろう。

「お爺さん。それだけじゃ分かりませんよ。他には何か特徴が無いんですか?」

「鍋料理じゃよ。何だか色々な材料が入っていて・・・・・・」

――四川料理だろうか?

 中国には辛口の料理が幾つか有るので、必ずしも四川料理とは特定できない。或いは、韓国料理にも香辛料をたっぷり加えた鍋料理が有るのではないだろうか?

 この老夫婦。結婚して以来、仲が良く、2人して色々な料理を食べ歩いてきたので、特定が中々難しい。

「鍋の形とかは?」

「丸い奴じゃ」

 大半の鍋は丸いので、全く手掛かりにならない。

「困りましたねえ・・・・・・。鍋料理だから、熱いんですよね?」

「そうじゃ」

 この遣り取りも空回りしている。

「どの国の料理なんですか?」

「あそこじゃよ」

 国の名前が口から出てこない。

 身振り手振りで宙に世界地図を描き、お爺さんは一生懸命に説明するが、世界地図が手元に無いのでサッパリ分からない。

「そうですねえ。それじゃあ、そのレストランの最寄り駅はどこですか?」

「東京駅じゃ」

 東京駅の周辺には雨後のタケノコのように無数のレストランがある。

 哀しいほどに核心に近づかない。

「東京駅から、どの方向に行くんですか?」

「銀座の方に歩いて行くんじゃ」

 元々、東京駅の丸の内側にはレストランが少ない。

 少なくとも、老夫婦の若い頃はそうだった。だから、候補先を狭める一助とはならない。

「なんだか、イライラしますねえ。どんな店でした?」

「ガラスの自動ドアで、中にはテーブル席が幾つもあって、どうだろう。50人から100人程度の客が入れるんじゃないだろうか」

 雑居ビルの一画に構えられた小じんまりした店舗は除外されそうだが、そもそも、老夫婦はそんな店には行ったことが無い。老夫婦の行った事のあるレストランの殆どは、今のお爺さんの説明に合致する。

 結局、お爺さんは、お婆さんに提案することを諦めた。

 正解は、東京駅八重洲にあるタイ料理のレストラン。3階以上にはオフィスが入居する大き目の多目的ビルの1階にあった。

 4人掛けのテーブル席が5つ並んだ列が3列。都合15テーブルで収容人数は最大60名。お爺さんが伝えたかった料理はトムヤムクン。


 このお爺さんが、もしキーワードを思い出せたなら、インターネットで検索し、その検索結果のタブレット画面をお婆さんに見せれば済むのだが、今回は不可能であった。

 これは事例の1つだが、歳を取ると同じような場面が多発する。

 更に困ったことは、足腰が弱くなって外を出歩かないようになると、買い物は専らネット通販となるが、そのネット通販で欲しい商品を検索できなくなるのだ。

 インターネットの向こうには無数の商品がある。カテゴリー分けされていても膨大な商品数だ。

 それを順繰りに見て、買いたい商品を特定するのは不可能であった。

 だから、ネット通販では、既に買ったことのある商品を購入履歴から選択するだけとなる。

 これは売り手と買い手の双方にとって深刻なるロスであった。


 こういう状況を打開する有力な手段として、視覚的記憶を条件に検索できる仕組みが構築された。

 その名もルックル。ワードルが“言葉”を意味するワードという英単語の末尾にルを着けたのと同じく、“見る”を意味するルックという英単語の末尾にルを着けたのだ。

 今日、外付け記憶レコーダーという生物工学上の画期的製品が既に普及している。

 記憶レコーダーに古い記憶を押し出して大脳の空き容量を作り、その空き容量を使って追加情報を記憶すれば、全体としては記憶力を改善することができる。

 そういう着眼で生物工学を応用していった製品だった。

 この記憶レコーダーの形状だが、平たく言えば、カツラと同じだった。

 通電性皮膜の表面には髪の毛を植毛している。一方、人間の後頭部の上の方には記憶レコーダーと大脳皮質を接続する端子を2本、外科手術で埋め込んでいる。この端子を記憶レコーダーの通電性皮膜の何処でも良いから、突きさせば接続完了だ。


 この記憶レコーダーに記憶を移せば、それは電子情報となる。

 だから、データ転送コードの一方の端子を記憶レコーダーの通電性皮膜に突き刺し、もう一方の端子をタブレットに接続すれば、視覚的記憶を取り込める。

 その視覚的記憶に基づいて様々な情報を検索する検索エンジンが構築されたのだ。

 先ほどの老夫婦の事例に戻ると、世のレストランが提供する料理は全て写真情報をホームページに掲載するようになった。

 更に店舗付近の風景写真も掲載するようになった。これにより過去に来店したことがある客を呼び込み安くなった。

 また、ネット通販の場合、従前から商品画像を掲載していたのでホームページ側の変更点は殆ど無いが、物忘れの激しい老齢の顧客にとって格段に商品を探し易くなった。

 マクロ経済的に評価すると、高齢層の消費喚起に役立った。

 生活面でいうと、老齢者の殆どはカツラを被るようになった。

 正確には外付け記憶レコーダーを装着するようになった。生活必需品となっていたからである。白髪の残った老人は、通電性皮膜の下の地肌が気触ないように、男女を問わず丸坊主になった。

 ただ、この記憶レコーダーの使用者は老齢者に限らない。

 記憶容量を増やしたいというニーズは、世代を超えて根強い。だから、記憶レコーダーに植毛された髪の毛は黒がベースだった。

 結果、皺の寄った顔付きにも関らず、髪の毛だけは異様に若々しい老人が闊歩するようになった。

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