第37話 ~アニー物語~女性のワイフ

 大半の読者は“女性のワイフ”と聞くと、怪訝な表情をするだろう。

 ワイフが女性なのは当たり前だ。そういう方は、読者の居る時代の常識に囚われていらっしゃる。これから説明する物語は、読者の時代よりも少し未来の話である。

 この時代、人間に替わる労働力として、人型アンドロイドが全世界に普及している。各国政府は、公共投資の一環として、また福祉政策の一環として、1家族に1体のアンドロイドを無償支給していた。

 このアンドロイドは、アメリカに本拠地をおく製造会社が全ての知的所有権を保有し、その会社からの技術供与により全世界で製造されている。その製造会社の名前はアニー社。だから、その会社が製造するアンドロイドは、アニーという愛称で呼ばれていた。

 このアニーは、普及型アンドロイドで、その身体が硬質で無機質な素材で覆われている。

 ところが、アニー社が富裕層を対象に販売開始した高級アンドロイドは、人工皮膚で覆われるのみならず、外見は全くの人間であった。その通称は、普及型と区別して、ワイフと呼ばれた。

 このワイフの顔の造りは、様々な民族から抽出した数千万人の顔データを合成することで、デザインされている。その結果、ワイフの顔は、国籍不明の、飽きの来ない、究極の理想の顔となった。当初は、女性型も販売されたが、家庭不和を招く事例が相次いだので、男性型のみが普及していた。それでも、ワイフという通称は根付いてしまった。

 さて、普及型のアニーに話を戻すと、少なくとも先進国と呼ばれる国々では、今や貧困が無くなっていた。各家庭は、無償支給されたアニーを労働力として企業に派遣したので、その不労収入で暮らしていけたのである。だから、生活保護という概念は雲散霧消していた。

 その結果、大打撃を受けたのが風俗産業である。生活に困らなくなったので、女性の成り手がいなくなったのだ。勿論、性行為が三度の飯よりも好きだという女性も居たが、その割合は極めて小さく、産業として風俗産業を成立させるには至らなかった。

 一方、未婚の男性は厳然と存在したし、晩婚化の時流の中、その数は無視できないほどに多い。男性の方は結婚したがったが、相手となる女性の立場に立てば、経済的に困窮していないので、腰を落ち着けて結婚相手を品定めする傾向が強くなった。つまり、晩婚化は如何ともし難い社会現象だったのである。

 この市場ニーズを目敏く捕え、アニー社は女性型ワイフの製造・販売を再開した。

 但し、一般家庭での家庭不和を招かぬよう、その販売先を限定した。労働者不足で青息吐息だった風俗産業の企業に販売先を限定したのだった。


 ワイフは、顧客からの求めに応じ、ホテルの個室を訪問する。

「こんばんは。ご指定のW-3型です」

 顧客が部屋のドアを開けると、ワイフはペコリとお辞儀をした。

「よく来てくれたね。さあ、入って、入って」

 相好を崩した顧客が愛想良く、身振り付きで部屋に招き入れた。

「御客様。本日は、御客様のお好きな名前で私を呼んでくださいな。

 前回通り、美雪でも構わないですけど・・・・・・」

「うん、うん。美雪ちゃんで行こう!」

 顧客がはしゃぐ。正確には前回のアンドロイドとは違うのだが、同型である。

 顧客の前回の呼び方はサーバーに保存されているので、簡単な推論で適切な対応方法を選択可能だ。

 W-3型は、エキゾチックな雰囲気を残した金髪白人系のモデルなので、美雪という名前では少々違和感があるのだが、文句を言う者は誰もいない。

「御客様。まずはシャワーを浴びて、御身体を御流ししましょう」

「うん。是非そうしてくれ。

 でも、その前に。他人行儀な御客様という呼び方は止めてくれ。僕の事は“弘”と呼んでくれ」

「分かりました、御客さ・・・・・・。あっ、ごめんなさい。弘さん」

「いいよ、いいよ。・・・・・・美雪!」

「・・・・・・弘さん!」

 ワイフと見詰め合う顧客はデレデレである。

 ワザと間違う処といい、口元を両手で隠して恥ずかしがる表情といい、全てがプログラミングされた仕草であった。毎回、同じプロセスを経るのだが、殆どの顧客は全く意に介さない。

 ワイフは、ホテルに派遣される前に完全清浄されており、改めて入浴する必要は無いのだが、そこはスキンシップである。自慢のボディーを使って、顧客の全身を洗い上げていった。

 なお、ワイフに施される完全洗浄は、性器の内部も当然ながら洗浄対象とする。だから、性病感染のリスクも無いし、顧客は避妊具を装着する必要も無かった。


 懐具合の制約から、こんな夢心地の体験を楽しめるのは毎夜とはいえないが、一度味わってしまうと、人間の女性を苦労して口説こうという意欲も萎えてしまう。

 一方で、ワイフの製品寿命は人間の寿命に匹敵する。住宅並みの巨額の借金を抱え込む覚悟を決めたなら、手に入れられない商品ではなかった。

 この点を目敏く見抜いた業界があった。リース業界と銀行業界である。

 リース業界としては、深層ミッションとして「所有者は使用者ではなくリース会社だ」という事をワイフにプログラミングしておけば、顧客の支払いが滞った際、容易に商品を回収できる。回収した後は、風俗業界に転売すれば済む。リスクは極めて小さい。

 一方の銀行は、住宅ローンと同じように、25年から30年の超長期ローンを商品化した。その名も、パートナー・ローン。

 この商品に靡く顧客は、所有権も手に入れたいという気持ちが強いはずであった。所有欲が薄い場合、身軽なリースに靡くのが合理的だ。その気持ちを擽る意味でも、ワイフという言葉ではなく、パートナーという言葉を商品に冠したのだ。

 このローン商品に対する反発は、思わぬところから湧き起った。女性の権利を主張する活動家だった。

「女性の存在を何と考えるのか!」という主張を目を三角にして、テレビ番組の中でも声高に主張する。

 でも考えてみると、男性型ワイフは中流家庭にまで浸透しているし、世の中の奥様方は既に同じようなことを家庭内で行っている。ちょっと、女性活動家の主張は公正を欠いていたし、パンチも欠けていた。

 だが事実として、未婚男女比率は徐々に上昇した。

 未婚男女というよりは、非婚男女と言った方が物事を正確に捉えているだろう。

 社会全体を考えると、この動きを軽視することはできなかった。出生率は低下し、人口減少、高齢化に益々拍車が掛かるからである。

 その結果、日本政府は社会維持法を、女性活動家の主張に乗る形で国会に提出し、女性票を期待した国会議員の賛同を得て成立させた。

 社会維持法の趣旨は、婚姻関係の有無に関らず、全ての家庭は子供を育てること。

 国内外からの養子縁組みが進んだし、卵子バンクを活用した人工妊娠も盛んになった。


 関東地区のベッドタウンでは、ごく普通の男性と容姿端麗な女性の不釣り合いな夫婦が、可愛い幼子の手を引きながら散歩する姿を良く目にするようになった。

 人間の男性なり子供は、円満な家庭に幸せを感じながら、日々の暮らしを過ごした。

 ただ、ごく普通の人間の女性達は、井戸端会議で「あの家庭の奥様はきっとワイフよ」と陰口を叩き合った。

 可哀そうなのが、本当に容姿端麗な人間の女性である。

 肝心のワイフは陰口を叩かれても気にしなかったが、人間の女性は謂れ無き誹謗中傷を耳にするにつけ憂鬱になった。だから、容姿端麗は人間の女性は、いよいよ金持ちの男性としか結婚できなくなった。

 人間の男性と女性型ワイフが卵子バンクを活用して子供を授かる場合、当然のことながら、容姿端麗な女性の卵子を選択する。

 だから、人間の女性についても、世代を重ねるごとに容姿端麗な女性の割合は増える。だが、陰口を気にして、普通の男性とは結婚しない。

 結果として、普通の男性は、いよいよ女性型ワイフに救いを求めるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る