第36話 害獣対策

 捕食者たる狼を1世紀以上も昔に絶滅に追い遣った事。

 動物愛護の風潮が強くなってきた事。

 マタギと呼ばれた猟師の高齢化や後継者難。

 理由は色々挙げられるが、兎に角、村まで降りて来た鹿やいのししが農作物を食い荒らす獣害の被害を看過できなくなってきていた。

 一方、一次産品省の管轄する農業試験機構と畜産試験機構が立ち上げた共同プロジェクトチームが或るテーマの研究にいそしんできたが、いよいよ実用段階に入った。

 研究テーマとは、猪の肉質を柔らかくし、食用に適用し易いように変える遺伝子操作であった。

 養豚業者が猪をも新たに畜産するのか?

 その推察はもっともであるが、そうではない。遺伝子操作した猪を野に放つことで、天然種との混血を進めようと言う企みであった。

 肉質を柔らかくする事は、言い換えると、脂肪が増え易い体質に変換させる事であった。平たく言えば、肥満体質への転換。

 デブの猪を増やすことで、猪の敏捷性をも奪ってしまおうと言う一石二鳥のコンセプトだ。そうすれば、相対的には駆除も容易たやすくなる。

 更にメスが発情期に発するホルモン臭を強くする遺伝子操作も施しているので、オス達は遺伝子操作種のメスに殺到し、天然種のメスは交尾相手としてあふれる。遺伝子操作種との交配を順調に進める算段であった。

 だが、デブの猪が増えたからと言っても、猟師の人数が激減しているので、そのままでは捕獲数の増加に直結しない。


 この解決を目的に総理府は各省庁からアイデアを公募し、その栄冠を勝ち取ったのが産業振興省だった。

 産業振興省のアイデアとは、一言で言うと、狩猟産業とレクリエーション産業の融合。

 狩猟は、過去にも産業と呼べるほどに盛んとなった時期はなく、産業振興の目玉であった。

 ――具体的には如何どうするのか?

 スマホにダウンロードしたGPSアプリを使って、猪を捕獲する。

 捕獲者は、猪に近付いて行って、スマホのボタンにタッチするだけ。それで猪は身動きが取れなくなる。

 更に説明すると、猟銃は使用しない。だから、残酷なシーンを見る事も無いし、銃の取り扱いに関する危険も一切無い。

 ――如何どういう仕組みで?

 捕獲対象となる猪の4本脚には、マグネット式の足枷あしかせめてある。スマホを操作すると、足枷が磁石のN極とS極の様に吸い寄せられる。

 走って逃走中の猪はつんのめり、ドドっと倒れ込む。そうなると、マグネット式の足枷は、互いが更に牽引し合い、仕舞いには4本脚を見えないロープで縛ったような状態になる。

 ――如何どうやって、足枷を猪に装着するのか?

 装着するくらいなら、最初から捕獲すれば済むはずだ。もっともな反論である。

 或る罠仕掛けを餌場に仕組むのだ。

 陸上競技のハードルを連想してもらいたい。

 実物はもっと小さくて、高さは10㎝ちょっと。支え棒の部分は金属製だ。横方向のハードル部分が、柔らかく伸縮性に富んだ素材で編んだ足枷バンドである。その長さは、これまた10㎝ちょっと。

 餌場を中心とした同心円状に、たくさんの罠仕掛けを仕掛ける。

 餌を食べに来た猪は、警戒しているので、慎重に歩いて前に進む。その時に脚の鉤爪かぎづめの少し上、くるぶしの辺りを足枷バンドに引っ掛けるのだ。1つの罠仕掛けが巧く行かなくても、確率の問題で足枷バンドは猪の脚に装着される。無数の罠仕掛けを餌場周辺に設置しているのだから。

 猪の脚に絡んだ足枷バンドは、両端のマグネットで締結される。敏感な猪の事だから、足枷の磁力で血行が良くなり、脚が軽くなったように錯覚するかもしれない。

 締結部の強力な磁力が電子機器を狂わしてしまうと言う問題の解決が、開発で最も苦労した点だった。電子回路の材料として新たに開発された非磁性かつ通電性の材料が技術開発の肝だった。

 新開発した材料の使途は他にも有るはずだが、取り敢えず、適用第1号は猪用の足枷バンドだった。

 足枷バンドに仕込んだGPS端末が猪の所在地をスマホの地図アプリに伝える。個別の足枷バンドを特定するIDをスマホのWIFI電波で指示すると、その足枷バンドは強力な電磁石と化し、先ほどの捕獲劇につながると言うカラクリだった。


 獣害に悩む自治体が最低限の必要設備を設置した山に、或る会社の登山同好会のメンバー4人が分け入った。メンバー4人の服装は登山用の軽装である。

 登山そのものを楽しむ際に選ぶ山と比べれば、このレジャーの舞台となる山は遥かに低い。ハッキリ言えば、里山に毛の生えた程度の低い山だ。遭難の恐れは小さく、非常食の類は殆ど不要だ。

 でも、登山道が無く、獣道けものみちを分け入るので、それなりの装備と体力が必要だった。

 肝心なのはスマホ。自治体が準備する必要設備の1つは、山全体を受診エリアとするためのWIFIアンテナ網だった。

「課長! こっちの方角に猪の群れが移動しています。東南東の方向100mほど先です」

 若手社員がスマホの画面を覗きながら、小声でリーダーに話し掛ける。

 ここで補足説明しておくと、アプリに表示される輝点は、3つ以上の足枷バンドが一定範囲内に有るポジションに限られる。

 足枷バンドを2つしか装着していない猪を素手で捕獲しようとしても、暴れて危険極まりない。だから、最初から表示されないのだ。

「よし。草深いし、獣道すら見分けがつかんが、兎に角、前進してみよう」

 課長が小声で応じ、メンバーの先頭に立って歩き始める。

 しばらく進むと、別のメンバーが警告を出す。

「ちょっと課長。この先は谷になっているようです。左手の方向に迂回しなくては・・・・・・」

「そうか。佐藤君のアプリでは等高線が現れるんだったな。それでは、君に先頭を進んでもらおう」

「わかりました」

「だが、風の吹く方向を念頭に置いて、な。我々の臭いに気付くと、奴らが逃げて行ってしまうから」

「わかりました」

 みたいな遣り取りをしつつ、登山同好会のメンバーは猪の群れに接近して行く。

 そして、生い茂る草の隙間から猪の姿を視認できる程に接近した。此処まで目標に接近すると、自分達が軍隊の特殊部隊になったような高揚感を抱き始める。

 一切の声を発声せず、右手の人差指と中指で猪の方向を指差す。

 次にメンバーの1人を指差した人差し指を右の方に転じて「お前は、あっちに行け」と指示し、別のメンバーには「お前は、こっちだ」と指示する。

 落ち葉を踏む足音でさえ極力立てないようにと、抜き足差し足で距離を縮めて行く。

 そして、互いが目配せして頷くと、スマホのボタンにタッチする。

 異変に気付いた猪がブヒっと鳴き声を上げて、逃走しようと試みる。猪達は、ドドドっと軽い地響きを立てると、一目散に山奥へと姿を消した。

 だが、足枷のIDを指定された猪だけは、ドドゥっと倒れ込んだ。

「やったあ!」

 登山同好会のメンバーは大きな歓声を上げ、その場で小躍りした。もう緊張する事は無い。

 ガサゴソと派手な音を立てて落ち葉を踏み、覆い被さる草木を振り払い、身悶えする猪の傍まで進む。

 手近な処に転がっていた長さ1m程の枯れ木の棒っ切れを拾い上げると、その先端に麻酔針キットを括り付けて即席の槍とした。

 麻酔針キットは入山の折、入山料と引き換えに支給されたものだ。その槍で猪の脇腹をブスリと突き刺す。

 ブヒヒ~ン、ブヒっ、ブヒっ、ブ、ブ、ブ~。

 麻酔薬が全身に回った猪が大人しくなる。

「よ~し。運搬用のドローンを呼ぼう。田中君、頼んだぞ」

 指示された田中氏は、スマホのGPSアプリでドローンを呼んだ。自治体が準備する必要設備の2つ目は、ドローンであった。

 此処は針葉樹林である。針葉樹の葉がドローンの飛行を邪魔するのは高い処だけ。2機のドローンが木々の間を縫うようにして猪の上まで飛んで来た。

 ドローンからはフックの付いた牽引用ロープが垂れ下がっている。2つのフックを猪の足枷に引っ掛けると、田中氏はまた、スマホでドローンに帰還を指示した。


 数時間後、山の麓に設けられた評量所。入山を管理する自治体職員の詰め所でもあった。

「いやあ、御苦労さまでした。

 今日の獲物は大きいですなあ~。時期も、品薄で市況の高くなる時期ですし、良かったですね」

「そうですか。それで、幾らになりますか?」

「体重が106㎏。残念ながらオスなので値段は割安になりますが、締めて1万6053円になります」

 イエ~っと言う歓声が登山同好会の間で湧き起こる。

「御客様のアプリに入金しますので、スマホを読み取り機にかざしてください」

 都心に戻ってからの宴会費用の半分はポイントでまかなえるだろう。

 秤量金額は、狩猟レク協会が運営するジビエ料理の全国チェーン店で使用可能なポイントとなるのだ。ちなみに、本日の獲物は回り回って、後日の他の客が食するジビエ料理の食材となる。

 レジャー参加者は、食材としての猪を仕入れ価格で売り、その料理を高い単価で買う事になるのだが、そんな事には全く無頓着だった。

 山の中での動物捕獲と言う体験が得がたいコンテンツなのだ。しかも、自分から率先しては経験したくない猪の屠殺プロセスは、狩猟レク協会の誰かが肩代わりしてくれる。

 最近は、このレジャーに参加する若い女性も増えてきた。

 そんな女性達を目当てに、登山や狩猟とは縁遠かった若い男性の参加者も増えている。やっぱり女性の前で「ワイルドだろう?」と言うのは、男の醍醐味であった。

 家族連れでの参加も増えている。子供達に父親の権威を示す、またと無い機会だからだ。

 いずれにせよ、獣害被害に悩んできた農家や、農業振興を管掌する一次産品省としては、喜ばしい変化だった。

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