第33話 透過スーツ

 透明人間になりたいという願望は、昔から人々の間にあるらしく、そのままズバリの「透明人間」という題名のSF映画も撮られている。

 これに限らず、人間の願望を実現してきたのが技術革新という奴で、この度、透明人間に近い状態にする道具が商品化された。

 その名も『透過スーツ』。

 商品名の通り、自分自身が透明になるわけではなく、そのスーツを着用した部分だけが透明になる。透過スーツは、袖付きワンピースみたいな形状をした最先端衣装だ。

 袖は指が隠れるほどに長く、兄や姉から御下がりの洋服を貰った子供のような格好になる。さすがに裾は丈詰めする。歩行中に裾を踏んでは、転倒する危険が有るからだ。

 ボタンやファスナーを付けると、その部分の加工が複雑になって商業生産できなくなってしまうので、前面には切れ目が無い。

 襟元はTシャツのように丸い。着用する時は、裾から頭を潜らせ、そして袖に両腕を通す。完全に貫頭衣スタイルだ。

 透過スーツの黒い生地は人工繊維で織られているが、撮影と投影を同時にできる電子光学素子が、スパンコールのように縫い込まれている。

 実際にはスパンコールよりも小さく、その数も膨大だ。黒い生地を虫眼鏡で覗くと、その表面は燐粉で覆われた蝶の羽のようになっている。

 この燐粉のような電子光学素子に微弱な電流を流すと、背面の電子光学素子で撮影した光が前面の電子光学素子に投影され、前面の電子光学素子で撮影した光が背面の電子光学素子に投影される。

 この仕組みにより、透過スーツの向こう側が透けて見えるようになるのだ。

 直立したままの身体を軸に点対称の位置で向き合う電子光学素子同士をペリングして撮影と投影するだけならば制御も簡単だ。しかしながら人間は動く。実際には、着用者の姿勢や生地の皺の寄り方に応じて、そのペアリングを瞬時に変えなければならない。

 だから、無数の電子光学素子のポジションを三次元で把握し、そのペアリングをコントロールするために、極細の配線が黒い生地には張り巡らされていた。


 この透過スーツは元々、軍事目的に開発された。ところが、軍事目的としては使い物にならなかったのだ。

 考えてみると当たり前なのだが、透過スーツは衣装ではなく電子機器の鎧である。つまり、水に弱い。

 雨の降らない戦場なんて滅多にない。砂漠の戦場ならば雨の心配は無いが、透過スーツを着用しなくても、砂色の戦闘服で十分である。


 だから、民生用に商品化されたのだが、この透過スーツが発売されると、未婚の女性達が殺到した。

 特に、自分の体型にコンプレックスを持つ女性達が殺到した。女学生が大学構内のキャンパスを歩いたり、若いOLが週末の街中をショッピングしたりする場合、この透過スーツを着用するのだ。

 サングラスでも掛けようものなら、顔の下半分が直に見えるだけ。不思議と全員が美人に見えるようになる。

 男性読者ならば、スキー場のゲレンデでは誰もが美人に見える、という経験をお持ちだろう。それと同じ効果があった。

 ところで、皆さんは、ろくろ首という怪談を御存知だろうか?

 この妖怪、丑三つ時になると身体から分離した首が夜空を飛び回るのだが、それと同じ光景が世の中で繰り広げられることになる。大学構内やショッピング街を、首だけの状態になってサングラスを掛けた女性達が闊歩しているのだ。

 異様である。

 ただ人間の慣れとは恐ろしいもので、その異様な光景に慣れ親しんだ幼児達は、妖怪の中でも、ろくろ首だけは怖がらなくなった。

 今は高齢者を中心に“ろくろ首”という落語を楽しんでいるが、あと数十年もすれば、この演目は廃版になるだろう。

 建物の中においても、若いOLは透過スーツを着用して通勤した。

 男性の同僚は彼女達の重要なターゲットだからだ。また、毎日着替える必要が無くなるので、衣装代が浮くという利点があった。更に、透過スーツが足下も隠すので、お洒落のためにハイヒールを履く必要もなく、電車通勤が楽になるという利点もある。

 ところが、男性諸氏からすると、それは異様な職場の出現となった。

 自分のデスクでパソコンに向かうOL達は、中空に浮かぶ晒し首以外の何物でもない。その晒し首が幾つも並ぶのである。

 さすがに、銀行の窓口やデパート等、幼児の目に触れる可能性がある職場では、透過スーツの着用は禁止された。

 その他の弊害として、首から下が透明なものだから、歩行中の妙齢女性の身体を目がけて、鳩や燕が突っ込んでくる事故が偶に起こった。

 今までも、窓ガラスに鳩が追突するシーンをご覧になった読者がいるのではないだろうか。まあ、地震に遭うような確率だったし、女性達が透過スーツから離反することはなかったが・・・・・・。

 女性達が最も透過スーツを着たがるのは、夏場の海水浴やプールサイド。つまり、通常ならば水着を着用する場面である。

 しかしながら、透過スーツは役に立たない。水に弱いからだ。

 だから、夏場に男性を射止めようと考える女性は、今までと同様、地道にダイエットに励む必要があった。

 ちなみに、未婚女性の誰もが透過スーツを買い求めたのではない。

 魅力的なプロポーションをした本物の美人で、それを自覚している女性は、透過スーツに頼らなかった。昔通りに化粧をして、昔通りにファッションに勤しんだ。

男性だって馬鹿じゃない。

 透過スーツを着用しない女性こそが美人なのだと直ぐにわきまえたので、いよいよ高くなった競争率を掻い潜って、これまた自分に自信のある男性は、そういう女性に挑んで行った。

 ただ、大半の男性は、その高くなった競争率に怖気づき、素の美人に殺到しなかったので、女性達が気付かなかっただけである。

 兎に角、30歳くらいまでの女性をターゲットとしたファッション業界が大打撃を被ったことは、厳然たる事実である。ファッション雑誌は歴史の遺物と化した。


 普通の女性以外にも、透過スーツを愛用した人種はいた。

 透過スーツが尾行に便利であることは間違いない。だから、透過スーツを縫ぐるみのように頭からスッポリと被り、両眼の部分だけ穴を開けて着用するのだ。

 日本で言うと、公安警察の防諜部隊だとか、写真雑誌のパパラッチ、探偵会社なんかが愛用した。

 探偵会社に浮気調査を依頼した場合、これまでは調査対象者と距離を取る必要が有るので、望遠レンズを使った現場写真しか証拠を集められない。

 透過スーツを頭から被れば、腕を組んで歩く調査対象者と浮気相手の直ぐ後ろで尾行できるので、2人の楽しげな会話を録音することができた。

 依頼者が調査対象者を問い詰める道具としては現場写真でも十分なのだが、この録音テープには迫力があった。

 調査対象者が狼狽するのは写真であろうが録音テープだろうが殆ど変わらないのだが、楽しげな会話を聞き続ける依頼者がカっとなる度合いが全く違った。楽しげに浮気相手と繰り広げられる会話を冷静に聴き続けられる依頼者というのも、逆の意味で怖い。

 だから、探偵事務所では、依頼者が調査対象者を追及する修羅場が繰り広げられるようになった。その追及の場所が依頼者と調査対象者の自宅だったとしても同じである。

 どんなに調査対象者が平身低頭で謝っても、離婚の道をまっしぐらだった。


 尾行を生業としない人種でも、少数ながら愛用者が現れた。泥棒である。

 透過スーツを被れば、家人の寝静まる夜を待たずとも、昼間から留守宅を狙って忍び込むことができる。昼間の一仕事において、これまでは近所の目を気にする必要があったが、これからは飼い犬にだけ気をつければ済むからだ。

 泥棒側が透過スーツを装備するようになったので、警備会社の方も対策を講じるようになった。

 契約客の自宅から警報が発令されると、水の入ったタンクと放水装置を背中に背負って警備員が最寄りの拠点から急行するようになった。現場に到着すると、まずは散水するのだ。

 透過スーツの電子光学素子をショートさせるためである。

 建物に入ると散水はできない。だから、建屋の中に入る時には、警備員は赤外線ゴーグルを装着する。こうして、小規模な軍拡競争のような現象が生じていたのだった。


 そうそう。先ほど、若いOLが職場で晒し首みたいになっているとお伝えしたが、不祥事を起こした会社の社長や役員らが、透過スーツを着込んで記者会見に臨むようになった。

 歳の行った男性が着用する数少ない使用例である。

 当然ながら中には、残り少なくなったバーコード状の髪の毛を伸ばして、右から左、左から右へと襷掛けしている方も居るわけで、そういう方が記者会見に臨んだ場合、本当に落ち武者の晒し首のように見えるのだった。

 海外メディアが取材に来るほどの大企業になると、翌日の紙面に、ハラキリならぬ、「ジャパニーズ・ハリツケ記者会見」という小見出しが踊ることになるのだ。

 その度に、日本人=侍というイメージが外国人の脳裏に焼き付けられていくのだった。

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