第32話 煙草もどき

 相変わらず微減の一途であったが、まだまだ多くの喫煙者が世界中にいた。ただ、将来的な煙草マーケットの縮小は、煙草メーカー自身が自覚するところであった。そのトレンド認識を背景に、世界の煙草メーカーが、業界の命運を掛けて新商品を開発した。

 その商品は、PIPLE(パイプル)。

 外見は欧米を中心に古風な喫煙者が愛用するパイプそっくりだ。材質は、木やトウモロコシの芯ではなく、熱伝導性の良い銅が一般的だ。一方で、ポリエチレン製の低級品もあった。

 火は点けない。替わりに、チェンバーと呼ぶ火皿には特別な詰め物をする。火皿の周りのボウル部分を掌で握り、その体温で詰め物の含有物を気化させるのだ。その気化されたものをマウスピースから吸い込むのだが、ブランデーの芳香を楽しむことを想像してもらえば、イメージが湧くかもしれない。

 肝腎の詰め物であるが、これが技術開発の塊であった。その含有物が視床下部を刺激してドーパミンを分泌させ、覚醒剤を服用したような症状を起こさせたり、脳下垂体を刺激してオキシトシンやエンドルフィンを分泌させ、ストレスを解消させ幸せな気分にするのだ。

 この詰め物の原材料は大豆である。大豆は遺伝子操作技術の最も進んだ穀物であり、これらのホルモン分泌物質の素となる成分を作りだすように遺伝子を設計されたのだ。

 残念ながら、大豆の状態では効果が発現しない。これまた遺伝子操作した麹で発酵させることで、初めて所定の成分が生成されるのだ。

 発酵後の大豆は味噌のような粘土状態になる。それをチューブに入れて販売するのだが、その煉り大豆をパイプルの火皿に詰める。それだけでは気化のスピードが遅過ぎて実用的ではない。

 更に目薬のような容器に入った溶剤を滴らせて初めて、体温で気化した含有物をパイプルから吸い込むことができる。

 習慣上、パイプルの使用者は喫煙者と呼ばれていたが、紫煙は一切出ない。無色透明の溶剤を吸い込むのみである。

 この喫煙者にとって、使用上の動作は、パイプタバコの喫煙者と殆ど変わらない。唯一、目薬の様な滴を垂らすのが追加の動作であり、しごく簡単である。但し、この商品に関る業界は多岐にわたった。

 サプライチェーンの頂点に立ち、消費者との接点でもある川下を牛耳っているのは、共同開発者である複数の煙草メーカーであり、パイプルの販売ルートも煙草の商流を活用している。

 だが川上から列挙すると、穀物メジャー、種子メーカー、食品発酵メーカー、医薬品メーカー等が関っていた。

 この商品の最大の特徴は、原材料が大豆なので、世界各国で課税されているタバコ税を免れることにあった。節税分の一部を価格で消費者に還元しても、煙草メーカーを初めとする関係業界には莫大な利益が転がり込んだ。

 各国の税務当局は地団太を踏んだ。

 原材料の観点から、この商品に課税すれば、味噌や醤油などの調味料との線引きが怪しく、明確な課税ルールを打ち出せなかったのだ。

 商品名を糸口にパイプ税を新設しようとすれば、ガス管や水道管との境界が怪しくなる。

 それに、このパイプルは周囲の人間に煙害を巻き散らしているわけでもなく、世論の支持は広がらなかったのだ。

 国民の健康や医療を監督する当局としては、煙草からパイプルに喫煙者を誘導することが、国家戦略に適っていた。課税当局とは真っ向から対立し、政府として統一見解を出すことを邪魔立てした。


 こうして喫煙からの転向者が相次いだが、パイプル愛用者は成人に限らなかった。

「学ちゃん。勉強は捗っているかしら?

 もう直ぐ、予備校の夏期講習が始まるものね。頑張ってちょうだいよ」

 そう言いながら、母親が差し入れのために、息子の勉強部屋に入って来た。母親が手にした御盆の上には夜食の雑炊とコーヒー。そして、箸と並んで、御盆の隅にはパイプルも有った。

 そうだ。パイプルの詰め物には、タールもニコチンも含まれていない。購入なり使用に年齢制限は無いのだ。

 でもパイプルを吸えば、程度は浅いが覚醒剤を服用したようになる。眠気が吹っ飛び、少しだけ瞳がランランと輝くのだ。受験生には必需品であった。

 この事実に最初に気付いた一群は、子供の教育に熱心な家庭で、且つ、本物の喫煙者から足を洗った転向者を父親に持つ家庭だった。

「残業で疲れて眠くなった時にさあ、このパイプルを吸うと、もう一息頑張ろうという気になるんだよな。

 予備校の授業料だって馬鹿にならないし、残業代を稼がなくてはなあ。

 そういう意味では、今まで吸っていた煙草以上かもしれないなあ・・・・・・」

 手酌で晩酌中の父親の呟きを耳聡く聞き付けた母親が、ものは試しと子供に差し出したのだ。

「お母さん。あのパイプル、使えるよ! 眠気が一気に吹き飛んでしまうよ!」

 翌朝の朝食を食べながら、子供がパイプルを使用した感想を母親に伝える。それを聞いた母親は子供を学校に送り出すや否や煙草屋に駆け出し、パイプルをダース単位で箱買いしたことは改めて言うまでもない。


 パイプルが受験生の必需品という認識が広がり始めると、各自治体の教育委員会も対策を講じる必要に迫られた。

 全ての受験生が平等にパイプルを愛用していれば条件は同じなのだが、裕福な家庭と、そうでない家庭とではパイプルの使用頻度が異なってしまう。教育の平等を謳う教育委員会としては、看過できなかったのだ。

 その結果、公立高校の受験日、早朝の試験会場の教室では、受験生のドーピング検査を行うようになった。

 リトマス紙のような紙片を受験生に舐めさせ、監督官は紙片の色を確かめて回るのだ。

 このドーピング検査紙片もまた、煙草メーカーの新商品だった。煙草メーカーは商品の成分情報を秘匿していたので、当然の結果ではあった。

 公立高校から始まったドーピング検査は、私立高校にも広がった。勿論、大学受験のセンター試験にも適用された。


 一方、パイプルは、喫煙代替の用途に限らず、医療用途にも広がった。勿論、その詰め物は、目的に応じて別途開発された。

 例えば、視床下部を刺激して成長ホルモン刺激ホルモンを分泌させる。

 或いは、精巣の刺激によりテストステロンを分泌させて逞しい肉体を形成したり、卵巣や胎盤の刺激によりエストロゲンを分泌させて乳房などでの二次性徴を促したりするパイプルの詰め物が開発された。

 この商品に関しては、性的な魅力を高めたいという強烈な思いを抱く青少年の間に、究極の選択を迫ることになった。

 逞しい肉体を手にして女性にもてたい。グラマラスな肉体を手にして男性にもてたい。思春期を迎えた少年少女ならば至極当然の邪な心掛けである。

 但し、高校受験や大学受験は諦めないといけない。

 とはいえ、少子化が進展していたこともあって、競争倍率が1を下回る高校や大学もゼロではない。

 つまり、試験会場に姿を現しさえすれば合格する。こういう学校ではドーピング検査が形骸化していた。一定数の学生がいなくては、学校経営が覚束ないからだ。

 そういう学校に進学する者達は、受験勉強をするでもなく、早々にベッドに入り込み、パイプルを吸って就寝した。そのホルモン分泌効果は睡眠時に高まったからである。

 これはこれで、少年少女の非行の前兆である夜間に外を出歩くという行為を激減させた。

 別の新商品の事例を紹介しておくと、膵臓の刺激によりグルカゴンやインスリンを分泌して血糖値を抑制するパイプルの詰め物。糖尿病患者を毎日のインスリン注射から解放することになった。

 他には、松果体の刺激によりメラトニンを分泌して不眠症や時差ボケなどの睡眠障害を解消するパイプルの詰め物も登場した。

 最もよく売れたパイプルの詰め物は、脂肪組織や視床下部を刺激してレプチンを分泌させるものである。レプチンの分泌により、強烈な飽食感を感じることができた。つまり、ダイエット効果があった。

 年齢を問わず、女性は跳び付いた。肥満が気に成る中年男性も跳び付いた。

 現在でも製品開発が続いており、ホルモン分泌により治療できそうな病気は全て開発対象に挙げられる。


 このパイプルの登場により、人類は、赤ん坊の時にはおしゃぶりを口に咥え、十代の時だけは口元が独り立ちするが、成人すると今度はパイプルを咥えるという人生サイクルを歩み始めた。

 結果として、指を咥えたままで街中を歩いたりする、見っとも無い大人が激増した。だが、それを見っとも無いと考える大人もまた、居なくなったのだが・・・・・・。

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