第26話 睡眠貯金

 帝国眠薬株式会社は、画期的な商品を発明した。

 社長が鼻高々で新商品のプレス発表会に臨んだ。

「我が社は、長年、睡眠薬の開発・製造に携わってきましたが、この度、画期的な新商品を開発いたしました。

 その商品名は、睡眠貯金薬。

 従来の睡眠薬は患者を睡眠状態に誘導する薬でしたが、この睡眠貯金薬は、逆に、睡眠しなくても済むようになる薬で御座います。

 我々は、1日平均7時間から8時間の睡眠を取っていると思います。此処にお集まりの皆さんは、国民平均よりも忙しい方でしょうから、そんなに寝ていないかもしれませんが・・・・・・」

 社長のジョークに触発され、発表会に参加したマスコミ関係者の間で軽い笑い声が湧き起こった。

「人間以外の哺乳類を見ますと、その睡眠時間は様々です。

 一般的には、大型哺乳類の睡眠時間は短く、小型哺乳類のそれは短いのです。犬や猫の睡眠時間は10時間以上ですが、象で数時間、キリンに至っては1時間しか睡眠を取りません。

 ですから、人間だって7、8時間も寝なくて構わないのです。

 但し、睡眠中に色んなホルモンの分泌量が増えて、それが免疫力や自然治癒力を高め、体調を維持しています。だから、単純に睡眠を取らないと体調が悪化しますし、最後は死んでしまうのです。

 この睡眠貯金薬を服用すると、覚醒時においても、睡眠中と同じレベルのホルモン分泌が促されます。従って、1日数時間の睡眠時間でも生活していくことが可能です。

 生活の質を向上させる薬だと御認識ください」

 社長の商品説明が終わるのを待って、記者達が相次いで質問の挙手をした。

「副作用は無いのでしょうか?」

「目立った副作用は有りません。ただ、睡眠時間を削り続けると、大脳に疲労が溜ってしまうことは事実です。

 理論上、30年以上も服用を続けると、それまでのツケを払う様に、今度は逆に眠り続けます。

 ですから、睡眠貯金薬と命名しましたが、睡眠時間を貯金したままで人生を終えることはできません。いずれ、貯金した睡眠時間は引き出さないといけないのです。

 この30年間という時間は理論上の算定値でして、当然ながら個人差があります」

 別の記者が質問する。

「それでは、人の人生を考えた時に、メリットが有ると言えるのでしょうか?」

「メリットが有ると、私達は考えています。

 と言いますのは、年老いてからの覚醒時間を犠牲にして、若い頃の覚醒時間を手にするのですから、長い人生の中で生活の質を向上させると言えるのではないでしょうか」

「その睡眠時間の満期は、或る日、突然、訪れるのでしょうか?」

「人体の事ですから、機械のスイッチを切るように突然には起こりません。

 睡眠貯金薬の効き目が徐々に薄くなり、更には睡眠時間が1日に10時間以上、15時間以上と伸びて行くでしょう。

 最後は、昏睡状態と言っても構わない状態に至ります」

 更に別の記者が質問する。

「そうすると、例えば10歳代の時から服用し始めると、中年になった頃には昏睡状態に陥るということですか?」

「そういう事です。

 ですから、この睡眠貯金薬を服用し始めるのは、結婚して子供をもうけてからが宜しいのではないでしょうか。子育ての時期に合わせて服用すれば、仕事と家庭の両立も容易になると思います。

 それに、10歳代の成長期は自然な形で睡眠による成長ホルモンの分泌を促進した方が、やはり人体への影響が少ないと思われます」


 こうやって販売開始された睡眠貯金薬だが、まずは高齢者から服用を始めた。

 どうせ老い先は短いのだから、睡眠貯金の満期が迫ってきたとしても実害は殆ど無い。ひょっとして、その満期より前に天寿を全うすることができたなら、ツケを払う必要もない。昼間の居眠りがなくなるだけ儲けものであった。

 痴呆症の出てきた老人の場合は徘徊時間が長くなるだけなので、同居家族に迷惑だし、服用させなかったが、健常な老人の場合は余寿命が実質的に伸びると喜んで服用した。

 老人達は昼間だけでなく、夜の生活も充実したのだ。夜の生活といっても、身体が若返るわけではないので、読書したりと趣味に勤しむだけだ。

 ただ、映画館の夜間興業は老人で満席となったし、喫茶店やカラオケ店なんかも夜間は老人で一杯になった。こういうサービス産業にとっては、需要の掘り起こし効果が有った。

 さすがに、夜間の公園でゲートボールに勤しむ老人は現れなかった。薄暗い照明の下では、老眼でボールを追い駆けることが辛かったからだ。それに、不良青年に襲われかねないという防犯上の理由もあった。


 その内、睡眠貯金薬の服用者は50歳代まで広がった。

 この世代は定年まで残り10年ちょっとという世代である。とは言え、住宅ローンの残高返済のために日昼の仕事を休むことはできない。

 そういうことで、夜間を有効活用できれば、第二の人生に船出する準備を始めることができると、服用し始める者が続出した。

 大半の人間は趣味の開拓に努めたが、ビジネスの経験を活かして起業の準備をしようという者も多かった。起業に成功した者は会社勤務から早々に足を洗った。他人に仕えるよりは、自分が社長になった方が良い。こうして雇用創出にもつながった。


 更に年月を経ると、睡眠貯金薬の服用者は40歳代まで広がった。

 この世代の子供は中学生や高校生である。中には受験生もいるが、365日、徹夜で勉強し続ける子供はいない。彼らは睡眠貯金薬を服用していないのだから。つまり、子供が寝静まった深夜は夫婦2人きりの時間となる。

 だから、どの家庭でも夜の生活が充実した。この夜の生活とは、読者の妄想する通りの意味である。

 当然の結果として妊娠率が上がったのだが、出生率の上昇までは至らなかった。高齢者出産という現実があるし、今さら出産すると、その子供が成人するかしないかのギリギリのタイミングで睡眠貯金の引き出しタイミングを迎えるので、残念ながら中絶することが多かった。

 一方、40歳代は働き盛りだし、職場でも中堅となる戦力である。

 例えば、時差のある海外と接点のある職場では、昼間は若手社員が、深夜は中堅社員という風に、時間帯での棲み分けが徐々に進んだ。そして、24時間稼働が当たり前になった。

 この現象は、医療機関でも同様である。看護師なんかも深夜勤務は中年以上というのが当たり前になった。当事者達にとっても、時給の高い深夜勤務の方が子供の養育費が嵩む時期には助かるからだ。

 子供と一緒に夕食を済ませてから出勤し、子供が登校するかしないかの早朝時間帯に帰宅する。配偶者も深夜勤務となる場合が多かったので、明るい日昼に夫婦水入らずの生活を楽しめるようになった。

 また、長距離トラックの運転手なんかは、若い運転手だと2人交代となるところを、中年の運転手だと1人で済む。長距離バスも同様だ。そうやって、運送業界では中年シフトという高齢化が進んだ。


 服用者が40歳代まで広がってから数十年。ようやく治験データの蓄積も進み、睡眠貯金の満期までの期間は、理論値通りの30年に収斂することが確かめられた。

 だから、30歳代までは広がらなかった。30歳代で服用し始めると、60歳過ぎで昏睡状態となってしまうからだ。下手をすると、子供の結婚式に出席できないことになる。

 その替わり、昏睡状態に突入すると二度と目覚めないことが確実なので、病院での延命治療は急速に下火となった。昏睡期が近づいたと自覚できた者はすべからく、そういう生前の遺言を認めたからである。だから、日本では平均寿命が70歳を下回ることになった。

 この副次的効果として、日本では年金財政が破綻を免れた。

 衛生労働省の官僚達は、65歳まで引き上げた年金支給年齢を決して引き下げようとしなかった。加入者に25年以上も保険代を納め続けさせる一方で、支給期間は5年程度となれば、年金財政が破綻するはずがない。

 寧ろ、年金財政は剰余金が溜る一方となったが、それは済し崩し的に国債の償還に充当された。

 日本国民は、なんだか騙されたような気になったが、税金で穴埋めするか、年金で穴埋めするかの違いに過ぎない。金に色は付けられないのだ。

 兎に角、日本としては、高齢化による財政破綻を免れたのだから、目出度い話であった。


 この段階になると、昏睡期というか、死期の訪れを予感できるので、年賀状の文面なんかも様変わりした。

「明けましておめでとうございます。

 今年辺り、私も永眠しそうです。これまでの人生で楽しい思い出をありがとう」

 という風になった。

 1年前までは「今年もよろしく」という文面だったのに、急に変わってしまうので、年賀状を受け取った者も慌てて最後の挨拶に本人を訪れる。

 お互いに積もる話を終えてからの別れとなるので、泣き出す訪問者もいたけれど、全体的には満足して別れることができた。

 割を喰ったのが葬式業界である。生前の挨拶を済ませているのに、改めて葬式を執り行う意味合いは何か? と問えば、必要ないよね、となってしまうからだ。

 また、遺産相続で揉めるケースも激減した。本人が必ず遺言を残すようになったからだ。いくら子供達が強欲であろうと、本人の遺志に逆らうことは中々できなかった。

 ただ、嫁と妾の諍いは精鋭化した。

 うつらうつらする本人を目の前に、嫁と妾の双方は「どのように財産分与するつもりなの?」と詰問した。猫っかむりで眠った振りをしようものなら、2人に頬をピシャリと叩かれた。何せ健康体なのだから、その舞台は病院ではなく自宅となる事が多かった。制止する第三者が不在なのだから、容赦は無かった。

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