第27話 暗闇時代

 地球温暖化が看過できない状態となり、世界的にも火力発電が規制されるようになった。

 自然エネルギー発電も、地球温暖化による異常気象の連続により、その安定性を欠いていた。頼みの綱だった原子力発電もまた、放射性廃棄物の始末がどうしようもなくなり、世界的に規制されるようになった。

 そうやって、人類は、限られた電力を何に使うか? という事を真剣に考えるようになった。

 優先順位の低い使途には給電制限が課された。その最たるものは、照明だった。この物語は、そういった時代における日常生活の断面である。


 陽が落ち、夜空に星が輝く頃になると、人々はゴーグルを装着し始める。

 このゴーグルの内側には、バーチャル・リアリティーの映像が映し出されている。仮想空間といっても、現実の世界と変わらない。但し、昼間の現実世界である。現実は夜の暗闇の中を歩いているのだけれど、ゴーグルを装着すれば、日昼の街並みを歩いているように見える。

 但し、自分以外の通行人は、人影としてしか映らない。個人情報を開示していない者は、人間の形をした黒い影が動いているようにしか見えない。つまり、歩行中の障害物としか認識できないのだ。

 とは言え、これまでの人生で個人情報を交換した事のある相手であれば、その時点の人物像が映る。このゴーグル・システムが、道行く人達のIDと照合するからだ。

 だから、交差点の雑踏に紛れて、成人した人間が信号待ちをしていたとしよう。その時、道路向かいの雑踏の中に、小学校時代の同級生を見付けたとしたら? 成人の身長になるように相似形で拡大された小学生姿の映像が、黒い人影の雑踏の中に浮き上がって見える。

 何故、小学生姿なのか? その時点で情報開示を停止しているからだ。もし、旧交を温めたければ、信号が青に変わると同時に走り出し、同級生に近寄っていって、改めて個人情報を交換する許可を得なければならない。

 一度、情報交換の了解を得られたら、リアル映像の更新期間を設定できたりもする。

 だが、得てして、女性は30歳未満の頃までしかリアル映像の更新期間を設定しないので、お互いが中年になって再会しても、男性は若い頃の女性の姿しか見えないことになる。

 なお、話は戻るが、ゴーグルを装着しないと出歩けなくなる夜の時間帯になると、節電のために信号も停止する。勿論、仮想空間の中では機能している。だから、特に都会で生活するならば、ゴーグルは必需品であった。


 本日の物語の主人公、南野武。20歳代半ばの独身男性。職場には意中の女性がいないので、今夜もガールハントに精を出している。

 とある街の一画にあるカウンターバー。馴染客となった武がIDを交換したバーテンダーは、カウンターの前でシャカシャカとカクテルを作っている。

 L字型をした長いカウンターには、1人で来店した男性客と女性客が、ポツリポツリと間を開けて座っている。カップルなり同僚達と訪れた客達はテーブル席で酒を飲んでいるので、カウンター席には出会いを求める客が陣取っている。

 何故、出会いを求めていると分かるのか?

 男性は淡いブルーの人影、女性はピンク色の人影だからだ。自分から性別情報の公表を認めなければ、武のゴーグルの中で色は着かない。1人だけ黒い人影のまま座っていたが、その彼か彼女は1人で酒を楽しみたいという意思を表示しているのだった。

 武はピンク色の人影の1つに近寄っていった。この段階では女性の個人情報は全く無いので、運を天に任せてクジを引くようなものであった。

 女性も武の接近を警戒しない。女性だって武の個人情報を全く持っていないし、そもそも男性との出会いを求めて来店したのだから、拒否するはずがない。

 武は「今日は暑いですねえ」とかのありきたりの話題から始め、お互いの趣味趣向を言い合い、気が合いそうなのか否かを確かめていった。女性にしても同じである。

 この時代、外見で以って口説く相手を決めるという出会いは殆ど無い。まずは人間性で勝負だった。“一目惚れ”という言葉が死語と化していた。

 なんとなく話が合いそうだと2人が阿吽の呼吸で納得した頃、武は彼女に「お互いのIDを交換しませんか?」と提案した。彼女が、ええ、と合意する。すると、ピンク色の人影が彼女の全身像に変わった。

「残念、俺の好みじゃない」

 武は心の中で思ったが、そんな気持ちは噯にも出さず、にこやかな笑顔で会話を続けた。

 でも、「週末の明るいうちに会いましょう」とは言わなかった。交際を深めるならば、彼女が映像通りの歳格好なのかを直に確認する必要があるが、そこまで進むつもりは無かった。今日は収穫無しだったな、と諦めると、小一時間で引き揚げた。

 数日後、同じカウンターバーを再び訪れる。武は前回の女性への情報開示を拒否モードに切り替えている。前回の女性のゴーグルには、武は黒いシルエットとしてしか写らない。

 だが、彼女の方は未練があるようだった。武のゴーグルには、先に来店していた彼女の姿が映っている。武は、別のピンク色の人影に近寄っていき、自己紹介した。


 そんな苦労を重ねて、武は配偶者を探し当てた。妻は咲と言った。

 武と咲の新居。この時代の住居には照明器具が無い。照明器具を付けることは違法であったし、そもそも照明器具を製造するメーカーが無かったので、一般庶民には入手不可能であった。

 代わりに、家具、家電、雑貨の類には全て、蛍光塗料が塗ってあった。昼間に蓄光して、夜にぼんやりと発光するのだ。だから、慣れれば、ゴーグル無しでも生活できた。多少は不便だが。

 ただ食器は淡く発光しても、食材は発光しない。食事時にはテーブルの上に蝋燭を置いた。そうしないと、闇鍋を突くような感じだからだ。それに、折角の妻の料理だ。味付けだけでなく、見栄えも褒めてやりたい。

 食事を済ますとリビングに移るが、夜間はテレビも点かない。テレビ番組を見たければ、ゴーグルを被るしかない。家に帰ってまでもゴーグルを着けたいとは思わないので、まあ大体は蝋燭を挟んで夫婦の会話の時間となる。

 新婚ほやほやの時期は寧ろ楽しい一時なのだが、年数を重ねると話題に事欠くようになり、苦労する。

 妻の方は一日の出来事を再生した録音テープのように話し続けるのだが、夫の方は思い出したくもない仕事の話を蒸し返す気にならない。だから、もっぱら聞き役である。これを会話と呼ぶのかどうかは多少疑問ではあるが、夫婦水入らずの状態であることには変わりない。

 入浴時には、光るブレスレットを腕にして風呂に入る。遥か昔には、祭りやコンサートでしか着用しなかったと聞いたことがあるが、今は日常生活の必需品であった。勿論、防水仕様のゴーグルも販売していたが、狭い浴室の壁を眺めても詮無いし、洗髪するときは外さないといけないので、わざわざ高価な防水仕様のゴーグルを買う者はいなかった。

 そういう生活なので、早々に寝室に引き揚げることになる。熟年離婚という単語は死語になった。


 武と咲の間には、綾という娘が生まれた。その綾も中学生である。授業の予習、複習に追われる年頃になっていた。武と咲も、娘の綾が授業に付いていけているのかが、目下の心配の種である。

「綾も来年は高校受験だろ。最近、勉強しているのかな?」

「一応、自分の部屋に籠ってはいるけどねえ」

 この時代、勉強机というものは無い。仮に勉強机が有ったとしても、照明が無いので、ゴーグル越しにしか見えない。双眼鏡で目の前を見るような滑稽な真似をせずとも、仮想空間に教材を映した方が効率的である。

 だから、ゴーグルを装着し、ゴーグルに繋いだヘッドフォンを耳に当てて、ベッドの上に寝っ転がる。これが一般的な勉強スタイルだ。

 もっとも、大きなゴーグルを装着していたのは昔の話で、今はサングラス程度の大きさまで小型軽量化されていた。でも、寝ているのか、起きているのか、第三者の眼からは判然としないという点では変わっていない。

 この勉強スタイル。親としては真面目に遣っているのか否か、非常に確認し難い。

 笑い声でも上げていれば、仮想空間に娯楽番組を呼び出して油を売っているなと気付けるのだが、黙って寝たままの状態だと判然としない。

 中年太りも著しい武が寝ていれば、必ずイビキを掻くので直ぐにバレる。だが、中学生の綾は小さな寝息を立てるだけなので、判然としない。

「中学生になれば、色々悩みも出るだろう? 久しぶりに俺が行って、綾と話してみようか?」

 息子ならば父親が話し掛けることも有効だろう。だが、娘には疑問だ。「パパは入ってこないで」と部屋から追い出されるのがオチだろう。咲は、止めておきなさいよ、と武の発案をやんわり却下した。

「そうか。だったら、お前と2人。バルコニーに出て、久しぶりに星でも見上げるか?」

 武のロマンチックな提案に、咲も喜んだ。

「いいわねえ。流れ星を見付けたら、何をお願いしようかしら」

 光害の無い時代である。山奥まで行かずとも、ベッドタウンからでも十分、満点の星空と、それを横切る天の川を楽しめた。


 それから更に10年。

 ゴーグルも更に進化し、瓶底丸眼鏡のような大きさまで小型軽量化されていた。ゴーグルの気に障る重たい装着感は大きく改善されていた。

 替わりに、娘の綾は立派な大人となって、北欧資本の家具メーカーに勤務している。そして、本国の北欧から派遣されていた白人男性と恋仲になり、結婚したいと言い出した。

 今日は、その相手を家に招くことになっていた。

 彼の本国への異動を機に結婚を決意したというから、結婚すれば、綾も彼の祖国に付いて行く。北欧は、夏の数カ月は白夜、冬の数カ月は極夜だ。

 何カ月もずっとゴーグルを装着したままの生活とはどういったものなのだろうか?

 1年中変わらず、夜の数時間だけゴーグルを装着する生活しか経験の無い武には、北欧の生活について、想像もつかなかった。

 ただ綾の今後を思い、ゴーグルが小型軽量化された技術の進化に感謝した。

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