第17話 ~アニー物語~ワイフ・シェアリング

(日向編)

 かなり昔。DINKSという言葉が日本で流行った。今は死語だが、ダブル・インカム・ノー・キッズの略称で、夫婦揃って高給取りの共働き。子供を作らないので、「2人分の収入で贅沢に暮らしましょう」という人生スタイルが脚光を浴びた時期があった。

 その後、少子高齢化に見舞われた日本では、出産が奨励されたし、子供のいない夫婦生活も味気ないので、ダブル・インカム・ウィズ・キッズという裕福な家庭に変わっていった。

 しかし、夫婦揃って高給取りということは、夫婦揃って仕事に追われているという事だ。つまり、子育てに時間を割く余裕が無いというのは、厳然とした事実だった。

 一方で、世界中にアンドロイドが普及しているのが、この時代の特徴であった。

 このアンドロイドは、アメリカに本拠地をおく製造会社が全ての知的所有権を保有し、その会社からの技術供与により全世界で製造されている。その製造会社の名前はアニー社。だから、その会社が製造するアンドロイドは、アニーという愛称で呼ばれていた。

 アニー社は、そういう裕福な夫婦をターゲットに、高級アンドロイドを製品化した。

 普及型アンドロイドは、その身体が硬質で無機質な素材で覆われている。

 ところが、高級アンドロイドは、人工皮膚で覆われるのみならず、髪の毛、眉毛、まつ毛まで精巧に植毛されていた。嫌悪感を抱かれない程度の胸毛、脛毛、はたまた陰毛までもが植毛されていた。つまり、外見は全くの人間であった。


 高級アンドロイドの俗称は、ワイフ。

 子供からすると、人間の父親をパパ、人間の母親をママ。そして、高級アンドロイドをワイフと呼ぶようになった。この高級アンドロイドは、全世界で売り出されたので、英語圏においても、今やワイフは妻を意味する単語ではなく、高級アンドロイドを意味するようになった。

 高級アンドロイドを買えない庶民階級においても、ワイフは妻を意味しなくなった。

 男女平等意識が浸透し、夫を意味したハズバンドという単語が消滅した。また、同性婚も徐々に増えていったので、ハズバンド、ワイフという単語を遣いづらくなったのだ。

 だから、夫も妻も関係なく、今やパートナーという単語が浸透している。

 このワイフ。子供の教育に関しては抜群だ。最新情報をシステムネットから仕入れ、最先端の教育理論に基づいて子供を教育していく。子供の達成度や成長に合わせて。子供を予備校に通わせたり、家庭教師を付ける必要は全くなくなった。

 家庭医学の知識も人工頭脳に有るので、応急処置も万全だ。内科系ならば、夜間の発病で救急車を呼ぶ必要は無い。アンドロイドなので、家計管理も勿論こなす。税理士を雇うこともない。

 当然ながら、料理に関する知識や、掃除などの家事全般の知識も有る。家政婦を雇う必要も無くなったのだ。

 そういうことで、初期費用としてワイフの購入費用を支払う事ができるならば、家庭教師や家政婦、税理士の給料を払わなくて済むので、ランニングコストを含めた長期的コストはトントンと言えた。だから、富裕層の間で急速に普及していった。


 ただ、もし、過去の人間がタイムマシンに乗って此の現代に来たとしたら、きっと戸惑うことが1つ有る。

 ワイフは男性なのだ。

 プロトタイプとして女性版も製造されたのだが、直ぐに製造中止になった。家庭を円満にするよりも、崩壊させるケースが相次いだからだ。

 様々な民族から抽出した数千万人の顔データを合成することで、ワイフの顔はデザインされている。その理由は、特定個人の顔を流用すると人格侵害で訴えられかねないからだったが、不思議な事に、不特定多数の顔を合成すると理想の美男美女の顔付きになった。結局、美男美女とは、没個性の顔付きという事なのだ。

 話をワイフに戻すと、ワイフの顔は、国籍不明の、飽きの来ない、究極の理想の顔となった。

 だから、女性版ワイフを購入すると、パパは必ずと言って良いほどワイフと浮気し始める。

 逆に、男性版ワイフを購入すれば、ママがワイフと浮気するのではないか? という疑問が湧く。実際、男性版ワイフがママの夜の御相手をしているのが現実だ。

ところが、高給取りのパパは疲れて帰宅するので、「夜の御勤めをワイフが肩代わりしてくれるならば、大助かり」という反応を示す。

 さすがに新婚ホヤホヤの場合は、パパも面白くはないだろうが、一般的にワイフを購入するのは子供が生まれてからになるので、その頃にはパパも心境の変化を迎えている、というわけだ。だから、男性版ワイフしかない。


 そういう感じで、家族全員でワイフをシェアしていた。

 そんな裕福な家庭の1場面を覗いてみよう。

「パパ、ママ。今度の授業参観。どちらかが来てくれるの?」

 パパもママも渋い顔をする。学校に行けるはずがない。

「エミリ。やっぱり、ワイフにお願しよう。学校の先生とはワイフが話した方が良いから」

 一応、悩んだポーズは取るが、両親の返事はつれない。

 予想された反応だが、娘のエミリとしては面白くない。テーブルの上で宿題の計算をしていたが、椅子の下で足をブラブラさせ始めた。エミリの気持ちを宥めようと、ワイフが口を挟む。

「エミリちゃん。授業参観の日、お友達を家に呼んでパーティーをしないか?

 授業参観にパパやママが来られなくて、寂しい思いをしている子供が他にもいるだろう?」

「うん。いる。でも、授業参観に来る親の5人に1人はワイフだよ。

 朝の登校時にワイフの服装を聞いておかないと、誰が私のワイフなのか、分からなくなっちゃうわ」

 もし、過去の人間が授業参観に同席することになったら、すごく不気味な光景だろう。

「じゃあ、エミリちゃん。今日、これから、ワイフと一緒に映画を見ないか?

 恋愛物のハリウッド映画、見たいって言っていたよね?もう、宿題の計算にも疲れたんじゃないかい?」

「えっ! もう、お勉強を片付けても良いの?」

 エミリは、わ~い、と声を上げると、ワイフの手を引っ張って、リビングルームに向かった。

 その映画も中盤に差し掛かった頃のエミリとワイフの遣り取り。

「ハリウッド映画って、恋愛の勉強には成るんだけど・・・・・・、すっごく疑問なのよねえ?」

「どこが?」

「だって、そうでしょ? ヒロインは、何故、ワイフみたいな男の人と恋に落ちるのかしら?

 もっと個性的な顔付きの人じゃないと、愛情って湧かないと思うのよね。

 愛情って、人間に対して抱く感情でしょ? ワイフは人間じゃないもん」

 ワイフと一緒に育った娘達は、成人すると美男子に見向きもしなくなる。世の中には美男子でない男の方が多いわけで、しかも庶民階級にその傾向が強いわけで、そういう男達にとっては、裕福な家庭の娘達と恋に陥るチャンスが増えるという事だった。まるっきり、悪い話でもない。

 反面、ワイフのような優しい男にはリアリティーを感じなくなるので、得てして裕福な家庭の娘達は、顔も不細工だし性格も悪いという最低の男を、恋人として連れて来ることになる。親としては看過できない弊害だった。


(日陰編)

 高給取りの鴛鴦夫婦とはいえ、子供のいない家庭もある。

 そういう家庭は、金が有っても、世間体を気にしてワイフを買えなかった。必要もないのにワイフを購入するのだから、“見栄っ張り“と陰口を叩かれるのがオチだったからだ。

 また、高給取りの独身女性も同じ様な陰口を気にする羽目になる。

「人間の男に見向きもされないから、ワイフに逃避した」と陰口を叩かれる。

 その独身女性が美女だったりしたら、

「あの女は性格が悪いから、人間の男に相手されないに違いない」と陰口を叩かれる。ただ単に相性の良い相手に恵まれないだけかもしれないのに、散々である。

 でも、ワイフを買わない家庭の大半は、単にワイフを買う金がないという中産階級だった。時が経つに連れ、そんな中産階級もワイフに手が届くようになる。

 ワイフの製品寿命は長い。100歳くらいまで稼働し続ける。しかも、老けない。販売開始以来、顔のデザインも変わっていない。なにせ、数千人分の顔データの平均値なのだ。

 一方で、持ち主が亡くなったり、必要性が薄れたという理由で、手放す家庭も出てくる。アニー社は新規販売に際しては顧客名簿を管理し、ブランド戦略を徹底させていたが、中古ワイフを取り扱うブローカー市場までは把握できなかった。


 まず、新品価格の半値ならばワイフを購入できるという“中”の“上”クラスの家庭に、中古ワイフが浸透し始めた。そういう家庭のパパもママも子供も大喜びである。

 そのワイフが、新品なのか中古品なのか。それを一般人が見分けるのは不可能だった。アニー社が顧客名簿と照合して初めて判明する事実である。だから、中古ワイフとはいえ、それを手に入れると虚栄心を満足させられた。

 中古ワイフの唯一の難点は、「前のママの好みはこうでした」などと以前の持ち主と比較することである。中古ワイフとしては、本物の人間の嗜好情報がそれしかないので、今の持ち主の好みを確認するための当然の反応なのだが、自分より裕福な人間と比較されて気持ちの良い人間はいない。

 特に、夜の御勤めの時に言われると、興醒めである。

 こういう時は、ピシャリと「前の持ち主と比較しないで!」と命令するしかない。中古ワイフも、今の持ち主のデータが蓄積されれば、そういうセリフを言わなくなる。


 そのうち、“中”の“上”クラスに続いて、“中”の“中”や“中”の“下”クラスの中産階級も、中古ワイフを購入し始めるようになった。

 どうやって?

 複数の仲の良い家庭が共同で中古ワイフを購入するのである。月曜日はあなた、火曜日は我が家、と中古ワイフは輪番で各家庭を渡り歩くことになる。

 子供の教育上は、次に来るまでの宿題をワイフに与えてもらえば良い。

 ママにとっては、週に何日かでも料理を作り、家の掃除を代替してもらうだけで大助かりだ。元々、広い家でもない。

 夜の営みも楽しみだ。ただ、ママ達は、ワイフの順番が回ってくると、ワイフが自宅に入るや否や「お風呂で念入りに身体を洗ってきてちょうだい」と異口同音に命令した。

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