第16話 宇宙ホテルの経営課題
宇宙ホテル株式会社。
世界中の富裕層を対象とした宇宙滞在ビジネスを目的に設立された民間企業である。
世界初であると同時に、世界唯一の企業だ。唯一の企業であり続ける理由は、その技術力が主因だが、別の要因もあった。実は、あまり儲からなかったのである。
儲からないと聞くと、庶民は怪訝な表情を浮かべるだろう。
ロケット代も含めて、宇宙旅行の費用は10万ドルを軽く超える。
――1人の旅費で小さな家を購入できるのだ。そんな高い料金を設定しておいて、儲からないなんて・・・・・・。
当然の感想だ。
宇宙旅行の費用が高いのはコストが高いからだ。粗利率が10%だとして、1人当り1万ドルの粗利。ここまでしか聞かないならば、良い商売じゃないかと思うだろう。
でも、人数を掛けてみて欲しい。
宇宙ホテルの最大収容人数は12名。スタッフ2名を除くと、MAX10名だ。
この10名分が365日ずっと満室だったとして、粗利が3,650万ドル。日本人の読者用に換算すると約40億円。現実には年間を通じて満室続きなんて有り得ないので、粗利はもっと少ない。半分以下だ。
――だったら、ホテルを増設すれば良いじゃないか。
その指摘はもっともだ。ところが、旅行者はそんなに多くはないのだ。
地球上に60億人以上の人間が生きているが、宇宙旅行に金を出せる人間は? といえば、非常に少ない。富は偏在しているのである。これが新規参入を拒む壁だった。
すると、経営者としてはリピーターを増やすことを考える。
初めて宇宙に上がった人間は、無重力に困惑し、窓から眺める青い地球の姿に魅惑され、その丸い地平線から太陽が昇ってくる瞬間に圧倒される。
でも・・・・・・それだけならば、何度も宇宙旅行に行こうとは思わない。
しかも、普段、彼らが地上で泊まり慣れている一流ホテル並みのサービスは、宇宙ホテルでは決して受けることができないのだから。
リピーターを増やすには、何か別の目的、動機付けが必要なのだ。
その議論をするために、今日も宇宙ホテル社の本社では経営会議を開いていた。社長の「何か良いアイデアは浮かんだかね?」の一言で、提案だけは出てくる。
「バンジージャンプみたいに、帰りはロケットでなく、跳び下りるというのは?」
NASAからヘッドハンティングした科学者が、しかめっ面で反論する。
「その旅行者は落下中、その加速度に気絶するでしょう。とても、楽しむという感じじゃありませんね。
それにパラシュートが故障したら、大気との摩擦熱で焼死してしまいますよ。リスキーです」
別の役員が、
「ダイエット効果をアピールできませんかね? 滞在中の食事をダイエット食に限定することで?」
またもや、科学者が、しかめっ面で反論する。
「無重力状態では、骨と筋肉が弱体化します。
逆に、脂肪だけは維持されます。旅行から帰ると、体脂肪率は寧ろ上昇するのが現実です」
結局、良いアイデアというのは出てこない。
それでも、リピーターの掘り起こしは重大な経営課題なので、会議は何度も開催された。そして、1つの妙案が浮かんだのである。
「御客様、当ホテルは、宇宙金庫サービスなるものを始めました。
泥棒や税務署が来ない、絶対安全な金庫です」
こう言われると、金持ちは“税務署”というキーワードに反応する。
各国政府の施政権が及ばない宇宙空間には、どの税務当局も手出しはできない。宇宙空間で客Aの金庫から客Bの金庫に資産を動かしてもバレない。マネーロンダリングには最適だ。
ホテルスタッフは宇宙遊泳アトラクションと称して、客Aと客Bをホテル外で浮遊している金庫まで連れて行く。そこで客Aと客Bが何をしようが関知しない。ホテル側は貸し金庫業を営んでいるだけである。しかも、貸金庫業を登録申請すべき政府が存在しないので、知る人ぞ知るアングラ金庫だった。
真っ当な金持ちは税務署を気にする。真っ当でない金持ちは、汚れた資産の浄化に悩むものである。
このサービスは富裕層の心を鷲掴みにした。
「だが、宇宙空間は放射線で溢れていると聞いた。
その金庫に保管している間に被爆して、使用価値が無くなるなんて事は無いのかね?」
「大丈夫です。金庫の内面は鉛でコーティングしていますから」
「金庫に保管するとしたら、何が良いかね? やはり、ドル紙幣かね?」
「重量当りの価値の高いものが良いでしょう。
金庫の容積は限られていますし、ロケット料金も従量制ですから」
「そうすると金塊かね?」
「いいえ。ダイヤモンドをお薦めします。
原子番号79の金よりは、原子番号6の炭素の方が軽いですからね」
「何か、聞いておくべき落とし穴みたいな事はあるかね?」
「1つだけ免責事項があります。
宇宙空間にはデブリが浮遊しています。故障した衛星の部品なんかの宇宙ゴミです。隕石なんかも当然ありますが、そういう物が金庫に衝突したとしても、ホテル側では補償致しかねます。
そもそも、御客様が金庫の中に何を保管していらっしゃるかを、ホテル側は存じ上げておりませんので」
「そういう事が起きる可能性は高いのかね?」
「高くはありません。そういう事故は金庫だけでなく、ホテル本体にも起こりえます。
その場合は、御客様ご自身が危うい状態になります。でも、それを承知で宇宙旅行に参加なさるのですよね? それと同じです。
ですが、重ね重ね申し上げますが、確率はゼロではありません」
こうして、宇宙金庫サービスは繁盛していった。
宇宙金庫にダイヤモンドを保管し始めると、その安否を定期的に確認したくなるのが人情である。ホテルスタッフが横領する可能性だってゼロとは言えまい。だから、宇宙金庫の貸出数に比例して、ホテル宿泊のリピーターも増えていった。
副次的な効果として、ダイヤモンドの相場が長期トレンドで着実に上昇するようになった。富裕層の間では、その富を金ではなくダイヤモンドに変えるのが常識となったのだ。これは、宇宙金庫を利用する富裕層にとっても、保有資産の価値が上がるので、朗報であった。
また、富裕層は常日頃からロビー活動を展開しているものである。
宇宙開発に取り組んでいる大国の政府に、国際的な協力体制を敷き、宇宙デブリの掃除をするよう働き掛けたのだ。国家というのは、自国の利益のためには惜しみなく資金を投じるが、誰のゴミかも分からないデブリ掃除なんてボランティア行為には資金を投じない。
その状況が少しずつ変わり始めた。これはこれで良い事であった。ただ、物事の本質は、税金を払いたくない金持ちが、庶民の税金を使わせて、自らの資産の安全性を高めているだけである。
我儘でないと金持ちには成れない、という事なのだろう。
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