第15話 天空ハイパーループの綻び

 北緯24度、東経153度の太平洋上。ここに日本政府の統治権が及ぶ最東端の島、南鳥島がある。

 島影は、1辺が約2㎞の正三角形をしており、最も高い標高は9mに過ぎない。洋上に突然浮いた三角形の盆である。ただ、日本海溝の直ぐ傍なので、島の近くはいきなり水深1,000mにもなる。

 かつて、この南鳥島には自衛隊が駐屯するばかりで、その補給のために1,000m級の短い滑走路が建設された。この滑走路は、今でも現役で使用されている。

 大陸から遠く離れていることから気温の寒暖差は年間を通じて殆どなく、平均気温は30℃弱。台風の進路からも微妙に外れていて、まあ、平たく言えば、変化の乏しい、人間界からは隔離された地上の楽園と言える。

 お気づきの通り、“地上の楽園”というのは皮肉である。

 

 そんな場所なので、半世紀ほど前、天空ハイパーループが南鳥島に建設された。

 天空ハイパーループ。

 直径5m弱の天空に伸びた巨大な煙突だ。一端は南鳥島、もう一端は成層圏の更に上、中間圏まで伸びている。全長は60㎞ほど。この長さだと、通常の素材で煙突を建設すれば相当な重量となる。よって、天空ハイパーループは、カーボンナノチューブで造られていた。

 天空ハイパーループの建設目的は、資材の安価輸送。地表から宇宙空間に資材を運ぶのだ。それも、地上の気圧と宇宙空間の気圧差を利用して。そう、天空ハイパーループとは、垂直方法に伸びた巨大な気送管。いわば、現代のバベルの塔であった。

 ロケット産業で挽回できなかった日本が、政・官・財の総力を挙げて開発に取り組んだのが、この天空ハイパーループだった。この建設には、素材産業とゼネコン産業、機械工学産業の英知が必要で、依然、それらの分野で日本は世界の最先端を走り続けていた。

 建設当初は、衛星の打ち上げや宇宙ステーションの資材運搬を想定していたが、実際の得意客は別に見つかった。それが原子力産業だった。原子力発電の副産物として産出されるプルトニウム。その放射能の半減期は2万4,000年。人体に無害なレベルまで落ち着くには10万年の年月を必要とした。

 それにも関らず、人類は、その有効な最終処分方法を見出せていなかった。

 高レベル放射性廃棄物をガラス固定化してドラム缶に詰める。そのドラム缶を、地震リスクの無い、岩盤の強固な地下深くに埋めるというのが、唯一の最終処分方法だった。それは、人類が滅亡するまで、人目から遠ざけるというに過ぎなかった。

 ならば、そのドラム缶を、放射線の飛び交う宇宙空間に放出しようというのが、天空ハイパーループのコンセプトだった。

 世界各国は、この離れ小島に放射性廃棄物を持ち込んだ。日本政府としても、国家財政を潤すことになったし、住民の反対運動も無い。内地の原発近隣自治体からは諸手の賛同を得たので、政治的には非常においしかった。

 勿論、物理的には、ロケットで打ち上げることが可能だ。

 でも、経済的に割が合わなかったし、ロケットの打ち上げが失敗した時の事を考えると、誰も実現させようとは思わなかった。天空ハイパーループならば、事故の確率が列車事故よりも低い。

 また、事故が起きても、放射性廃棄物の落下地点は日本海溝の底である。最小限の被害で済む。


 今日も、天空ハイパーループの打ち上げが、予定通り、行われようとしていた。

 管制室に、「射出物、セット完了。カウントダウン開始」のアナウンスが響き渡る。電光掲示板の数値が、180、179、178と減っていく。「遮蔽盤、開放」の指示。

 その指示を合図に、地表20mの高さに設置されたループ内の遮蔽盤にガチャンという金属の動き始めた音が響く。遮蔽盤の中央に穴が開く。大出力モーターの動力が、軋み合う歯車を通じて、鮫の歯のような6つの遮蔽パーツに伝えられる。

 6つの歯が、少しずつスライドしながら収納スペースに納まっていく。遮蔽盤の中央に空いた隙間は徐々に大きくなり、直径5mの円周部から6つの歯が覗いた、八ツ目ウナギの口のような形になる。

 遮蔽盤の隙間が大きくなるのに連れて、ループ内部に巻き起こった上昇気流も大きくなる。

 ループ内部の直径よりも僅かに小さな茶筒。それでも直径4mを超す巨大な円筒カプセルだが、収納資材と合わせた重量は100t近くになる。

 その円筒カプセルを地表フロアと繋いだ何十本もの鋼鉄製の牽引ロープがピーンと張られた。上昇気流で円筒カプセルが上空に吸い上げられようとしており、それを引き戻そうとする牽引ロープがブルブルと振動している。

 6つの歯の大きさが1m足らずの大きさまで小さくなった時、バキリという不吉な音がループ内部に響いた。軋み合う歯車を円滑に作動させるためのベアリングの1つが砕け散ったのだ。

 たった1つのベアリングの破損だが、全体の歯車の動きが止まる。まだ、円筒カプセルが通過するに足るだけの隙間がループ内に生じていない。6本の鮫の歯が邪魔立てしていた。

 管制室内に警報が鳴り響いた。作業現場の至るところで、黄色と赤色のサイレンが明滅し、警報を流した。

「どうした! 何が起こった?」

「遮蔽盤が作動不能になりました。このままでは、大事故になります!」

「発射作業、緊急停止!」

「停止できません!」

 その時である。

 荷重に耐え切れなくなった牽引ロープの1本がプチリと切れた。

 元々、牽引ロープの役割は、打ち上げまでの短時間だけ円筒カプセルを繋ぎ止めることだった。長時間の牽引は想定外だった。1本の牽引ロープの切断が、2本目、3本目の牽引ロープの切断を誘発した。

 プチリ、プチリ。

 不運な連鎖作用は続き、牽引ロープが力尽きた途端、その円筒カプセルは猛烈な勢いで吸い上げられた。

 100tの重量物に衝突され、6本の鮫の歯は砕け散った。だが、円筒カプセルとて無傷ではなかった。

 損壊によりループ内壁との間隙が開いた円筒カプセルを上昇気流が持ち上げ続けることはできない。

 今度は、重量100tの円筒カプセルが地表フロアを目指して落下した。

 落下の衝撃で、破片が飛び散り、その破片がループ内部に円筒カプセルを搬入するための鋼製扉を外側に凹ませた。鋼製扉がピッタリとは閉まらなくなった。

 施設外部からの空気供給量が増えたことで、上昇気流の勢いは、ますます強くなった。

「全員、退避。緊急退避!」

 管制室から作業現場に指示が出された。ただ、その指示を待たず、全員が既に避難し始めている。

 今や、天空ハイパーループは宇宙空間に地上の空気を吸い上げる巨大なストローと化しており、下手に近づけば、そのまま宇宙空間に飛ばされてしまう。


 この事故は、現場管制室から天空ハイパーループ公社の本社に報告され、即座に首相官邸まで報告された。1企業でどうにかできるレベルを超えていた。

 官邸内に非常災害対策本部が設けられ、緊急会議が招集された。

 議長の草加首相が会議参加者に向かい、苛ついた怒声で「どうするんだね?」を連発する。

 国防省の武官が草加首相に向かって、正鵠を射た進言をする。

「これは地球規模の災害です。このままでは、ストロー現象で地球上の空気が全て宇宙空間に吸い上げられてしまいます。

 対策としては、2つに1つの選択です。ループの根元を再密封するか、天空ハイパーループを破壊するしかありません」

「破壊! 天空ハイパーループを破壊するのか! あの公共投資に幾ら注ぎ込んだと思っているんだ?」

 武官とて、そんな事は百も承知だ。

 官邸補佐官が報告する。

「気象庁からの報告に依りますと、南鳥島の上空には異様な低気圧が発生しています。各国が気象衛星の画像を通じて、この異変に気付くのも時間の問題だと思われます」

 草加首相は国家元首として早急に判断する必要に迫られていた。ところが、草加首相には大局的見地というものが欠けており、更に言えば、決断から逃げる。つまり、問題を先送りたがる傾向があった。

 最悪の時に最低の人材が総理大臣に就任していたのだ。

「ループの隙間に土嚢を積んではどうなのかね?」

 草加首相は詰らぬ質問で会議出席者を苛立たせた。

――重量100tのカプセルを吸い上げるのだぞ。土嚢に何の効果がある?

「ループの隙間をコンクリートで固めてはどうかね?」

――コンクリートは、固まる前に吸い上げられてしまうわ。

「草加首相を戴いていたのでは、日本が滅びるな」と感じた国防大臣と外交大臣は目配せをした。会議室を抜け廊下に出ると、2人でヒソヒソと短く談義した。


 その1時間後、米国ホワイトハウスから草加首相にホットラインが入る。

 草加首相は、会議から抜け出せることにホッとした表情を見せ、ホットライン・ルームに向かった。その情けなさに、会議出席者の誰もが舌打ちする。

「クラーク大統領。こんにちは。いや、そっちは、こんばんは、でしたかな?」

「ミスター・クサカ。挨拶は無用だ。

 我々は、軍事衛星を通じて、南鳥島の大惨事を監視している。これは地球規模の大災害だぞ。

 日本政府は、何か解決策を講じようとしているのかね?」

「今、鋭意、検討中です。私も色々悩んでいるのですが・・・・・・」

 草加首相はハンカチで額を拭った。

「悩むのは勝手だが、決断したまえ。

 今、横田基地から戦闘機を飛ばした。南鳥島の上空に到達すれば、私はハイパーループを破壊するよう、攻撃命令を出す。

 それが嫌であれば、1時間以内に代替案を提示したまえ」

 クラーク大統領は、そう言い放つと、テレビ電話の回線を切った。モニター画面が真っ暗になる。

 草加首相は緊急会議に戻ると、この顛末を出席者に報告した。誰もが神妙に聞き入った。

「これで人類は、地球は救われる。この馬鹿を相手にするのは止めよう。1時間でアメリカが始末を着けてくれる」

 その後の会議で発言する者は1人も居なかった。草加首相の質問が飛んでも、俯いたまま無視し、時計の針が進むのをジっと見詰めていた。

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