第14話 バンジーに賭けた町工場

 杉本義哉は、ゴム製品を製造する町工場の3代目社長だ。

 大企業に材料としてのゴム製品を納入する下請け企業で、その大企業からは原価低減を言われ続け、日夜、その実現に悩んでいる。でも、中小企業の社長とはそんなものだ。今の注文にしがみついていれば仕事が途切れる心配は無さそうだったし、そういう意味では幸せな方だろう。

 プライベートな面でも家庭は円満で、悩み事はない。だが、しかし、杉本には人生で忸怩たる思い出が1つだけあり、死ぬまでにその苦い思い出を克服したいと常々考えていた。

 今のカミさんと知り合う前、若い頃の杉本は別の女性と付き合っていた。

 活動的な彼女に引き摺られるようにして、バンジージャンプを体験しに行ったのだ。

 正確には、体験したのは彼女だけで、杉本は跳べなかった。その事で、彼女からは馬鹿にされ、事ある毎に意気地無しと罵られ、結局は別れたのだ。

 その彼女に未練は全く無い。良妻賢母のカミさんの方が結婚相手としては理想的で、彼女と別れて正解だったと胸を撫で下ろしている。でも、トラウマになった事には、変わらない。

 結婚してからも、1人で何度かバンジージャンプ施設に行った。悲鳴を上げて落下する他人を、羨ましく、恨めしく、遠目に眺めるだけなのだが・・・・・・。

 技術屋として、人々が跳び落ちる様を眺め、分析するうちに辿り着いた結論は、あの自然落下のスピードに自分は怖気づいているのだという事。

 人々が跳び落ちる時の大半の時間、ロープは弛んだままだ。つまり、ロープは何も機能せず、落下スピードはドンドン加速していく。ロープがピーンと張った時に初めて、その先端のゴムが機能し始め、落下速度が急減速する。

――ロープの部分も全てゴムにしたら・・・・・・どうだろう?

 自由落下に比べると、落下スピードを抑えることができる。但し、伸びきったゴムの反発力で、今度はジャンプ台よりも高い位置まで引き戻されてしまう。そしてまた、2度目、3度目と、落下、引き戻し、落下を経験することになる。そんなことは危険だし、自分には耐えられそうになかった。

――だったら。反発力を抑えたゴムを発明すれば良いじゃないか!

 自分はゴム製品を製造する町工場の社長だ。この着想に勇気付けられた杉本は、それ以降、日夜、技術開発に没頭することになる。

 月日は流れ、そして遂に、杉本は新製品を開発した。伸ばす時の抵抗力は大きく、それでいて、その抵抗力をゴム内部に溜めつつ、少しずつ元に戻ろうとするので、瞬間的な反発力は弱いという、杉本にとっては夢のようなゴム製品だった。

 早速、バンジージャンプ・メーカーに売り込んだ。バンジージャンプ・メーカーも、利用者が怖いもの知らずの若者に限られる現状ではマーケットが広がらないと悩んでいた。だから、トントン拍子に話は進み、初心者用バンジージャンプとして全国のバンジージャンプ台に併設されていったのだ。

 “初心者用”と銘打ったが、本当は“小心者用”だった。

 それでも、「だったら、私にも出来るかも?」と考える新たな利用者が相次いだ。

 また、杉本自身は予想だにしなかったが、このゴム製品の用途が更に広がった。

 筋肉を鍛える美容具の材料として採用されたのだ。遥か昔の野球マンガの主人公が身に着けていた筋肉養成ギブスのゴム製品版である。これを装着して手足を動かすと、ゴムを伸ばすための余計な筋力を必要とする。

 反面、そのゴムはじんわりと元に戻る。

 例えば、腕を伸ばしたとしよう。従来の単純ゴムを装着していたら、気を緩めた途端に腕は引き戻されてしまい、危なくて仕方が無い。危なくなくても、身動きがギクシャクしてしまって、傍から見ていると奇妙で見っともない。

 でも、杉本ゴム製ならば、そんな心配は無用だった。

 この美容具には、胸と上腕を覆う上半身版と、腰から膝までを覆う下半身版の2種類があった。

 肉体を格好良く改造したがった若者から、筋肉弱体化を気にする中年男女や高齢者まで、幅広く売れた。

 なにせ下着替わりに杉元ゴム製の美容具を装着し、普段通りの生活をするだけで四肢の筋肉を鍛えることができるのだ。人間、楽をして目的を達成できる商品には飛びつくものだ。

 ただ、腹部だけは鍛えようがなかった。腹筋を鍛えようとすれば、地道に前屈運動に励まないといけない。この努力を惜しまない人間と怠け者を見分ける簡単な方法は、水着姿になることだ。怠け者の場合、胸、二の腕、太腿が引き締まっていたとしても、腹だけはポッチャリしてしまうのだ。

 だから、臍回りが丸見えのビキニの水着を着用する若い女性は少なくなった。ワンピースの水着を着ていれば、同行した男性陣にバレなくて済むからだ。

 実は、男性陣からすると、ビキニ姿の女性こそ美容維持に熱心な女性の鑑だと、水着で見分けるようになったのだが、その事実に女性は長らく気付かなかった。

 そういう副次的効果はさておき、杉本義哉にとっての関心事は、自分がバンジージャンプで跳び落ちる事である。ニュースで「子供達だけでなく、年配者もバンジージャンプを始めました」なんて報道を度々目にすることになり、自分も敗者復活戦を挑んでみようと、ようやく決心が付いた。

 そして、今。杉本は、数十年ぶりにバンジージャンプ台に立っている。

 年甲斐もなく「押すなよ、押すなよ」と手を振り回してスタッフを遠ざけつつ、そろり、そろりと両足を交互に摺らしていく。

 片足がジャンプ台の縁に至る。屁っピリ腰のまま、首をそうっと前に付き出す。閉じた目を開け、谷底を見下ろす。途端に失神しそうになった。

――駄目だ!

 杉本は、今さらながらに気付いたのだ。

 バンジージャンプの怖さは、跳んでからではない。跳ぶまでが怖いのだ。

 この恐怖はゴム製品ではどうしようもない。高所に怖気づいたのと、克服できない自分への絶望感で、杉本は、その場にへたり込んでしまった。

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