第18話 ~記憶物語~記憶を盗め

 歳を取ると、どうしても記憶力が落ちてくる。

 久しぶりに誰かと会っても、顔は思い出すのだけれど、名前が出てこない。

 だから、「あっ。どうも、どうも。お久しぶりです」と言っては、名前を言わずに誤魔化し、隙をみて、相手のネームタグの名前を盗み見たりする。哀しいかな、そのネームタグの文字も小さく、読み取れることは殆ど無いのだけれど・・・・・・。

 誰しもこの悩みは抱えていて、だからこそ、或るメーカーが『外付け記憶レコーダー』という商品を売り出した。大脳に蓄積された記憶情報を人工的な外付け機器に移す事で、大脳を効率的に遣うと同時に、物忘れを防止しようという生物工学上の画期的製品であった。


 ここで、少々面倒臭いが、記憶のメカニズムを複習しておこう。

 反復練習を通じて得た運動に関する記憶は、大脳の奥深くにある大脳基底核と小脳に保存される。

 教科書を開いて勉強した記憶は、大脳辺縁系の海馬という処に蓄積される。辺縁系と言っても、大脳の奥の方だ。

 その中で古くなった情報が、大脳皮質、つまり相対的には表層部分に移される。海馬で記憶した内容を、大脳皮質という倉庫に保管し直すわけだ。

 さて、海馬というのは大脳の中でも精密な部位で、繊細だからこそ壊れ易い。老化に伴い劣化もし易い。喫煙なんかでも、劣化が早まる。

 一方の大脳皮質は相対的には頑丈で長持ちする。でも、大脳皮質の方に空きがなくなれば、海馬は自分が一次的に憶えた記憶を大脳皮質に押し出すことができなくなる。だから、昔の記憶は割と思い出せるのに、最近の記憶は直ぐに抜け落ちるという現象に見舞われるのだ。

 このメカニズムを理解すると、記憶レコーダーに古い記憶を押し出して、大脳皮質の空き容量を作れば良いと気付くだろう。その空き容量にすぐさま海馬から記憶を移せば、たとえ機能が衰えて新しい記憶を海馬に保有する時間が短くなっても、全体としては記憶力を改善することができる。

 そういう着眼で生物工学を応用していった製品だった。

 だから、この記憶レコーダーには“昔の記憶”が蓄積されている。その人の人生の軌跡が蓄積されているのだ。


 その記憶レコーダーを装着するには、ちょっとした外科手術が必要だ。

 後頭部の上の方に記憶レコーダーと大脳皮質を接続する端子を埋め込むのだ。手術後に後頭部を触ると、小さく細い金属性の端子が2本、生えているのが分かる。長さは5㎜程度。この端子を記憶レコーダーの通電性皮膜の何処でも良いから、突きさせば接続完了だ。

 一方の記憶レコーダーだが、平たく言えば、カツラと同じ形状だった。通電性皮膜の表面には髪の毛を植毛している。カツラと同じ形状に落ち着いた理由は、広く薄く頭を覆った方が装着時の負担を減らせたから。

 タバコの箱みたいな形状の試作品も作ってみたが、細い端子2本だけで繋ぎ止めるので、頭を振ると飛んでいってしまう。


 そろそろ、本題に入ろう。

 人々の人生の軌跡と呼べる過去の記憶を取引するアングラ・マーケットが有った。その目的を解説することは別の機会に譲るが、今日は、その仕入れ方法の1つを追ってみたい。

 主人公は娼婦。正確には、身体を売った事はなく、実態は昏睡強盗に近い。

 その彼女、今日もバーのカウンターで1人の中年男を誘い、ホテルにしけ込んだ。興奮する男の前で、服を脱ぎ、下着を落とし、パンティーを小旗のように振ると、ベッドの上にポンと投げた。微笑みを浮かべて、「先にシャワーを浴びるわね」と言うと、バスルームに姿を消した。

 ここで、男が彼女の後を直ぐには追わなければ好都合。直ぐにバスルームに入ってきたら、それはそれで構わないが、男に自分の身体を洗わせ、兎に角、先にバスルームを出る。

 出たら真っ先に冷蔵庫を開け、ワインボトルのコルクを抜き、錠剤を1つポトンと落とす。このボトルの方に落とすのがポイントだ。

 男がバスローブを羽織って出て来ると、彼女は裸体のまま男に抱き着き、両腕を男の首に回す。このアクションが2つ目のポイントだ。

 男の頭の後ろを触り、2つの端子を確認する。時々、単なるハゲがカツラを被っている場合が有るからだ。目的は男の記憶なのだ。今日の男には、ちゃんと2つの端子が生えていた。

 男は、入浴前に必ず、記憶レコーダーを外す。何故ならば、水に濡らすとショートして壊れるから。頭を剃らずに記憶レコーダーを装着する人間はいない。髪の毛が邪魔して、頭に生えた端子が記憶レコーダーの通電性皮膜に届かなくなる。

 だから、記憶レコーダーの装着者は、皆ハゲだった。今やハゲを恥ずかしがる者はいなくなった。ハゲは、記憶レコーダーを買える程度には裕福な人間という象徴となったのだ。

 2つの端子を確かめると、彼女は小さなテーブルの上に置いた2つのワイングラスとボトルを両手に持って、男の前に戻る。既に自分は、錠剤を投じる前のワインを1口飲んでいる。男に「ワイン以外のアルコールを飲もう」と言い出させないためだ。

「先に少し頂いちゃったわ」と言えば、男は100%、その飲みかけのボトルからワインを飲む。

 男の見ている前で、自分のワイングラスにもう1杯。男のワイングラスに最初の1杯を注ぐ。そして、カーンと乾杯すると、2人してグラスを飲み干す。一緒に飲み干せば、相手が昏睡強盗か? と疑う男はいない。でも、彼女は睡眠薬の解毒剤を飲んでいた。

 ベッドの上に倒れ込み、イチャイチャする。でも、一線を超える前に、男は彼女の胸の上に突っ伏した。彼女は、乱暴に蹴って、男を押し退ける。

 そして、自分のハンドバックから“裁縫セットのような物”を取り出すと、記憶レコーダーに歩み寄った。植毛された髪の毛に埋もれて目立たないよう、黒い伝導性の糸を使って刺繍をし始めた。これが簡易的な集積回路となるのだ。最後に極小サイズの電子端末を通電性皮膜の中に埋め込む。

 その作業が終わると、彼女はベッドに潜り込んだ。そして、朝を待つ。

 午前5時を過ぎ、始発の電車が動き始める頃。ヨイショと苦労して、床に放り出していた男をベッドの上に担ぎ上げた。そして、男の頬を力一杯、引っ叩く。

「あなた。起きて。起きてよ」

 身体を揺する彼女にムニャムニャ言いながら、男が目を覚ます。未だ男の意識は朦朧としている。

「ホテルから出勤するわけには行かないから、私、もう帰るわ。自宅に戻って、身嗜みを整えなくちゃ」

 このセリフに大抵の男は、少しシャンとする。だって、もう別れ時なのだから。

「えっ! もう、朝? 昨晩は、どうだったのかなあ?」

 と自問自答したりする。残念ながら、お前は寝ていただけだ。当然、達成感が無いので、未練が残る。

「もう、君とは会えないのか?」

「ええ。だって、私達。1夜限りの行き摺りの仲ですもの」

 そう彼女が素気なく言い放つ。

 時々は、なおも縋り付こうとする男もいる。

「そうだけど・・・・・・。もし、君の気持ちが変わったら、ここに連絡してくれないか? 君の気持ちが変わったら、で良いから」

 と、御丁寧に名刺を彼女に渡す男もいる。そういう場合は、素直に名刺を受取る。


 彼女は、そそくさと部屋を出て逃亡するのだが、何故、男が寝ている内に逃亡しなかったのだろうか? それは、男に昏睡強盗だという疑いを抱かせないため。正確にいうと、彼女は、この時点で何も盗んでいない。盗むのは、これからだ。

 記憶レコーダーに保存された記憶データにアクセスするには、持ち主が暗証番号を想念しなければならない。だから、昨夜、通電性皮膜に埋め込んだ仕組みを使って、これからインターネットを通じてダウンロードするのだ。男が記憶レコーダーを起動させた時に。

 名刺を貰った場合には、その近くで作業する。受信効率が良いので。ただ、記憶を盗み出す作業は、彼女とは別の人物の役割だ。

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