第2話 ドローンタクシー

 山崎健太は急いでいた。今夜はクライアントの接待だ。

 集合時間が間近に迫っており、既に部長と課長は小料理屋に向かっているはずだ。

 健太は、栃木県のユーザー訪問を終えて東京駅に戻って来たところだ。

 クレーム対応であったため、ユーザーが健太を中々解放してくれず、ギリギリの東京戻りとなってしまった。

 健太は、宇都宮線を京浜東北線に乗り換え、ようやく東京駅のホームに到着した。

 急いで丸の内側の改札口に駆け出す。

 小料理屋は、皇居を挟んで東京駅とは反対側にある。都営大江戸線の牛込神楽坂駅の近辺だ。

 生憎、東京駅を通る地下鉄に乗ってもダイレクトには行けず、時間が掛かってしまう。集合時間に遅刻するのは確実だ。

 太陽もどっぷりと沈み、丸の内のオフィス群からは、業務を切り上げ、接待場所に急行するサラリーマン達がハチの巣をつついたような有り様で湧き出ていた。

 タクシーを捕まえるのは難しい時間帯だったし、捕まえたとしても、道路渋滞で集合時間に間に合うかは微妙だった。

 健太はドローン乗り場の行列に並ぶことにした。

 タクシーよりは微妙に割高であるが、その分、行列は少し短かった。

 4つのプロペラを回すハチドリのようなドローンは、その中央部にプラスチック製の1人用座席を備えている。スキー場のリフトと同じだ。

 ドローンの性能も向上し、体重100㎏までならば乗車が可能だ。

 自分の順番が回って来たので、健太は目の前に降りてきたドローンの座席に座った。

 シートベルトを締める。

 スマホの画面に呼び出した小料理屋の住所を、ドローンの識別装置にかざして行き先を入力する。

 識別装置のスロットにクレジットカードを挿入する。

 すると、ドローンはフワリと浮上し、高さ5m程度まで上昇した。

 ドローンは時速40㎞の速さで自動車道の左脇を滑空し始めた。

 ドローンがタクシーの代替手段として普及して以来、落下事故が発生したことは無かったが、地震と同じで絶対に起きないとは言い切れない。

 だから、滑空高さは5m程度。仮にドローンが落下しても、死ぬことは無い高さに設定されていた。

 街路樹が車道に枝を伸ばしている場合には、滑空高さを上げて街路樹をまたぐ。

 逆に、5mより下を滑空すると、歩行者を驚かすので、低空飛行は衝突回避の緊急避難行動に限られる。

 また、自動車の走行レーンの真上を滑空すると、ドローン落下の被害よりも、走行車にかれる交通事故となりかねないので、自転車と同じく左脇を滑空する。

 駐車違反の車両の屋根に落ちても、責任は違反駐車した側に発生する。

 ドローンは、赤レンガ造りの東京駅から皇居の和田倉門を目指す。

 そして、皇居をグルリと取り囲む堀の水面上を時計回りに滑空した。黒い水面は丸の内のビル群の照明を反射してキラキラと輝いている。

 今日は風の凪いだ日で助かった。それでも時速40㎞で滑空するので、強い向かい風が顔を当り、ボタンを留めた上着の襟の隙間から健太の身体を冷やしていく。

 もし昼間だったら、この堀の水面上の滑空は凄く爽快である。右手に皇居の松並木を眺め、左手にはビル群を眺める。

 ちなみに、ドローンの普及で、遊園地のジェットコースターは廃業となった。

 時間当りの料金は似たようなものである。であれば、ドローンの方が断然面白い。今では、海上を滑空しながら、お台場なんかを周回する観光も盛んだ。

 健太は、スマホを取り出し、課長に連絡を入れた。

「課長。山崎です。今、ドローンでそちらに向かっています。

 現在、国立劇場を通過しましたから、あと5分、10分で到着します」

 健太はスマホを仕舞うと、両手を交差させて自分の身体を抱き締めた。向かい風が冷たい。

 東京駅の乗り場で風防付きのドローンを待つ余裕は無かったのだ。

 千鳥が淵を目前にしてドローンは水面を外れ、道路上に滑空軌道を変更した。交差点が多くなる。

 ドローンの長所は、信号待ちが無い事である。

 横方向から来たドローンと鉢合う時は、右手側から交差点に突入するドローンが優先だ。左側から突入するドローンは上空に退避する。

 全てのドローンはVICSを介して自分の飛行位置を常時発信している。

 この仕組みが機能しないと空中で衝突事故が発生しかねない。だから、警察庁に事業登録しないとドローンの営業はできない。

 送迎ノウハウの有る大手タクシー会社がドローン事業を展開しており、今やタクシー会社は、本業では国土交通省、ドローン事業では警察庁を監督官庁としている。

 ドローン事業の免許を取得した個人タクシーは無い。

 九段南の交差点で、靖国神社方面から来たドローンと遭遇する。

 健太のドローンは更に3mほど上昇した。交差点に面した雑居ビル3階にある喫茶店窓際で会話に興じていた若い女の子と、一瞬だけ視線が合う。

 健太のすぐ足の下を、黄色の総武線車両の屋根が通り過ぎる。

 時速40㎞と時速80㎞の交差である。安全とは分かっていても、足を削り取られるのでは? とヒヤリとする。

 外堀を跨ぎ、市ヶ谷に入る。目指す目的地までは数分だ。

 なだらかな上り坂を登り、昔ながらのアパートと個人商店が混在する区域に入る。

 そして、目指す小料理屋の近くでドローンは滑空を止め、地上に舞い降りた。

 健太は、クレジットカードを識別装置のスロットから抜いた。シートベルトを外すと、小料理屋の前で待つ部長と課長に駆け寄った。

「馬鹿野郎!なんて頭をしているんだ! 今日のクライアントは、禿げが悩みで、カツラを被っている方なんだぞ。

 コンビニでムースを買って、髪を撫で着けて来い!」

 課長が健太を怒鳴りつける。

 強い向かい風で健太の髪は逆立っており、インディアンの酋長のような髪型だった。健太は、急いでコンビニを探し回った。

 結局、東京駅からタクシーで来た方が早かったようである。

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