未来の暮らし~ショート・ショート~

時織拓未

第1話 バーチャルデート

 賢治は東京で、由梨は福岡で、2人はバーチャルカプセルに入った。

 水着を着用して、半径1m程度の縦型カプセルに張った電解液に浸かる。電解液は体温と同じに設定され、比重も身体と同じ。カプセルの底に足は届かないが、無重力空間に浮いたようになる。

 首だけを出して電解液に浸かると、係員が首回りの部分だけ穴を開けた半円の透明アクリル板でカプセルの両端から蓋を締め、水面を覆った。

 係員が2人の頭にヘルメットを被せる。

 周囲には、頭だけを水面に付き出した通信希望者が、縦にも横にも並んでいた。

 ヘルメット内部に通信開始のアナウンスが流れると、由梨が装着したゴーグルにはホテルの展望レストランの光景が広がった。

 正面には賢治。2人は窓際のテーブルに向かい合って立っている。賢治はスーツを着用し、由梨は濃紺のイブニングドレスで着飾っている。

 由梨は椅子を引き、腰を降ろした。着座するスピードは、電解液の中で姿勢を変える速度に律則されるので、ゆっくりだ。自分がバーチャルな世界にいることを自覚する。

 賢治と由梨は、総務省が運営する婚活サイトで知り合った。

 これまでサイトを通じて自己紹介し、文通のような事をしてきた。遠距離の2人が、バーチャルとはいえ、直に会うのは今日が初めてだった。

「今日のために、こんな素敵なレストランで食事をしてきてくれたのね。ありがとう」

 由梨は賢治に礼を言った。

 バーチャルカプセルは、自分の記憶を相手のゴーグルに投影することができる。勿論、既成の光景データを投影することもできる。

 でも、賢治は自分の体験を由梨のゴーグルに投影した。初デートでの話題作りだ。

 テーブルの上には、フルコースの料理が既に並んでいる。

 実際に給仕された順番でウェイターに料理を運ばせることも可能だが、それには並はずれた記憶力と思考力を必要とした。

 一方、賢治のゴーグルには、水炊き鍋を前にした居酒屋の光景が広がっていた。2人ともカジュアルな服装をしている。由梨の記憶だ。

 由梨は、カジュアルな服装をした賢治を見たことは無いが、服装をイメージするだけで相手に着用させることができる。自分のゴーグルに映った服装は、相手によるイメージ映像なのだ。

 賢治の場合は、レストランに来ていた別の女性客のものだと思う。

「初めて会うことができたね。なんか慣れないけど、乾杯しようか」

 由梨のゴーグルの中で賢治がワイングラスを掲げる。

 賢治のゴーグルの中では、2人は焼酎の水割りグラスでの乾杯だ。

 由梨がステーキをナイフで刻み、口に運ぶ。

「この肉、柔らかくて、とても美味しいわ」

 由梨は賢治に言った。

「気に入ってくれて、とても嬉しいよ」

 賢治は言うと、テーブル中央に置かれたキャンドルライトの中にナイフを突きだした。賢治は、自分のゴーグルの中で、鍋で茹でている鶏肉に箸を伸ばしたのだ。

 その様子を見て、由梨が笑った。

「君だって、ポン酢の入った小鉢を前にして、左手で胡椒を振り掛け、右手で箸を動かしているんだぜ」

 由梨の指摘に対して、賢治も指摘し返した。2人は別々の光景の中で食事をしているのだ。

「やっぱり最初は、既成の光景データを使うべきだったかしら?」

「でも、この方が面白いよ。少なくとも、君と初めて会ったけど、最初から緊張せずに済んだ」

 賢治の返事に、由梨も「そうね」と同意した。

 食事を続けるうちに、2人とも徐々に昨日の記憶と今見ている映像が混然となってきた。

 中央には鍋が置かれ、その手前にはコース料理が並んだ奇妙なテーブルに収斂しゅうれんしてきた。

 左手の光景は夜景を映したガラス窓で、反対側ではカウンターの向こうで板前が調理をしている居酒屋になった。

 不思議の国に迷い込んだようだ。

「由梨さんは、料理が得意なんだってね。昨日は、どんな料理を作ったの?」

 賢治のゴーグルの中で、和洋折衷の奇妙なレストラン風景が消え去り、由梨の独り暮らしらしいアパートのキッチン風景に変わった。

 テーブルには2品のおかずと御飯、味噌汁が並んでいる。テーブルの向こうには、由梨の肩越しに6畳間ほどの部屋が見える。

「これが、一昨日、食べた料理。賢治さんにも見えた?」

「うん」

 賢治は、新たに浮かび上がった1品に、それまで鍋料理をつついていた箸を突き刺し、口にした。

 由梨のゴーグルでは、賢治がナイフをつかみステーキを串刺しにした。「すごく美味しいよ」と賢治が感想を口にする。

 由梨は賢治に質問した。

「賢治さんは、今までで一番おいしいと思ったものは何なの?」

 テーブルの上に有ったコース料理と鍋は消え去り、その替わりに焦げた窯が現れた。

 窯の底には、お焦げの付いた米飯が薄く残り、サバの煮付けとシーチキンの缶詰をぶちまけたようなリゾットが覗いている。トッピングには、マヨネーズがトグロを巻いている。

 由梨は恐る恐るスプーンで1口掬すくってみた。ベースの味噌味が濃いが、油っぽいような、そうでないような不思議な味がする。

「これって、幼い時の記憶? 今はガス窯で御飯を炊く家庭は無いと思うけど・・・・・・」

 いきなり、由梨のゴーグルの光景は真っ白になった。

 由梨と賢治は、中空に腰掛けている。2人の身体は首から下が透明となり、背後の白い虚無を透過している。

 由梨は、クスリと笑うと、

「賢治さんって、分かり易い性格なのね」

 と言った。

「こんな私でも、しばらく付き合ってくださいな。

 一度、福岡まで来てくれれば、賢治さんの味覚を矯正してあげます」

 由梨のゴーグルには、自分が念じたのとは微妙に違う彼女自身のアパートの部屋が映し出された。

 賢治はスーツを着用し、由梨は濃紺のイブニングドレスで着飾っている。

 テーブルの上には、不気味で焦げた窯が載っている。

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