第2話
夕食後、大学生の兄の部屋へ行く。彼はテレビを見ながら、ポテトチップスを齧っている。
「なんだよ」
「ちょっと相談聞いてくれ」
「恋愛相談以外は受け付けないぜ」言いながら、兄は姿勢を正した。「ようやく彼女の一人でも作る気になったか」
「まあ」適当なところに腰を落ち着け、「当たらずとも遠からずというか」
「おうおう、まあ、聞いてやるよ」テレビの電源を落とす。「何?」
そして今、好きな女の子がクラスの女子から無視されていると言う現状を伝える。兄は難しい顔をし、腕を組んでそれを聞き終えると、
「まあ俺のときもそう言うのはあったなあ。いつの時代にもあるもんだよ」
「とは言えさ」
「まあ言いたい事はわかるよ。でもなあ。それ、結局その子の自業自得でもあるわけだろ? 悪口を言ったから返される。仕方ないんじゃないの」
「でも」
「下手に手を出さないほうが良いと俺は思うけどね。それで余計にこじれたら目も当てられない」まあ、とひとつ前置きをすると、彼は指を立てた。「周りに同調して無視をするのだとしても、それはおかしいと異を唱えるのだとしても、結局考えることはひとつ、シンプルなものだよ」
「何?」
「それをしたとき、お前自身がそれを許せるのかどうか。今のところ、断言は出来ないが、そういう救済のサインを受け取っているのはお前だけなんだろ? 状況と、お前の気持ちとで、どうするのが正解なのか。それに則って行動を起こしたとき、お前がそれをどう思うのか。それが大事なんだよ」照れくさそうに視線を外して、「ま、これも受け売りなんだけどな」
「受け売りかよ」
「俺の高校のときの現代文の先生が言ってたんだよ。別にそのときはいじめの話じゃなくて、進路相談だったけど」
その後もその高校教師の話を続ける兄を他所に、余りにも当たり前に兄の口から「いじめ」という単語が発せられて、そうかこれはいじめなのか、と驚いていた。今までその言葉が念頭に上がらなかったことが不思議に感じられるほどそれはしっくりと来る。「懲らしめる」「嫌になったわけではない」という言葉で隠れていたが、これは「いじめ」なのだと、腑に落ちる。坂井美雪が先導し、新年度の折、兼本奈緒子をよく知らないほかのクラスメイトたちは「友人の悪口を言う人なのか」と洗脳され、彼女を無視する。構図だけ見れば、間違うこともない。これはいじめだ。
話を続ける兄に礼を言い、部屋を辞する。
いじめならば、止めなければならない。
翌日僕は朝のホームルームの前、なるべく人の集まっている時間を狙って、席を立った。兼本奈緒子の席に近づき、そこに座る彼女に視線を合わせるようにしゃがみ、
「おはよう」
声を掛けた。
坂井美雪を始めとする女子生徒の顔がこちらに向くのがわかる。男子生徒のほとんどに、余り気にしてる風はない。
兼本奈緒子はこちらを見た。目に、色はない。
「おはよう」
もう一度繰り返し、返事を待たずに自分の席に戻る。心臓がはちきれそうなくらい高鳴っているのがわかる。苦しい。ただでさえ、ろくに話したことのない、好きな女の子。それに挨拶をするだけでも照れてしまうのに、今は全く別のベクトルにおいて敵が多かった。
田中信二はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべると、口元を手で隠しながら、
「どうしたお前」
声を掛けてくるので、肩を叩く。
「うるせえ」
「照れるなよ」
そうしてじゃれていると、
「大羽くん」
声が落ちてくる。
坂井美雪だった。
「何?」
彼女を見上げる。特別に化粧がきついわけでも、ピアスの数が多いわけでも、制服を着崩しているわけでもない。言ってしまえば普通の女の子だった。こうした子が積極性を持って「いじめ」を促しているのだと思うと吐き気がする。
「後でちょっと話があるんだけど」言ったタイミングで、担任が教室に入ってくる。「休み時間、ちょっといいかな」
「わかった」
そうして坂井美雪は席へ戻る。
ホームルームが始まる前、
「なんだお前、知らないところでモテモテかよ」田中信二はぶつくさと呟きながら、「俺バンドやってるんだけどモテねえよ」
前を向いた。
休み時間、坂井美雪からの視線を受け、席を立つ。二人で廊下を歩きながら、どこへ行くでもなく、校舎内を巡る。
「悪いんだけどさ」
「何?」
「奈緒子には話しかけないでおいてくれないかな?」
「何で?」
「うーん、説明するのは難しいんだけど」
「無視してるんでしょ?」言うと、彼女はこちらを見た。「みんなで」
曖昧に微笑んで、しかし歩みは止めない。
「わかってるなら、やめてほしいなー」
「別に、僕には関係ないことだから。クラスメイトに挨拶して、何か問題があったわけ?」
「物分り悪いなあ、大羽くん」後ろで組んでいた手を解いて、顔に掛かる前髪を撫で付ける。「奈緒子のためにやっているんだよ?」
「兼本のため? いやいや」呆れて言葉も出ない。「坂井の意思でしょ?」
「それはそうだけど」彼女の表情にそれほどの変化はない。「世の中さ、正義だけじゃ回らないんだよ。そういうところに来てるの」
「正義の話はしてないけど」
「自分の悪口を言われて、大羽くんならどう思うの?」
「別に」
「私はショックだったよ。あんな、誰が見るかわからないところで。だからこれは奈緒子のためなんだよ。もうそういうのやめてよねって、ちょっとわかってもらうために、私は悪になっているんだよ。もう少し、もう少しすれば反省してくれるはずって、胸を痛めてる」
「白々しい」反吐が出そうだった。「正当化しているだけじゃないか」
「みんなそうだよ」坂井美雪は余裕そうだった。「みんな自分のことだけは守ってる。だってそうしないと、守ってくれる人なんてほかに居ないもん。どんな支離滅裂なことであろうと、自分を守るために言葉を吐くんだよ。ほかの用途はない。奈緒子だってそうだった。でも大羽くんは私を責めたいんだと思う。その気持ちはわかるし、まあ、周りから見れば仕方ないことだと思うよ。でも、奈緒子が悪口を言わなきゃ、こんなことしなかった。それはわかってね。私だけが悪いんじゃないの。これ、忠告だから」
言い終わると、彼女はスカートを翻し、僕の前から去った。
一人教室に戻ると、坂井美雪はすでに自分のグループの中で、先ほどの会話などまるで何一つなかったかのように笑みを浮かべている。兼本奈緒子は自分の机で、一人。
田中信二に、猪瀬勇太郎も混ざって、
「なんだったんだよオイこの色男」
茶化してきたが、ほとんどが頭に入らなかった。
「なんでもないよ」
それだけを言い置く。
これをきっかけに、兼本奈緒子の中で特別になりたいわけじゃない。かと言って、全てのいじめは悪である、などと大義名分を掲げてそれを撲滅しようと働いているわけでもない。ただ、好きな子を救うことも出来ないのに、今後一体何が出来るのだと考えているところはある。僕は、多分、このまま兼本奈緒子がいじめられている様をただ黙って見ていることは、許せないだろうと、そう考えたのに過ぎない。
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