6.
「昨夜はお楽しみだったようだね」
部屋を出てすぐ、背後から声をかけられた。
振り向くと長身の男の人が、わざとらしく髪を掻きあげた。
「なんだ、如月さんか」
「その名で呼ぶな、私のことは『お隣さん』と呼ぶように! ……しかし、昨夜はなかなかのものだったね」
「?」
「全身拘束で放置。恐ろしく高度なプレイだ」
「!」
昨夜のあの簀巻き状態を見られていたとは……!
「それと心なしか、幼い女の子の声が聞こえてくるのだが……?」
「き、気のせいですよ、ほら春ですし!」
なぜ春なのか自分でもよく分からない。
「む! そうだな」
納得する如月氏。
悪い人じゃないんだが、頭は悪いと思う。
如月氏は売れない作家さんだ。
ペンネームに『如月求』を使うライトノベル作家。
ひょろりと背が高く、日本以外のどこかでならイケメンで通用する可能性が無きにしも非ずといった顔をしている。年齢は三十五歳だと聞いたような気がするが、二十五歳でも四十五歳でも通じる不思議な容貌のひとだ。そんな如月氏を一言で形容するなら「変質者」だ。
「今、なにか失礼なことを考えなかったかね?」
「な、なにを急に!」
「いや、なんとなくそう感じただけだよ。しかし、珍しいね、キミがこんな時間から外出とは」
「昨日、バイトの面接でボロクソに貶されて、買い物する気力もなくなって帰ってきたもんだから食べるものがなにもなくて」
「わははははは、ついに外に出る気になったか、いいことだ」
如月氏はぼくの引き篭もった理由こそ知らないが、引き篭もっている事実は把握している。如月氏とは大家さんを通じて面識を得た。築四十年を数えるこの手のアパートのご多分にもれず、アパートには大家さんが一緒に住んでいる。そして、これまたご多分にもれず大家さんは話好きで、住人の個人情報が筒抜けなのだ。
だから如月氏の職業やら年齢をぼくは知っているわけだ。
ぼくが引き篭もりつつも現実に留まっていられたのは、この人とアパートの大家さんのおかげだ。引き篭もっていようと何だろうと、ここに住んでいると嫌でもコミュニケーションを求められるのだ。
「如月さんはバイトですか?」
印税だけじゃ喰ってけないから、バイトバイトバイトバイトなんだよ! とは以前、如月氏がぼくに強弁したことだ。
「キミね、私の使命と職業を知らないわけじゃなかろう」
「使命? 職業? 深夜のコンビニと郵便の仕分けが?」
「クッ、貴様ッ……! し、静まれッ!」
如月氏は右手を左手で押さえつけ、なにかの衝動を抑制するフリをし始めた。
都合が悪くなったり、話を逸らしたいときにこの妙な癖が発動することをぼくは知っている。家賃を催促されて、大家さんの前でも平然とやっていたくらいだ。
「あー、思い出しました。如月さんはエンターテイメントの何たるかを世界に知らしめる使命とお仕事があるんでした」
「そ、そうだよ、まったく」
おおかた原稿に行き詰って夜通し町内を徘徊していたのだろう。以前、一晩中お巡りさんにつけられて難儀したと言っていたのを思い出した。
「高尚なお仕事が待ってますよ、頑張ってください」
「そう! 高尚な仕事だ! 今日も仕事に励むぞ! 具体的に言うと、ぶひぶひ言いながらティッシュを消費する簡単なお仕事!」
「………………………………」
インターネットの世界以外で「ぶひぶひ」を実装した人を初めて見た。
ぶひぶひと発声する人も。
「じょ、冗談だよ! 分かるだろ?」
「……ええ」
というより、実話だったらぼくはこの場から全力で逃げ出す。
「本当はポケットティッシュを広げて延ばして畳んで交互に重ねて、箱に戻すお仕事なんだよ!」
「ボックスティッシュくらい買いましょうよ」
「いや、ここまで来るとどこまで買わないで過ごせるかという目標がだね」
生活に困窮してるのをそういうふうに言い換える如月氏。
「ああ、そうだ」
何か思い出したらしく真顔になる。
「買い物の後でいいから私の部屋に来てくれないか。頼みたいことがあるんだ」
「頼み? なんですか?」
「そのとき話すよ」
如月氏は口の端を悪役っぽく吊り上げて笑った。
コメディアンの下手な演技くらいには様になっていた。
「よく分かんないけど、分かりました。あとで伺いますよ、じゃっ!」
ぼくは足早にその場を離れた。
幼女たちの朝食を仕入れてくるという使命を思い出したのだった。
ぼくの帰りが遅くて、神々は怒っていた。速やかにレトルトパックのごはんと食パン、味海苔とジャムを捧げた。
幼女たちはすぐ食べるのに夢中になった。
子供ってチョロいなぁ……。
ちなみにちゅるるちゃんとにゅるるちゃんが白米派、みゅるるちゃんはトースト派だった。
ぼくもトーストを齧った。
そう言えば、ちゅるるちゃんもにゅるるちゃんもおねしょはしなかったのね。偉い偉い、と内心で褒めた。実際に褒めたら股間にパンチが炸裂するに決まっている。
騒がしい食事が終わるともっと騒がしくなった。
我が家には洗面所がなく、水道はシャワーを除けば台所だけだ。なので、顔を洗うにも歯を磨くにも渋滞してしまう。
要領がいいというか、先を見越していたみゅるるちゃんは食事を早めに終えて水道を優先的に使用する。要領が悪いというか、段取りが悪いちゅるるちゃんとにゅるるちゃんは同時に譲り合い、同時に使おうとして渋滞を助長する。
洗顔と歯磨きをさっさと済ませたみゅるるちゃんはそんな二人を横目に、小さな指の小さな小さな爪にマニキュアを塗っている。
ふー、と吹いて爪を乾かすさまはしっかり立派に女性の仕草だった。
こんなに小さくても女の子は「女」なんだなー、なんてことをぼくは食後のコーヒーをのんびり飲みながら思った。誰に習うでもないのに女の子は女になるのだ。
「みゅるるちゃんは貧乏神なんでしょ? なんでそんなに裕福そうなの?」
イメージとしては貧乏神自身が貧しい格好をしていたはずだ。
みゅるるちゃんは肩書きこそ『貧乏神』だが、装いは上流階級のお嬢様だ。身につけている服や靴や小物はすべて高級品で、貧乏とは無縁としか思えない。
ジャケットは何とかというブランド、シャツやスカートは何とかという別のブランド、靴は何とかというこれまた別のブランド。庶民であるぼくには超高級ブランドであること以外まったく分からない。
みゅるるちゃんは勝者の笑みを浮かべる。
「みゅーが貧乏するんじゃないの。みゅーに魅入られちゃった男の人が貧乏になるの。分かります?」
……被害者は男限定なのね。
「貢がせてー、貢がせてー、また貢がせる。で、破産してもらうの」
貧乏神すげぇ。
鬼だ。
貧乏神というより鬼。
いや、銀座の辣腕ホステスだ。
発想の根本にあるものが既にしてから神様じゃないし。
「慎太おにーさんが余命換金したらそれをぜ~んぶ、みゅーのために使わせてあ・げ・る」
ものすごいことを、ものすごく甘い声で言ってのける幼女。
なにが腹立たしいかって、ものすごくかわいいのだ。
この子に全財産使ってしまった男の気持ちは分からなくもない。
「……そうだ、疑問に思ってたんだけど、みゅるるちゃんたちって三人姉妹なの?」
「はぁッ!?」
みゅるるちゃんの繊細で美しい眉がきゅぅっと逆立つ。
「だれとだれとだれのこと言ってるんですか?」
「えー、えーと……その……あの……ですねぇ~……」
「もしかして、みゅーがちゅるると姉妹だなんて勘違いしました?」
その通りであったが、肯定したら破産どころの騒ぎでないことは直感できた。
でもさ、ちゅるるだみゅるるだにゅるるだと似たような名前だから誰だって勘違いすると思うんだ、お兄さんは。
「なんで、みゅーにちゅるるみたいな手の掛かる妹がいると思えるのかしら」
ため息混じりに呆れられた。
……あれ? ぼくはどっちが姉でどっちが妹に見えるなんて一言も言ってないんだけどなぁ。ひょっとしてみゅるるちゃん、ひそかにお姉さんのつもりでいるのかな?
なんだかんだ言ってるけど、この子ほんとはちゅるるちゃんのことが好きなんじゃ……はっ!? これが噂に名高いツンデレか! 生で見たのは初めてだ。ぼくの視線にみゅるるちゃんが怯む。
「な、なんですか?」
「なん、でも、ない、です」
萌え上がるぼくを、みゅるるちゃんは心底気持ち悪そうに見る。その視線がぼくを現実に引き戻した。そして思い出す。如月氏との約束。
びしゃびしゃに濡れた台所で手早く歯を磨き顔を洗う。
ぼくは幼女たちに大人しくしているよう言い含め、如月氏の部屋に向かった。
「学校に行ってないのが親バレしたんですよ」
「仕送り停止処分かね?」
「御明察、それでアルバイトせざるを得なくなったんです」
親切な学校が親にこの一年の出席状況と成績を郵送したのだ。おかげで電話越しなのに涙ぐむくらい怒られた。
「ふむ……バイトはバイトとして、学校は?」
「それは……まぁおいおい……」
ぼくは語尾を濁してあやふやに応える。
それこそ自分でもどうしていいのか分からないのだから。
できれば行きたくない。
できれば行きたい。
どっちも本心だ。
復帰できるものならしたい。
あの恥ずべき一件より前の状態で。
やり直したい。
やり直したとしても今と大差がないのも分かりきっている。
だとしたら、やり直す意味もない。
だけどアルバイトはせざるを得ない。
実家に帰るのだけは嫌だ。
両親からあれやこれや言われるのは確実だ。
父と母から見れば、ぼくはただの怠け者なのだから。
ここに居るかぎり、両親に干渉されずに済む。
如月氏が缶コーヒーをぼくの前に置いたので我に返った。
ちゃぶ台もないので畳の上に直に置かれた缶コーヒーと如月氏を見比べる。
詮索しすぎたと反省したのか、気を使ってくれているのかは分からないが、如月氏はぼくの視線を無視して自分の部屋を見回している。つられたフリをしてぼくも見回す。
如月氏の部屋はぼくの部屋とまったく同じ間取りで、雰囲気もほぼ同じだった。作業用の机と椅子、机上にはノートパソコン。本棚から溢れ出る大量の書籍と雑誌。ただ、書籍にはやたらと同じ本があった。著者名を見るとすべて『如月求』だった。これが著者に送られる見本誌というやつなのだろう。配る友人もいないのだな、とぼくは如月氏に親近感を持つ。
「今、なにか失礼なことを考えなかったかね?」
「な、なにを急に!」
「いや、なんとなくそう感じただけだよ。まぁいい、遠慮せず飲んでくれたまえ」
如月氏は自分のをぐびぐびと飲んだ。
「……いただきます」
コーヒーはさっき飲んだばかりだし、これを飲んだら何を頼まれても断れないような気がして飲みたくなかったのだが、飲まないと飲まないで話が進まなそうだった。ぼくは気合いを入れてから缶コーヒーに口をつけた。
「しかし、去年の春、あんなに一生懸命挨拶していた少年がこんなに落ちぶれるとはね……」
「!」
リア充は挨拶から、と考えたぼくは入居したばかりの頃、ご近所の方々にも積極的に挨拶をしていたのだ。もう忘れたい過去なのに……!
「あれはそう、キミが……」
「あーッ!」
ぼくは抗議の意味を込めて畳をばんばん叩いた。その拍子に机の上のパソコンが揺れた。スクリーンセーバーが止まり、アクティブなウィンドウが露になった。
幼女のjpg、それもけっこう際どいヤツが大写しになった。
ぼくの視線を追い、如月氏は素っ頓狂な声を上げる。
「ち、違うっ!」
今度は如月氏が慌てだす。ノートパソコンのディスプレイの前に体を割り込ませ、ぼくの視線からその二次元創作物を庇う。
「こっ、これは仕事の……!」
「はいはい、分かってますよ~」
ぼくはニヤニヤと笑って応じた。これで痛み分けに持ち込めたわけだが、こちらが有利であるような態度を敢えて取る。交渉術の基本だ。
「それにしてもホント、如月さんは小さな子が好きですよね~」
「くっ! 違うと言っているではないか! これは仕事用の資料だ!」
「ええ、ええ。資料ですよね」
ぼくは余裕ぶって缶コーヒーを飲んだ。如月氏は甘い缶コーヒーを苦々しく啜った。
「…………………………」
「…………………………………………」
会話が途切れてしまった。
良く考えるまでもなく、交渉テクニックでこちらが優位だと思わせてしまったのだからぼくが会話を主導しなくてはならない。
友達も作れないぼくにそんな芸当ができるわけない。
途端に落ち着かなくなった。その気まずさを誤魔化すため、缶コーヒーを呷る。気管に入り噎せた。
「?」
「……あー、うん。えーと、まぁ、この件はお互い水に流しませんか?」
「???」
「き、如月さん! 如月さんにとって幼女って何ですか!」
ヤケクソで質問した。
反応は顕著だった。
さっきまでの慌てようが嘘のように、如月氏は哲学者然とした表情になり、静かに黙考しだした。
「あ、あの……?」
「――幼女とは」
「……………………?」
「神だ」
なんという慧眼! なんという悟り! このひとは誰に教えられるでもなく、世界の真理に到達してる! 昨日から幼女の神様たちに居候されているぼくは驚愕した。
「神が幼女であり、幼女が神なのだッッッッッッッッッ!!!!!」
勘違いだった。
「そして私は幼女教の敬虔なる下僕にして司祭だ!」
「よ、幼女教……?」
「そう! 幼女を崇め、奉り、幼女の前にひれ伏す、この世でもっとも崇高で潔癖で純真な教えだっ!!!!!」
如月氏は病気ではない。
病気は治ることもある。
病気は本人の責任ではない。
病気とはそれ単独では存在し得ない。
だから言える。このラノベ作家は病気を超越したものに罹患している。
血走った目と途轍もない気合いでぼくに迫ってくる如月氏。
怖い。本気で怖い。
「いいか! 幼女とは正義だ。幼女とは世の理だ。幼女とは希望だ。幼女とは全てだ。幼女とは幼女とは幼女とは幼女とは幼女は幼女は幼女幼女幼女幼女ようじョョョョョョョョョョョォォォォォォォッ!!!!!!」
如月氏が発狂した。
だが輝いていた。
幼女を賛美するこの、男の中の男は輝いていた。
こんなことで輝くのもどうかと思うが。
ぼくが言うのもなんだが、このひとはクズだと思う。
それも、清々しいほどのクズっぷりだ。
このひとに比べれば、ぼくなんて常識人どころか良識人に分類されていい。
ああ、ぼくはまともだ!
だってこんなふうに叫んだりしないもの!
そう認識させてくれるだけでもこのひとには存在価値がある。
いや、無いな。
「うぉっほんっ」
正気に戻った如月氏が大げさな咳払いをした。
残念。もう帰ってこなくても良かったのに。
「あー失敬。ちょっと熱弁をふるってしまった。いや、キミも私くらい筋金が入ればこれくらい、すぐに語れるようになるさ」
語尾にはなぜか親しみが込められていた。
いやいやいやいや、ご冗談を。ぼくに筋金なんて入りませんよ?
……えーと、何の話してたんだっけ? 本気で忘れてしまった。
「で、これだ!」
言うなり、如月氏はぼくにA4の紙束を押し付けてきた。
「な、なんですか、これ」
「キミはどれくらい本を読む?」
ぼくの質問はガン無視された。
「え? えー、月に二冊か三冊くらい……」
「ラノベは?」
「年に二冊か三冊くらい……」
「まあ、それくらいが丁度いい」
「?」
「新作だ」
「……新、作?」
ぼくは押し付けられた紙束を見た。
「それも前衛的、進歩的、急進的、革命的な試みに挑んだ問題作だ!」
問題作なんて自分で言ってしまって哀しくないのだろうか?
「えーと、その問題作がどうしてぼくの手に?」
「ここまで言って分からんとは、キミの頭の悪さも特筆モノだな」
サラッと失礼なことを言う。
友達がいないとか、コミュニケーションスキルが低いだけのことはある。反面教師にしようとぼくはこの出来事を胸に刻んだ。だから如月氏の毒にも耐えられた。
「どうした、うんこでも我慢してるのか? みょうちくりんな顔して」
「みょうちくりんは元々です。つーか如月さんもみょうちくりんじゃ人後に落ちないぞ」
「う~ん、なんという失礼かつ無礼かつ非礼な発言。友達がいないとこや、コミュニケーションスキルが低いとこが如実に現れてますな」
なんだろう、このもやもやした感じは。
「……で、この問題作がなんですって?」
「そうだ! 問題作だ! 読んでくれたまえ」
「……なぜ?」
「一般人の一般的で、つまらない感性にこの問題作がどう作用するか知りたいんだ」
「……………………」
勝ち誇った笑みを浮かべる変質者。ぼくの抗議の視線に気付きもしない。
「一般大衆とは愚かなものだ。真に優れたものではなく、下らない流行にすぐ乗っかる。つまり逆説的ではあるが、周囲に流されやすい人間こそ大衆なのだ。周囲に流されやすい人間とは即ち、若くて自意識過剰で暇を持て余しているヤツだ! もう分かるね? そう、まさにキミのことだ!」
もはや反論するのもアホらしいので黙って拝聴する。
「さあ、読んで、大いに語ってくれ、この『あとがき小説』を!」
あとがき小説? なんだそれ、と思いながらもぼくは紙面に目を落とした。形だけでも取り繕っておけば、そのうち互いに忘れて無かったことにできるだろうと思ったのだ。
パラパラとめくり、適当なページで手を止めた。
文章がちょろっと脳内に侵入してきた。
なんだこれ?
頭が悪い人間の作文か?
ぼくは恐る恐る顔を上げた。
如月氏が恐る恐るぼくを見ていた。
そんなに自信ねーのかよ!
そんなにぼくの感想が気になるのかよ!
さっきの不遜な態度はどこいったんだよ。
「ど、どうかな」
「え、えーと、まだ数ページしか読んでないから感想を聞かれても……」
なんとかゴマかす。
率直に答えたら、このひと死ぬかもしれん。
どれくらい頭悪い文章か、ちょっと引用してみる。
ぼくが書いた文章じゃないってことだけは強調しておきたい。
■引用開始――
「あとがき作家」の称号をあとがき作家から奪取する!
それが本書の目的であり、使命である。
致命傷の可能性もある。
奪取と言っても正々堂々戦うとえらいことになる。
主に私が。
宣戦布告せず、こっそりと称号を奪い、あとから奪取したと言いふらせば良いのである。
しかし言いふらしたら、王者に気づかれ、正面から完膚なきまでに屠られてしまうので、やはり黙っておくに限る。
さて、わたくしが目出度く「あとがき作家」になったあかつきには……って、立候補者かよ。
まあいい、演説を続けさせていただく。えー、わたくしが目出度く「あとがき作家」になったあかつきには、編集部をねじ伏せ、数々の作家を悩ましめるあとがきの廃止を断行する。
いきなり称号がなくなっちゃうじゃん。
それも已む無し!
なぜなら私は泡沫候補。
じゃあ落選してるからあとがき廃止できないね。
あれ? 廃止できないなら私は「あとがき作家」でいられるじゃないか。
ということはあとがきの廃止を断行できる!
断行したらやっぱり――
なんというパラドクス!
これはとてつもなく哲学的な命題である。
一瞬でも「あれ?」と思った方はキャッシュカードと暗証番号を私に預けたほうが身のためである。
さて、紙数にも余裕があるので、と言うより余裕しかないので、ここで哲学について論じたい。五百ページを超えそうな予感がする!
Q.哲学とはなんぞや?
A.哲学である!
論じ終わっちゃったよ。
■引用終了――
こんな感じの文章がだらだらと二百ページほど綴られているのだ。
作中に作者自身が登場して、これってただのメタフィクションなんじゃないのか?
エッセイ風メタフィクション。
前衛的でも、進歩的でも、革命的でもないような……。
筒井康隆を読んだことがないのだろうか……。
仮にも作家なら読んでるだろうしな……。
ぼくは本気で如月氏のことが分からなくなった。しかしこの場は一応、如月氏に合わせておこうと思った。
「これは……世紀の問題作、ですね……!」
「おお! 分かるかね!? これが分かるか!」
「……………………………………」
「小説とはただ妄想を書き連ねるものじゃない! それではただの作文だ! いいか! 小説っていうのはな! 迸るパッションを叩きつけるものなんだっ!」
熱い。無駄に熱い。
その熱さが読者に伝われば、如月氏の著作はベストセラーとなるだろう。しかし現実は……いや、ここでは何も言うまい。武士の情けである。
「でも問題作って、ネットで滅茶苦茶に叩かれませんか?」
「そんなもの、心神耗弱状態で書いたシロモノですと言い切ればいいんだ!」
自分の書いたものに責任とプライドを持ちましょうよ。
「……えーと、ですね。これ、問題作過ぎて、ここで読みきるのはキツイです」
「んー、確かに」
「自分の部屋で腰を据えて読みたいんで、持ち帰って感想は後日ってことでいいですか?」
我ながら完璧だ。この場さえ乗り切ってしまえば、あとはどうとでもなる。
感想を求められたら、のらりくらりと言い逃れればいい。バイトの面接で忙しいとか、世を呪うのに忙しいとか、いくらでも言い訳は作れる。
「分かった。じゃあ明日の朝一に感想を聞かせてくれたまえ」
「……履歴書書いたり面接の準備とか色々あるんで、今週中、くらいじゃダメですか?」
ここさえ凌げば。ここさえ凌げば、あとは知らぬ存ぜぬで押し通せるんだ……ッ!
「そうだね、こちらからのお願いだからそれくらいは当然かな」
勝った!
「でも、今日金曜だから今週中って明日までだね」
「!!」
「じゃ、明日よろしく」
如月氏はとても良い笑顔でそう言うと、部屋からぼくを追い出したのだった。
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