5.
此処ではない何処か――
今ではない何時か――
「なんでよりにもよって死神課なんですかッ!?」
「だってあの子、やる気だけはあるんだもん」
一番偉い神様は拗ねたような口調で反論した。しかし、おっさんだから可愛くない。
無意味に広い一番偉い神様の執務室に一瞬の静寂が訪れ――
「能力不足でやる気が空回りする死神がどんだけ危険か、あんた一番偉いくせに気付かなかったのかよッ!」
「そ、そないキツイ言いかたせんでもええやないか、アズズちゃん」
死神課課長アズズはやかんを乗せれば、頭の上で湯が沸きそうなほどの怒気を発している。その剣幕に一番偉い神様はなぜか大阪弁になってしまう。
「今月だけで六十五件ですよ! 六十五件!」
「……本人確認の間違い?」
「職務執行の邪魔だからって無関係の人間の魂を狩った件数です!」
「――――――――ッ!!」
さすがに言葉が出ない。
「救世課に頼み込んで元に戻してもらいましたけど、これ以上は尻拭いできないと嫌味たっぷりにレクネのヤツが……!!」
レクネは救世課課長であり、出世競争のライバルである。
「も、もろみさんが手当てしてくれてるとばかり……」
「あのひとは面白がってアホ(ちゅるる)を焚きつけてるんです!」
「……うーん、すごいありうる。って言うか、その映像が思い浮かぶわー」
だんッ! と凄まじい勢いで一番偉い神様のデスクを撃ちつけるアズズ。目が据わっている。アズズの怒りたるや一番偉い神様をして怯えさせるほどだ。
「でも、ね? アズズちゃんもあの子のこと嫌いじゃないでしょ? だからさ、そこをなんとか――」
確かにアズズも、ちゅるるの一生懸命さやまじめさは評価しているし、好意的に思ってもいる。しかしそれと職能は別次元の問題である。
「とにかく、あの子の世話はこれ以上ムリです……」
ちゅるるの個性を好ましく思っているだけに、アズズの口調も苦い。
死神課は他部署よりも切実な人手不足であり、スタッフも日々の仕事に忙殺されているのだ。アズズ個人としては何とかしてやりたいが、課長としては他の課員のサポートやアフターケアもしなければならず、苦渋の決断なのだ。
「……なんでウチの課なんです」
「だって、ほら、忙しすぎて人手が足りないから、猫の手も借りたいって言ってたじゃん」
「猫のほうがマシだ!」
ふたたびデスクを叩きつける。ビクンと身を縮こまらせる一番偉い神様。
「猫がなにか?」
第三者の声が割り込んできた。
誘うような、期待させるような甘やかな声だ。
一番偉い神様とアズズが同時に声の方を向いた。
ドアの手前にある優美な寝椅子に腰掛けた妖艶な美女が、見せつけるように長い足を組み換えた。ふとももの白さが扇情的で、一番偉い神様は鼻の下を伸ばす。アズズは眉を顰める。
「外にまで響いてるわよ、あなたたちの漫才」
「真面目なお話です」
「あの子の耳に入ったらどうするの」
「……いずれ本人にも告げなくてはいけないわけですから」
「告げるのは課長の仕事でしょうけど、情報漏洩は違うんじゃない?」
「そもそもあなたが仕事をしてくれないから――」
「あら? 責任転嫁なんて出世頭のアズズ課長らしくないわね~」
嫌味な口調というより、ガッカリしたという口調。
もろみは優雅な足取りで近づくと、デスクに腰掛けた。
そして一番偉い神様を上から覗き込む。さらには、その細くたおやかな指で、一番偉い神様の喉仏の上あたりを撫でる。撫でられている小汚いおっさんは恍惚の表情。
「ねぇ、時期尚早だからって凍結された事業計画があったじゃない?」
「うんうん、あったねぇ、あったねぇ」
一番偉い神様は褒めてもらいたい犬の尻尾くらい俊敏に頷く。
「死神課所属のまま、あの子にあれをやらせたら?」
「そうだねそうだね。そうしよう!」
アズズが慌てて止めようとしたが間に合わず、それは決定されたのだった。
アズズはため息をつきながら、一番偉い神様の執務室を出た。
もろみは死神課課長の肩をぽんと叩く。
「そんなに落ち込まない。少なくともちゅるるの職掌が変われば、今みたいな事態は減るでしょ?」
「今みたいな事態は減るでしょうけど、想定していなかった事態が増えることを懸念しているんですよ、私は」
「『私』ねぇ」
「……なん、ですか」
「一人称が『僕』だった子がこんな立派になっちゃうんだなぁ~、って」
「……………………………………」
隣を歩く女傑を睨む。恥ずかしさの裏返しだ。
アズズが神様養成学校を修了して一職員として最初に死神課に配属されたとき、仕事のやり方を手ほどきし、サポートしてくれたのがもろみだった。以来、この出世頭ももろみには頭が上がらない。
もろみが意味ありげな目でかわいい弟子を見つめ返した。弟子は光に満ちた庁舎の中庭へと目を逸らした。
人間世界なら南国風と呼ばれる庭園に、緑濃い様々な種類の樹木が植わり、極彩色の大型の鳥が太い枝で羽根を休めている。噴水とカスケードを流れる水が涼やかさを演出し、愛らしい小鳥がそこで水浴びして囀っている。
しかし実際には物音一つしない。動くものもない。
無音の空間。
異様の一言に尽きる。
そこは『止まっている世界』だ。
生い茂っている植物は種であったことも、芽であったことも、幼木であったこともない。鳥は卵であったことも、雛であったこともない。この庭園にいる動植物は先祖も子孫も因果もなく、当初から今の姿形でここに存在する。
最初の一番偉い神様が今あるように創った。
風景写真の中を神だけが動いている、といった風情だ。
見る者の感性によっては、始まったばかりの世界とも、終わった世界とも取れる。それが『止まっている世界』。神様の住まうところであった。
並んで歩く二人の足音だけが響く。
「……もろみさんはちゅるるが使い物になるとお考えですか?」
「なんて言うのかな……うん、あの子、誰かに似てるのよ」
「誰、です?」
「一生懸命で不器用で――あなたもそんな時期があったわよね?」
アズズは苦笑した。
確かにあった。今でこそ出世頭などと言われているが、初めて配属されたときは周囲に迷惑をかけまくる問題児だった。それでもここまでやってこれたのは環境に恵まれていたからだった。
当時の死神課は敏腕スタッフと、仕事ができる面倒見のよい先輩が揃っていた。
もろみがサポートしてくれた。良き先輩がフォローしてくれた。
そしてふと思い出す。
次の一番偉い神様の最有力候補と目されていた先輩のことを。神の行く末を知ろうとした神を。
通常業務に忙殺されて、振り返ることも思い出すこともなくなっていた。
「そう言えば……あの事業計画――」
言いながらもろみを見る。
妖艶な色気を漂わせる美女の表情は長い金髪に隠れて見えなかった。
もろみは柔らかすぎる大きな胸を揺れるに任せ、確固とした歩調でアズズの隣を歩いている。
「もろみさん、まだリリエラ先輩のことを……」
「あら、なんのことかしら?」
語尾を上げ、もろみは陽気に応える。アズズを見上げる瞳に影はなかった。
「……いえ、ひとり言です」
ふふふん♪ ともろみは鼻唄で出世頭をあしらった。
□ □ □ □
起きるとそこには幼女も美女もいなくて、すべては酔っ払って見た、ただの夢だった。
ということは全くこれっぽっちもなかった。
というか、起きるじゃなくて叩き起こされた。
「起きろー! ニートーっ!」
「ニートじゃねーっ!」
布団に包まったぼくの上で飛び跳ねて叫ぶちゅるるちゃんを跳ね飛ばして飛び起きた。
三回くらい飛んだような気がするが気にしない。
二回くらい気……以下略。
とにかく、子供のバイタリティは半端じゃない。
朝からテンションたけぇよ。
そういえばぼくは布団に包まっていたけど、もろみさんが掛けてくれたのかな? そう思って見ると、お猫様はテーブルの上でまだ丸まっておられた。
「ごはーん!」
幼女が作ってくれたのかと一瞬期待したが、そんなハズもなかった。
「お腹すいたでちゅ! はやく作るでちゅ!」
時計を見る。まだ七時前じゃん。寝かせてよ。
「そのへんにパンあるから、それでも食べてて……」
ぼくはもう一度布団に包まる。
「起ーきーろー!」
ちゅるるちゃんは布団をかぶったぼくの頭に馬乗りになって、全体重で圧迫してくる。
「ちゅるるちゃん、危ないのです。こっちのほうが効き目があると思うのです」
にゅるるちゃんが足元の布団を捲くり上げたのは分かった。
だーっ!!
羽箒で足の裏をくすぐってくる。
ぼくは幼女を蹴飛ばさないように気を使いながらも、結構真剣にもがいた。
幼女がよってたかってぼくにイタズラをする。
強調しておくが、ぼくがイタズラをしたのではない! 幼女がイタズラをしてくるのだ!
「わかった、分かった! 起きる! 起きるから放して!」
「やっと分かったでちゅか、慎太は頭が悪すぎるでちゅ」
「ちゅるるちゃん、本当のことを言っては慎太さんに悪いのです」
「………………………………」
なんなんだよ、どうなんだよ、かわいいから許されるとでも思ってんのか、この幼女! ……かわいいから許すけどさぁ。
起きたはいいが胡坐をかいているぼくの顔を見て、ちゅるるちゃんは鷹揚に、
「なんとか言ってみるでちゅ」
「なんとか」
グサッとフォークが額に刺さった。
大袈裟ではなく、本当に刺さった。
ちゅるるちゃんが手を離したにも関わらず、ぼくの額にはプラスチックフォークが立っている。
寝起きで神経がうまく回っていないらしく、痛みより驚きのほうが勝った。
己の額を見上げ、しばし観賞。
こんなことってあるんだー。
「……いてーッ!」
引き抜く。
モノの例えでなく、本当に血がぴゅーっと噴いた。大慌てでタオルを押し当てた。
「ちゅるるちゃん! フォークで人を刺しちゃいけません!」
「目を覚まさせてあげたでちゅ! 感謝するでちゅ!」
確かに目は覚めたわ。眠気なんていっぺんに吹き飛んだ。だからって感謝する気にはならなかった。
血が止まってから、どっこらせと立ち上がり、布団を畳んで部屋の隅に追いやる。
「おはようございますなのです」
「おはよ、にゅるるちゃん」
朝、誰かに挨拶されるのなんて随分となかったことだ。ぼくはちょっとニヤけつつ、最高のスマイルであいさつを返した。ドン引きされた。
「ごーはーんー! ごーはーんー!」
ちゃぶ台についたちゅるるちゃんはお茶碗を両手に持って催促する。昨日は『神饌』とか小難しいことを言ってたくせに、今日は『ごはん』ときたもんだ。神様の威厳もなにもあったもんじゃない。
ぼくは台所の棚を確認した。パンすらなかった。
朝からコンビニへひとっ走りすることとなった。
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