2.
取り合えず信じることにした。
て言うか、信じてないけど信じないことには話が進まないと気づいた。
これでもかとばかりに巻き巻きでボリュームのある黄金色に輝く長い髪を、もろみさんは手櫛で無造作に梳いている。どうでもいいけどお姉さん露出多すぎませんか、その衣装。谷間とか谷間とか、あと谷間とか。目のやり場に困るのですが。
「……まあいいや、とにかく! 今この部屋には神様が、それも死神と貧乏神と疫病神がいて、神様をサポートする天使までいる。と、こういうわけですね?」
「やっと理解できたでちゅか」
「してないけど、まぁ、そういう設定だと思えばね……」
「?」
「いや、こっちの話。気にしないで」
「じゃあ、さっそく換金するでちゅ!」
「換金ね……さっきはそこらへんの説明を省いてたよね、具体的にはどういうものなの?」
「う……」
なぜか言葉に詰まるちゅるるちゃん。
もろみさんが意味ありげに微笑む。なんというか、途轍もない悩殺スマイルだ。ぼくは黙って二人を交互に見る。
もろみさんの口角がさらに上がった。
「出来たばっかりの係だからまだマニュアルがないのよねー」
「言っちゃダメでちゅ!」
「……………………」
意図的に説明しなかったわけね。
というより、マニュアル? 神様ってマニュアルで仕事してんの?
ぼくの湿気た視線を追い払うように手を振り回しつつ、
「ちゃ、ちゃんと出来るでちゅ! ちゅるるはやれば出来る子でちゅ!」
自分で言っちゃうかな、やれば出来る子。
それってダメな子の常套句だと思うんだけど。
「分かったでちゅ、でちゅでちゅ!」
ふん、と荒い鼻息を吐き、ちゅるるちゃんはシステム手帳みたいなアイテムを取り出した。で、読む。アンチョコっぽいな。
こちらも見ずに、書いてあることを指先で追いながら読み上げだした。
「死神課余命換金係、指定対象第一号、椎原慎太。いちいちフルネームもめんどいので慎太と略すでちゅ」
そこに書いてあるならどうしてさっき自己紹介させた? しかも呼び捨てかよ!
「えー、慎太は……えー、あれこれ思い悩んで、えー、めんどいでちゅね、これ。えー、これはあれでちゅ」
「???」
「そう、これはあれ。あれでちゅ。納得したでちゅね。というわけで、換金でちゅ」
「をいッ!」
「分かればいいんでちゅ!」
「いや、まったく、これっぽっちも分からなかったぞ!」
「大丈夫! ちゅるるは分かったでちゅ」
「すげぇ理屈だな!」
この子は神様だって今、もの凄く納得した。神様だけだぞ、そんな理屈通すの。
理論が跳躍して理屈になるんだって、思い知ったわ。
「うるさいでちゅ! ぐずぐず言ってないで、さっさと換金してしまえばいいんでちゅ!」
「だから、換金したらどうなるとか、換金しないとどうなるとか、根本的なところをちゃんと説明してくれよ!」
「細かいことにうるさいでちゅね、慎太は」
いや、細かいことじゃねーだろ。余命換金とか言ってんだぞ、キミは。
そもそも余命とか言ってる時点で、ぼくはもうすぐ死ぬのでしょうか?
考えないようにしてたけど。
死神が来たってことは……
あー、やっぱ帰ってもらいたい。
そんなことを思いながらぼくと幼女が説明しろ換金しろの押し問答を続けていると呆れ果てた声でみゅるるちゃんが、
「ちゅるるに仕事内容の説明なんて出来るわけないでしょ、『何もできない神様』なんだから」
と艶々の黒い髪を指先で玩びながら言った。
「みゅ、みゅるる!」
ちゅるるちゃんがみゅるるちゃんを睨むが、みゅるるちゃんは涼しい顔をしている。
「……何も、できない、神、様?」
「そ。ちゅるるは世にも稀なる『何もできない神様』なの」
「みゅるるちゃん、そんなこと言ったらいけないのです」
まんがを読んでいたにゅるるちゃんが慌ててみゅるるちゃんに取り縋る。
「みゅーはほんとのこと言っただけだもーん」
「ヒボウでちゅ! ザンソでちゅ! 悪意ある弾劾でちゅ! フウセツの流布でちゅ!」
結構むずかしい言葉知ってるのね、ちゅるるちゃん。ただ使い方間違ってるよね。まぁ、指摘しても徒労になると思うからしないけど。
ちゅるるちゃんは顔を真っ赤にして、みゅるるちゃんに食って掛かっているが、「とても優秀」とか「ライバル」ってのはちゅるるちゃんの思い込みなのかもしれない。
しかし、神様なのに何もできないってある意味すごいな。
万能だから神様って訳じゃないんだ。
だから天使がいるのかーと思って視線を転じたが、もろみさんはお猫様の姿に戻って丸くなっておられた。見事なまでの我関せず。神様をサポートすんじゃなかったの?
「――できない!」
「――できるでちゅ!」
「できません!」
「できるに決まってるでちゅ!」
「できるわけないじゃん!」
「そこで見てるでちゅ!」
幼女と幼女が真っ向から対峙している様は見応えのある光景だった。おまけにもう一人の幼女が二人の間をおろおろしているのだからなおさらだ。
呆れたことにフェレットはこれだけ騒々しいのにまだ、ぐうすか寝ていた。
あれ? そういえば……猫が天使の仮の姿だということは、このフェレットもひょっとして天使なわけ? あと鳩も。
罵りあいが一段落したようだった。ちゅるるちゃんがズンズンと足音を立ててぼくの前までやって来た。どこからともなく書類を取り出し、ぼくにサインペンを握らせ、ぼくの腕を取ってその書類に――
「って、をいッ! なんでぼくの手でサインさせようとしてんだよ!」
「気にしたら負けでちゅ、さ、ここにぽーんとサインして拇印押すでちゅ」
「押さねーよ! サインだってしねー!」
幼女は舌打ちした。その瞬間は間違いなく、すごい悪人面だった。
サインなんて出来るわけねーだろ。なんだよ、この『余命換金同意書』って!
しかも文章の最後のほうに「この約定により生じたいかなる不利益にも、乙は一切の不服を申し立てない云々」って書いてあるし!
不利益あるのかよ、やっぱり!
「いいでちゅか? 慎太がサインしないと、ちゅるるが恥をかくでちゅ、分かるでちゅか? ちゅるるが恥をかくでちゅ!」
「なんで二回言う?」
「ちゅるるが恥をかくでちゅ」
三回言いやがった。
「男が、女の子に恥をかかせるなんて最低でちゅ」
ちゅるるちゃんは頬を赤らめて目頭を押さえる。たっぷりとタメを作ってから顔を背けた。
え? なに愁嘆場っぽいセリフと芝居。コント?
「これ以上、ちゅるるの口からは言えないでちゅ」
と言いながら余命換金同意書をそっと手渡してきやがった。もちろん受け取らなかった。
「大丈夫、痛くしないでちゅから」
どこで覚えたそんな言葉! おにーさんはキミの将来が心配ですよ。
ちゅるるちゃんはぼくが書類を受け取りそうもないことが分かると、頬を膨らませ、足を投げだしてその場に座り込んだ。ふくれっ面のまま、足を畳の上でバタバタとさせる。まるっきり駄々っ子だった。
「つまんないでちゅ、つまんないでちゅ! 慎太は童貞ロリコンなのに、ちゅるるの言うことを聞いてくれないでちゅ!」
「童貞ちゃうわ! ロリコンでもねー!」
「じゃあ、ホーケイ!」
「女の子がそんなこと堂々と言うんじゃありません!」
「否定しなかったでちゅ……」
「うっ……ホーケイちゃうわ!」
この幼女、語彙が豊富だけど意味分かって使ってんのか? まあ、分かって使ってたらそれはそれで問題だけどさ。
「いたいけな女の子の言うことも聞いてくれない鬼畜がいるでちゅー!」
「近所迷惑だから騒がないでっ!」
「ぶー」
ちゅるるちゃんは頬を膨らませ、唇を震わせた。
唇も鼻も耳も造作が驚くほど小さくて精巧で、しかもとても整った形をしている。柔らかそうでこんなにも壊れやすそうなものが目の前にある。現実感がなさ過ぎて妙な気分になってくる。
その手の趣味はないけど、そっちの方面の人の気持ちがほんの少しだけ分かるような気がした。
「あーもう!」
みゅるるちゃんは突然そう言うと、ちゅるるちゃんからシステム手帳もどきを引ったくった。
「みゅーがお手本見せてあげるから見てなさい!」
貧乏神幼女がくるりと振り向く。
ニーソにホットパンツ、おへそ丸出しの小悪魔風ファッションの幼女が、信じられないくらい細いウエストをぼくの目の前でくねらせる。腰に手をあて、かわいいお尻をつんと上に向けたポーズは微笑ましかったが、その表情には、嗜虐性に富んだ女王様の風格と雰囲気があった。
「覚悟はよろしくって? 慎太おにーさん」
「は、はい」
声が裏返ってしまった。胡坐をかいていたぼくは条件反射的に正座していた。
なんの覚悟かは分からなかったが、ぼくの本能がエマージェンシーを発令していた。
この子はやる、と。
みゅるるちゃんはシステム手帳をちらりと見てから切り出した。
「さて、慎太おにーさん、あなたはもう一年近く、大学へ行っていませんね?」
核心を突き刺された。いきなり過ぎて、心臓が一瞬止まった。
「人間関係に失敗」
「違――」
「じゃあ、学校の友達に電話かけてみてください」
みゅるるちゃんは間髪をいれず切り返す。その整い過ぎた顔は、口先だけの反論なんて許してくれない。本当に、圧倒的な美貌だった。
「………………」
「どうしたんですか? 電話くらいワケないですよね」
「……………………」
「メールでもいいですよ?」
なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ? と思うのに、腹立たしく苛立たしいのに、ぼくは言い返せない。
指摘されるまでもなく、自分で分かっていたからだ。
現状の不甲斐なさを。
今のぼくに出来るのは、ただただ俯いて、みゅるるちゃんのつま先を見つめることだけだった。
「最近もらった電話はいつ、誰からでしたか?」
「………………………………」
「メールは? いつ、誰からもらいました?」
「……………………………………」
「メールアドレスの登録、何件あります?」
幼女が畳み掛けてくる。それは疑問形を借りた追求だった。
普通なら人間関係を数字に置き換えることはできない。
だから客観的な評価を受け入れなくて済む。
でも、みゅるるちゃんがぼくに突きつけたものは、一面的とは言え、人間関係を可視化するものだった。
みゅるるちゃんがため息を漏らした。
「人間関係を円滑にする努力はしましたか?」
「……したよ」
ぼくはどうにか言葉を吐き出した。服装、髪形、話題、いろいろと雑誌を見て研究して実践した。どれもが見事なまでに空回っただけだった。そう反論しようとした。
「結果が出ないのは努力と言えないですよね。結果を問われない努力が許されるのは高校生まででしょ」
完全に見透かされていた。
「大人は結果が求められます」
「…………………………………………」
「自分なりにやったから許される、ってどれだけお子ちゃまなんですか?」
断罪幼女は傷口に塩どころかワサビと唐辛子をすり込んできた。
確かに一年前のぼくはお子ちゃまだった。
なんの根拠もないが、大学に入りさえすれば友達もできて、恋人もできて、それなりの大学生活が送れるのだと思っていた。大学とはそういう場所だと。
それが思い違いだと気付いたのは、入学して十日も経たない頃だ。
周囲にはそれとなくグループが出来つつあった。
自然発生しているとしか思えなかった。それくらい、どれもこれもぼくの知らないうちに発生し、知らないところで密になっていた。
グループというか、輪というか、コミュニティというか、目に見えないはずなのに見えてしまうものが、ぼくの関与できない時間と場所で、生まれて育っていくのを目の当たりにした。
当然のようにぼくは、どのグループにも属することができなかった。
高校時代と同じだった。結局いつものように、どのグループからも浮いていた。
浮いている人だけを集めてグループを作っても、やっぱりぼくは浮いていたと思う。
そのくせぼくは孤立している同級生を見て、ああはならない、自分はあの人たちとは違うと思っていた。見下していた。
ただの同族嫌悪だった。
自分が見下される側の一員であることから目を逸らしていただけだった。
幼女は容赦なく、それをぼくに突きつけているのだ。
だからぼくは言われるがまま、罵られるがまま黙り込んでいるのだ。
自分の問題を自分で把握している、という最後の一線を守るため。
ふふっ、と幼女の可愛らしい笑い声が漏れる。
「慎太おにーさんっ」
明るい声にぼくは救済と許容を予感し、思わず顔を上げた。
みゅるるちゃんの優しい笑顔。ぼくの心が一気に融解する。
「慎太お兄さんは誰にも必要とされてないんですねっ」
心をえぐられた。
全身の力が抜ける。ぼくは四肢を突いてその場に倒れるのを堪えた。
「楽になりたいでしょ?」
ぼくは泣きたいんだか、痛すぎて気持ち良いんだか、もはや分からなくなっていた。
「もう苦しまなくていいの。さっ、ここにサインして」
薄汚れた畳しか映らない視界に、みゅるるちゃんは書類を滑り込ませてきた。すでに魂を半分抜かれた状態だから何も抵抗を感じなかった。
ぼくは阿呆のようにゆるゆると身を起こし、のろのろとサインペンを拾い、うつうつと自分の名前を書こうとした。
ペン先が今まさに書面に触れようとした瞬間、書類をひったくられた。
「???」
「――と、こういうふうにやるのよ!」
みゅるるちゃんは振り返り、強い語気で死神幼女に言った。
「最初にガツン。その勢いのままガツガツ攻める。で、逃げ道を準備しておいて、そこへ追い込む。あ! あくまでも逃げ道に見せかけるだけよ。ほんとは袋小路なんだけど、攻められてる本人にはそこが安全な避難路に見えるようにするの」
まだ署名していない『余命換金同意書』をピラピラさせて講釈する幼女を見上げているうちに少しずつ理性が戻ってきた。
あ、あれ? 今、ぼくは何をしようとしてた?
自分がやろうとしていたことを思い出し、寒気がしてくる。
「二人でやるともうちょっと楽なんだけどね。怒る役となだめる役って役割分担を決めておいて――」
「893かよ!」
こえー、幼女こえーよ。
みゅるるちゃんは余裕たっぷりの表情でぼくを見る。
「どうでした? みゅーのテクニック」
気持ち良くなっちゃったでしょ、とでも言いたげなみゅるるちゃん。碧い瞳に楽しげな光が踊っている。
この子は天性の小悪魔だ! 神様なのに……。
さっきまでの深刻すぎる空気は完全に霧散していた。
ぼくは深く深く息を吐いた。
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