ちゅるるるるん♪

ふてね

1.

 バイトの採用面接に打ちのめされて帰宅すると幼女がいた。

 そう、幼女だ。

 幼女。

 幼い女の子と表記して幼女。

 ……幼女?

 どこからどう見ても幼女だった。

 幼女の足元には尻尾が長く、毛並みの美しい猫が行儀良く座っている。

 ここはぼくの部屋だ。

 おんぼろアパートの一室。ワンルームタイプなので、戸を開けると部屋全体が見渡せる。

 幼女は一人ではなかった。

 右を見ると幼女、左を見ると幼女、前を向いても幼女。

 幼女、幼女、幼女。YO!

 頭の中で変なラッパーが歌いだす。

「えー、えー、えー」

 ぼくは右から左、左から右へと人差し指をさ迷わせる。言葉が出てこない。

 幼女たちはぼくの疑問を、態度から察したようだ。

「死神でちゅ」板のような胸を張って偉そうに。

「貧乏神よ」高飛車な態度で。

「や、疫病神なのです」おどおどしながら。

 と自己紹介してくれた。

 ……死神、貧乏神、疫病神。

 WHAT?

 脳内ラッパーが腕組み。

 女の子向けアニメで今はそういう設定のが流行ってるんだろうか。

 そうだとしても、人様の家に勝手に上がり込むのは頂けない。

「あー、お嬢ちゃんたち、おうちはどこかな?」

「神様に対する口の利きかたがなってないちゅ」

 あくまでそうきますか……!

 今日のぼくは一味どころか七味も違うんだぞ、唐辛子的な意味ではなく。

 さっきなぁ、営業所長とか言うオッサンに人格から人生から完全否定されて、気分も心も荒みに荒んでるんだ。犯罪に手を染めるのも吝かでないと考えてしまえるくらいに……!

 そもそも、おにーさんに対するその口の利きかたはなんですか?

 ぼくは拳を握り締めて怒りを押さえ込んだ。

 自分で思っている以上に、今のぼくはイラついていた。

「まぁ、口の利きかたはいいでちゅ。それよりさっさと神饌を捧げるでちゅ」

「……しんせん?」

「食べ物を神様にお供えすることでちゅ」

「あー、恵まれない家の子で飢えてるから食いもん寄越せってことね」

 幼女が顔を真っ赤にして突っかかってきた。

 ぼくは幼女の頭を片手で押さえて攻撃を阻止した。ピンクシルバーの髪の感触に思わずため息が出そうになった。子供の髪ってこんなに柔らかいの?

 自称死神の幼女は両手をぶんぶん振り回す。サファイアみたいに青く輝く瞳でぼくを見上げて睨んでいる。

「さっさと話すすめなさいよ」

 積み重ねた布団をクッション代わりにしている貧乏神幼女が面倒臭そうに口を挟んできた。

 我に返った死神幼女はぼくから二歩後退し、肩で息をする。

「お嬢ちゃんたち、あのさ――」

「お嬢ちゃんじゃないでちゅ」

 死神幼女は華奢な体を精一杯、ふんぞり返らせる。

「ちゅるるでちゅ」

「ちゅるる? 変な名前」

 ぼくは率直な感想を述べた。

 ちゅるるちゃんは一瞬泣きそうな顔になり、次の瞬間にはぼくが昼に使ってちゃぶ台の上に放置していたフォークを引っ掴み、ぼくの股間を攻撃してきた。

 本格的に刺さっていたら流血では済まなかっただろう。

 運良く、フォークはコンビニでもらったプラスチック製だった。

 だから軽い鬱血で済んだ。

 助かった。

 助かったのか?

「あ、あの……」

 頭に鳩を乗せた疫病神幼女がおどおど、おずおずと発言する。

「ちゅるるちゃん、にゅるるは自己紹介から始めたら良いと思うのです」

 にゅ、にゅるる?

 ちゅるるの次はにゅるるですか。

 最近のアニメって妙なネーミングが罷り通ってるのね。

 気弱そうで、引っ込み思案っぽいにゅるるちゃんはぼくの視線に気付くと、頬を上気させてくるりと背を向けてしまった。

 なんというか、もの凄く可愛かった。

 ささくれ立った気持ちが一気に癒された。

 しかし、この鳩はなんだろう。頭に乗せてて大丈夫なの? フンを落とされて泣いちゃわないよね?

「さすがにゅるるちゃん! ナイスアイデアでちゅ。というわけで、自己紹介するでちゅ、人間!」

 オッサン営業所長より鷹揚で偉そうだった。でもまぁ、この子はすでにちゅるると名乗ってるしなー、と思い直した。

「……椎原慎太です。ハタチです。えー、一応学生です」

「童貞とロリコンが抜けてるでちゅ」

「どどどど童貞ちゃうわっ!」

「ロリコンは否定しないのね」

「ロリコンでもねー!」

 ぼくは凄まじい勢いで振り返って、布団の上でくつろぐ貧乏神幼女に反論した。

「ま、いいわ。みゅーはみゅるるよ、慎太おにーさん」

 みゅるるちゃんは妖艶な(そう、年齢を超越した色気だった)微笑をぼくにくれた。

 よく見ると、ものすごい美人だ、この子。太陽に透ける南の海みたいに碧い瞳がすごく印象的で、桃と砂糖とクリームを練り合わせて作ったような甘そうで柔らかそうな頬も目を引く。小さな鼻も唇も形が良く、配置も完璧だった。長い黒髪がそれらを包んで、幼女を淑女に仕立て上げていた。

 そのみゅるるちゃんは高そうな白い毛皮の襟巻きをしている。

 と思ったら、毛皮は生きているフェレットだった。しかもそのフェレット、鼻風船を膨らませ萎ませ、ぐうすか寝ている。

「……………………」

「あ、あの~」

 振り向くと疫病神幼女が、

「にゅるると申します。よろしくお願いします」

 白金色の髪を揺らし、ぺこりと頭を下げられた。

「よ、よろしく………………よろしく?」

 淡い紫色の瞳というのを間近で見たのは初めてで、ぼくは思わず幼女の目を覗きこんでしまった。ずっと見ていたくなるような目だった。

 ぼくの凝視に、にゅるるちゃんは耳まで赤くして背中を向けてしまった。恥ずかしがり屋さんっぽいな、この子は。

「ちゅるるでちゅ」

「それはさっき聞いた」

 フォークでまた刺された。

 ぼくはちゅるるちゃんからフォークを取り上げた。この子けっこうデンジャラスだ。

「ま、これで気が済んだでしょ? さっさと出てってくれない?」

「イヤでちゅ」

「お断りよ」

「ちゅるるちゃんのお仕事が終わらないと帰れないのです」

「……お仕事?」

 年端も行かない子が仕事をする? なんだ? イカがわしいスメルが……。

 ぼくは視線をさ迷わせた。時代錯誤なブラウン管テレビも、埃に汚れたカーテンも、擦れて垢染みた畳も、安物のちゃぶ台も、今朝となんら変わらない。間違いなくぼくの部屋だった。

 この子達、どうやって入ったんだろ? 鍵かけてあったはずだし、窓も閉まってるし。

 ふと猫のことを思い出した。

 こう見えてもぼくは猫好きなのだ。

 いや、犬も好きだけどさ。

 撫でてもふもふできればいいのだ。

 ぼくは間を取る意味も込めて、猫を抱き上げて撫でようとした。

 猫は汚いものを避けるようにぼくの手をかわして逃げてしまった。

 ちょっと傷ついた。

 ぼくは猫を恨めしく睨んだ。猫はため息をつき、ちゅるるちゃんを見上げた。

「頭悪そうだから、そうとう噛み砕いて説明しないと理解できないわよ、この子」

 猫が喋った。



   □   □   □   □



 ぼくは四人分のうどんを作った。

 素うどんだ。

 卵はブルジョワの食べ物だ。

 貧乏人の基本は、米でも小麦でも素材そのものの良さを味わうことだ。

「すごいでちゅ、めんしか入ってないうどんなんて初めて見たでちゅ!」

「馬鹿にしてもらっちゃ困るな。これはそこいらの素うどんとはワケが違う! ダシは利尻昆布から取ってるんだ!」

 鳩が驚いて首を遠ざけただけで、誰もぼくの言うことなんか聞いてなかった。

 どんぶりが足りなかったので、マグカップと片手鍋に活躍願った。

 ちゅるるちゃんはホクホク顔でうどんを一本、ちゅるるるるん、と啜った。

 うん、こうやってると子供らしくてかわいいもんだ。

 にゅるるちゃんもちゅるるちゃんを真似て、麺を一本ずつ啜る。みゅるるちゃんだけが露骨に嫌そうな顔をして、うどんに手をつけようともしなかった。

 小さなちゃぶ台を四人で囲むと結構狭く感じた。

 この部屋で狭さを感じたのは初めてだった。

 ちゅるるるるん♪ と派手に啜って、汁を盛大に散らすなんてかわいいもんだ。汚れるのは高々ぼくのネクタイ……ネクタイ?

「ってオイィィィィイ! なんでぼくのネクタイで拭いてるんだよ! しかもそれ、唯一のシルクじゃんかぁぁぁ!」

 ちゅるるちゃんは胸元に散った汁をぼくのネクタイで拭いていた。それをぼくは奪い返した。慌ててティッシュで拭いたが、しっかりシミになっていた。

「……………………」

「?」

 ちゅるるちゃんは悪いことをした意識が丸っきりない無垢な表情でぼくを見つめる。

「あんたがそこいら辺にネクタイを放り出しておくのが悪いのよ」

 猫舌だからという理由でうどんを辞退されたお猫様に怒られた。

 まあ確かに、面接用に着てた一張羅のスーツとネクタイを脱ぎ散らかしてたぼくもぼくですが、それしたってねぇ?

 ちゅるるちゃんはぼくとお猫様を尻目にうどんを啜る。

 ぼくはため息をつき、自分のうどんを黙って啜った。

 なんだこの晩餐。

 思わず首を傾げてしまう。

「……で、なんでみんなしてメシ喰ってるんだっけ?」

 ちゅるるるるん♪ と最後の一本を吸い取るちゅるるちゃん。彼女はぼくと目を合わせたまま、黙々ともぐもぐ咀嚼する様を見せつける。

 いいね、元気にごはん食べる子って。

 ごくんと飲み込み、使っていた箸を振りかざした。

「喜ぶでちゅ! ちゅるるが説明するでちゅ!」

 ちゅるるちゃんは大威張りで今回の来訪の意味と意義を語りだした。

 が、それは説明というより演説であり、しかも脱線しまくって一時間半にも及ぶものだった。面倒なので話を要約させてもらう。

 神様にもお勤めがあり、各々の勤め先がある。その中に、死神課という部署があるらしい。で、死神課に「余命換金係」というものが新設され、とても優秀(自称)なちゅるるちゃんがそれに任命され、最初の対象にぼくが選ばれた。

 ちゅるるちゃんたち三人(神様だけどこう表記する)は神様養成学校の同級生で、貧乏神課所属のみゅるるちゃんと疫病神課所属のにゅるるちゃんはこの件に関係ないけど、ライバルの仕事ぶりを見物するため、一緒にやって来た。

 と、こういうことらしい。

 うん。

 オッサンがこんなことを語り出したら精神疾患を疑うね。

 でも幼女本人がそう言うのだからどうしようもない。

 ちなみに猫は「もろみさん」というお名前だそうだ。このお猫様、なんとちゅるるちゃんの相棒で、神様をサポートする天使の仮の姿らしい。しかも、このもろみさん、神様より偉そうだったりする。実際、ちゅるるちゃんもサポート役の天使を「さん」付けで呼んでるし。

「分かったでちゅか!」

「…………………………………………」

 だがちょっと待ってほしい。

 ここでスンナリ信じてしまうほど、ぼくはお人好しでもなければ、純粋でもない。

 まんがやアニメやゲームじゃないんだから、どこの世界に神様がやってきて、ハイそうですか、と納得する人間がいると思ってやがる。

 猫が喋るのは、まぁ、あれだ。偶然だ。

「信じてないようね」

 猫が呆れたような口調で言った。

 フィクションなら可愛らしくて違和感もないのだろうが、実際に目の前で猫に喋られると相当に気持ち悪い。グロテスクなものを見たときの気持ち悪さではない、船酔いとかそんな感じの気持ち悪さだ。

 ぼくはもろみさんから目を逸らした。

「信じるも何も、話が突飛過ぎて……」

「若いんだからもっと頭をやわらかくしないと――」

 え? と思ったときには、ちゃぶ台に座ったゴージャスお姉様が人差し指で、ぼくのあごをクイッと持ち上げていた。

「……だ、だれ?」

「誰って、直前まで喋ってた相手にそれはないでしょ」

「……もろみ、さん?」

「そう。女神じゃなくて天使よ?」

 ゴージャスお姉様は過剰に露出したあまい肌と零れ落ちそうな胸元を見せつけ、リップグロスを塗ったような艶やかな唇を綻ばせた。

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