47 First Kiss

「不思議なこと?」

「うん。俺の頭の中に、それまでに見たこともない風景が次々にフラッシュバックしたんだ」

「見たこともない風景?」

「うん。でも今ならそれがどこの風景かわかる。それはみんなこっちの世界へ来てから体験した風景だったんだ」

「えっ」

「たぶんあの黒い穴は文字通り一種のブラックホールだったんじゃないかな。ブラックホールの中心には時間と空間についての物理法則が効かなくなる『特異点』があるって言うじゃないか。その特異点が時間の流れをねじ曲げて、俺にこれから行く世界の姿を見せたんじゃないかな」

「……」

「そしてその風景の中には必ず君がいた」

「……」

「あのフラッシュバックを見たときにはその姿ははっきりとはわからなかった。でも今なら断言できる。あれは君だった。君がいつも俺のそばにいてくれた」

「テツヤ……」

「覚えているかい、ミオ。俺たちが航路のアジトで初めて面と向かって会ったとき、俺が君に『もっと前にどこかで会ったことはなかったかな』って言ったのを」

「覚えているわ」

「あのときは思い出せなかったけど、今ならわかる。俺は無意識のうちにあのフラッシュバックの中の君を感じていたんだ。この世界におけるたったひとりの存在に出会えたってことを感じていたんだ」


 哲也の声はわずかに震えていた。


「ありがとう、ミオ。この世界が俺にとってすばらしいものになったのは君のおかげだ」

「そんな。急に何を言い出すかと思ったら……」


 ミオは恥ずかしそうに横を向いてしまった。哲也もそれ以上続けようとはしなかった。


 ■


 空は次第に白み始めていた。天球を埋め尽くしていた星たちの多くが次第に見えなくなっていった。光が闇に打ち勝とうとしていた。

 その様子を哲也とミオは無言で見つめていた。


「テツヤ、私たち、やり直さない?」

 ミオが少し小声で言った言葉に哲也は仰天した。


「『やり直す』って、どういうことだミオ。まさか俺たちの関係を白紙に戻そうなんて言うんじゃないだろうな」

「何バカなこと言ってんのよ。そんなこと言うわけがないじゃない。私が『やり直そう』って言うのは、ええっと、つまり……」


 哲也はミオがなんだかモジモジしていることに気づいた。


「どうしたんだミオ。そんなに言いにくいことなのか」

「んもうー、テツヤも気づいてよ。あれよ。私はあれをやり直したいの」

「あれって、なに」

「もう、鈍感なんだから。こうなったら思い切って言うわ。私がやり直したいのはあれよ。私たちのファースト・キスよ」


 哲也はその言葉に腰を抜かした。


「ファ、ファースト・キス?」

「そう。私あんなのは絶対に認めない。あれはノーカウント。今ここで改めてファースト・キスするの。私がずっと憧れていたように、ロマンチックなシチュで」

「ま、まあ、確かにあれは一種の事故みたいなものだったからなあ」

「でしょ。だ、か、ら」

「でも『ロマンチックなシチュ』って、なんかこう自然にそういうふうになるものなんじゃないのか。『ロマンチックなシチュで』って指定されてもな」

「いいの、やるの。テツヤがリードしてね」

「俺が?」


 哲也は思わず飛び上がった。


「いいわね。じゃあ、アクション!」


 ミオは一方的に宣言してしまった。“アクションって、映画とかじゃあるまいし”、と哲也はあきれた。自然になんかできるわけがないじゃないか。

 しかもミオの宣言と同時にふたりとも前を向いたまま固まってしまった。ふたりはまったく同じように顔を伏せ、まったく同じように背を丸め、まったくおなじように膝を抱え込んでいた。


 ふたりともなんとか動こうとした。しかしほんのわずかな動きでさえもギクシャクといった感じでぎごちなく、ますます『ロマンチックなシチュ』からかけ離れていくようだった。


 “もうダメだ”、と哲也は思った。こんな雰囲気、とてもじゃないが耐えられない。

 “ミオに謝って今はあきらめてもらおう”哲也は意を決してミオのほうに振り向いた。


 そのとき地平線から太陽の最初の光が空を貫いた。天空をかける矢となった陽光は、同じように意を決して振り向いたミオの顔を照らし出した。


 ミオの顔が、そしてその瞳が輝いていた。哲也は思わず息を呑んだ。それまでの雑念はどこかへ行ってしまった。そしてそれはミオも同じだった。


 ふたりは互いに見つめ合った。もう互いの顔しか目に入らなかった。それはそこだけが明るかったことだけが理由ではなかった。


 ふたりは互いに吸い寄せられるように近づいていった。そしてそのまま優しく唇を重ねた。ふたりの向こうには新たな一日の始まりを告げる太陽がその輝きを増しつつあった。


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