2016 4月 入

大学受験で挫折をした。第一志望には3度落とされ、滑り止めの、全く入学後のビジョンを想像していなかった大学に進学することになった。普通に考える滑り止めのランクとはかけ離れた大学に入学した。浪人という選択肢はとらなかった。

入るとなってから、手続きをして引越しをしている間は挫折感(フラストレーション)が死ぬほど凄かった。

気の進まない現実を進めていく両親を呪おうとしても、そこまでの気力もなかった。後期も落ちたショックに包まれて、ただただ方針していた。

その時に思ったことだ。

挫折したことでしか見えない景色もあれば、挫折しないことで見える景色もある。挫折したからと言ってそれが必ずプラスになる訳では無い。挫折は大切だ、とあらゆる本にもそう書いてあるし、色んな人にもそう励まされるが、シンプルに、ただただシンプルに、挫折したことで失ってしまったもののことを忘れてはいけない。「挫折」して得るものがあるかは今後の頑張り次第だ。しかし、「挫折によって失ってしまったもの」はもう必ず存在していて、もうその事実は覆せない。

挫折して、苦しくなって、その痛みが和らいだ時に、人は本当に何かを失ってしまっているのだ。その「苦しみ」を得ている間は、プライドとか、色々な葛藤の中で、自分のレベルというのか、下地というのか、そう、「基準」が下がっていくことに抵抗を感じていた。慣性の法則から外れまいとして、今までの自分から離れないように精一杯だった。しかし、落差の真っ只中にいる自分がその落差の感覚に慣れてしまった時、本当の意味で過去の自分は死んでしまったのだと感じた。考え方、というか、脳の根底の、生き方のベクトルが回転して変わってしまったのだと感じた。方針が変わったといえばいいのかもしれないが、間違いなく自分が死んでいたのだった。


朱に染まれば紅くなるように、考え方も染まっていく。根本的に変わったのでそこに気づかない。誰を咎めることも出来ない。裏切られるとか、親の死とか、そういうのではない、「空虚な哀しみ」を感じていたのだ。

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