第9話 赤と白

 病室に入るのが少し躊躇われた。まるで結界が張ってあるような感じがした。

 勇気を出して中に入る。付き添い人、ハヤシサイクルさんの奥さんが席を外し、病室の外に出てくれる。ベッドに横たわっている林さんの様子は、巫女服を着て来た時とほとんど変わり無いようだ。快方に向かっているでもなく、でも極端に悪化しているのでもなさそうだ。

 脇のテーブルに置かれている花瓶が目に入った。挿されている花は、以前来た時と同じ花のような気がする。まさか造花ということもあるまいが。

 林さんの顔色は前回よりも悪いように感じた。ロマンスグレーがただのグレーに見えた。

「……それで、今度は、どどどういうつもりかね?」

 まだ、呂律が回らないようだ。

 本日の私の服装は季節外れだった。綿雪を思わせる白いファーの縁取り付きの、厚手の赤い服とミニスカート。先端に白いぼんぼりが付いたとんがり帽子。ご丁寧に大きな袋を背負っている。どうせ恥ずかしい思いをするならば顔が分からなくなるような付け髭もあった方が本格的になる、という発想により毒を食らわば皿までを実行している。

 蛍光灯に照らされた病室内は、妙に白くて、……でもさすがにちょっと消毒薬臭くて、夜の底が白くなる雪国のような雰囲気ではなかった。

「どうですか林さん。今日はサンタクロースの格好をしてきました。似合ってますか?」

「ほう。街やびょびょっ、病院で、変な目で見られなかったか?」

「……正直言って、この前よりも更に恥ずかしかったです」

 この前、巫女服で来た時は、私にとってはあくまでも巫女の正装だった。秋葉原のオタクのみなさんがやっている所謂コスプレではなく、私は本物の巫女なのだから。

 でも私は本物のサンタクロースではない。ミニスカサンタのコスチュームもあくまでもレンタル屋さんで借りたものだ。つまり、あまり認めたくはないけど、これはコスプレだ。

 クリスマスシーズンならば、サンタクロースの格好をした人物が街中を闊歩していてもさほど奇異の目でみられることはないだろう。でも、今はクリスマスシーズンではない。暖かくなって雪がとけて、桜前線と梅前線が同時に訪れるのを待っている春だ。

 道行く人々から変な目で見られていた。視線が、肌に突き刺さって痛いくらいだった。付け髭も装備しているのだから、知り合いとすれ違っていたとしても私が誰であるか顔バレはしていない。……はず、だと思いたい。

 長い白髭を生やしていても、ミニスカートだし、厚手の服を纏っていてもはっきり分かってしまう大きな胸で、私が女だということはバレていたはず。

 こういうのを、コスチュームプレイならぬ羞恥プレイというのだろうか。

 今にして思えば、よく警察に職務質問されなかったものだ。……というか、この病院から家の神社に帰る時も、この格好だ。でも今は、その時のことは考えない。林さんを説得するのが本題だ。そのために忍び難き恥を忍んでサンタクロースのコスプレをして来たのだから。

「照代よ。お前は、神社の巫女ではなかったのか? ……あ、あの……あれ、き、キリスト教に、改宗したのか?」

「これは……その……ほら。巫女服もサンタクロースの衣装も、赤と白のコントラストじゃないですか。万国共通で宗教の違いを超越しているんですよ」

 自分でも何を言っているんだか……この牽強付会はもうほとんど破れかぶれという心境だった。コスプレ衣装だけでなく発言も毒を食らわば皿まで、ということだ。脱臼は、一度してしまうとクセになり、幾度も繰り返してしまうという。前回、巫女服で病院に来たことで私は精神を脱臼し、衣装ならぬ異装を着ることがクセになっちゃったのかもしれない。……せめて真人間を卒業したくはないものだ。最低限、お母さんに顔向けできるレベルで留めたい。こんな格好をしていることが若さ故の過ちだと認めたくはないものだな。

「サンタクロースの、格好をして、どうしようというのだ?」

「ですから、モミの木を植えたら、毎年のクリスマスが楽しくなります。その雰囲気を、少しでも味わってもらおうと思いまして」

「雰囲気だと? サンタクロースの格好ごときで、そんなもんが分かるかっ!」

 やはり林さんの心は、真珠を内に秘めた貝のように、固く閉ざされている。

「照代と話していても時間の無駄だ。私は忙しいのだ。さっさと帰れ」

 入院してずっと寝ている林さんが忙しいはずがない。それとも何か考え事でもしているのだろうか。御神木にまつわる思い出を反芻しているのかもしれない。

 でも私だって、帰れと言われて、はいそうですかと簡単に引き下がれない。

 どうしても林さんを説得しようと、こんな季節はずれのミニスカサンタ衣装をレンタルして着て来たのだ。羞恥心などとうの昔に津軽海峡に棄てた。

「林さん。確かに御神木を伐る時、御神木は痛みを感じるかもしれません。でも今の御神木は、ただその場に立っているだけで大きな苦痛を感じている状態です。安楽死と言ったら言葉が悪いかもしれませんが、役目を終えて、神様には安らかに眠っていただくのです」

「だから、人間だって木だって、刃物で切り殺されたら、安らかになど、ねねね眠れないだろう、と言っておるのだぞ!」

「御神木であってもいつかは必ず死に、限りあるものだからこそ命は尊く、新しい命へと受け継がれて行くものだと私は思います。もちろん、御神木交代は接ぎ木じゃありませんから直接受け継がれるものじゃないですけどね……私たちは御神木の死から逃げずに、命というものに対して正面から向き合わなければならない、そういう時期なんだと思います」

「ふっ……言いたいことはそれだけか?」

 まだ言い足りないので、樹医さんと電話した時に思ったことを、そのまま言った。

「……大事なのは、御神木に痛みを与えないことではないと思うんです。御神木を伐る時の痛みを思いやり、御神木に対する感謝の気持ちを強く持つことと、代わりに植える新しい御神木を愛し、氏子みんなが幸せに生きて行くこと。今の御神木だって苦痛に耐えてまで自分が長生きするより、氏子たちの幸せをこそ望んでいるはずです。仮に宗教は違っても、クリスマスのようなイベントの時には、みんなで新しい御神木のモミの木を囲んで和気藹々と楽しむべきです。それを林さんにも理解してもらいたいと思って、サンタクロースの服を着て来たんです」

「ほう。……そ、それで、言いたいことは、もう、言い終わったか?」

 ……まだ一押し足りないらしい。もうこっちも出す手が無いので、本音を出すしかない。

「林さんの目から見たら、橘の娘が、巫女服やサンタクロースの服を着て病院に押しかけて来たりして、ヘンなことをしている、と思われるかもしれません。……まあ、客観的に見れば確かにヘンテコなんでしょうけど……でも、林さんに理解してもらうためには、これがいいのではないか、と熟慮した結果なんです。なんというか、ほら『形から入る』っていうやつです。ここで私が頑張ってお父さんを支えなければ、天国のお母さんに顔向け出来ないですから……」

「天国に顔向け、か……天国……」

 林さんは寝たまま、天井を見つめた。いや、天井の先の天国を凝視していたのかもしれない。

「いや、照代の話はよく分かった。り、理解した。……だ、だから……さっさと帰れ」

 ここまではっきりと帰れと言われてしまうと、長居は無駄のように思える。身の安全を損なうかもしれない。天国のお母さんに対して恥ずかしくないような決意を抱いてやって来たのではあるが、物を投げつけられたりして無駄に怪我をして痛い思いをしたいとは思わない。……もしかしたら、ベッドの下には例の匕首が隠されているかもしれないし。


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