第8話 前向きに善処

 忘れてはいけない。私が説得しなければならない相手は、林さんだけではない。神主である父も、他の氏子のみなさんにも、クリスマスツリーについての理解を得てもらうようにしなければならない。現時点では既に相談済みの対馬造園さんだけが私の味方ということになる。

 心配の種はそれだけではない。いや、もっと巨大な課題がある。

「御神木を伐る瞬間の、痛み、かぁ……」

 オジサンのみなさまとの交際が多い私が考えたのは、歌舞伎の勧進帳だった。普通の女子高校生の発想じゃなさそうだけど……。

 加賀の国の安宅の関にて、疑いをかけられた源義経に対し、部下である武蔵坊弁慶は錫杖で容赦なく君主を打擲した。その時の弁慶は、義経が感じるであろう痛みについて、考えたのだろうか? 君主が感じる痛みを心配して叩く勢いが弱くなってしまったら、嘘が見破られてしまう危険性がある。そんな二律背反を抱えていたはずだ……。そして、弁慶が本気で叩いたからこそ、安宅の関を通過することができたのだ。

「……いや、この程度のたとえ話では、あの林さんを説得できるとは……思えないなぁぁ」

 それこそ決定力不足だ。私は、氏子たちの説得をしながら、林さんを納得させることができるような、木の痛みについての問題をどうするか、考え続けた。

 氏子たちの説得は、それほど困難ではなかった。まずは、氏子よりも先に神主である父に対して、私と対馬造園さんと二人で、クリスマスツリー案を説明した。

「いいんじゃないかな。条件も合っていると対馬が言うなら、反対する理由は無いな。どっちにせよ、代わりの木を何にするかは決めなければならなかったのだから」

 あまりにあっさりした承諾に、私は拍子抜けした。が、対馬造園さんには思い当たる節があったらしい。

「ははぁ。そういえば神主、クリスマスに思い出があるって……」

 父の同級生の四角い顔が少しにやけた。

「ああ、そうだ。俺が母さんと初めて出会ったのはあの御神木の下で、高校一年のクリスマスイブの夜だったんだ」

「へえー、そうだったんだ。私、初めて知ったけど、お父さんとお母さん、ロマンチックな出会いだったんだねえー」

「……いや、そういうロマンチック路線ではなかったんだ。母さんとは別々の高校に通っていたんだけど、お兄さんが大学受験を控えていて、合格祈願のために来たんだって言っていた」

「へえー……って思わず感心しちゃったけど、どうしてクリスマスイブに神社へ来て合格祈願なんだろう?」

「クリスマスだから、神社は空いているだろうから、ゆっくりお参りができると思ったから、と言っていたぞ」

 私のお母さん、随分と個性的な発想をしていたらしい。

「ちなみにお兄さんは、落ちて一年浪人することになったけどな」

「……えっ?」

 ……自分の家ではあるけど、ウチの神社、学業成就の霊験はあらたかではないのだろうか。私は高校三年生になったばかり。一応、大学進学を目指しているのだけど……心配になってきた。神様に頼り切るのではなく、自分でしっかり勉強しなくてはならないようだ。

「……その最後の文字通りの『オチ』があるから、本当は照代のいるところではこの話はしたくなかったのだけど……ま、昔話はこれくらいでいいだろう。代わりの御神木としてモミを植えるという案には賛成だ」

 乱視で眼鏡をかけていようとも、父は神主だ。神主も賛成したからには、大部分の氏子たちの反応は決まっていた。しかも植物のプロである対馬造園さんも推奨している。

「神主さんと対馬が賛成したなら、当然俺も賛成するよ。っていうか、俺がシャンパンを飲んでいたことからモミの木を思いついたのかい? クリスマスの時には、当然ウチからシャンパンを出させてもらうよ!」

 赤城酒屋さんも、いつも通りに顔を赤らめながら賛同した。……その出したシャンパン、かなりの部分を自分で飲んでしまうことになる、という気もするんだけど……

 ドミノ倒し状態で、次々と賛成者が増えていった。簡単に賛成してくれそうな人から順番に一人ずつ話を持ち掛けたのだから、当たり前といえば当たり前だった。

「対馬さんがモミがイイって言うなら、素人の私が意見することなんて無いわね」

「……うーん。まあ、どうしても今のモモを伐らなくてはいけないなら、代わりに植えるのはモミがいいのかもしれないね……」

「対馬さんも赤城さんも賛成? じゃ賛成するよ。楽しいクリスマスになるといいね」

 ここまでは作戦通り、順調。林さんを除く氏子たちの中では、御神木を伐ることに強く反対していた渋江さん、渡谷さん、矢川さんの説得は、ちょっと難航するであろうことは予想できた。だから私は作戦として、その三人以外の、比較的説得に応じ易いと想定できる氏子さんを、先に説得して回ったのだ。完全に外堀を埋めてから、問題の三人に当たるのだ。私の説得だけでは、小娘だということで甘く見られるかもしれないし、知識不足でボロを出してしまっても困る。だから、忙しいところであるけど無理を言って対馬造園さんにも一緒に来てもらった。頼んでもいないのに、赤城酒屋さんも予定を空けて一緒に来てくれた。

「もうみんな賛成してくれましたよ。お父さんも。ハヤシサイクルさんも」

 私が言ったハヤシサイクルさんというのは、入院中のあのカミナリ爺さんのことではなく、その次男である現在の自転車屋のご主人のことだ。ちなみにご長男は現在、県庁所在地の総合病院に外科医として勤務している。

 作戦が功を奏したのだろう。問題の三人も、不承不承という感じではあったが、クリスマスツリー案をのんでくれた。ここまでは単純に足で解決できる問題だ。

 あとは、難攻不落の本丸、林さんだけだ。

 私は御神木の横に立ち、南の空を眺めた。モミの木が育つような北国であるこの地には、まだ桜前線は来ないのか。蕾は膨らんでいるようだから、もうすぐだとは思うのだが。

「木の痛み。木の痛み……」

 どんなに考えても答えは出そうになかった。対馬造園さんにも相談はしてみたが、とても林さんを説得するには足りないような、要領を得ない返事しかもらえなかった。

 対馬造園さん以外には、植物に関する専門家の知り合いは一人しかいない。藁にも縋る思いで、その人物に電話することにした。

「……もしもし。先日はお世話になりました。御神木のモモを診ていただいた橘の娘の照代です」

 私の声を聞いた東京の樹医さんは、怯えた小動物のような小声で話した。

『……ああ、……その節はこちらこそ、お世話になりました。……まさか、また来てくれ、って話じゃないですよね?』

 樹医さんはあの日、林さんにドスで散々脅されて、這々の体で逃げ帰った。だからトラウマになって怯えているのだろう。

 樹医さんは、林さんが倒れたことなどの事情を知らないので、一通り説明した。

 私の受話器ごしの話を聞き終えた樹医さんの発した第一声は、私にとっては予想外のものだった。

『照代さんは、御神木を伐るという意見を翻したみんなのことを、時間稼ぎの卑怯なやり方だと決めつけて考えているみたいだけど、そうではない見方もあるんじゃないでしょうかね?』

「え?」

『倒れた林さんの病状を心配しているからこそ、無駄に刺激しないように、保留にしている。ご町内のみなさんの優しさ、というのも一面にはあるようにも思うんですけど』

「あっ……」

 そんな可能性は全く考慮していなかった。諭されてみれば確かに、優しさだったという側面もあるかもしれない。自分の思い込みだけに緊縛されて、そこに気付くことができなかったのは、私の青い未熟さゆえだ。

 本題である木の感じる痛みについては、樹医さんも明確な答えを持っているわけではなさそうだった。

『古い御神木を伐り、新しい御神木を植える。新陳代謝というか、命が受け継がれていくというのは、そういうことなんですよ』

 とは言ってはいたが、林さん以前にこの私が釈然としないものを感じる論法でしかなかった。言っている樹医さん本人からして自信が無さそうな雰囲気が頻々と伝わってきた。

『分かりやすく説明すると、今のあの御神木は、内側は大分腐っていて、人間でいえば全身に癌が転移しているような容態って感じでしょうかね。ただ立っているだけでも激痛をこらえているような状態だから、伐るというのは安楽死みたいなものなんですよ』

 安楽死とは言っても、結局伐る瞬間の痛みまではフォローしていないような気がする。手強い林さんを納得させるための道のりは数千万光年単位で遠いようだ。

 と……今の樹医さんの言葉、ちょっと引っかかった。私に、当てはまっているのではないだろうか。

 現在の御神木は、ただ立っているだけで耐え難き痛みに耐えている状態なのだという。

 私は、ただ胸が大きいというそれだけで、酷い肩凝りに悩まされている。そういう意味では、何百分の一かでも、私は御神木の感じている苦痛を理解できるのではないか。……でも私には、安楽死のような究極の解決方法すら無い。巨乳である以上、肩凝りは業病として諦めるだけしかない。

 解決策が無いなら、あまり深く悩み過ぎても仕方ない。胸が大きくて肩凝りが辛い、と悩むよりも、胸が大きいことによるメリットを考えた方が前向きだ。やはり、胸は小さいよりは大きい方がいい。肩凝りを抱えていることなどスルーされて、クラスメイトにも羨ましがられる。恥ずかしいけど、男子生徒にもなんとなく注目を浴びる。

『まあ、誰だったか政治家が言っていたと思いますが、痛みを伴わずに改革は断行できない、ということですね。代わりに植えるのがクリスマスツリーというのは、夢があっていいですね。そういう伸びやかな発想ができるのは若い人ならではでしょうかねぇ……林さんにも、写真だけじゃなくて、クリスマスの楽しい雰囲気を味わってもらえればいいんでしょうけどねぇ』

 樹医さんも若そうなのに、随分年寄りじみたことを言う。

 林さんの死を前提にした保留論は、感情的には嫌悪感を抱くものだけど、一面では林さんに対する優しさでもある。ならば、現在苦痛の中で未だ立ち続けている御神木に休んでもらうのも、私たち人間による優しさなのではないだろうか?

 絶対に林さんを説得できる、という根拠はどこにも無いけど、樹医さんに電話してみて、枯れかけた御神木と肩凝りに悩む私との小さな接点に気付くことができた。

 そう。大事なのは、御神木に痛みを与えないことではない。だって、立っている状態だけでずっと痛みを感じ続けているのだから。

 伐る時に、御神木が感じるであろう最期の痛みを思いやり、今まで長い間氏子たちを見守ってくれていた御神木に対する感謝の気持ちをもっともっと強く持つこと。そして、代わりに植える新しい御神木を愛し、氏子たちみんなが幸せに生きて行くこと。宗教は違っても、クリスマスのようなイベントの時には、みんなで和気藹々と楽しむこと。その雰囲気を林さんにも理解してもらえたなら……

「あ、樹医さん、本日は相談にのっていただきありがとうございました。おかげで色々勉強になりました。なんとか、林さんも説得できるような気がします」

『そ、そうですか。特にこれといって役に立つようなことも言えなかったと思いますけど、恐縮です』

「遠いですけど、よろしければまた、こちらに遊びに来てくださいね。樹医さんにもクリスマスツリーを見てもらいたいですし」

『えっ……それは、……前向きに善処したいとは思います……』

 まるで国会におけるエラい人の答弁みたいな言い回しだった。樹医さん、この前来た時に林さんに散々脅されたのが本当にネックになっているみたい。たぶん樹医さんは一生、この地を再訪することは無いだろう。住めば都というか、小京都とも言われる良い所なのに、残念なことだ。

 私は黒電話の受話器を置いた。ラーメンというべきか縦ロールというべきかあるいはパスタのフジッリ・ブカティというべきか、螺旋状のコードがいびつに捻れたので、一度受話器を取って置き直す。胸を大きく上下させて一つ深呼吸した。

 この前は林さんの説得に失敗したのは事実だ。でも一度の失敗で諦めるわけにはいかない。最後の最後まで、何度でもチャレンジするのだ。コードが捻れたなら直してから改めて受話器を置けばいい。どんなにライン際の難しいボールでも、最後まで諦めずにラケットをのばす。それが私のプレースタイルだ。私はテニス部のマドンナじゃないから、泥臭くていいのだ。


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