第3話 乱入

「いや……だけど……」

 赤城酒屋さんは赤い顔でまだ反対している。が、口調は弱った御神木よりも頼りない。

 私が掃除を終えて広間に戻ってみると、未だに会議は続いていた。堂々巡りばかりで、あまり話は進捗していないようだった。

「今日は、俺と神主さんと対馬と樹医さんだけしか居ないじゃないか。あと照代ちゃんと。他の人がどう言うか分からないよ。渋江さんだって絶対反対だって言い張っていたぞ」

「渋江さんの場合は、赤城先輩やみんなが反対だから、付和雷同しているだけでしょう」

 赤城酒屋さんの苦肉の策で切ってきたカード、この場にいない渋江さんを巻き込んでの多数派工作は、あっさり後輩の対馬造園さんに切り捨てられて、いまいち不調のようだ。私が掃除をしている間、こんな感じで赤城酒屋さんの悪足掻きが続いていたらしい。

「樹医さんの意見を聞くと言い出したのは赤城先輩ですよ。その樹医さんが伐るべきだと言っているんですから。渋江さんとか他の人を説得するのに、赤城先輩も協力してください」

「神主の私からもお願いします、赤城さん。残念な結果ですけど、仕方ないです」

 対馬造園さんと神主、後輩二人に頭を下げられて、先輩の赤城酒屋さんは弱りきった表情をした。助けを求める視線を、広間の隅で佇んでいる私の方に送って来たが、私は無視して視線を逸らした。神社の一人娘として巫女装束を着ているとはいえ、私、橘照代はただの一七歳、高校三年生の女子生徒だ。

 私の気持ちも、御神木を伐る方に傾いていた。やむを得ず、ではあるけど……

 みんな、理屈では分かっているのだ。御神木は見た目は威風堂々として大きいけれど、明らかに衰えている。葉はあまり瑞々しく繁らない。花はちらほら咲くが、昔は成っていたという実が、いつ頃からか今はもう成らない。少し風が吹いただけで、根本が危うくグラついているのが肉眼でも分かる。雪の重みで倒れることなく冬を乗り切ったのはいいけど、これから先、台風が来たり大きな地震が起こったりしたら……

 そう。御神木を伐るべきと理屈では納得している。でも。感情は別物だ。

 誰だって御神木を守りたい。今まで自分たちの社会を見守ってきてくれたのだから、これからもずっと見守り続けてほしい。地域の氏子たちにとっては、御神木のある神社の風景こそが、子供の頃から瞼の裏にくっきり焼き付いている原風景だ。辛い時や悲しい時には、幼少時に御神木の下で遊んだ楽しい思い出を呼び起こし勇気へと変えていく。全ての氏子にとって、御神木は偉大なる心の支えだった。神主にとっても、神社の一人娘である私にとっても同じだ。悲しいけど……諦めるしかないようだ……

「赤城先輩」「赤城さん」「赤城酒屋さん」

 対馬造園さん、神主、神社の娘の三人に迫られて、いよいよ赤城酒屋さんの感情論も進退がきわまった。赤城酒屋さんは頻繁に瞬きする目で、今度は樹医さんの方に視線を送る。

 中立の第三者、若い樹医さんが年齢の割に落ち着いた声で語り始める。

「先程から何度も申しております通り、モモの木というのは桃栗三年柿八年と言うくらいですから、実が成るようになるのも早いのですが、実が成らなくなってしまうのも早いのです。そして木自体もあまり長生きではありません。屋久杉のような極端な例が有名なため、一般に木の寿命は長いものだと勘違いしている向きも多いかもしれません。でも……」

 樹医さんは言葉を切り、お茶を一口飲んだ。多分もう冷めているはずだ。

「人間の場合、平均寿命が八〇年、長生きして一〇〇年、モモの木の寿命は、平均でせいぜい二〇年くらいでしょうか。長生きして三〇年といったところです。三〇年も生きれば大した古木です。その頃には、もうとっくに実は成らなくなっているでしょうけど」

 樹医さんはまた言葉を切り、赤城酒屋さんの様子をうかがう。赤ら顔の赤城酒屋さんは瞬きするばかりで何も言わないため、樹医さんが説明を続けた。

「例えば、モモと同じバラ科植物であるサクラの場合、ソメイヨシノで平均寿命が八〇年くらいという説が有力です。異説も多いようですが。弘前公園に行ってみますと、樹齢一〇〇年を越える老木が何本もあります。……サクラの名所として全国的にも有名な弘前公園だからこそ手入れも行き届いていて姥桜も多い、というべきでしょう。たぶん一般的には一〇〇年以上生きているソメイヨシノはそう多くはないと思います。人間とほぼ同じですね。一〇〇年生きる人間は、いない訳ではないけど、そう多くはないですよね」

 私自身、木の寿命については知識も無かったし、興味を抱いたことも無かった。樹医さんの話を聞いて、意外という思いを禁じ得ない。木ってもっと長生きするのだと今まで思っていた。

「木の種類により、寿命の長さが随分違うのは確かですね。例えばスギですと、屋久杉のような特殊な例を別にしても、三〇〇年くらいは平均で行くようです」

 ウチの神社の境内にもスギの木は何本もある。樹齢がどれくらいかは分からないが、一〇〇年とか二〇〇年くらい生きている木もあるのかもしれない。でも、御神木になるに相応しい風格を備えた横綱級のスギは残念ながら一本も無い。スギの木の勢いが強くなると花粉症の原因になるから、スギが控えめで丁度良いのかもしれない。

「モモの木は本来それほど長生きではありません。あの御神木は、樹齢一〇〇年以上は確実に行っていますよね。モモの木が一〇〇年超という時点で驚きました。モモにしては考えられないくらい巨大ですし。あの貴重な木を伐ってしまうのは惜しい気もしますが」

 ふう……、と深い溜息が漏れた。誰の溜息か? もしかしたら私だったかもしれない。

 赤城酒屋さんが苦しげに唸った。麻雀で負け込んでいる時の表情に近い感じだ。

「仕方ないか……自分で樹医さんに頼むと言った手前もあるし。伐るという方向で、みんなを説得しますかね……」

 穏やかに言って、赤城酒屋さんは冷めたお茶をすすった。顔の紅潮度合いが、いつもより控えめに見える。

 安堵感の中に一抹の寂しさが隠し味として混じった、なんとも微妙な空気が広間に漂う。神様である御神木の命運は、信者の人間たちによって定められたのだ。

「……それでは、正式な報告書と請求書を、後で送付いたしますので」

「ご足労いただきありがとうございました」

 樹医さんが立ち上がった。身長二メートルくらいか。高校三年生女子としては平均的な身長の私の視点からは、見上げるほど背が高い。樹木の高い部分を診察するのに良さそうだ。

 いつしか広間は暗くなっていた。電気を灯すきっかけが掴めなかった。もう会議はお開きなので今更ではあるが、私は壁のスイッチを探って電気をつけ、カーテンを閉めた。

 その時、玄関ベルが鳴らされた。それも一度ではない。ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン……と幾度も連続で押された。悪質なイタズラだろうか。

「なんだ?」

 父がわざわざ指一〇本を使ってフレームを掴み、ズレた眼鏡を直す。

 やっとベルの音が止まったかと思うと、玄関の方で扉が開けられる音が騒々しく響く。日が暮れたとはいえ、まだ施錠している訳ではないから、開けるだけなら不自然ではないのだが。様子が明らかに妙だ。床を踏み鳴らす足音が広間の方へ迫る。落ち着いた歩調には程遠く、平和な来訪ではない。赤穂浪士四十七士も池田屋事件の新撰組も裸足で逃げ出しそうな乱入だ。平和なはずの田舎の小さな神社に暗雲が漂った。


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