第9話
深夜、京──
倒壊した家屋の建ち並ぶその場所を、彼は一人歩く。
忌々しい湿気を振り切るように彼は飛び上がり、背の高い家屋の屋根に音もなく降り立つ。
生ぬるい風にはたはたと赤い着物が靡く。
細い顔は余裕を含んだ笑みを湛え、腰の鈴がちりちりと揺れた。
「…来おったか」
馬鹿にするように笑うと、彼は屋根から飛び降り…
彼の身体は光が拡散するように空気に溶けた。
*
「本当にここで良いのかよ…」
「ねえー朱雀くーん」
「どこまで続いてやがんだこの山道…」
「ねーったらー、聞いてるー?すーざーくーくーん」
「だぁあ!うるっせえなキャベツ!!」
深い霧のたちこめる山道で周りをうろちょろと駆け回る玄武に、朱雀は罵声をひとつ。
朱雀が一番うるさいよ、と白虎。
龍愛は浅く溜め息をついた。
そんな彼らをよそに、青龍の面持ちは堅苦しい。
後ろにつく丙を時折気遣いながら周囲には常に警戒する。
あんな丙を目の当たりにしてしまったのだ。
彼が神経を尖らせるのも頷ける。
あの時、既にこの時代に来て一週間程が経っていたが
その中で青龍は何かと丙を気にかける様になっていた。
それは共に神隠しに遭ったからか、丙の裏に何か大きなものがあるという予感からか、
自分でもよく分かっていない。
当初は一言二言しか口を利かなかった彼も、丙や龍愛たちと暮らしていくうち、うっすらと警戒心が解けたような気がする。
「……青龍さん」
「なんだ」
丙は青龍の背後から徐に前方を指差した。
「…ここ…ここです。僕が夢で見たのは」
その言葉に他の者も前を見据えた。
だんだんと霧が晴れていき、その先にそれは姿を表した。
「鳥居……?」
無限に連なる鳥居。
その道は二つに分かれている。
長年人が寄り付かなかったのだろう。
見事な千本鳥居は廃れてしまっていた。
二つの入口が、まるで誘い込むかのように空気を吸い込んだ。
ひどく気味の悪い場所だ。
───……
「!」
突如、獣の様な唸り声が鼓膜を震わせる。
全員が素早く周りを見渡す。
武器を握る手に力がこもった。
ひた、
ひた、
鳥居の奥からゆらりと現れたのは美しい毛並みに不思議な紋様を浮かべた白狐。
通常の狐の一回りも二周りも大きい。
ただならぬ気に龍愛は総毛立つ。
一瞬で理解した。
この狐はただの妖ではなく、神であると。
もう一方の鳥居からも姿を現す白狐。
そしてぞろぞろと少し小さな狐達が二柱を追い越し、龍愛たちを囲む。
気が付けは周りは全て囲まれてしまっていた。
「っ……丙」
青龍は自らの背中に丙を隠す。
丙の存在を嗅ぎ取ったように二柱は龍愛たちを飛び越え後ろに回り込んだ。
「随分ご立腹のようだけど、どうしようか?」
「決まってんだろ…」
白虎の緩い声に朱雀が反応する。
「走れ!!」
声とともに全員が鳥居に向かって駆け出す。
目の前の小さな狐たちに一太刀浴びせると、難なく倒せた。
これなら何とかなりそうだ。
一方の道に龍愛、朱雀、青龍、丙の四人が
もう一方に玄武、白虎が逃げ込む。
「朱雀、もっと急げ!」
「これ以上は無理だ!」
「鈍足」
「うっ、うるせえな!」
事実、朱雀は全力で走っていた。
もちろん他の三人も。
(丙は半ば青龍に抱えられていたが)
「っ、龍愛さん…!」
振り返れば親玉であろう狐がすさまじい速さでこちらに迫ってきていた。
「クソ、しゃあねえな!青龍!お前は丙を連れてここを抜けろ!」
「…わかった。丙、」
「は、はい!」
再び駆け出す二人を庇うように龍愛と朱雀は刀を構えた。
その間にも妖狐はこちらに一直線に向かって来ている。
「行けるか龍愛」
「もちろん」
二人は同時に地を蹴った。
*
「うわっ、すーごい数」
「可愛いから倒しづらいねえ」
時同じくして、もう片方。
玄武と白虎は苦笑しながら武器をとった。
白虎は二刀流、玄武は札という組み合わせ。
「間違えて斬っちゃったらごめんね玄武」
「やめてよ!」
言いながら白虎は狐たちのもとへ駆ける。
しかしこの鳥居の中は狭苦しい。
なかなかやり辛そうな白虎を見かねて玄武が札をとった。
「…君たち、ちょーっと邪魔くさいんだよね、可愛いのに」
手にした札が青く不思議な光を放つ。
光は瞬く間に広がり、玄武の周囲を青く染め上げる。
「悪いね」
瞬間、辺りに青白い炎が噴き上がり、狐たちを焼き尽くしていく。
その隙に玄武は白虎の腕を引いて鳥居を駆け抜けた。
*
「青龍!丙!」
「よかったーみんなケガしてないね!」
声をあげたのは朱雀と玄武。
互いの無事を喜んだのも束の間、
次の瞬間には妖狐が一行の前に現れた。
二柱の目の前には丙がいる。
「!」
ビリッと戦慄が走る。
妖狐の目は光を失い、口からは涎が滴る。
二柱が正気を失っているのは一目瞭然だった。
「何を考えているのか知らないが、」
龍愛が二柱に刃を向ける。
「私達の守ってきた秩序を、乱すな」
刀を振ろうとした瞬間、二柱は突然鳥居の上目掛けて飛びかかった。
その目線の先には、いつの間にやら鳥居の上に乗っていた青龍と丙。
「青龍さん!」
「丙、絶対に動くな!」
「っ」
青龍刀で薙ぎ払うも、また体勢を立て直す妖狐。
青龍は再び武器を構える。
丙を守りきれるように、その神経を迫り来る妖狐に集中させる。
狼のように吠えながら飛びかかってきた妖狐をなぎ払おうとしたその時─
──ドンッ!
鈍い音とともに妖狐は吹き飛んだ。
そして、よく通る声音が響く。
「…神がここまで落ちぶれるとは…愚かなことよ」
ちりん…と鈴の音ひとつ。
場が一瞬にして凍てつく。
骨の髄まで冷えきってしまいそうなほどの冷気。
一陣の吹雪に真っ赤な着物を踊らせて、"彼"は青龍たちの前に佇んだ。
すらりとした長身の痩せ身に、冷やかだが非常に美しい顔立ちをした男は、角度によって見る者に違った色を放つ不思議な瞳をしている。
緩く波打った髪は艶やかな黒で、白い横髪が映えていて
頭から生えた二本の大きな角が目を惹いた。
腰にぶら下げた剣は歪みのない直線。
心地良い鈴の音はこの剣についている鈴のようだ。
「貴様らは元より、人間を護る神であろう。その神が
静かに問いかける彼に、妖狐たちは尚も飛びかかろうとする。
彼はその様を鼻で笑った。
「…話も通じぬとは…余程の力が働いておるな」
一柱目の前に手をかざし、動きを制止する。
一瞬だけ時間が止まったようだったが、次の瞬間には妖狐は既に男の刃を受けて光となって空気に散るように消えていった。
人の目では追えない程の速さであっという間に二柱目の間合いに飛び込み、素早く斬りつけると妖狐は一柱目と同様に散った。
「…これが末路か…哀れなものだ」
切なさの滲む声色で呟く男。
「…あの…あなたは…」
周りの反応を伺うように、丙が恐る恐る問いかける。
「…我は、
「朧さん……助けて下さったんですか?」
朧は振り返らずに答えた。
「我が、貴様らをか?…下らん。我は誇り高き妖を少しでも多く遺しておきたいだけだ。あやつらは狂っておる。一度狂えば元に戻す術はあるまい。待っておるのは…死だ」
「…狂っているというのは…叢雲の仕業なのか?」
龍愛の問に朧は頷く。
「…左様。貴様らも一度は出会ったであろう、あの凶暴化した妖…其れら全てが叢雲によって狂わされた奴らだ」
すると、朧は鋭い眼差しと共に振り向く。
その目は真っ直ぐに丙を見つめていた。
「…貴様も妖ならば用心するべきだ。叢雲になぞ着いて行くものではない」
「っ」
「待て。丙は人間だ」
横槍を入れた青龍を鼻で笑うと暗闇に溶けていく朧。
その様子をじっと見ていた玄武がぽつりと呟く。
「…なあにあの人」
「妖…だね、見た感じかなり良い身分みたいだけど」
玄武と白虎がそっと丙に視線を移す。
悲しげな面持ちで俯く丙に二人は眉を下げた。
「…それにしても、あんな言い方はどうかと思うんだよね~」
「やっぱ?白虎もそう思うよね!?丙くん、気にすること無いよ!ねっ!」
丙を励まそうと一生懸命な二人に、丙は僅かに微笑んだ。
「…帰ろう。叢雲の動向も、一度探った方が良い」
「そうだな、これ以上妖に狂われたらたまんねえしな」
双子が歩み出す。
丙の過去も調べてみよう、と龍愛は朱雀に耳打ちした。
青龍は俯いたままの丙の頭を無言で軽く撫でる。
丙は重たい足を引きずるようにその場を後にした。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます