『捨犬』
矢口晃
第1話
誰ですか、犬小屋のなかにまたあの白いプッシュホンを隠したのは。
この犬ですか。しょうがない。捨てられているところを、せっかく拾って来て飼ってやっているというのに、いつでもろくなことをしやしないのだから。散歩には行かせる、糞尿の始末はさせる、餌は平気で食い散らかす。おまけに毎日毎日人のプッシュホンを咥えて犬小屋の中に隠してしまう。白いプッシュホンを、唾液と土でどろどろにしてしまう。
一体こんなボロ犬、拾って来なければよかったんだ。もう一度捨ててやろうかしら。
おや、こんな時にちょうど家の前の路地を歩いて行くのは、三丁目の角のあの肉屋さんではないか。そうだそうだ。いいことを思いついた。この犬をあの肉屋に呉れて、ミンチにしてもらおう。こんなボロ犬もういらないから、肉屋に頼んで挽き肉にでもしてもらったらいいだろう。
うるさい。誰だい、そんなところでさっきからびいびい喧しく泣いているのは。また太郎かい。しょうがない。あの子の犬好きと言ったらないんだから。だいたいこの犬を橋の下で見つけた時に、どうしても家に連れて帰りたいと言い出したのはあの子だったのだから。泣き出したら聞きやしない。私はこんな汚らしい犬を連れて帰りたくはなかったのだけれど、あの子がいつまでも甲高い声で泣き立てるから、最後にはとうとう私が折れるしかなかった。
いったいこんなボロ犬のどこがかわいいというのだろう。頭も悪いしよく吠える、人の言うことは何も聞かないこんな犬の、いったいどこが好きだというのだろう。私が犬を捨てに行くと言いさえすれば、すぐああやって大きな声で泣くのだから。今朝だってそうだ。私が仕方なく犬を散歩に連れ出そうとしたら、てっきり捨てに行くものと勘違いしたあの子が、また例の如く大きな声で泣き喚いたのだ。うるさいと言ったらありはしない。
今私が考えていることが、きっとあの子に分かったのだろう。私が何か恐ろしいことを考えていることが、声に出さなくてもあの子には察しがつくのだろう。そして悲しくて泣いているのだろう。犬を殺されやしないかと、心配でたまらないのだろう。
なら、いつまでもいっしょにいるといいさ。
「ちょっとお肉屋さん。ここにいるこの汚らしい犬と、それからあそこで泣いているうるさい子供とを、一緒にミンチにしてやって下さいな」
『捨犬』 矢口晃 @yaguti
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