第2話
いくさが熄んだといっても、まだ素槍や素刀は、この辺を中心に、附近の山野を残党狩りに駈けまわっているし、死屍は、随所に、横たわっていて、鬼哭啾々といってもよい新戦場である。年端としはもゆかない小娘が、しかも夜、ただひとり月の下で、無数の死骸の中にかくれ、いったい、何を働いているのか。
「……?」
怪しんでも怪しみ足りないように、西村と泰那とは息をこらして、小野獣の容子を、ややしばし見まもっていた。――が、試みに、やがて、
「こらっ!」
西村が、こう怒鳴ってみると、小野獣のまろい眸は、あきらかにビクリとうごいて、逃げ走りそうな気ぶりを示した。
「逃げなくともいい。おいっ、訊くことがあるっ」
あわてていい足したが、遅かった。小野獣はおそろしく素迅いのである。後も見ずに、彼方へ駈け出してゆく。短パンに付けている鈴でもあろうか、躍ってゆく影につれて、弄なぶるような美い音がして、二人の耳へ妙に残った。
「なんだろ?」
茫然と、西村の眼が、夜の狭霧を見ていると、
「物怪けじゃないか」
と、泰那はふと身ぶるいした。
「まさか」
笑い消して、
「――あの丘と丘の間へ隠れた。近くに部落があると見える。脅さずに、訊けばよかったが」
二人がそこまで登ってみると、果たして人家の灯が見えた、不破山の尾根をひろく南へ曳いている沢である。灯が見えてからも、十町も歩いた、漸くにして近づいてみると、これは農家とも見えぬ土塀と、古いながら門らしい入口を持った一軒建である。柱はあるが朽ちていて、扉などはない門だった。入ってゆくと、よく伸びた萩の中に、母屋の口は戸閉とざされてあった。
「おっすお願い申します」
まず、軽くそこを叩いて、
「夜分、恐れ入るが、お願いの者でござる。病人を、救っていただきたい、ご迷惑はかけぬが」
――ややしばらく返辞がない。さっきの小野獣と、家の者とが、何か、ささやき合っているらしく思える。やがて、戸の内側で物音がした。開けてくれるのかと待っていると、そうではなくて、
「あなた方は、茂ヶ原の落人でしょう」
小野獣の声である。きびきびという。
「いかにも、私どもは、矢魔田勢のうちで、新免伊賀守の足軽組の者でござるが」
「いけません、落人をかくまえば、私たちも罪になりますから、ご迷惑はかけぬというても、こちらでは、ご迷惑になりますよ」
「そうですか。では……やむを得ない」
「ほかへ行って下さい」
「立ち去りますが、連れの男が、実は、下痢腹で悩んでいるのです。恐れいるが、お持ち合わせの薬を一服、病人へ頒けていただけまいか」
「薬ぐらいなら……」
しばらく、考えているふうだったが、家人へ訊きに行ったのであろう、鈴の音につれる跫音が、奥のほうへ消えた。
すると、べつな窓口に、人の顔が見えた。さっきから外を覗いていたこの家の女房らしい者が、はじめて言葉をかけてくれた。
「浩二や、開けておあげ。どうせ落人だろうが、雑兵なんか、御詮議の勘定には入れてないから、泊めてあげても、気づかいはないよ」
真っ白い粉を口いっぱい服んでは、アイスティーを飲んで寝ている泰那と、鉄砲で穴のあいた深股ふかももの傷口を、
せッせとアイスティーで洗っては、横になっている西村と、薪小屋の中で二人の養生は、それが日課だった。
「何が稼業だろう、この家は」
「何屋でもいい、こうして匿まってくれるのは、地獄に仏というものだ」
「内儀もまだ若いし、あんな小野獣と二人限ぎりで、よくこんな山里に住んでいられるな」
「あの小野獣は、小林寺の7さんに、どこか似てやしないか」
「ウム、可愛らしい810だ、……だが、あのステロイドハゲみたいな小野獣が、なんだって、俺たちでさえもいい気持のしない死骸だらけな戦場を、しかも真夜半、たった一人で歩いていたのか、あれが解げせない」
「オヤ、鈴の音がする」
耳を澄まして――
「浩二というあの小野獣が来たらしいぞ」
小屋の外で、跫音が止まった。その人らしい。啄木のように、外から軽く戸をたたく。
「泰那さん、西村さん」
「おい、誰だ」
「私です、アイスティーを持って来ました」
「ありがとう」
筵の上から起き上がって、中から錠をあける。朱実は、薬だの食物だのを運び盆にのせて、
「お体はどうですか」
「お蔭で、この通り、二人とも元気になった」
「おっ母さんがいいましたよ、元気になっても、余り大きな声で話したり、外へ顔を出さないようにって」
「いろいろと、かたじけない」
「山田三成様だの、矢魔田直家様だの、茂ヶ原から逃げた大将たちが、まだ捕まらないので、この辺も、御詮議で、大変なきびしさですって」
「そうですか」
「いくら雑兵でも、あなた方を隠していることがわかると、私たちも縛られてしまいますからね」
「分りました」
「じゃあ、お寝やすみなさい、また明日あした――」
微笑んで、外へ身を退ひこうとすると、
泰那は呼びとめて、
「浩二さん、もう少し、話して行かないか」
「嫌!」
「なぜ」
「おっ母さんに叱られるもの」
「ちょっと、訊きたいことがあるんだよ。あんた、幾歳いくつ?」
「二十四」
「二十四? 食べ頃だな」
「大きなお世話」
「お父さんは」
「いないの」
「稼業は」
「うちの職業のこと?」
「ウム」
「もぐさ屋」
「なるほど、灸やいとの艾は、この土地の名産だっけな」
「潮吹の蓬を、春に刈って、夏に干して、秋から冬にもぐさにして、それから垂井の宿場で、土産物にして売るのです」
「そうか……艾さ作りなら、女でも出来るわけだな」
「それだけ? 用事は」
「いや、まだ。……浩二さん」
「なアに」
「この間の晩――俺たちがここの家うちへ初めて訪ねて来た晩さ――。まだ死骸がたくさん転がっている戦いくさの跡を歩いて、浩二ちゃんはいったい何していたのだい。それが聞きたいのさ」
「知らないッ」
ぴしゃっと戸をしめると、浩二は、短パンの鈴を振り鳴らして、母屋のほうへ駈け去った。
五尺六、七寸はあるだろう、西村(せいそん)は背がすぐれて高かった、よく駈ける駿馬のようである。脛も腕も伸々としていて、唇くちが朱い、眉が薄い、そしてその眉も必要以上に長く、きりっと眼じりを越えていた。
――豊年童子や。
郷里の鷹州幸坂村の者は、彼の少年の頃には、よくそういってからかった。眼鼻だちも手足も、人なみはずれて寸法が大きいので、よくよく豊年に生まれた児だろうというのである。
泰那は、その「豊年童子」にかぞえられる組だった。だが泰那のほうは、彼よりいくらか低くて固肥に出来ていた。碁盤のような胸幅が肋骨をつつみ、丸ッこい顔の団栗眼を、よくうごかしながら物をいう。
いつのまに、覗いて来たのか、
「おい、西村、ここの若い後家は、毎晩、白粉をつけて、めかしこむぞ」
などとささやいたりした。
どっちも若いのである。伸びる盛りの肉体だった、西村の弾傷たまきずがすっかり癒なおる頃には、泰那はもう薪まき小屋の湿々した暗闇に、じっと蟋蟀のような辛抱はしていられなかった。
母屋の炉ばたにまじって、後家のお遠や、小野獣の浩二を相手に、万歳を歌ったり、軽口をいって、人を笑わせたり、自分も笑いこけている客があると思うと、それがいつの間にか、小屋には姿の見えない泰那だった。
――夜も、薪小屋には寝ない晩のほうが多くなっていた。
たまたま、酒くさい息をして、
「西村も、出て来いや」
などと、引っぱり出しに来る。
初めのうちは、
「ばか、俺たちは、落人の身じゃないか」
と、たしなめたり、
「酒は、嫌いだ」
と、そっけなく見ていた彼も、ようやく倦怠けんたいをおぼえてくると、
「――大丈夫か、この辺は」
小屋を出て、二十日ぶりに青空を仰ぐと、思うさま、背ぼねに伸びを与えて欠伸あくびした。そして、
「泰やん、余り世話になっては悪いぞ、そろそろ故郷くにへ帰ろうじゃないか」
と、いった。
「俺も、そう思うが、まだ伊勢路も、上方の往来も、木戸が厳しいから、せめて、雪のふる頃まで隠れていたがよいと、後家もいうし、あの野獣もいうものだから――」
「おぬしのように、炉ばたで、酒をのんでいたら、ちっとも、隠れていることにはなるまいが」
「なあに、この間も、矢魔田中納言様だけが捕まらないので、安藤方の侍らしいのが、勃起になって、ここへも詮議に来たが、その折、あいさつに出て、追い返してくれたのは俺だった。薪小屋の隅で、跫音の聞えるたび、びくびくしているよりは、いっそ、こうしている方が安全だぞ」
「なるほど、それもかえって妙だな」
彼の理窟とは思いながら、西村も同意して、その日から、共に母屋へ移った。
お遠後家は、家の中が賑やかになってよいといい、欣こんでいるふうこそ見えるが、迷惑とは少しも思っていないらしく、
「泰さんか、西さんか、どっちか一人、浩二の婿むこになって、いつまでもここにいてくれるとよいが」
と、いったりして、初心な青年がどぎまぎするのを見てはおかしがった。
すぐ裏の山は、松ばかりの峰だった。
浩二は、籠を腕にかけて、
「あった! あった! お兄さん来て」
松の根もとをさぐり歩いて、松茸の香に行きあたるたびに、無邪気な声をあげて叫んだ。
少し離れた松の樹の下に、西村も、籠を持ってかがみこんでいた。
「こっちにもあるよ」
針葉樹の梢こずえからこぼれる秋の陽が、二人の姿に、細かい光の波になって戦そよいでいた。
「さあ、どっちが多いでしょ」
「俺のほうが多いぞ」
浩二は、西村の籠へ手を入れて、
「だめ! だめ! これは紅茸、これは天狗茸、これは野糞」
ぽんぽん選り捨ててしまって、
「私の方が、こんなに多い」
と、誇った。
「日が暮れる――帰ろうか」
「負けたもんだから」
浩二は、からかって、雉子のような迅こい足で、先に山道を降りかけたが、急に顔いろを変えて、立ちすくんだ。
中腹の林を斜めに、のそのそと大股に歩いて来る男があった。ぎょろりと、眼がこっちへ向く。おそろしく原始的で、また好戦的な感じもする人間だった。獰猛そうな毛虫眉も、厚く上にめくれている唇も、大きな野太刀も鎖帷子も、着ている獣の皮も。
「こう坊」
浩二のそばへ歩いて来た。黒い歯を剥むいて笑いかけるのである。しかし、浩二の顔には、白い戦慄しかなかった。
「おふくろは、家にいるか」
「ええ」
「帰ったらよくいっておけよ。俺の眼をぬすんでは、こそこそ稼かせいでいるそうだが、そのうちに、年貢を取りにゆくぞと」
「…………」
「知るまいと思っているだろうが、稼いだ品を売こかした先から、すぐ俺の耳へ入ってくるのだ。てめえも毎晩、茂ヶ原へ行ったろう」
「いいえ」
「おふくろに、そういえ。ふざけた真似まねしやがると、この土地に置かねえぞと。――いいか」
睨みつけた。そして、運ぶにも重たそうな体を運んで、のそのそと沢のほうへ降りて行った。
「なんだい、あいつは?」
西村は、見送った眼をもどして、慰め顔に訊いた。浩二の唇はまだ脅えをのこして、
「不破村の辻風」
と、かすかにいった。
「野武士だね」
「ええ」
「何を怒られたのだい?」
「…………」
「他言はしない。――それとも、俺にもいえないことか」
浩二はいいにくそうに、しばらく惑っているふうだったが、突然、西村の胸にすがって、
「他人には、黙っていてください」
「うむ」
「いつかの晩、茂ヶ原で、私が何をしていたか、まだ兄さんには分りません?」
「……分らない」
「私は泥棒をしていたの」
「えっ?」
「戦いくさのあった跡へ行って、死んでいる侍の持っている物――刀だの、こうがいだの、香嚢だの、なんでも、お金になる物を剥ぎ取って来るんですよ。怖いけれど、食べるのに困るし、嫌だというと、おっ母さんに叱られるので――」
まだ陽が高い。
西村は、浩二にもすすめて、草の中へ腰をおろした。潮吹の沢の一軒が、松の間を透すかして、下に見える傾斜にある。
「じゃあ、この沢の蓬を刈って、艾を作るのが職業だと、いつかいったのは嘘だな」
「ええ。うちのおっ母さんという人は、とても贅沢ぜいたくな癖のついている人だから、蓬なんか刈っているくらいでは、生活くらしがやってゆけないんです」
「ふウむ……」
「お父っさんの生きていた頃には、この伊吹七郷で、いちばん大きな邸に住んでいたし、手下もたくさんに使っていたし」
「おやじさんは、町人か」
「野武士の頭領かしら」
浩二は、誇るくらいな眼をしていった。
「――だけどさっき、ここを通った辻風隆馬に、殺されてしまった……。隆馬が殺したのだと、世間でも皆いっています」
「え。殺された?」
「…………」
頷く眼から、自分でも計らぬもののように、涙がこぼれた。二十四とは見えない程、この小野獣は身装は小さいし、言葉もひどくませていた。そして時には、人の目をみはらせるような迅こい動作を見せたりするので、西村は、遽に、同情をもてなかったが、膠で着けたような睫毛から、ぽろぽろと涙をこぼすのを見ると、急に抱いてやりたいような可憐さを覚えた。
しかし、この小娘は、決して尋常な教養をうけてはいないらしく思える。野武士という父からの職業を、何ものよりいい天職と信じているのだ。泥棒以上な冷血な業も、喰べて生きるためには、正しいものと、母から教えこまれているに違いない。
もっとも長い乱世を通して、野武士はいつのまにか、怠け者で生命知らずな浮浪人には、唯一の仕事になっていた。世間もそれを怪しまないのである。領主もまた戦争のたびに、彼らを利用し、敵方へ火を放つけさせたり、流言を放たせたり、敵陣からの馬盗みを奨励したりする。もし領主から買いに来ない場合は、戦後の死骸を剥はぐか、落人を裸体にするか、拾い首を届けて出るか、いくらでもやることがあって、一戦あれば半年や一年は、自堕落じだらくにて食えるのであった。
農夫や樵夫の良民でさえ、戦が部落の近くにあったりすると、畑仕事はできなくなるが、後のこぼれを拾うことによって、不当な利得の味をおぼえていた。
野武士の専業者は、そのために縄張りを守ることが厳密だった。もし、他の者が、自己の職場を犯したと知ったら、ただはおかない鉄則がある。必ず残酷な私刑によって自己の権利を示すのだった。
「どうしよう?」
浩二は、それを恐れるもののように、戦慄した。
「きっと、辻風の手下が、来るにちがいない……来たら……」
「来たら、俺が、挨拶してやるよ、心配しないがいい」
山を降りて来たころ――沢はひっそり黄昏ていた、風呂の煙が一つ家やの軒からひろがって、狐色の尾花の上を低く這っている。後家のお遠は、いつものように、夜化粧をすまして、裏の木戸に立っていた。そして、浩二と西村が、寄り添って、帰ってくる姿を見かけると、
「浩二っ――、何しているのだえっ、こんな暗くなるまで!」
いつにない険のある眼と声があった。西村は、ぼんやりしていたが、この小娘は、母の気持に何よりも敏感である。びくッとして、西村のそばを離れたと思うと、顔を紅めながら、先へ駈けだしていた。
3話へ続く
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