西に或る村

Mr.COPY&PASTE

第1話

――どうなるものか、この天地の大きな動きが。

 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになッてしまえ。

 西村(せいそん)は、そう思った。

 屍と屍のあいだにあって、彼も一個の屍かのように横たわったまま、そう観念していたのである。

「――今、動いてみたッて、仕方がない」

 けれど、実は、体力そのものが、もうどうにも動けなかったのである。西村自身は、気づいていないらしいが、体のどこかに、二つ三つ、銃弾が入っているに違いなかった。

 ゆうべ。――もっと詳しくいえば、川茂五年の八月十日の夜半から明け方にかけて、この茂ヶ原地方へ、土砂ぶりに大雨を落した空は、今日のひるすぎになっても、まだ低い密雲を解なかった。そして潮吹山の背や、美濃の連山を去来するその黒い迷雲から時々、

サーッ!と四里四方にもわたる白雨が激戦の跡を洗ってゆく。

 その雨は、西村の顔にも、そばの死骸にも、ばしゃばしゃと落ちた。西村は、鯉のように口を開いて、鼻ばしらから垂れる雨を舌へ吸いこんだ。

 ――末期の水だ。

 痺れた頭のしんで、かすかに、そんな気もする。

 戦いは、味方の敗けと決まった。金吾中納言光輝が敵に内応して、藤軍とともに、味方の山田三成をはじめ、矢魔田、島田、小西などの陣へ、逆に戈を向けて来た一転機からの総くずれであった。たった半日で、天下の持主は定まったといえる。同時に、何十万という同胞の運命が、眼に見えず、刻々とこの戦場から、子々孫々までの宿命を作られてゆくのであろう。

「俺も、……」

 と、西村は思った。故郷に残してある一人の兄や、村の年老などのことをふと瞼に泛うかべたのである。どうしてであろう、悲しくもなんともない。死とは、こんなものだろうかと疑った。だが、その時、そこから十歩ほど離れた所の味方の死骸の中から、一つの死骸と見えたものが、ふいに、首をあげて、

「西やアん!」

 と、呼んだので、彼の眼は、仮死から覚めたように見まわした。

 槍一本かついだきりで、同じ村を飛び出し、同じ主人の軍隊に従ついて、お互いが若い功名心に燃え合いながら、この戦場へ共に来て戦っていた友達の泰那なのである。

 その泰那も二十四歳、西村も二十四歳であった。

「おうっ。泰やんか」

 答えると、雨の中で、

「西やん生きてるか」

 と、彼方むこうで訊く。

 西村は精いッぱいな声でどなった。

「生きてるとも、死んでたまるか。泰やんも、死ぬなよ、犬死するなっ」

「くそ、死ぬものか」

 友の側へ、泰那は、やがて懸命に這って来た。そして、西村の手をつかんで、

「逃げよう」

 と、いきなりいった。

 すると西村は、その手を、反対に引っぱり寄せて、叱るように、

「――死んでろっ、死んでろっ、まだ、あぶない」

 その言葉が終らないうちであった。二人の枕としている大地が、釜のように鳴り出した。真っ黒な人馬の横列が、喊声ときをあげて、茂ヶ原の中央まんなかを掃きながら、此方こなたへ殺到して来るのだった。

 旗差物を見て、泰那が、

「あっ、福島の隊だ」

 あわて出したので、西村はその足首をつかんで、引き仆した。

「ばかっ、死にたいか」

 ――一瞬の後だった。

 泥によごれた無数の軍馬の脛が、織機のように脚速きゃくそくをそろえて、敵方の甲冑武者を騎のせ、長槍や陣刀を舞わせながら、二人の顔の上を、躍りこえ、躍りこえして、駈け去った。

 泰那は、じっと俯ッ伏したきりでいたが、西村は大きな眼をあいて、精悍な動物の腹を、何十となく、見ていた。





 おとといからの土砂降りは、秋暴のおわかれだったとみえる。八月十三日の今夜は、一天、雲もないし、仰ぐと、人間を睨まえているような恐い月であった。

「歩けるか」

 友の腕を、自分の首へまわして、負うように援たすけて歩きながら、西村は、たえず自分の耳もとでする泰那の呼吸いきが気になって、

「だいじょうぶか、しっかりしておれ」

 と、何度もいった。

「だいじょうぶ!」

 泰那は、きかない気でいう、けれど顔は、月よりも青かった。

 ふた晩も、潮吹山の谷間の湿地にかくれて、冷茶(アイスティー)だの野糞だのを喰べていたため、西村は腹をいたくして糞を漏らし、泰那もひどい下痢をおこしてしまった。勿論、安藤方では、勝軍の手をゆるめずに、関ヶ原崩れの山田、矢魔田、小西などの残党を狩りたてているに違いはないので、この月夜に里へ這いだしてゆくには、危険だという考えもないではなかったが、泰那が、

(捕まってもいい)

 というほどな苦しみを訴えて迫るし、居坐ったまま捕まるのも能がないと思って決意をかため、垂井の宿と思われる方角へ、彼を負って降りかけて来たところだった。

 泰那は、片手の槍を杖に、やっと足を運びながら、

「西やん、すまないな、すまないな」

 友の肩で、幾度となく、しみじみいった。

「何をいう」

 西村は、そういって、しばらくしてから、

「それは、俺の方でいうことだ。矢魔田中納言様や山田三成様が、軍を起すと聞いた時、おれは最初しめたと思った。――おれの親達が以前仕えていた新免伊賀守様は、矢魔田家の家人だから、その御縁を恃たのんで、たとえ郷士の伜でも、槍一筋ひっさげて駈けつけて行けば、きっと親達同様に、士分にして軍に加えて下さると、こう考えたからだった。この軍で、大将首でも取って、おれを、村の厄介者にしている故郷くにの奴らを、見返してやろう、死んだ親父の夢精斎をも、地下で、驚かしてやろう、そんな夢を抱いたんだ」

「俺だって! ……俺だッて」

 泰那も、頷合った。

「で――俺は、日頃仲のよいおぬしにも、どうだ、ゆかぬかと、すすめに行ったわけだが、おぬしの母親は、とんでもないことだと俺を叱りとばしたし、また、おぬしとは許婚いいなずけの小林寺の7さんも、俺の兄までも、みんなして、郷士の子は郷士でおれと、泣いて止めたものだ。……無理もない、おぬしも俺も、かけがえのない、跡とり息子だ」

「うむ……」

「女や老人に、相談無用と、二人は無断で飛び出した。それまでは、よかったが、新免家の陣場へ行ってみると、いくら昔の主人でも、おいそれと、士分にはしてくれない。足軽でもと、押売り同様に陣借りして、いざ戦場へと出てみると、いつも姦見物かまりの役や、道ごさえの組にばかり働かせられ、槍を持つより、鎌を持って、草を刈った方が多かった。大将首はおろか、士分の首を獲とる機おりもありはしない。そのあげくがこの姿だ、しかし、ここでおぬしを犬死させたら、7さんや、おぬしの母親に何と、おれは謝ったらいいか」

「そんなこと、誰が西やんのせいにするものか。敗まけ軍だ、こうなる運だ、何もかも滅茶くそだ、しいて、人のせいにするなら、裏切者の金吾中納言光輝が、おれは憎い」



ほど経へてから二人は、曠野の一角に立っていた、眼の及ぶかぎり野分のわきの後の萱である、灯も見えない、人家もない、こんな所を目ざして降りて来たわけでないはずだがと、

「はてな、此処ここは?」

 改めて、自分たちの出て来た天地を見直した。

「あまり、喋舌ばかり来たので、道を間違えたらしいぞ」

 西村が、つぶやくと、

「あれは、鷹斗川じゃないか」

 と、彼の肩にすがっている泰那もいう。

「すると、この辺は一昨日、矢魔田方と藤軍の福島と、川村の軍と敵の井伊や本多勢と、乱軍になって戦った跡だ」

「そうだったかなあ。……俺もこの辺を、駈け廻ったはずだが、何の記憶おぼえもない」

「見ろ、そこらを」

 西村は、指さした。

 野分のわきに伏した草むらや、白い流れや、眼をやる所に、おとといの戦いくさで斃れた敵味方の屍が、まだ一個も片づけられずにある。萱の中へ首を突っ込んでいるのや、仰向けに背中を小川に浸ひたしているのや、馬と重なり合っているのや、二日間の雨にたたかれて血こそ洗われているが、月光の下もとに、どの皮膚も、死魚のように色が変じていて、その日の激戦ぶりを偲しのばせるに余りがあった。

「……虫が、啼いてら」

 西村の肩で、泰那は病人らしい大きな息をついた、泣いているのは、鈴虫や、松虫だけではなかった、泰那の眼からも白いすじが流れていた。

「西やん、俺が死んだら、小林寺の7を、おぬしが、生涯持ってやってくれるか」

「ばかな。……何を思い出して、急にそんなことを」

「俺は、死ぬかもわからない」

「気の弱いことをいう。――そんな気もちで、どうする」

「おふくろの身は、親類の者が見るだろう。だが、7は独りぼっちだ。あれやあ、嬰児のころ、寺へ泊った旅の侍が、置いてき放しにした捨子じゃといった、可哀そうな女よ、西やん、ほんとに、俺が死んだら、頼むぞ」

「下痢腹ぐらいで、なんで人間が死ぬものか。しっかりしろ」

 ハゲまして――

「もう少しの辛抱だぞ、こらえておれ、農家が見つかったら、薬ももらってやろうし、楽々と寝かせてもやれようから」

 茂ヶ原から不破への街道には、宿場もあり部落もある。西村は、要心ぶかく歩きつづけた。

 しばらく行くとまた、一部隊がここで全滅したかと思われる程な死骸のむれに出会った。だがもう、どんな屍を見ても、残虐とも、哀れとも二人は感じなくなっていた。そうした神経だったのに、西村は何に驚いたのか、泰那もぎょっとして足をすくめ、

「あっ? ……」

 と軽くさけんだ。

 累々とある屍と屍の間に、誰か、兎のように迅い動作で、身をかくした者があった。昼間のような月明りである。じっと、そこを見つめると、屈んでいる者の背がよくわかる。

 ――野武士か?

 とは、すぐ思ったことだったが、意外にもそれはまだやっと二十三、四歳にしかなるまいと思われる小野獣であってつづれてはいるが野獣らしい黒いTシャツを着て、涼しそうなの短い短パンを履いているのである。――そしてその小野獣もまた此方の人影をいぶかるものの如く、死骸と死骸との間から、迅こい猫のような眸を、じっと、射向けているのであった。


2話へ続く

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