第11話 濁る音にて

『で、てめぇは避難もせず何していやがった?』


 町を覆っていた炎が鎮静し始め、粗方の人々を避難させ一息ついたところで踏田が瓦礫の塊に腰掛け、青海に問いかけてきた。


『俺はその、たまには生きてることくらい伝えようと戻ってきて……』

『たまには? ああ、お前もこっから出て行ってたのかよ』


 即日ここから出て行った踏田は知る由もない。青海はおよそ一年前ここを出たことを伝えた。ただマリナのことは伝えず、タルタローゼから北上し、大移動のころにタルタローゼへ戻ってきたことにしている。

 今度は青海からの質問で、何故すぐに出て行った踏田が今ここにいるのかを問う。


 それに対して踏田は一瞬言葉を濁す。言いづらい内容もあるのだろうが、まずは一から説明しないと理解できないことなのだろう。だから踏田は自分のこと、そして樺來のことを話し始めた。



 踏田は樺來のことを嫌っていた。それはみんなにやさしく頼れる男に嫉妬や羨望の裏返しをしていたわけではなかった。

 樺來という男の本心をなんとなくだが感じていたからだ。みんなのヒーローの仮面の下にある邪悪な本性に。


 クラスはいつも、樺來が中心だった。特に女子は樺來に対して好意以上のものを抱いていた。

 もちろん男子からも人気があった。なのに何故、あのような班分けをされたのか。


 樺來の取り巻きのうち、特に見た目のよい2人はともかく、樺來を敵視している踏田とその彼女である押田、そのうえ樺來にこれといった興味を持たない美深。樺來ならいくらでも仲の良いメンバーで揃えられたのに、この組み合わせは確かにおかしい。


 簡単に言うと、課外授業を利用して樺來は自分の下に踏田たちを組み込むか、できなければ潰すつもりだったということらしい。

 素行の悪い踏田を潰すのなんて簡単なことだ。教師にあることないこと告げ口すればいい。そのためにこれまで信用を得てきたのだから。

 だから踏田は機会を伺い、樺來から離れたかった。あのときがそのチャンスだったのだ。



『まあ出て行った理由っていやあこんな感じか』

『で、でもなんで樺來君がこの町をこんな風に……』


『あいつは親の目、教師の目を気にするだけのいい子ちゃんぶったファンキーな奴なんだよ。そんな奴が親も教師もいないどころか、永遠に関わることができない場所へ連れて行かれたらどうなると思う?』


 自分を縛るたがが外れ、本性を現したというのだろう。

 親や教師のような、自分に圧を加える人がいない。すぐには実感できなかっただろうが、それに気付いたとき、かなりの開放感を味わっただろう。

 たがが外れた樽は、内側に溜まった水の圧により樽板が外れ、中の水が溢れる。樺來の内圧は相当なものだったようで、爆発するように噴き出したのではないか。


 それでは何故こんなことをしたのかという話だが、どうやらその本性を山彩が見抜いたのではないかという推測。

 樺來本人も隠し切れないのに気付いていたであろうが、不安因子があるなら消去してしまえばいい。それを町ごと行うのは不明だが、他にも不安要素があったのか、はたまた力の制御ができないか。


 憶測ならいくらでもできる。だがそんなことは考えるだけ無駄というものだ。他人の考えの正解なんて何人集まって議論したところで本当のところはわからないのだから。



『まぁそんなとこだろ。んじゃ俺ぁ帰るわ。てめぇも気を付けるこったな』

『あっ』


 止める間もなく踏田は背を向け、軽く手を振って去って行った。

 聞きたいことは山ほどある。まだここへ来た理由も話していない。だが気の抜けてしまった青海は今更体に震えがきて、思うように動けないでいた。


 頭の中が混乱し、自分が今、なにをすればいいかもわからない。いや、厳密に言えばわかっているのだが、そこへ気持ちが持っていけない。

 今は大火災後のため、人手はいくらでも欲しいだろう。だが青海の精神状態でそれが行えるとは思えない。邪魔な人間はいないほうがありがたいため、青海はふらふらと帰って行った。




 青海が邪神山へ入り、もう少しで社へ着くところで、マリナが凄い勢いで青海のもとへ走ってきた。

 こちらでもなにかあったのだろうかと思う暇もなく、青海はマリナからぶん殴られ吹っ飛んだ。


『お……ぐ、あっ。てめ、なにしやがる!』

『うっさーい! そんな汚い残音響かせて帰ってくんなー!』


 マリナは両手で耳を塞ぎながら叫ぶ。かなりのご立腹だ。


『一体なんの話だよ!』

『いーから山おりろー! いーってゆーまで入るの禁止ーっ』


 マリナは更に青海を蹴飛ばし、斜面を転げ落とした。文字通り聞く耳持たない、有無を言わせぬ状態だ。

 全く意味がわからない。頭の中もぐちゃぐちゃになったままだ。青海はそれでもマリナの言いつけ通り山を下り、麓の辺りでじっと時を過ごした。




 青海が戻るのを許されたのは、それから2日ほど経過してからだった。

 流石に2日もあれば混乱した心は整理され、きちんとものを考えられるようにはなっていた。


 山彩のこと、踏田のこと。そして樺來のことをずっと考えていた。

 結局考えても答えなんて出ないということがようやくわかり、混乱が収束していったといった感じだ。


『んでよ、なんだったんだよ』


 迎えに来たマリナと社へ戻る山中、落ち着きを取り戻した青海は何故先日あんなことをしたのか訊ねてみる。


『てかオーミさ、なんであんなばっちー音させてたんさ』


 マリナの言っている意味が全くわからないし、心当たりもない。だから青海はイルクイクであった出来ごとの詳細をマリナへ語った。



『…………オーミ、そいつーにつけられたりしてないよーね?』

『そいつってどっちだ?』

『火につつまれてたほーだよ』


 樺來のことだ。彼は青海に興味なさそうで目も向けていなかった。それにきっとあのときの炎で殺したと思っているだろうから、後をつけるようなことはないはずだ。


『大丈夫だと思うけど、なんでだ?』

『そいつー、多分『言葉神あめつちのかみ』信仰だよ』


 言葉神あめつちのかみは歴史の闇に葬られ、今となっては失われた神の一柱だ。記録として現存しているものは、詞記書いろはのしるしがきという古文書のみ。

 それはマリナの親の実家、つまり日本にあるものと、この世界へ来たとき記憶を頼りに作られたものだけだ。


 その神の力は、二つの音と共に顕現する。現代語訳するとそんな感じの記載があるらしい。


『なるほど。詞神いろはのかみの神宿の2文字バージョンか』

『そんな感じだーね。でも前言ったでしょー。音が2つになると濁るんだよ。それがオーミに残ってたんだーね』


 残り香のようなものだろう。音とは振動であり、その振動がおさまらず青海の体あるいは服などに残っていたようだ。町に入ったときに感じた不快な音の正体は恐らくこれだ。


『ちなみにどっちのが強いんだ?』


 正体がわかったところで、重要な話を切り出す。また樺來と出会ったら戦う可能性がある。もし向こうのほうが強いというのならば、なるべく避けるよう努めなければならない。


『あのねオーミ。言葉神あめつちのかみも神様なんだよ。神様同士を比べるってオーミは何様なのさ。神様は神様なんだよ』


 マリナが青海に説教をする。だがこの後にマリナは、まあでもと続ける。


『あんな濁った音にいろはの音が負けるわけないーさ』


 マリナは詞神いろはのかみが大好きなのだ。実際はどうあれ、常に贔屓目である。




『でー、オーミはどーするつもり?』

『どうするもなにも……』


 青海は考えた。

 恐らく踏田は樺來を追うだろう。それに美深の行方も少しは気になる。

 それでもやはり恐怖はある。樺來のやったことは許せぬが、自分の命のほうが重要だ。無理なことはしたくない。


 だけどとりあえず一度、踏田からじっくりと話を聞きたい。あの後なにをしていたのか、それにあのタイミング────樺來が起こした事件の際、何故現れたかなど。


『踏田と長芽の行方を探し、話をしてみようと思う。樺來君のことは……保留で』

『まーそーだろーね。言葉神は禍神まががみだからあんまかかわらないほーがいーし』


 言葉神は歴史の闇に葬られ、厄災をもたらす禍神へと変貌してしまった。詞神いろはのかみのように受け継がれず、断絶してしまうと神であっても堕ちてしまうのだ。

 マリナの家は代々詞神の御神体を守り、そして今は青海、それにラターニャまでいる。世界が変われども、これからもまだ続くため詞神がそうなることはなさそうだ。


 そして樺來は一体どこから知識を得たのかわからぬが、関わってしまった以上、彼もただでは済まないだろう。


『だからもう一度、イルクイクに行ってくる』

『いーけどオーミ、ちゃんと帰ってくんだよ』

『わかってる』


 青海は戻るなり準備をし、翌日には山を下りた。

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