第10話 イルクイクにて

「あのー、ここは?」

「ここは『神社』と申します。異なる世界の教会みたいなものと思って下さい」

「うん……あっ、はい。それでここに住むの? ……ですか?」

「いいえ、違います。あと無理して丁寧に話さずとも構いませんよ」


 マリナはにこりと微笑み、神社の裏にある自宅へ案内する。そして扉を開けるなり背負っていたリュックを放り投げる。

 一体何ごとかと驚くラターニャをよそに、服を脱ぎ散らかしあられもない姿のまま巫女装束へ着替える。


 今までの上品なマリナの姿が一瞬で崩壊し、呆然とするラターニャをマリナが手招きする。我に返ったラターニャは、そこへ行くとマリナは本をドサドサと積み上げた。


「ラターニャさんにはこれから日本語を勉強して頂きます。日本語で会話し、日本語でものを考え、日本語の夢を見るまでみっちりと覚えてください」

「えっ!? に、ニホンゴってなに!?」

「細かいことはよろしいのです。オーミさん、その間に掃除を宜しくお願い致しますね」


 そもそも日本語が怪しいマリナに教えられるのか。そんなことを思いながら青海は数ヶ月溜まった埃を掃除しはじめる。


 こうしてラターニャ日本人化プロジェクトが始まった。





 若いラターニャは飲み込みが早く、3カ月もすれば日常会話ができるようになっていた。そして青海がマリナの下へ来て大体一年が経過していた。


『オーミ、町行ってこー』

『あん? ひとりでか?』


 そんなある日、またマリナが突然青海に町へ行くように促す。

 前回町へ行ったのは1週間ほど前で、まだまだ蓄えはあるし、売れるものも少ない。ということは別件があると推測される。


『……まあいいか。タルタでいいんだよな?』

『うんや、きょー行くのはねー』


 マリナが伝えたのは、青海がこの世界へ来てすぐ世話になったイルクイクだった。

 長いこと音信不通にしていたのだ。ここへ来て大体1年。元気であると伝えに行くいい区切りだろう。


 何も言わず黙って出て行った青海のことを樺來たちはどう思うだろうか。

 取り巻きの2人は覚えていないだろうし、美深は案外居なくなっていたことに気付いていなかったりするかもしれないと、少し苦笑する。

 樺來くらいは心配していたと言うだろう。実際にどうかは別として。


『わかった、行ってくる』


 青海は出かける準備をしようとしたとき、マリナに止められた。


『オーミ、これ着て』


 マリナがどこぞから引っ張り出してきたのは、狩衣かりぎぬと水色のはかま、宮司の纏う衣装であった。

 これを纏ったところで邪教徒と見なされないが、怪しい服装であることは間違いない。だが日本人と接することの多いイルクイクでは特に問題視されない。何故ならもっと奇妙な服を着ている人も現れたりするからだ。


 そして日本人ならばこの服を見ればどのような人物かわかるだろう。そのために着用するという意味もある。

 青海はそれを纏い、更にいざというときのための非常食と少しばかりの金を持ち、立ち上がった。


『じゃあ行ってくる』

『おみゃーげまってんよー』


 マリナは手をひらひらと振り、ラターニャは頭を深々と下げて見送った。




 あと2時間ほど歩けば町へ着く。山道もあるため、距離にすると6キロ程度だろうか。ふと町の方から煙が出ているのに気付く。

 なんの煙だろうなと思っていたのだが、おかしい。6キロといえば結構な距離だが、その煙はかなり大きく見える。つまり大規模火災が起こっているのだろう。まるで町全体が燃えているのではないかというほどに。


 とても嫌な予感がする。青海は足を早めた。


 町へ向かう山中、そこは霧に覆われていた。そして進むごとにそれは濃度を増していく。

 一年と三ヶ月ほど前、青海がこの世界へ迷い込んできたときと時刻も大体同じだ。

 ひょっとしたらまた誰かが紛れ込んで来るかもしれないが、今そんなことを考えている状況ではない。これでは先が見えなく進めない。


『霧は……』


 そこで青海は言葉を止めた。急いでいるからこの霧をどうにかしたいわけだが、ここで無闇に神宿を使っていいものか。

 霧を晴らすのは簡単だ。“”を“”にすればいいのだから。しかしそれでは今後のことを考えると汎用性に欠ける。


『“”は“”となりて、我が敵、うち滅ぼさん!』


 途端、霧は全て晴れ周囲にはおぞましいほどの数のほこが出現。青海の匂いを辿り、虎視眈々と狙っていた数体の魔獣へ襲いかかる。それはまるで買ったばかりの爪楊枝のように隙間なく魔獣を貫いていた。明らかにオーバーキルだ。

 しかしそんなことに気を取られているわけにはいかない。青海は再び町へ急いだ。




 到着する前、既にわかっていたことだが、町は炎に包まれていた。そして町壁の門の辺りには逃げ出した人がたくさんいる。

 周囲からの脅威から守るはずの町壁は、こうなってしまうと逃げるのに邪魔な障害でしかない。中にはまだ多くの人が残っているだろう。


「山彩さん、山彩さんはおられますか!?」


 青海は大声で呼ぶが、返事はない。

 しかしその声に反応する人は数人いた。


「きみは日本人か!?」

「はいっ。山彩さんは無事でしょうか!?」


「彼女はまだ中に……。みんなを避難させようとしているはずだ」


 救助活動を行っているようだ。しかしこんな中にいたら自身が危険である。

 青海は彼女を探すため、町へ走った。



「山彩さん、山彩さん!」


 声を出して辺りを探す。しかし家が燃え、建物が崩れる音の中のため、遠くまでは聞こえないだろう。

 それとは別にとても不快な音が聞こえる。それが他の音を阻害するかのように主張している。

 だが今それに気を取られている場合ではない。記憶を頼りに彼女の職場、そして家の辺りまで進む。



「……う……」


 微かに呻くような声が耳に入り、青海は周囲へ目を凝らす。


『山彩さん! そこか!』


 青海は体を低くし、火と煙を避けるように声が聞こえたらしき場所へ向かう。

 そこには山彩が、瓦礫の下敷きになりかろうじて頭と左手だけが見える状態になっていた。


『……ああ、……元気……だったんだ……』

『今助ける!』


 瓦礫の下敷きになっている山彩をどう助けるか、青海は一瞬躊躇った。

 力任せに瓦礫を吹き飛ばすのは簡単だ。しかし周囲にまだ人もいるだろうし、衝撃で山彩が潰れかねない。そして山彩を治すとしてもまずここから出さねば意味がない。

 新たな神宿を紡ぐにも、うまく頭が回らないでいる。

 それに考えている時間はない。一か八か、そう思い錫杖を振りかぶろうとしたとき、山彩が呟くように一言告げた。


『友……、に、気をつけ……』

『や、山彩さん!!』


 最後まで言葉を続けられず、山彩は力尽きた。青海は膝をつき、やり場のない怒りを拳に乗せ地面を殴る。

 一瞬の躊躇が山彩を殺してしまったのではないか。神宿を上手く使えればどうにかなっていたかもしれない。青海は自らを責め立てる。


 そのときヒュッと、何かが動いたような風を感じ、青海は慌てて振り向く。


 そこには炎に包まれた……いや、炎を纏ったといった感じの人物が冷たい目で周囲を見渡していた。


 こいつが犯人だ。青海は直感でそう思った。たった3ヶ月しかいなかったが、山彩はもちろんのこと、他にも世話になった人たちがいた町。青海は恨みと怒りを込めて睨みつける。それと同時に見覚えのあるその顔に驚愕した。


 友達に気を付けて。山彩が最後に告げようとしていた言葉だ。その相手こそ、目の前にいる男のことだ。




『か、樺來……君……』


 男は青海と共にこの世界へ紛れ込んだクラスメイト、樺來だった。

 確認した瞬間、樺來の姿は炎の中に消え、それと同時に唖然とする青海へ向かって炎の塊が飛ぶ。


『あぶねえ!』


 叫びと共に、何かがぶつかり吹き飛ぶ青海。その衝撃でようやく我に返り、周囲を見渡す。

 そして自分を助けた人物を見て、再び驚愕する。


『踏田……!?』


 男は青海と共にこの世界へ迷い込み、その日のうちに袂を分かったクラスメイト、踏田であった。


 姿はだいぶ変わっていた。ボロボロのシャツに、乱雑な切り方をした髪。そして右目を覆う黒い眼帯。


『んー? なんだ天原じゃねえか。ファンキーな────いや、随分日本人らしい恰好してやがんな』


 踏田はにやりとしたが、すぐ恨めしそうな顔で周囲を見る。


『な、なんでこんなところに……』

『っせぇな。んなことよりヒマなんだろ? ファンキーな顔してねぇで住民助けっから手ぇ貸せ』


 なにがなんだかわからない。混乱したまま、青海は踏田の言うように、住民の救助を行いはじめた。

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