第9話 神宿にて

「詳しい話をお伺いできますでしょうか」

「あまり余所のことに首を突っ込まないほうがいいぞ」


 青海の問いを潰すように、門兵が突き放そうとする。だがここではいそうですかと聞き分けよくするわけにはいかない。


「申し訳ありませんが、そういうわけにはいかない理由があります。少々込入った内容になりますので、できれば詳細を教えて頂きたいと考えております」


 門兵はよくわからないといった表情で青海の顔をしげしげと見る。そしてひとつ大きなため息をつくと、小声で話し始めた。


「いいか、あの娘の親父はギャンブル狂でな、あちこちに借金をしてとうとう首が回らなくなってな、家を手放さなくてはならなくなったんだ」


 荒らされた荷物を見たとき、金目のものは奪われていたと思っていた。しかしどうやら最初から無かったのではないか。盗賊たちは魔獣によって無駄に仲間を失っているが自業自得であり、その業はとてつもなく深い。もちろん少女の父親も。


「なるほど、理解致しました。あなたもそれに関与が?」

「いや俺に金の被害はねえ。けど酒飲んじゃあ暴れやがって、守兵はみんなほとほと困ってたんだ」


 門兵が嫌そうな顔をした理由が判明した。少女自体に罪はなくとも、その親に散々迷惑をかけられたのだ。それはいい顔をしなくても仕方がない。


「そうでしたか。それでは申し訳ありませんが、少し人を呼んでいただけますか?」


 青海の申し立ての意図がよくわからなかったが、もうひとりの門兵に合図をし、詰所から数人の兵を呼んだ。

 3人ほど来たところで青海は台車の布を剥ぎ、3人の亡骸を見せた。


「こちらの方々で間違いございませんか?」

「た、確かにそうだが、こりゃあ一体……」

「先ほども申した通り、野盗に襲われたようです。彼女もそれを逃れるため山へ入り、僕たちと出会ったという経緯です」


「なるほどな。で、野盗は?」

「数人が魔獣に襲われたようでした。ですが荷物が荒らされていたので、生き残りがいると思います」


 青海は襲われていた大体の場所を説明した。

 町から徒歩で3時間。何かあって町へ助けを呼びに行っても、戻ってくる時間を合わせれば逃げるのに充分な時間がある。そういった盗賊は転々としているため、同じ場所を警戒しても再び現れることはないだろう。


「それで僕たちとしては、彼女を保護していただけたらと思っている次第です」

「なるほどなぁ。しかしあの娘は10歳越えてるだろ。施設にゃ入れられねぇし、そうなると引き取り手……なんてこの町にゃいねえだろうから奴隷になるしかねえな」


 前述の通り、彼女の父親は嫌われ者だった。娘自体が悪くなくとも、それを受け入れてくれるかは難しい。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというやつだ。


「どちらにせよ、彼女には素直に伝えるしかありませんか」

「ああ。あんたからは言いにくいだろうから俺たちが話してやるよ」

「ありがとうございます。ですがなるべく穏便に……」

「わかってるって。あいつは嫌いだがそれを娘に向けるほど腐っちゃねえよ」


 そこで少女を呼び、門兵が説明をしている間に青海はマリナと日本語で話を擦りあわせた。



 先ほどの話では父親が止めていたと言っていたのだが、実際は父親が襲われている間に母親が逃がしたと思われる。

 それを聞いて青海は色々と納得がいった。恐らく少女は父親を嫌っている。嫌われるようなことをしている父親が妻や子供を守るとは考え難かった。

 何故嫌っていると思ったのかという理由だが、彼女はひっきりなしに母や姉を心配していたが、父親を心配する言葉は聞けなかったからだ。


 ひょっとしたら父とは血の繋がりがないのかもしれない。色々な憶測が飛び交うなか、突然叫び声が響く。

 その声に青海とマリナが振り向くと、母と姉の亡骸にしがみつき慟哭する少女の姿が見えた。



『オーミ、変なこと考えちゃダメだよ』

『変なことってなんだよ』

『日本人は基本やさしーんだから助けたいとかいーだすかもしれないでしょ』


 言うつもりはもちろんあった。家族を全て失い、更にこの先の人生までもが失われるのだ。この世界というか、あの少女を購入するであろう主人が彼女をどのように扱うかわからないのだし。


 今まで散々面倒ごとは避けてきたし、これからもそうするつもりであった。

 そして少女の身元を引き受けるということは、面倒なことになるのはわかっている。


 しかしこのまま見捨ててのうのうと生きられるほど青海の心はタフじゃない。

 見えないところの悲劇までなんとかしたいと思うような男ではないが、今ここでなんとかできることであればどうにかしたいと考えている。


 そしてこの場面は面倒だのと言っている場合ではなかった。


『マリナ、悪いけど俺は……』

『わかってるよ。そりゃーオーミは日本人だし、そー来るとは思ってたし、何より──』

『ん?』

『私は神様に仕える巫女なんだからね』


 そう言ってマリナは青海にウインクする。なんだかんだ言ってマリナも甘いのだ。




「あの、もし彼女が構わないというのであれば、僕たちで保護したいのですが宜しいでしょうか」

「えっ」


 青海たちの申し出に、門兵はキョトンとした顔をする。そして青海とマリナをまじまじと見、少し考える。


「んーまあ俺たちが口を出せる話じゃねえしな。好きにすりゃいいんじゃねえか?」

「ありがとうございます」

「礼を言われるようなこたぁしちゃいねえよ。ま、まあ墓くらいなら作ってやるけどさ」


 ぶっきらぼうに見えて、なかなか気のいい男のようだ。


 そして青海とマリナは兵たちが色々と用意してくれている間、泣きじゃくる少女を傍で見守っていた。





 翌日の朝に行われたそれは、葬儀と言えるほどのものではなかった。

 町の共同墓地の片隅に穴を掘って埋めるだけ。悲しむのは少女ひとり。嫌われものの父を憐れむものはいない。


 それでも住んでいた家の近所の人たちが数人やって来、少女に声をかけていった。

 母や姉、そして少女に対しては同情の念を持っていたようだ。あの父から解放されたことはよかったが、母と姉のことは残念だったねと。

 青海とマリナはその様子を離れたところから見守っている。


『なあマリナ』

『ん?』

『もし神宿で死者を復活させる方法が……』

『ないよ』


 青海の言葉にかぶせるようにマリナは否定する。


 死者蘇生は神のできる業ではない。イザナギですら叶わなかったことだ。神だからといって万能ではない。

 それでもできることはある。青海は言葉を携え、少女の傍へ向かった。



『“”は“”となりて、彼の命、心に刻まん』


 青海が少女に向かい、そっと神宿を口にする。

 家族の死を乗り越えるのは難しいことだ。それでも少女には強く生きて欲しい。そんな想いを神宿に乗せて。

 すると俯いて泣いていた少女は突然顔を上げ、下唇を噛みしめつつ言葉を紡ぐ。


「……うん、わかったよお母さん、お姉ちゃん。私、がんばる……」


 それは決意だった。少女はこれから自らの足で歩むことを墓前に誓った。


 (人の心まで変えられるのか。あまり良くないな……)


 前向きになったのはいいことだが、これは本人の意思ではない。

 そして青海が思っていた意味とも多少異なる。自分の考えは他人に予想外の結果を与えてしまうようだ。



「では……いきますっ」


 少女は力強く言葉を発し、頭を下げ墓を後にする。そして青海とマリナの前に立つと大きく頭を下げた。


「ラターニャです! 宜しくお願いします!」


 その猛々しい言葉に、青海は微妙な気持ちになってしまった。だがマリナの意見は異なっていた。


 人間の本質なんて神様にだって変えられない。だから青海がやったのは彼女の中にある心の強さを引き出しただけだ。彼女にきっかけを与えただけなんだと。

 人心は惑わすことができても、変えることができるのは本人だけだ。その言葉に青海の気は楽になった。



 北へ向かって町を出た青海たちは、少ししてから山に入り南へ向かう。書簡は以前マリナの知人である貴族から頂いたもので、運搬などしていない。

 南へ向かうのは帰るためだ。流石にラターニャを連れてこれより北にある山の魔獣を狩りに行けない。今回は青海と一緒だったからいつもより多く稼げた。そう思えばここで帰っても損はないのだ。



「あのー、なんで山に入るんですか?」

「それは……姉上?」


 理由を答えていいのか戸惑う青海はマリナへ振るが、マリナは手をひらひらさせる。勝手にやってくれというジェスチャーだ。

 ようするに青海のさじ加減で自由にやっていいということだ。マリナとしては全て話されても構わないらしい。


「では。これは魔獣を狩るためです」

「魔獣を? あっ、オーミさん凄く強かったんだった」


 ラターニャは自分が襲われたときのことを思い出した。そして恐怖がぶり返し、身震いする。

 そんなラターニャの肩をマリナはそっと抱き、にこりと微笑む。マリナの笑顔には人を安心させる効果があるらしく、ラターニャから恐怖の色が薄れていた。


 (いつも思うが、マリナの笑顔ってずるいよな。まあ本性を知らなければ綺麗で上品だからなんだろうけど)


 これはマリナのアンコンシャススキルなため、その正体を青海はまだ知らない。



「オーミさん、それよりも」

「ええ、存じてます」


 楽しげに山を登っているところ、邪魔が入る。そこは魔獣のテリトリーであるため当然なのだが。

 青海は錫杖を構える。だが予想していたよりも数が多い。10匹ほどの魔獣に周りを囲まれていた。


 青海ひとりだけならば問題なく倒せる。しかしマリナ、そしてラターニャを護りきることは難しい。

 もちろんマリナも戦えるのだが、そこらの武器ではマリナの力に耐えられぬため持ち歩いていない。


 するとマリナは少し面倒そうにポーチから何かを取り出す。それは紙を切ったもので、神主などがパサパサと振るぬきであった。


『“”は“”となりて、魔のものを滅せよ!』


 マリナの言葉に反応し、紙は千切れ舞い散り複数の白い獅子へと変貌。それぞれが魔獣へと襲いかかった。


『あっ、くっそぉ』

『ふふんーっだ』


 マリナの得意顔に、青海はくやしそうな顔をする。

 青海はもう『し』の音を使ってしまったのだ。つまりマリナと同じ神宿は使えない。

 自分で考えなくては自分の言葉にならない。マリナが以前言っていたことだが、便利なものを使われるとやはりくやしいものだ。


 そして青海が自ら紡いだ言葉が、世界に多大な影響を与えるなどと、この時点では思いもしていないだろう。

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