第4話 邪神の山にて
「ほんとに? ほんとに出て行っちゃうの?」
「はい。色々とお世話になりました」
青海は町へ戻り、山彩に出る旨を伝える。
会話は日常会話レベルなら一通りできるようになり、文字も簡潔な文であれば読めるようになった。あとはあのものぐさ巫女にでも習えばいいだろう。
そして樺來たちには黙っていてもらうことにしている。出ていくと知ったら、きっとひと
あの巫女が暮らしている場所も秘密らしいので、どこにいるかも告げられない。あてもなく旅をするなんて言ったら絶対に止められる。
「まー私はいいんだけどね、んじゃこれ」
そう言って山彩は小さい袋をじゃらりと机に置いた。中に入っていたのはそこそこの数の小銭。
「いつも手取りの4分の3を私に払ってたでしょ。2分の1、つまり半分が私への支払い、残りの4分の1は旅の資金だ」
いつも4分の3は取り過ぎなのではと思っていたが、ここを出る際の貯蓄としていたらしい。青海は山彩の人となりを見直した。
「そのうちまた、顔を出しにでも来ますよ」
「んじゃま、気を付けてね」
山彩は手を振り、早朝に青海を送り出した。
「おっ、やっと来たねがくせー君」
木にもたれかかり、黄昏ていた巫女は青海を見て手をひらひらさせた。
ここは昨日出会った場所、山を少し登った場所だ。
「学生じゃないですよ、高校生なんで」
「まーなんでもいいんじゃん。じゃー早速それ持って」
巫女の足元にある風呂敷袋のことだろう。青海はそれを掴み持ち上げる。
なかなか重い。中には何が入っているのかわからぬが、これも修行の一環と考え、青海は従う。
「おっと、さすがボーイ? だね。も少し重くてもよかったかな」
勘弁してくれと言いたげな顔で巫女を見る。これからどれだけ歩かされるのかわからぬのだから、できるだけ負担は少ないほうがいい。
「じゃあ早速行っくよーっ」
「その前に」
「何?」
聞きたいことは色々ある。神道の巫女なのに何故仏教の錫杖を持っているのかとか、この袋には何が入っているのか、など。
だがそれ以前に重要なことを聞かなくてはならない。
「名前を教えてください」
巫女の名はマリナ・オウキというらしい。生まれはこの世界だが、両親は共に日本人。父親が詞神の宮司であった。親が日本人だからといって、こちらの世界の人間であるのだから日本語が怪しくても仕方がないのかもしれない。
何故日本の神がこの世界で力を貸してくれるのかは本人も知らないそうだ。恐らくはマイナー過ぎて他に祭ってくれる人物がいなかったため、ついてきたのではないかと推測される。
神はそれが神だと認識された瞬間から生まれ、忘れ去られた神は力を失い消え行く。人が神を造るという理論だ。詞神もその類なのだろう。
「それで、どこまで行くんですか?」
「あー、このむこーの山だよ。神社があんのさ」
その方向は邪神山と呼ばれる場所だ。そこで青海は理解する。この世界──というよりも、この地域で崇められている神とは異なる神を奉っているのだから、邪神と言われているのだろう。
「なるほど。それで、何故錫杖を? 普通仏教徒が持つものなんですけど」
「しゃくじょー? ああこれのこと? なんか昔、野垂れてたシュゲンジャって人を助けたときにもらったんだって。丈夫だから使ってるんだ」
恐らくは地球の物ではないだろう。もし地球にある錫杖であったら、先日のような使い方をしたら折れ曲がってしまう。
巨体を誇る魔獣の頭を一撃で吹き飛ばすほどの力と、それに耐えられる錫杖。これだけあれば大抵の場所で生きられると思われる。
しかしそんなものが何故錫杖の形をしていたのか。どうして修験者が持っていたのか。わからないことも多い。
知れば知るほど謎も増える。現在の青海はそんな状態に陥っていた。
「着いたーよっと」
マリナが手で示した先には、鳥居があった。邪神山の中腹、森の中に隠れるような小さい鳥居である。
ようやく到着かと青海は膝から崩れる。マリナと会ってから10時間ほど歩いている。山彩の家から換算すれば1日で14時間歩いている計算だ。
そのうえマリナの手荷物と自分の荷物まで持っている。よくここまでもったと言うべきだろう。
「もうへばったー? 若いのにだらしないね」
「……朝からずっと歩いてたんで」
「ふぅん。まーいいや。あとちょっとで
まだここは入口だ。青海は気力を振り絞り、立ち上がった。
周囲は木々に囲まれた、完全に人里から隔離された場所にその社は建っていた。
道もなく階段もない。場所を知らなければ誰からも見つけられないような空間がそこにある。
社に入るなり早々、青海は倒れた。さすがに体力の限界が訪れたようで、うつ伏せのままピクリともしない。
「あーあ。まあ今日は仕方ないとして、明日からがんばって私を養ってよね」
屍のように動かない青海を
「ほらー起きろー」
がしゃんがしゃんと錫杖を鳴らし、青海はたたき起こされる。
まだ体は麻痺し、だるい。食事もとっていないため、どう考えてもエネルギーが足りない。
それでもよろよろと立ち上がり、何かを行おうとしている青海を見てマリナは溜息をつく。
「そんな体じゃ危ないなぁ。んじゃ朝食は私がつくっから、そのあとはたのむよー」
何故この人はこんなに元気なのだろうか。そんなことを考えつつ青海はまた倒れた。
「おーらおっきろー」
マリナは少し不機嫌に、青海を足蹴にして起こす。養ってもらうために拾ったはずなのだが、これでは養う立場ではないか。そんな怒りがこもっていそうだ。
「……う……く」
「私のごはんを食べれるんだからありがたーとおもんなさいよ! ほらっ」
目の前に置かれたのは、おにぎりと何かしらの肉を焼いたもの。それと汁物であった。
青海はほぼ感覚のない手を伸ばし、なんとかおにぎりを掴み、口に入れ飲み込む。急激に入り込んだ異物を押し出そうとするかのように、胃が逆流させようとする。
だがそれに耐え、更に押し込もうとする。無理にでも体へ入れねば回復しない。青海は無理やり全て胃に収め、再び倒れる。
「まったくもー。すもーとりにでもなるつもりかねぇ」
マリナは呆れた顔で青海を見る。変なものを拾ってしまったのではないかと少し後悔しつつ。
それから3日ほど後、青海は常にこき使われていた。1日サボると取り返すのに3日かかるという、よくわからぬ理論で初日を取り戻させるかのように働かされている。
「休んだ分のシゴト溜まってんよー。はよはよー」
どう見てもこの散らかりよう、数日どころか半年以上かかっている。だが青海は文句も言わず黙々と片付ける。
社は比較的綺麗であるのだが、普段生活用の裏小屋は悲惨だ。どこからこれだけのものが持ち込まれたのだろう。
外も外で酷いことになっている。さすがに生ごみなどはないが、荒れ放題である。
「ぼちぼち片付いたかな。じゃあ狩りに行ってこー」
「えっ」
突然の命令に青海は驚く。狩りといえば野を駆り動物を捕えることだ。そんな技術は青海にない。
特に魔獣と呼ばれる、強大な生物がいるような場所だ。無理に等しい。
「しゃくじょー貸してあげっからがんばってねー」
「い、いや、無理です。俺にそんな力ないし」
そう言うと、寝転がっていたマリナは面倒くさそうに体を起こす。
「あっれー?
「何も教わってません」
そだっけ? といった感じで今までのことを振り返るマリナに、青海は溜息をつく。
彼女が使った技が神宿であるということは教わった。しかし使い方などは全く教えてもらっていない。
見て習うという言葉はあるが、これはそういった類のものではないと思われる。
「じゃあまず外でよっか」
マリナはよっこらせと立ち上がり、小屋から出る。青海はその後を追った。
「ここは神社だよ」
「わかってます」
マリナが連れてきたのは、社の正面だ。青海はそこへ並んで立っている。
「やり方わかる?」
「二礼二拍一礼ですか?」
「なにそれ」
一般的に知られる二礼二拍一礼はどこでも通用するような作法ではないし、そもそも神社にはそういった形式がなかった。
「なにって……」
「神様の前でパンパンってやって頭を下げるだけでいいんよ。大事なのは神様に対するけーいだから、形よりも気持ちをちゃんとしてよね」
「は、はい。それで願い事を?」
それを聞いてマリナは顔をしかめた。こいつ何を言っているのだと思っているのがよく出ている。
「神様にお願い? きみは何様なん? 神様は神様なんよ」
「すっ、すみません」
マリナは脱力していた。こいつ日本人のくせに何も知らないなと言い終えたような顔をしている。
「いい? 神様の前でするのは決意だよ。私は何々を行い、必ず達成してみせますって。そうすっと神様はとても神様なんでじゃー少しくらい力貸してやっかなーって感じで力を使わせてくれんのさ」
言っていることはとても雑だが、青海には伝わった。
では青海が何を決意表明するかという話になる。
狩りを成功させる? それだと決意として弱い。では何か強く心に刻めるものをと考える。
「生き抜く……」
青海が小さく呟いた。
死にたくない。何がなんでも生き延びてやる。生物としてこの意思は本能的なものであり、何よりも強い。
食欲も、睡眠欲も、全て生きるために繋がっている。性欲も、種としての存続、つまりもし自らが死んだとしても、その血統を生かそうというものだ。
青海は手を叩き、神前で誓った。この世界で何が何でも生き延びると。
「終わったみたいだね。じゃーうちの神様特有の『神宿』を教えよーか」
その力を得るためにここへ来た。待ってましたとばかりに青海は真剣な目をする。
「まず『どーおんいく』って知ってる?」
「それはまあ」
同音異句。同じ言葉の音なのに、異なる意味を持つものを指す。こんなものは小学生でも知っていることだ。
「さすが日本人だね。詞神の神宿は、そのどーおんいくを転化させる業なんさ」
先日マリナが使った神宿『“
意思を威力へ転化させる。意思が強ければ強いほど、放たれる力の威力が増す。そうなるように綴った言葉なのだ。
転化させる言葉は任意で決められる。ただし最初に決めた言葉の意味を変えることはできない。もしやったらその言葉から力は失われ、使えなくなってしまう。
つまりもうマリナは『い』の音を他の異句に変えることができないということになる。
「理解しました。ではもし二音の同音異句を使ったら?」
「絶対ダメ。音が濁るから」
力を込められる音は常に一音のみ。それが詞神の力の制約。
そして二音は濁る。ようするに音と音の繋ぎに意図しない不要な音が混じってしまうのだ。そんなものを詞神の力に乗せてはいけない。
だから使う一音ははっきりと区切って言う。
「わかりました。では──」
「とりあえず“
マリナが錫杖を投げ渡し、青海はそれを片手で受け取る。
青海もそのつもりでいた。自らの意思を然程強いとは思っていないが、それは目の前にいるマリナもそう見える。そしてマリナの力くらいあれば、魔獣に襲われて死ぬこともそうないだろうと推測できる。
「“
青海は叫び、錫杖を傍にあった大木に叩きつけた。
「あっ」
思わず声を出したマリナの声は、木の砕け散る音にかき消されてしまった。
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