第3話
春先に植えた南瓜の種が芽吹き、黄色い花を咲かせる。自然にとっては当たり前だが、変化を見守る人にとっては子供が歩き出すのを見るほど胸に迫る出来事で、自分たちが拓いた土地が健康なことの証でもあった。
その生長を妨げる雑草取りで今日一日が終わった。気温が高くなっていく中、四つん這いになってひたすら雑草をむしり取っていく作業で、歳の近い者などは暑さにやられることもあった。五月の中頃から始めている作業ではあるが、雑草の生命力や繁殖力はすさまじく、一日怠るだけでその時期の穂先に迫る背丈になる。
遠里は自分の持ち分が終わると、両目を覆う金網つきの眼鏡を外して田畑を見渡した。六月から七月にかけての草取りでは、稲穂の生長も著しいため、葉先に目を突かれてけがをすることがある。金網つきの眼鏡はそれを防ぐためのものであった。
遠里は自分がまとめる班の者たちに号令をかけて、今日の仕事を終了させた。下は二九歳、上は五〇歳から成る男たちは、全員が士族であり、明治二年以前から苗字帯刀を許されてきた武家の者たちである。遠里のように藩や県から与えられた仕事を辞してまで農業の世界へ飛び込んだ者もいるが、大半は職を失ったために帰農した。
「あとは成果がついてくれば良いのですが」
家路に就く頃、柿本禎三が話しかけてきた。遠里より年上の五〇歳の彼は長い下積みの末四十を超えてから侍に取り立てられたものの、御一新によって職を失い帰農した苦労人である。困窮を経て帰農する者たちは、安定した立場を捨ててまで帰農した者たちと対立しがちであったが、最年長の禎三が間に入ることで何とか集団としての和を保つことができていた。この約半年は、禎三の存在なしには成しえない時間であった。
「我々は生きるために働いていますから。それが叶わない仕事とわかれば、皆も離れてしまうでしょうな」
言いながら遠里は、各自の間にある温度差を感じていた。遠里のように安定した職や立場を捨ててでも飛び込んだ者たちは、それだけの熱意に突き動かされて働くことができる。多少うまくいかずとも、限界を迎えるまでこらえる精力もある。
問題はやむにやまれず帰農した者たちであった。彼らは熱意よりも先に生活を立たせることを目的に働いている。働く内に稼ぎ以外の喜びや目的を見いだせれば良いが、そのような余裕に期待できるあてはない。生きていく目処が立たなければ、もっと稼げる場所を目指して離れてしまうだろう。
「しかし柿本殿、あなたがいてくれるのは助かります。私ではいくら熱心にやっても金持ちの道楽と斜に構えた見方をする者が出てきてしまいます」
「それは事実として、あなたも苦労しておりますよ。私がわかっているから、存分にやってごらんなさい」
集団をまとめる最高責任者は遠里だが、その権威の届かない細部を補うのが禎三の役割である。御一新以前、苦労して身分を上げ、それが御一新によって無に帰してもひねくれずに働く姿勢を評価する者は多い。小柄で風采の上がらない外見ながら、どんな相手にも温和な笑顔と言葉で接することができるのは、清廉な人柄によるものだろう。
「しかし若い者たちにそっぽ向かれてはどうにもなりません」
「その通りです。我らのような老体だけでは、とても開拓などできません」
禎三は白髪の混じる頭を叩いて苦笑した。多くの日本人がいまだ躊躇するように、彼も髷を落としてはいなかった。
職を失ったり世の中の変化に不安を覚えたりして帰農を志す者は多い。しかし農民たちにも先祖伝来の土地はあって、士族が帰農するからといって長い時間をかけて育てた土地を明け渡すはずはない。士族の帰農は多くの場合、荒れ地の開拓から始まる。熱意だけではどうしようもない仕事で、若く力強い肉体を持つ男たちに期待を寄せざるを得ないのだった。
「これから暑くなってきますが、まだ草取りは続けなくてはなりません」
今日一日の仕事と、明日以降も繰り返す仕事を思い、遠里は言った。遠里自身楽に考えたことはなく、一日ぐらいやらなくても平気だろうと雑草の生命力を侮りたくなる時がある。しかしわからないことばかりの日々の中で、根拠に乏しい判断こそ危険なものはない。かつて何気なく捨てた種から南瓜が芽吹いたように、自然の生命力は人間の想像を超えるのだ。
「やれやれ、老骨にむち打つとはこのことですな」
禎三は笑った。日中はかなり気温が上がったし、若い者でも時々暑さにやられて木陰で休む者も出た。働けなくなっては困るので遠里は休むことを推奨したが、怠け癖がつかないかと心配になってしまう。
「さよう、我々は既に老いています。だからこそ若い者に期待もしなければ立ちゆかないでしょう。この夏の世の中を生きていくために」
炎天下にさらされているのは自分たちや開拓地だけではない。日本中が、ひいては明治という世の中全てが熱を持っている。御一新がその端緒なら、それから間もない今は盛夏であった。
近年まれに見る暑さを乗り越えていくには体力がいる。それを持ちうるのは若い者たちであろう。彼らを信じ、帰農を成功させる。それこそ安定した地位を捨ててまで未知の世界へ飛び込んだ自分の役割であった。
「夏の世なら、青さが似合うでしょうな」
「さよう。我々のような枯れ色でなく、瑞々しい色です。これからの田が染まる色です」
「それなら楽しみです」
その青みが深まるほど、次の季節の実入りも大きくなる。これから土の上に広がるはずの色を思うと笑みがこぼれる。それが現実になる日が待ち遠しくなるのだった。
禎三と別れて自宅へ戻った遠里は、上がり框に腰を下ろして靴を脱いだ。それからすぐには立てなかった。登世が迎えに来るまで待とうと思ったが、気がついたら床に転がっていた。それを、肩を揺さぶった登世が起こした。
「平気ですか」
気遣わしげにのぞき込む登世に、遠里はぎこちなく頷く。
「今どうしていたんだ」
「どうって、床に寝転がっていたんですよ。今までそんなこと一度もなかったのに」
「そうか。まったくわからなかったが」
「のんびりしている場合ですか。余程疲れているのではないですか」
従順な登世が珍しく言い募る。
「ああ、それは否めないな」
ここ最近はずっと晴れていて、気温もかなり上がった。何度汗を拭いたかわからないし、簡単に休んだら示しがつかないと思って働き通しだった。おかげで遠里が最も広範囲の草取りをこなすことになったが、体力の過信は禁物だろう。
「わかっているなら、もっと考えて働いてください」
それでも何とかしてみせる、と喉から出かかった言葉を、登世の硬い声が押し戻した。
「あんまり疲れて倒れでもしたら、困るのはわたしたちだけではないのですよ」
柔らかい言葉ながら、登世ははっきり無理を咎めていた。元々帰農を呼びかけたのは遠里で、まとめ役の立場にもある。もしもの時は禎三に代理を任せることも考えたが、彼の優しい人柄だけでは従わない者も出てくるだろう。
「済まぬ」
やや向こう見ずであったことを謝りながら、起こしてくれたことへの感謝を一言に込める遠里であった。
その三日後、遠里は一日の取り仕切りを禎三に任せた。彼は理由を聞かず快諾し、遠里も心おきなく家で休むことができた。
さりとて、本来なら働いていなければならない日である。体は勝手に日が昇る前に目覚め、何かをしようとして手足は落ち着かなく動くが、目標を見つけられず畳の上をうろつくだけで、やがて庭を眺めて過ごすのに落ち着いた。
蝉が鳴き始め、日差しの厳しさが増してくる。光は記憶の奥を突き、音や光景を呼び出してくる。ほとんど同じでありながら世情の異なるある夏の日のことであった。
あの日は確か、最初に登世が水を持ってきた。
記憶の中で、湯飲みが床に置かれる音がした。それと重なって耳にもほとんど同じ音が届いた。
「お珍しいこともあるものですね」
記憶と違うのは、からかうような響きの声が添えられたことだった。
「自分で休むように言っておきながら、よく言う」
「わたしは何も言っていません。選んだのはあなた様ですよ」
何食わぬ顔で言い、登世は隣に座る。それもまた記憶の奥から引き出された光景に重なり、やけに新鮮だった。
「苦労しているようですね」
「そうだな。本来なら四十を超えた身で始めることではないな」
「あのままでいることもできたのに」
登世の声は静かで、遠里の選択に疑問を呈するようなものではなかった。
「あの時は偶さか仕事があって、立場にも恵まれていた。全ては偶さかだったのだ。その偶さかからこぼれ落ちた士族の方が多く、それを一人とて救ってやることもできないのでは、新たな政に関わる理由がないと思ってな」
鎮西で働く宗右衛門は順調に出世を遂げているようで、寄越す文の文面にはそれを誇る心がありありとにじむ。己の役目を自覚し、志を高くして邁進する姿は素晴らしいが、誰のための仕事か見えてこないのが気になる。一度彼と話をしてみたいが、忙しいので無理だと返事をするばかりで、別れてからの約一年で一度も会えていない。
最近遠里は嫌な想像をすることがある。宗右衛門が、友人が権力の毒に冒されているのではないかというものだ。己のことを懸命に考えるあまり視野が狭くなり、自分の動きが周りにどんな影響を与えるか見えていないのではないか。彼の仕事ぶりを全て知るわけではない遠里は、全て思い過ごしであってほしいと願うばかりであった。
「しかしこれから帰農する者は増えていくはずだ。いよいよ士族から戦う役目を奪う時が来た」
登世は良いことではないですか、とばかりの呆然とした顔を見せた。
「役目を失うとは職を、ひいては魂を失うということにもなる。俺のように自らそれを受け入れられる者ばかりなら良いが」
御一新以前なら許されないことであったし、仮に成せたとしてもあぶれ者のそしりを免れなかったはずだ。いくら世の中が変わり、それを許すような道理が現れたとしても、最後の判断をする人間の心までは簡単に変わらない。
巷では徴兵令が公布され、それまで士分が担ってきた戦いの役目を平民が担うことになった。特に三〇代までの働き盛りなら、士分として培ってきた力を充分に発揮できないまま平民に役割を奪われるように感じるのではないか。帰農した士族たちの中にも、他の士族たちが上げる不満に共感する向きが出ている。似たような身の上だけにそれを咎めるわけにもいかず、触発されて極端な行動に出ないことを願うばかりであった。
「世の中は誰に生きていてほしいのでしょうか」
遠里は言葉に詰まった。困窮する人間は掃いて捨てるほどいる世の中で、全てを救えないのは当然だろう。その分かれ目を、新政府はどこに置いているのか知りたくなった。
「きっと自らの言葉をしっかり聞き、恨まずに働く者だろう。それほど聞き分けの良い人間などいるはずもないし、何より新政府の要人たちがわかっているはずなのだがな」
参議として政府に復帰しながら意見対立によって下野した薩摩の西郷隆盛は、御一新以前は決して身分の高い士分ではなかったし、工部省の伊藤博文などは御一新の時点でさえ二十七歳の若輩者だった。身分制の上で出世を望めなかった者や年若い者によって成し遂げられた御一新は室町時代末期の下克上にも等しいことで、それが国全体と関係各国を席巻したからこそ誰もが不安に迷うのだ。
その迷いは、身分に恵まれなかった者ほど大きい。現在の政府要人たちも、まかり間違えばいわゆる不平士族と同じ立場に立っていたかもしれない。その想像に行き着く者が、現在の政府には少ないのだろう。同胞と呼べる人々を助ける心も方策も足りていないようだった。
「あなた様ならわかるのではないですか」
意識が遠くへ飛んでいた遠里は、登世の澄んだ声に気を引かれた。身分や生き方に恵まれないまま過ごす人々のことが、自分にわかるというのか。自問しながら登世にも訊き返す。
「何がわかると思う」
「士族の人が刀を捨てることの苦労と、土を通して表れる自然の営みを。あの日南瓜の芽が出たのは、わたしにもこの上ない驚きでした」
夜になると光は届かなくなるが、五年前に芽を出した南瓜は、根付く土地を変えても代を重ねて夏が来るごとに芽吹き、実を付けている。何気なく捨てた種に生の可能性を与えたのは自然だが、その後も生き続けることができたのは、人の世話によるだろう。それを与えた自分を突き動かしたのは、何よりも喜びであった。
利を挙げるのも大事だが、同時に喜びを見出す者がいないとも限らない。そのような人間なら、利を追い求める者より自分とわかり合えるだろう。遠里は新たな希望を見つけた気分だった。
夏を超えて収穫の時期を迎えると、思い描いた通りの色に田は染まった。収量自体は目標に届かなかったが、一年を過ごしたことは帰農した士族たちに利益以上の充実感をもたらしたらしい。翌春、誰一人欠けることなく戻ってこられたのは、何よりも強い手応えであった。
一度の収穫期を経た新しい開拓地を耕すと、必死だった一年目とは土の硬さに違いを感じる。誰もが夏とはまた違った疲れを感じているようだった。
昼を迎えて遠里は休憩を命じた。それに従って全員が田から引き上げる。その時ちょうど、中村七之助という若い士族と一緒になった。人なつこい笑みを浮かべながらさりげなく隣に座る彼は最年少であった。
「鍬の手応えはどうだ」
何気なく訊くと、刀よりは軽いですよ、と打てば響くような返事があった。
「しかし使い方がだいぶ違うので、難渋しています」
「先端を振るう相手も違うし、目的も違う。苦労するのは当然だ。当座の生活の方が大事だからと言って別の稼ぎを目指すのも一つの手だったかもしれん」
「何を弱気な。誰もそんなこと考えてはいませんよ」
七之助は清々しく言い切った。遠里とて今までついてきてくれた者たちの内心を疑うことなどしてはいない。自分が安定した職を捨てたように、彼らにも彼らなりの覚悟があるのだ。
「済まぬ。しかし世の中の動きは大きいな。我々がこうして土地を新しく切り拓くのも、その変化の賜かな」
先祖伝来の土地を耕す農民に比べれば、ほんの一年しか土の上で暮らしていない自分たちの業績など微々たるものだ。しかしこれまで土と関わりなく暮らしてきた者が鍬を持つようになったのが、悪い変化だとは思いたくない。世の中の変化に抗うより倣うことに賛否はあるだろうが、自分たちには合っているのだと思いたかった。
「その変化を成すために必要な金とはどこから出てくるのでしょう」
それは全くの不意だった。遠里は若い男の横顔を見る。さっきまでの人なつこさは消え、本質を見通すような遠い目をしていた。
遠里は迷い、思った通りのことを告げた。
「我々が生活の足しにしてきた禄からだろう」
七之助は耳を疑うと言うような顔をして、身を乗り出してきた。
「いや、それは将来のことだ。七之助よ、世の中が変化したと言うが、それが具体的に何なのかわかるか」
「それは、士分が士分でなくなるようなことですか。帝も髷を落とされ、皆が先を争うように髷を落としました」
武士という身分が現れたのと同時期に発生した髷の習慣も、約八百年を経て明治天皇の手によって断ち切られた。髷のない頭を揶揄し、強硬に反対してきた人々も、天皇が身を以て示したことには従うしかなく、散髪屋は賑わっているという。
遠里も明治天皇の行動に従い、断髪した。まだ仲間内では決断しきれない者もいるが、彼らの断髪も時間の問題だろうとみていた。
「それも一つだ。しかし東京では鉄道なるものが走っているという。これが普及すれば馬の荷役は必要なくなる。それから電信、これも進歩すれば飛脚は職を失う。暦も変わり、外国と貿易を対等に行う商品として糸を紡ぐための製糸場までできた。今はまだ良くても、これらを発展させ、維持させていくには金がいる。その時真っ先に削られるのは士族が拠り所とする禄なのだ」
「そんなことをされては、士族は死に絶えます」
七之助の声は怒りで大きくなり、辺りに響いた。
「そうしたいのかもしれない」
遠里は努めて冷静に言った。七之助は冷水をかけられたように口を噤んだ。
「今年の春先にあった佐賀の乱を思い出すが良い。あれの首謀者は新政府に功のあった江藤新平だ。その功を以てしても許されずに処刑された。従った兵たちも容赦なく斬られた。中央政府にいた者たち同士の争いだから、単なる不平士族の乱では片付けられないかもしれないが、政府には士族を助けるつもりなどないと見えるよ」
遠里は七之助の反論を待った。この変化の中でも希望を見つけるには、乱暴な意見への反発を以てするのが一番であった。
しかし七之助は黙り込んでいた。まるで先を促すかのようである。感化させてしまったかもしれないと思ったが、今更楽観的なことは言えず、遠里は悲観論を続ける。
「徴兵令にしてもそうだ。政府は士族が士族として生きていけない世の中へ変えていくつもりなのだ。そうだとすると我々は恵まれている。士族として生きられなくなれば農民として生きていけばいいのだから」
仕方なく遠里は希望を示してやった。士族がいくら政府に苦しめられても、自分たちのしていることが揺らぐことはないのだという思いを込める。
対する七之助の返事は、思いがけないものだった。
「そうまでわかっていながら、どうして助けないのですか」
鋤や鍬を持って働いている場合ではない、一刻も早く武士らしく立つべきだと、遠里を責め立てるような響きだった。表情も消え、ほの暗い光が双眸に宿って見えた。
若い心が政府への義憤に燃えている。それはあたかも変化を成し遂げようと命を賭した維新の英傑たちと同じ性質のものであった。
惜しむらくは、それを持てる七之助が十五年は遅く生まれてきたことであった。
「お前の助けるとは、佐賀の乱に刀を持って従軍することか」
遠里は努めて冷めた声を出した。七之助はたじろぎ、おずおずと頷く。
「もしそれをしてしまっては、何のために帰農したのかわからなくなってしまう」
自らの意思で職を辞した時点で、自分たちはどんなに求められても武士に戻ってはならないのだ。すぐ近くでかつての同胞が苦しんでいても、農民の分限を超えるような手助けが必要なら、断らなければならない。
「かつての同胞たちのために殉じたい気持ちも大事だが、お前は何のために刀を捨てたのだ」
「それは、役目を無くした武士は遙か過去へ戻るのが道理と思ったからです」
「そうだな。身分も魂もない時代の土を守っていた頃へ我らは戻ったのだ。そうやって生きると決めたのだから、もう変えてはいけない」
七之助は頷いた。彼に似つかわしい力強さが見て取れないのが不安だが、七之助を信じるしかできなかった。
遠里は立ち、七之助も従う。午後に入っても、同じように鍬を持つ時間であった。
鍬を振り下ろして耕す時、刃先に伝わる感触はかなり硬い。腕力だけでは深く突き刺すことができず、腰を入れなければ鍬を使う意味がない。
「硬い」
七之助もそう呟きを漏らした。その声には疲れがにじむ。自分自身の疲れと共鳴するような気がした。
歳の近い禎三に体の具合のことを訊くと、彼も疲労を訴えた。
「土が始めに比べて硬くなった気がします。それで余計に力を入れないといけなくなったのが原因でしょう」
「原因を探らないといけませんな」
遠里は時間をかける覚悟を固めたが、
「それはおそらく、暗渠排水のせいでしょう」
禎三はあっさり原因を見抜いた。暗渠排水とは去年土地を拓く時に施した排水の構造である。遠里たちが開墾を任された土地の問題点は水はけが悪いことで、広い土地を前にしながら農民たちは敬遠していたのだ。
それが遠里たち新たな働き手の出現で状況が変わった。土地を切り拓くのを若い働き手に任せ、排水の問題を解決して乾田とした。その解決策が暗渠排水である。土地の地下に土管や粗朶を埋めて集水し、排水できるようにしたのだ。
乾田化することで、稲を乾燥させやすくなり、長く保存しても腐らせることがなくなった。去年収穫した米はいまだに保存ができている。しかし乾田化は土を硬くするために、人の力で耕すのに必要な労力が増えていた。
「疲れるからと言ってあの構造をやめるわけにはいきません」
禎三は言い、遠里も頷いた。一年間士族たちを従わせることはできたが、成果が乏しいままでは二年目以降が苦しくなる。まだ士族の中の過激派が不平士族として反乱分子に変わるかもしれない時節である。禄が少なく生活の見通しが立ちにくい士族たちにとって、帰農することは希望にすがることでもあった。その希望が、自分自身を救うほどでなかったと絶望すれば、極端な行動に出かねない。
「さよう。暗渠排水が最新なのです。農業に限らず、全ての技術革新の心は能率化と省力化です。疲れを減らす方向に持っていけば、必ずや答えが見えます」
遠里はこの十年近くで自分自身がずいぶん変わったものだと思った。武芸を磨いたり射撃の精度を上げたりということは熱心にやってきたつもりだが、その奥底にある心まで見通す気持ちは持っていなかった。目の前の結果が全てで、見えないものを見透かす努力は足りなかったように思う。
「そうですな。能率化と省力化です。人間ならそれを追い求めるのが自然です」
禎三の言葉に勇気づけられた。遠里はそれから、集団の幹部たちに呼びかけて資料や文献を集めさせた。この筑前で行われていた農業について、乾田化に対応したやり方を調べるつもりであった。暗渠排水自体は徳川幕府の時代からあるから、必ずどこかに適応してきた農民の記録があるはずであった。
やがて見つけた道具は、人間の体ではどう扱って良いかわからない代物であった。
「こんなものが筑前にあったのですか」
資料を元に探し出したそれは、犂というものであった。牛馬に曳かせ、それを後ろから人間が御する。乾田化によって硬くなった土地を耕すために、農民たちが使ってきた農具であった。
遠里は知己である清十郎に訊いて、犂の使い方を聞いていた。農民であれば牛馬の御し方と一緒に犂の使い方を習うものであり、人によって巧拙はあるものの、村の中の壮丁なら使える農具ということであった。
遠里はこの農具の使い方を、若い士族たちに教えてやってくれないかと清十郎に頼んだ。久しく会っていなかった男の頼みを聞いてくれるか不安もあったが、清十郎は快く引き受けてくれた。
「まだ南瓜は健在ですか」
別れ際に訊かれ、場所を移してはいるがずっと代を重ねています、と答えた。
「だったらこちらも、農民冥利に尽きるというものです」
清十郎は日に焼けた顔をほころばせた。役目をこなしているだけでなく、仕事を通じて何かを残そうとする男の誇らしげな表情であった。
「それは私事です。今は米に集中する時です」
「士族の方々も大きな変化の前に大変な目に遭っているようですな」
一揆という暴発を目にした清十郎の声は少し悲しげに響いた。清十郎自身はそれほど苦しんではいないようだったが、ごく身近には一揆を起こすほど追い詰められた人間がいた。外側から見ているからこそ、農民と士族の苦しみを並べて感じ取れるようであった。
「受難と言って良い世の中でしょうが、腐らずに働いていけば必ず結果はついてきます。きっと我々の代では大きく変わらないでしょうが、やらなければ次、その次の世代が更に苦しむことになります」
四十の後半まで達した自分は、数年後に登世と誠を遺して逝くのかもしれない。今の努力は全て、若者やもっと次の世代のためであった。
遠里は次の春に牛や馬と犂を伴って士族たちに農業指導を行うという約束を清十郎と交わした。もっと早くするべきだったという思いもあり、帰農したことでいっそう深く結びつくことができた男との絆が心地よく思えた。
清十郎と農業を通じて関わったのは帰農して初めてのことで、五年は経っていると思えた。荷役に使う姿ばかり記憶に残る牛が田畑に入る姿は異様なものに思えた。人が耕す領域へ家畜が入るということに眉をひそめる者もいたが、その作業の速さを見ると遠里を含めて誰もが黙り込んだ。
「あんなものがあったのか」
牛を御し、犂を操る清十郎を見守る士族たちから感嘆が漏れる。清十郎は手綱を巧みに操りながら、声を上げて牛を歩かせ、端まで行くとゆったり回る。よく観察していると手綱の使い方にもいくつか種類があって、乗馬のそれとは似て非なるものである。しかしかけ声には共通するものが多い。特に牛を叱咤する時の毅然とした声は、よく知る男に似つかわしくない張りがあった。
清十郎はこれまで三人で耕していた広さの田を一人で耕し終えた。その時間もかなり短縮できていた。遠里は能率化と省力化のためにこれを導入すると宣言し、清十郎が連れてきた農民たちに早速指導させ、遠里もその中に加わった。
他の者たちがそうであるように、遠里も触れることがあるとすれば馬がほとんどであった。そのせいで牛が妙に大きなものに見える。その上に鈍重で、鳥がやかましく羽音を立てても反応しないし、あまつさえ背中に止まっても追い払おうともしない。
「牛は馬に比べて足も遅いので、あまり広い土地を耕すのには向いていませんが、その分扱いやすいものです」
馬の気性を知る遠里たちにとり、清十郎の説明は納得できるものだった。少々の音で驚いたり見境無く暴れたりする馬に比べ、牛の方がはるかに御しやすく思えた。
しかし田畑に牛馬を入れるということは、思い通りに御せば事足りるというものではない。誰もが何らかの形で馬に触れていたため、牛を御すのに慣れるのは早かったが、その牛馬の曳く犂を思うとおりに操れなければならない。初めて触れる農具である上、牛馬を御すことと犂を操ることを両立させるのは思いの外難しく、まっすぐ進めない者が続出した。
皆が苦戦するのを横目に見ながら、遠里も清十郎の指導の下犂に挑んだ。近くで見ると牛の威容に圧倒される。気まぐれな唸りさえ噴火の予兆のように思えて及び腰になりそうである。牛も馬も同じ家畜と思えば良いが、昔に比べて力の衰えた身には、御し方のわからない動物への怖れを克服するのは難しそうであった。
「まずは犂をつけるところからです」
清十郎の手によって牛の背に小鞍が乗せられる。鞍骨と鞍床の二つから成る小鞍は、藁製の腹帯の上にある。小鞍は牛馬にとって重心となるもので、犂と牛馬をつなぐ曳緒、犂先の方向を決める止め木、牛馬を操る手綱が取り付けられている。これら装具の取り付け方がまずいと、牛馬をうまく進ませることができないばかりか消耗させたりけがをさせたりすることになる。基本的な順番を守って取り付けるのが大事と言って、清十郎は準備を終えた。
遠里も清十郎の後を追って小鞍を載せる。清十郎のやり方を見ながら準備していくが、小鞍の位置がなかなか決まらない。今まで清十郎に素朴で遠慮深い人柄を見てきた遠里だが、折り合いを付けることを簡単には許さない職人めいた真面目さが清十郎の目に宿って見えた。付き合いのあった相手だとしても遠慮するつもりはないようであった。
二時間近くかけてようやく清十郎に許されたが、そこで清十郎たちと約束した時間が来てしまった。彼らにも仕事があり、今日は半日だけの約束で指導を頼んだのだ。一日指導をしてもらいたいが、その間本業を休まなければならない彼らへ払うものを簡単に用意できないのが歯がゆかった。
清十郎たちは三日置いて、再び指導にやってきた。遠里は彼の前で教えられたことを再現してみせる。見た目には問題なく思えたが、清十郎にとってはそうでないらしく、細かい位置や手綱のつけかたなどを直されることになる。それでも清十郎たちとの約束の時間の中で、犂を実際に扱うところまで来ることができた。
「シー」
遠里は教わった通りのかけ声で牛を前進させた。耕耘に使う牛と馬の間には違いがいくつかある。馬は手綱を二本要するが、牛は鈍さにより一本で済む。そしてかけ声にも違いがある。牛馬を進めたり方向を変えたりする時のかけ声は馬と同じで、武士として武芸に励んでいた頃の経験が役立ったが、動きを止める時のかけ声が違っていた。
「ワー」
馬であれば「ドー」と声を上げるところであった。その違いがどこから来るのか気になったが、農民たちの長い経験でわかったことで、真実は牛馬にしかわからないだろう。
「その調子です。多少曲がっても気にしないことです」
清十郎の声に、遠里は若い頃を思いながら返事をする。遠里と牛が歩いた後は曲がっていたが、前へ進めることはできたし、方向の転換も滞りなかった。
かなり気を入れて犂と牛を操ったせいで両手のひらは一日中ひりつく痛みがひかず、その後人間用の鋤を扱うのも辛い状況であったが、この痛みの後に成果が待っていると思えば構わなかった。
体力的に追い込まれる日が続くと、時には上がり框でふっと横になり、そのまま眠り込んでしまう日がある。その時遠里は、決まって犂を扱う夢を見る。しかしどんなに練習を重ねても夢の中では進歩せず、耕す土の深さはまちまちで苦闘が続く。そのうちに登世が起こしに来て、現実へ戻ってこられたことと、手の痛みが初めの頃に比べて弱くなっていることに安堵するのだった。
牛と犂の扱いに慣れていくのに並行して、遠里は馬を使うことも考え出した。牛は力が強く、特に粘りの強い土地で力を発揮するが、鈍重で足も遅いため、能率という点では馬に劣る。適材適所を考えなければならないが、そのためにもできることを増やしたかった。
今や遠里の相談役となりつつある禎三にその考えを打ち明けると、興味を示しながらも農民たちにばかり頼ってはいられないでしょうと答えた。
「今更武士の誉れがどうなどと言うつもりはありませんが、彼らは善意で我らの指南役をやってくれています。それに甘えてばかりでは恥でしょう」
清十郎は気さくで、時に生意気な態度を取る若い士族を厭わず、血気盛んな若い農夫たちをよくまとめてくれている。しかし彼とていつまでも働けるわけではない。少年時代、父の直内の背を見て、自分も父のようになるのだと誰に言われたわけでもなく思い込んでいた。
直内は福岡藩に剣術指南役として仕えた人で、幼い頃からよく稽古をつけてもらっていた。やがて父を剣で超えることは叶わないと知り、それまで培ってきたものを砲術に昇華させ、御一新を超えた。そのままでいれば父の道を継ぐような生き方ができただろうが、御一新後間もない夏、庭で見た芽吹きと滅びゆく者たちへの思いから、安定した暮らしを捨てて、少年時代思いもしなかった道へ踏み込んだ。何が、どんな形で変わってしまうか、誰にもわからない世の中である。武士が鍬や鋤を持つことも、農民に武士が教えを請うことも、二十年前は誰も予期しなかったはずだ。変化は人の想像を遙かに超えている。
遠里と禎三は、やがて指南役の農民たちに頼らなくても済むようにと、田畑を耕す一方で資料と知識の収集を始めた。ちょうど夏に差しかかる頃で、たまの寧日さえ外へ出て、農民たちの元へ恐縮しながら知識を授かりにゆく日々であった。
「帰農して思ったのですが、農民というのは逞しいものですな」
遠里の家にて集めた知識が書き記された紙片を書物のように編む作業をしている時、禎三がふと言った。
「今更言うことでもないでしょう」
それは帰農したばかりの頃に遠里も抱いた思いであるが、間もなく五年になろうという今は、驚きもほとんどない。
「武家に生まれ、武を以て仕えてきた我らは人の相手をしていれば良かった。しかし農民たちは人以外の者ものをも相手にして、時には戦わないと生き残ってはいけない。そう思うと、何故彼らが我らの下にいたのかと不思議に思えましてね」
最近士族たちが学んでいる牛馬耕は農業の歴史においては決して新しくない。平安時代の記録に現在の犂の原型が登場しているし、暗渠排水についても地域によっては徳川幕府の時代から行われていた。
牛馬耕を偉大に感じているのかと思って、牛や馬の扱いの巧みさを認めると、そればかりではないですよ、と禎三は答えた。
「人以外のものとは、牛馬には限らないでしょう」
遠里にも何を指しての言葉かわかった。牛馬だけでなく、稲を食い荒らす虫やそれを更に食う小鳥、稲を冒す病気や、一切の苦労を破壊する天変地異。それらが収束して農民たちに襲いかかる飢饉。これらの苦難と最前線で戦うことを運命づけられた農民たちは、飢饉の時には真っ先に死んでいく。それでもその土地から離れなかった者、生き続けた者たちが現在に技術を伝え、帰農した士族たちを支えている。
「それに彼らは、家禄のような施しを初めからあてにしていません」
役目を失った者たちへの保障である家禄を施しとするのは言葉が過ぎるように思えたが、身分制度の上で最も上にいたはずの武家が、養う者がいなくなった時最も弱くなるという現実を前にすると、卑屈な思いに囚われるのもわかる気がした。
「もし家禄に類するものがあったとしても、それが打ち切られても生きていくでしょう。我々はどうでしょう」
禎三は珍しく不安げな言葉を重ねていた。
「士族となった武士の拠り所が少しずつなくなっていく世の中ですから、それも有り得るかもしれません。ですが我々は平気でしょう。帰農してもうじき五年になります。あなたの逞しいと思う立派な農民です」
明治政府は東京を中心としていくつもの改革を進めている。それは制度であり、国民や役人の意識であり、技術であり、徳川幕府の時代には考えられなかったことばかりである。
成し遂げるためには人々の熱意が不可欠であろう。同時に資金も捻出しなければ立ちゆかない。何度考えても、そのために行われそうなのは家禄の廃止であった。
「働かなくては生きていけないのは誰でも同じでしょう。働くほど不安も薄くなっていきます。それで良いではありませんか」
禎三への言葉は、そのまま自分自身に跳ね返ってくるようであった。家禄がなくなっても農業である程度生活を立てることはできるが、五十歳近い男の身には辛い仕事なのは事実で、ある日突然体が悲鳴を上げ、動かなくなってしまう怖れと隣り合わせの日々であった。
しかしほとんど同じ立場である禎三は、澄んだ表情で、
「そうですな」
と答え、作業に戻った。生活への不安もこの先に待つはずの喜びも、懸命に働くことで浮つかず穏やかに迎えられると信じる表情であった。
まとめた資料をもとに遠里と禎三は、月に一度勉強会を開くことに決めた。元々知識階級の近くで育った者たちで、学ぶことの必要性は御一新以前の動乱で理解している。彼らは反対意見を述べるでもなく素直に従ってくれた。
いざ勉強会を始めてから、遠里は足りないものがいくつもあることに気がついた。馬のことを学ぶのは良いが、農民たちからの自立を考えるのなら仔馬を牝馬に生ませ、育てることから始めなければならない。馬と暮らすこと自体に抵抗はないが、軍馬と犂を曳く馬の間に違いがあるのは瞭然であった。
若い士族たちの助けも得ながら調べたところによると、赤子と同じで常に愛情を以て手入れしなくてはならず、調教ができるようになる満二歳頃になっても、定期的に鞍を外して休養させなければならにという。
その一方で、犂を曳く前に丸太を曳かせ、人間の命令をしっかり聞くように調教しなければならない。馬は聡明な生き物というのは共通した認識だが、元来は畜類である。勝手気ままに振る舞う危険を念頭に置いて、必要なら叱咤したり懲罰を科したりしなければならないという。
そして主人のために良い働きをしたのなら充分に愛撫し、賞罰を明らかにする。そうすれば必ず馬は理解し、人間を愛護者として認めるようになる。
「武家の馬とよく似ています」
そのような意見が若い士族たちの間から上がる。遠里も少年時代触れたことのある調教のやり方と重なるところを多く見たが、農場での馬は速く走るのが目的ではない。力強く犂を曳き、かつ人に扱える程度の速さで歩いてもらう。全ては乾田化された土を砕いて深く耕せるようにするためだ。
既に田植えを終えた時期のことで、実際に活かせるようになるとすれば来年になる。そのことを思うと、禎三と語らった不安を忘れられる。それだけに、八月に入ってから士族の間に駆け巡った秩禄及び賞典録廃止の決定は思いの外衝撃的だった。
遠里は禎三と話し合い、不安を出さず自分たちの仕事に努めようと決めたが、若い者たちはそうはいかず、草取りの間も心ここにあらずというものが続出した。
「帰農したのはこうなっても困らないためでもあるだろう。我々なら乗り切れる」
そう言って鼓舞を重ねた遠里だったが、廃刀令まで出されるとは思いも寄らなかった。こればかりは農業でいくら稼いでも解決できず、乗り切れない問題を含んでいた。
「武士の拠り所を全て奪うとは」
遠里の仲間だけでなく、全国から怨嗟が聞こえてくるような決定だった。以前出された法令には強制力がなく、抵抗した者がほとんどだったが、今回は軍人や警察以外は刀を捨てなければならない。役目を失った士族が、自分たちの拠り所を確認するために必要だったものを失うことになる。遠里にもその苦悩は痛いほどわかり、今の仕事に努めて忘れれば良いなどと無責任に言うことはできなかった。
秩禄処分と廃刀令に怒った士族たちが行動を起こしたのは十月のことであった。熊本にて神風連が徴兵令によって集められた兵士たちと交戦する。明治政府の勝利に終わったが、同じ九州で出身を同じくする士族たちの行動に、帰農した者たちの心も揺れた。
「彼らに続くべきではないのか」
稲の収穫が終わるのを待っていたかのように、仲間内でそのような意見が聞こえだした。はじめはごく一部の意見に過ぎず、遠里も止めようと言葉を重ねるが、何よりも刀を奪うという決定が大きかったらしく、士族をないがしろにする明治政府へ天誅を加えるべきという過激な意見が次第に幅を利かせ始めた。
「我らはもはや農民だ。乱世ならともかく、これからの農民は鋤や鍬を武器に持ち替えてはならぬ」
遠里は必死で声を上げて彼らを止めるのに努めた。若い労働力が貴重なのは事実だが、変わっていく世の中にせっかく順応できそうだった若者たちを戦いの道へ戻しては元の木阿弥であろう。度重なる飢饉にも負けなかった農民たちのように、自分たちも困窮する士族たちのために働く場所を残さなければならない。そのために最初の世代である自分たちがつまずくわけにはいかなかった。
「刀を奪われ、保障も奪われ、それでいつまでも続けられるものですか。あなたがたはあと数年働き生きていけば退場できる。だが我々は、次の世代はそうはいかない。今行動しなければ、この先も士族は苦しむばかりです。あなた方にはわからないでしょう」
感情的になっているとはいえ、若い士族たちから年配者たちへの挑戦と取れる言葉が飛んできた時はさすがに言葉を失った。共に働き、共に学んだ自分たちの間には結束があると信じていたのに、現実は拠り所のなさから来る不安におののくだけで揺らぐ脆弱なものに過ぎなかったのだ。
そして口火を切ったのは七之助であった。仲間内では最も若い彼の意見に勇気づけられたように議論は過熱する。
そして意見は三十五歳を境に二分された。それは取りも直さず、この先の暮らしに希望を持てるかどうかの年齢で分かれたように見えた。
その時点で遠里は議論を止めた。冷静な年長組も熱狂する若い者たちに触発されたように声を荒らげることが増えてきた。少し間を取る必要があると思った。
「仕切り直しには良い頃合でした」
禎三はそう言って遠里の判断を褒めた。
翌朝になればお互いに熱も冷めて、多少は穏健な話し合いができるだろう。そう考えていた遠里は、翌日聞かされた知らせに絶句した。
「逃げた、ですと」
珍しく慌てふためく禎三の知らせに、遠里はようやく一言返した。
禎三が差し出した文には、七之助をはじめとする若い士族たちが連名で、武士道に殉じることを宣言する内容がしたためられていた。
「一体どこへ」
彼らの熱狂ぶりを見ていれば、武士に戻って死ぬことを決めた心持ちは理解できる。しかし死に場所に選ぶ場所と、身を投じる戦いについては全く想像できない。神風連の乱に始まり、これからいくつもの反抗が勃発するだろうが、その心当たりは多すぎて、遠里にはどうしようもないことに思えた。
「九州の中にはいくつもの火種があります。特に南端には、政府さえ怖れる特大の火種が」
「西郷さんか」
ふと思いついた名前を口にしても恐れ多い感じはしなかった。薩摩藩の中心的役割を果たし、参議にまで上り詰めながら意見対立によって下野した男は、直接の関わりはないものの、違う道を行く遠里にとっても不思議な親しみを覚えるものだった。
今は故郷に引きこもって農作業に精を出しているという。下野した後に二度起きた政府への反乱に協力しなかったことから、この先簡単に立つことはないと思える。しかし一度反乱に参加することを表明したら、七之助たちは迷わずついていくだろう。そう思うと武士の鑑のように崇められる男が死に神のように思えてくる。戊辰戦争の折、緒戦となった鳥羽・伏見の戦いで、幕府軍から戦いを仕掛けるように挑発行動を取ったのは、西郷の策であったという。
「ともかく戦が一度起きてしまった。これから勢いづいていくでしょう」
禎三の危惧は間もなく的中する。神風連の乱の二日後、同日に秋月党が福岡で反乱を起こし、萩では西郷隆盛の直後に下野した前原一誠に率いられた明倫館で挙兵する。そのどちらにおいても相手となったのは、前原が反対した徴兵令で集められた平民出身の兵士たちであった。
実践においての経験は少ないものの、それを補ってあまりある武器の質と練度によって政府軍は士族たちの意地とも言える反抗を打ち砕いていく。三つの反乱において、政府軍は負けなかった。
最後まで抵抗したのは福岡の秋月党であったが、それも一週間で終わってしまった。反乱鎮圧が宣言された十一月一日、遠里は七之助が秋月党に参加し、戦死したという悲報に触れた。他にも牛馬耕を共に学んだ若い士族たちの名前がいくつも挙げられ、生き延びた者たちも行方をくらましてしまった。鹿児島の西郷隆盛を頼って落ち延びたのではないかという噂が立った。
「あたら命を無駄にするとは」
農地に残った男たちからはそんな声が上がった。収穫の終わった今、多くの労働力は必要としない。しかし自分たちの後を継いでくれる者たちがいなくなってしまったことは、遠里たちの心に大きな穴を開けた。いくら学びを深めても、それを共有できる相手が減ってしまったことで、喜びも薄れてしまった。そのうちに遠里の呼びかけに応えて農家の元へ学びに行こうとする者の数は減り、十二月には不要論まで出る始末であった。
「及ばざることを抱えることがこんなに苦しいとは思いもしませんでした。私は今、やり場のない怒りと悔しさを抱えています」
遠里はどんな時も味方でいてくれる禎三にそう漏らした。
「及ばざることばかりに苛まれるのは私も同じです。されどそれは人の証明でしょう。私もあなたも人です」
それはいつか友人から聞いた言葉に似ていた。相次いだ反乱への対応で忙しいのか、まるで知らせは入ってこない。まさか斬られたり撃たれたりはしていないだろうが、その分農地から駆け出していった若者たちが命を散らしていったのかもしれない。どちらを支持すればいいのか、遠里にはわからなかった。
胸に角材を押しつけられたような鈍痛を覚えたのは、冬のある朝であった。禎三と共に冬の過ごし方について清十郎の元へ教わりに行くところだったが、息も満足に吸えず寝込むことを余儀なくされた。
医者は昼前に着いた。氷雨が降り出していたが、嫌な顔をせずに遠里の体を診てくれた。
「疲れでしょうな。聞けばその歳で牛や馬の御し方を学び直し、犂を操れるように奮闘していると言うではありませんか。本来ならそれは壮丁の役割なのに、その歳で不慣れなことをするのは元々無理があるのです」
医者の声は心に優しく染み入ったが、同時に若い仲間たちを失った喪失感に塩を塗った。
医者は充分に養生してくださいと言い置いて立ち去った。清十郎と禎三に断りの連絡を入れ、遠里は家で休んだ。外は身を切るように寒く、布団の中でぬくぬくとしていられるのはこの上ない喜びであるはずだが、足を止めざるを得ない肉体の老いが恨めしい。
残った仲間は、遠里より年下とはいえ皆若くはない。疲労が重なった結果突然の死も有り得るだろうし、一線を退くまで間がないだろう。その時受け継ぐ者がいなければ帰農の苦労が無に帰してしまう。
遠里は氷雨の音を聞きながら誰もいない田畑を思い浮かべた。雨がやめば土は凍てつき、再び作物が根付くまで労働が必要となる。乾田を人の手で耕していた時に匹敵する労力となるかもしれない。そう思うと気持ちは果てしなく憂鬱になっていった。
眠りに落ち、音が消えそうになっていた時であった。戸を開く音がした。それがやけに懐かしいものに思え、遠里はふと上体を浮かせた。
「具合は良さそうですね」
登世は心配するでもなく、気軽さを装って話しかけてきた。
「そう見えるか」
遠里は笑みを浮かべた。今すぐ歩き出せるほど体調は戻ってきていないが、いつもと変わらない登世を見ていると、疲れ果てた体も回復が近いような気がしてくる。
「起き上がれるなら、平気でしょう」
無責任にも思えたが、登世の口から出ると気遣いを装って聞こえる。それは人柄もあれば、長い時間をかけて築き上げた時間がもたらすものもあるだろう。
「冷えるな」
上体から布団がずり落ちると冴えた空気を感じて素直な感想が口を衝いた。雨は変わらずに降り続き、体の芯が冷えていく心地だった。
「そうですね」
そう言って登世は小鉢を差し出してきた。食べやすく切り分けられた南瓜の煮付けだった。
「なあ、登世。我らは無理を通してきたに過ぎないのかな」
わずかに登世が身じろぎしたような気がしたが、言葉は聞こえなかった。
「取り残された者たちを見捨てるような世の中を拒んで違う地平を目指してみたが、やはり武士は武士であった頃のことを忘れられぬ。折り合いをつけられたのは老い先短い者たちばかりで、きっと数年で終わってしまう。無理は通らぬものかな」
先へ進もうとする世の中と、それに追いつけずこぼれ落ちてしまう者たち。その差が開きだした頃から抱いてきた思いが形を取って胸を占めたような気がした。きっかけは世の中への反発であったが、武士と農民は過ごしてきた時間の種類があまりに違う。幼い頃から教え込まれた道から外れ、こらえたところで補いきれるものではなかったのではないか。
御一新の直後の夏に見た芽吹きは、遠里に人の分限を超えた自然の営みを意識させた。それまで気づかず通り過ぎていたものへ目を向けさせるきっかけでもあった。それが根幹となって、農民としての林遠里を作った。今まで自分についてきた者たちも似たようなきっかけがあったのだろう。しかしどれほど土にまみれても武士としての芯は消えず、重心を農業へ移しきることはできなかった。芯の質を変えられないのなら、滅びを先送りしたに過ぎなかったのではないか。
「来年もまた、人が要る。清十郎にも頼んでみるが、どこまで助けてくれるかわからぬ。助けを得てもなお苦しむようなら、余力のあるうちに隠居する方が賢いやもしれぬ」
「その時は南瓜をお作りになりますか」
以前登世と語らった時にこぼれた夢であった。当時は気楽に笑えたが、挫けた後ではできるかどうかを気にして反応に困ってしまう。
「今作ることができるのなら、この先も作れるでしょう」
南瓜の煮付けを口にした時にその言葉を聞かされ、遠里は自分の成果を思った。登世が料理に使ったものこそ、鋤を振るうところから始めて作った南瓜であった。
登世の言葉には勇気づける響きがあるものの、先の見えない不安に囚われた今は、自信を持って頷くことができず、
「それならいいが」
と、ため息交じりになるのを止められなかった。
体調が戻った日の朝は冬晴れとなった。朝餉の後遠里は田畑を見てくると告げてそぞろ歩きに出た。暗渠排水が施された冬の田に水はなく、人の姿もない。最近の冬の田はどこでも同じだと言うが、春になってから人が戻ってくるか考えると不安がある。自分のように体調不良を訴え、そのまま田を離れる者も出てくるのではないか。
人の手で動かされる田畑には静かになる時があっても良いだろう。しかし静かなままではないかと思ってしまうと、感慨にふけるどころではなくなってしまう。
眺めるのが辛くなって戻ろうと思った遠里は、帰りしなに禎三と出会った。
「もう体は良いのですか」
禎三は喜ぶ前に驚きを見せた。もっと長くかかると思っていたらしい。
「医者から言われたわけではないですが、おそらく」
「そうですか。しかし若いならともかく、医者の話も聞いた方が良いですな。何かあった時に取り返せる歳ではないのですから、慎重でなくては」
禎三は言い、足を止めて静かな田を眺めた。どこかへ行く途中ではなかったのかと訊くと、ここへ来るつもりでした、と返事があった。
「おそらく同じではないですか。田を眺めに来たのでは」
「ああ、それは」
そぞろ歩きが会話のきっかけになるとは思わず、遠里は戸惑いながら返事をした。
「これからあと三月もすれば、人が集まってくるでしょうな」
遠里は予期せぬことを聞いたように声を上げた。
「何か妙なことを言いましたか」
怪訝そうな顔で禎三が振り返る。
「いや、人が集まると言うから」
「ここは田なのですから、当然でしょう。人がいなくてはできません」
「人が、稲を育てられるだけの人が集まるでしょうか」
胸を占め、大きくなりすぎてつかえていた不安がするりと口から抜け出たような感覚だった。そして一度不安が抜け出るとわずかながら楽になる。そして意外に小さなものだと思うことさえできた。
「一度くらいは来るでしょう。そうでなくとも、少なくとも私は来るつもりです」
「二人きりであったなら」
「二人でできることをするまでです。それで成果が限られたとしても無理からぬことと思えば良い。何も来年で全てが終わるとは限りますまい」
禎三は前向きで、努力が必ず実を結ぶと信じている風であった。
それが一人となったら、と遠里はふと思ったが、希望を捨てない禎三を前にして口にするのははばかられた。ただ、できることをすれば良いという言葉だけが胸で妙に長く響いていた。
禎三としばらく田を眺めていたが、やがて彼の方から帰ろうと言い出した。
「老人には辛い寒さですな」
自嘲するように笑い、禎三は手をすりあわせた。
「お互い、老け込むには早いでしょう」
「違いない。まだ働けます」
禎三の笑顔に曇りはなかったが、彼に前向きなことを言わされたような気がした。人の良い彼には似つかわしくない気の遣い方に思えたが、胸に残る不安の澱が薄められた気がする。
これは友のする気遣いだろうか。御一新以前の、親に言われるまま武芸や学問に励んでいた頃には何度か感じた気持ちが、青臭さの消えた胸の中で燃えている。この歳になって感じるとは思わなかった気持ちであった。
思いもかけないことは続いた。帰る道すがら、何度も見知った顔に出会ったのだ。
皆共に土地を切り拓き、均した土地から作物が採れるように汗を流した男たちであった。これからも来るかどうか信じられないでいた仲間たちであった。
「二人きりどころではありませんな」
禎三はにやりとして言った。四歳年上の彼は、もしかしたら不安の正体を全て見透かしていたのかもしれない。
「そうですな」
遠里はうまい言葉が思いつかずにとりあえず返事をしておいた。一方で胸に宿った気持ちが、今度は簡単に冷めないような予感も覚えていた。
それは絶えさせてはならない希望であった。自分には及ばざる力が胸に熱いものを宿し、育とうとしている。それを生かすも殺すも自分次第であろう。人の気まぐれで芽吹いた南瓜の芽が何度も自然の円環の中で育ったように、胸の内に宿った芽を大事に育てていくのだと遠里は誓った。
医者から快癒したというお墨付きをもらい、早速遠里は清十郎の元へ向かった。遠里の回復を喜んだ彼は祝いの酒を振る舞おうと言ったが、それを断って早く学ばせてほしいと頼み、それを同行した禎三に急がば回れですよとたしなめられる一幕もあった。どうあれ、止まっていた足を再び動かすことができたように思え、遠里は喪失感が薄まっていくのを感じていた。
年が明けてからは仲間たちと話し合う機会も増やした。若い力が離れ、もしかしたら散ってしまったかもしれない、それを止められなかったという無力感に苛まれたのは誰もが同じで、だからこそそれを止めるにはどうすればいいかという論点で議論は進んだ。
「それこそ深耕です」
禎三が言い、遠里も頷いた。清十郎から聞かされた言葉で、生産力を上げるという目標はそのまま深耕の希求に置き換えられるということだった。
若い士族たちの不安は、農業で生活を立てられるかどうかという、仕事としての農業への不信感にあった。帰農した士族たちの農業は、それを避ける方向へ向かわなければならない。
「言うまでもなく、田畑においては土が大事だ。自然のままの土地の深さは一定ではないし、肥えているかどうかも違う。しかし理想は肥沃で深い土地だ。生産力を上げたいのなら、そういう土地を人の手で作らなければならない」
そのための道具こそ犂であり、成し遂げるのは牛馬であった。深く耕すほど水の巡りは良くなり、肥料の分解や吸収力も強くなる。加えて根も広く深く張ることができる。暗渠排水を施している以上やり過ぎるわけにもいかないが、これからの田は人の力だけでは到底満足な収量を上げられない。
「やり方を学ぶと同時に、道具を作ったり耕耘用の牛馬を調達したりしなければなるまい」
仲間の一人がそう言うと、次々と意見が出てくる。多くは口からこぼれ落ちただけのような意見であったが、それを禎三が拾い上げては洗練して遠里に伝え、最終的に遠里がまとめ上げる。歳を重ねた自分たちにもまだ熱が宿っていることを知り、遠里は胸にこみ上げるものを感じた。
やがて議論は役割を決める方向へ向かった。田畑を管理して作物の収穫を目指すのは全員の役目だが、良質の牛馬を得るつてを探す者、道具を作る者、牛馬耕の方法を探る者と、根底を支える知識や技術を得る必要を確認し合う。遠里は犂の作り方と遣い方を学ぶために、引き続き清十郎の元へ通うことになった。
清十郎に自分たちの決定を伝えると、それは難しいですよと難色を示された。
「牛馬耕をこれから深めていくのは良いですが、犂を一から作るのは職人の仕事です。刀もそうではありませんでしたか」
清十郎自身も、使い方を学ぶのが精一杯で、自分自身で作ってみようと思ったことはないということだった。武芸を磨いていた頃の自分と同じで、刀鍛冶の元へ通って鍛え方を一から学ぼうなどと考えたことはない。
「しかしそこまで情熱が続くとは。商売に失敗してますます落ちぶれる士族が多いというのに、林さんのところはよくやっています」
「我らとて働くとなれば何でもやります」
「それがきっと、失敗する士族との違いでしょう」
清十郎は感心しきりだったが、遠里は曖昧に頷くにとどめた。秩禄処分や廃刀令の後、生活のあてを失った士族たちが商売を始め、あえなく失敗するという話が巷ではよく聞かれるようになった。士族の商法などと揶揄されるそれらの話に登場する士族は、決まって御一新以前の封建制度を忘れられず不遜な態度で客に接したために失敗しているが、それは一つの側面に過ぎないだろう。多くの士族は世の中の変化に合わせた生き方をしようと懸命になっている。その失敗が全て揶揄される結果になっているに過ぎないのだ。
清十郎と意見を戦わせるつもりはなく、
「我々はそれほど上等な生き方をしているつもりはありませんよ」
と、謙虚さを装って言うにとどめた。
次の春に播く種を探し、それと並行して知識を蓄え、誰もが使えるような状態に整理していく。自分の役目に邁進する一方で、九州の南端がきな臭くなってきているのを鎮西の宗右衛門からの文で知り、その中心になりそうなのが西郷隆盛であると聞いて、遠里は大きな戦を予感した。
西郷が創設した私学校の若手たちは一月二十九日以降陸軍省所轄の弾薬庫の襲撃を繰り返し、政府の密偵を捕縛するなど敵対的な態度を強めていった。その二週間あまり後、ついに西郷は立ち、多くの士族が従った。その中に帰農して共に農業に精を出した仲間たちがいるのかどうかはわからない。誰一人報せを寄越さなかったし、状況を伝える宗右衛門も不平士族の反乱を鎮圧すると意気込むばかりで、敵の中に友人の仲間がいるとはつゆほども考えていないようであった。
「どうなってしまうのでしょう」
ある日禎三と資料を編んでいる時、遠里はつい不安に耐えきれず曖昧な問いを発した。返答に困るようなことを言いたくはなかったが、禎三は顔色一つ変えず最新式の装備と練度を誇る政府軍が勝つでしょうと言った。
「いや、そうなって欲しいのです。ここで西郷が勝つようなことがあっては、士族はますます危険な夢を見てしまいます。もはや引導を渡すべき時なのです」
戊辰戦争で共に戦った者の末路を論じるにしては、ぞっとするほど冷徹な意見だった。温和な禎三に、これほど冷めた見方ができるとは思いもしなかった。
「武士は滅びるべきでしょうか」
「もう、ここらで良いでしょう」
禎三はあくまで冷めていた。ここ数年の士族たちの行動を、単なる意固地さの表れと見ているようであった。
「そうですか」
遠里は曖昧に返事をして作業に戻った。自分たちの立場からすれば、せっかく帰農したのに士分であったことを忘れられずに争いへ身を投じ、挙げ句死んでいった者たちのことは哀れでしかないし、駆り立てた者たちへの恨みもある。
今回立った西郷隆盛は、これまで反乱を主導した者たちとは格が違う。禎三は武器と練度の差が勝敗を分けると考えているようだが、西郷についてきた者たちは死にもの狂いで立ち向かってくるだろう。もしかすると西郷軍が装備と練度の差をひっくり返すのではないか。その時、同じ九州で生きる自分たちにも何かが及ぶような気がしてならなかった。
実際西郷軍は戦いを優位に進めていた。田原坂では徴兵令で集められた農民、町人出身の兵たちを圧倒する。武器の性能には差があったはずだが、西郷隆盛に従った士族たちにはそれを補って余りある士気が宿っていた。それは武器の質を凌駕し、士族たちを実際以上に強くした。
遠く鹿児島で繰り広げられる戦いに、遠里も危機感を覚えていた。徐々に落ち着きを取り戻しつつある政情が再び不安定になってしまったら、農業を続けていけるかどうかわからなくなる。遠里は今度こそ西郷隆盛がはっきりと死に神に捉えられた。
遠里は禎三と共に西郷軍の敗北を望んだ。その願いが通じたのか、十七日間の戦闘を経て政府軍が田原坂を超えたのだ。その後も西郷軍は各地を転戦して抵抗したが、徐々にその勢力を減らし、城山の戦いにおける西郷隆盛の自決という形で戦いは終わった。明治十年(一八七七)九月二十四日のことと伝えられる。
「終わりましたな」
宗右衛門からの知らせを最初に伝えた禎三は、悄然とした様子を見せた。西郷軍の敗北を望んでいた割に、喜ぶ気持ちは薄いようだった。
「かつての武士は滅んだのでしょうな」
禎三と同じ気持ちで戦況を見ていた遠里も、武士の滅びを受け止めてみると寂しく感じた。帰農したとはいえ、現在の立場になるまでまだ五年しか経っていない。それ以前は自分たちも武士であったし、刀や髷の存在を拠り所にしていた。当時のことを思うと、滅びを望んでしまったのは身勝手だったようにさえ思えてくる。
「皆何を大事にして、殉じようと思ったのでしょう」
遠里は禎三に問うた。それは田畑を飛び出した若い士族たちに向けられた問いに思えた。未だに消息が掴めていない者もいるが、大半は相次いだ反乱の中で戦死の報告を受けている。彼ら若者と自分たち年配者は、守るべきものが違っていたのだ。
「今となってはもう遅い」
議論は充分に尽くし、引き留めるための努力も怠らなかったつもりだが、それでも足りなかったことが悔やまれる。しかし失われた命も、滅んだものも戻ってくることはない。
「彼らは死に、我らは生きています。生きている者にはすることが山ほどあるはずです」
禎三は言った。悲壮感のない、清々しい声であった。
西郷隆盛が亡くなれば、その弔い合戦と称した反乱が起きるかもしれないと遠里は危惧したが、それは杞憂に終わった。二ヶ月経っても士族たちは行動を起こさず、九州にようやく平穏な空気が戻った。
田畑から採れる作物の収量は減り、下降線をたどっているような状況を不安に思う者もいたが、労働力が減っている中でも仕事を止めずにいられるだけで意味があると遠里は思うことにしていた。
何より、今年の収穫は作物だけではない。清十郎をはじめとする農民たちについて学んできたことをまとめたものが書物となって世に出ることになった。本来の目的と
は違って遠里は戸惑ったが、帰農した士族たちの生き方を伝えるためにも、出版に大きな意義があると禎三に言われ、その展開を受け入れた。『勧農新書』と名付けた書物に、遠里は士族の次なる生き方を示す道しるべとしての願いを込めた。
勧農新書の出版をきっかけに、福岡の林遠里の名は広く知られるようになった。特に注目されたのは、犂を使った耕耘方法を掘り起こし、広く紹介したことである。帰農した士族という経歴の異色さもあり、遠里は農業指導者らが集う農談会に呼ばれるほどになった。
去る明治十二年、興産社という私塾を創設していた遠里の元には、指導の依頼が舞い込むようになった。農談会に出た翌年、長崎県へ出張し農業指導を行う。つい最近まで農民に教えを請うていた自分にできるかと不安はあったが、終わってみれば盛況で、自信をつけると同時に自分のために学ぶだけではもはや立ちゆかないところに来ているのだと感じるに至った。
自著の出版、農談会の出席、出張指導という経験を経た遠里は、士族出身の異色の農業指導者として世間に認知されていた。そのおかげで犂の職人や会社との付き合いも増え、自分自身の大きさを自覚せざるを得なくなっていた。
「まるで九州の片隅に閉じこもるなと言われているようだ」
ある寧日に遠里は登世にこぼした。酌をしていた登世は、その言葉に一瞬とっくりの傾きを変え、それからすぐに酒を注ぎ直した。
誰でもできることを今までやってきたとは思っていない。四十歳を過ぎてから新たな農業の方法を探し、若い力が離れてしまうなどの思わぬ出来事を乗り越えた結果、ようやく人々の評価を得ることができるようになった。初めはまるで目標としなかった地点に着地したのは思いがけず、初めは戸惑ったが、時間が経ってくると慣れて、しっかり根を張って生きる場所を見つけられた気持ちになる。それに努めるほど農業指導者としての自分を慕う者のためにもなるのだと信じられた。
「充分なことをしているではありませんか」
登世は言い、門人たちが遠里に希望を見ているらしいことを言った。彼らもまた士族の出身で、西南戦争と呼ばれるようになった西郷隆盛の挙兵が失敗に終わったのを見て、農業を志すようになったという。勧農新書には士族授産の願いを込めたから願ったり叶ったりで、これを機に士族たちが前向きに生きてくれれば良いと思った。
登世が言うように、支持が増えているのなら自分の仕事に誤りはないのだろう。しかし問題は支持を増やすことだけではない。ずっと支持を得ることだ。
興産社はあくまで私塾である。そこに通う者たちは真剣に学んでいると思うが、一方で楽しさを追求しているように見える。帰農すれば生活がかかった仕事に身を投じることになる。楽しさの追求だけでは乗り越えられない日々が待っている。そのことを門人たちはわかっているのだろうか。
そうでないとしたら、本当の意味で農業の発展に寄与したとは言えない。方法を考えなければならないと思った。
久しぶりに農作業へ戻った日、休憩中に自らの疑問を禎三にぶつけると、彼は少し考えた上で、次なる段階は存在します、と言った。
「私塾ではなく会社を設立することです。需要はあるでしょう」
そして教師を全国へ派遣するのだと彼は続けた。
「たとえば東北では未だに湿田が多く、それが収量の増加を妨げています。湿田の問題点を我らは身を以て体験したはずです」
九州にいるだけではわからないことであった。二十年前の廃藩置県以前なら、時節もあったから東北の地方を助けるような働きをするなどとんでもないことかもしれない。しかし廃藩置県が成し遂げられた今は、北から南まで天皇の権威の下にまとまった一つの国、日本なのだ。困難が遠くにあって、それを解決する方法を持っているなら、手をさしのべてやるべきではないか。
「あなたが呼びかければ応えてくれる者は多いでしょう。しかしそれにしても、無償で働かせるわけにはいきません。だからこそ会社です。我らが集めた知識や技術を広く伝え、それを担う人物に金を払うのです」
遠里は家に戻ってから、伝えるべきことを今の自分が持っているかと資料を見直してみた。湿田から乾田へと移行させたいのなら、まず暗渠排水の技術と知識は必須で、その後にある耕耘の困難には馬耕が有効である。その後作物の育て方、田畑の管理、人の使い方、除草、種籾の管理。全て身を以て学んだ知識である。これを必要としている者が、遠くにいる。そう思うと、いてもたってもいられなくなるのであった。
翌日から遠里は禎三と会社設立の話を始めた。その時には、遠里自身が築いた人脈が役に立った。名誉社員という形で陸奥宗光や後藤象二郎といった名のある政治家を迎え、世の中の注目を集めることができた。そのおかげで見込んでいたよりも多くの社員を集めるに至る。
世の中の信認は遠里の提供する教育を裏打ちした。一定の試験に合格した者は『実業教師』の資格を与えられ、各地の要請に応じて派遣される。それだけ林遠里と実業教師への信頼は厚くなったのだ。
遠里はその会社の名を『勧農社』とした。かつて自著につけた名前を参考にした社名が、実業教師の手によって広められていく。明治十六年(一八八三年)のことで、士族の最後にして最大の反乱となった西南戦争から六年が経っていた。
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