オメガより1日前


 50km/hを超えている。

 オメガが走る速度だ。オメガは当然だが人間で、人間はそんな速度では走れない。だから当然、そこには絡繰りがある。

 今のオメガにとっては前方がだ。オメガは重力の記述を書き換えている。つまり彼は半分落ちている。80°ほどの急勾配を駆け下りる感覚だろう。──驚くことではない。ベクトルの書き換えは、今や計算化兵士の基本技術だ。

 初めて計算化兵士が戦場に投入された時、誰もがその性能に恐怖し、同時に歓喜した。落下傘も持たずに戦場へ落ちてきた彼らは、当然のように壁を走り、空を飛び、ライフルの弾道を自在に変化させ、戦車砲の砲弾さえ正面から受け止めた。生身でだ。

 もちろん厳密な意味で生身ではなく、融合知能AIの端末となっているのだが、機械化兵士たちが人類を裏切った今、一見すると生身のつわものが持つ価値はとても大きかった。


 融合知能AIは、機械化兵へのカウンターとして製造された。つまり彼らは、間接的にユグドラシルの存在を支持している。彼らはユグドラシルの時空構造に楔のように突き立っていて、安易に消滅させたり、性能ほんしつを変更することはできない。世界を何度修繕しても、彼らはそのたびに、戦禍を世界に振り撒いた。だからオメガたちは銃器を携えて、時代遅れの戦争に駆り出されている。


 走り続ける。数多の火線を潜り抜けて。どの戦場でも、オメガたちは英雄だった。それはいつか書かれるべき物語かもしれないが、ここで書くには長すぎる物語だ。


 オメガたちは戦争をした。とっくに一生分の戦争をした。世界が修繕され、時間が巻き戻っても、融合知能ユグドラシルの手足になったオメガたちの時間は戻らない。何度も戦場へ赴き、そのたびに無敵の力を振るった。思い出すのも苦痛だった。だからその物語は、今のところは語られない。


 走り続けた。数多の火線を潜り抜けた。


 二十年前から、地上2000mに滞空している彼らの拠点。彼らが最初に降ってきた場所の真上。そこがオメガたちの目的地だ。

 機械化兵士たちを殲滅しなければ、世界に平和は戻らない。平和を人々が望むなら、融合知能ユグドラシルはそれを叶える。融合知能ユグドラシルが望むなら、端末であるオメガはそれを叶える。

 当然のことだ。


 空へと降下する。すべてを元に戻すために。

 終わりオメガから始まりアルファまで、真っ逆さまに落ちていく。


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