ゴミはゴミ箱へ


 ゴミはゴミ箱へ。この主張が間違っていると言う人は、たぶんそういないだろう。ゴミ箱はゴミを入れるために作られた容器で、家や道路はそうではない。ゴミはゴミ箱へ、というのは、灰は灰に、と同程度には説得力がある。

 わからないのは、ゴミとはなんなのか、ということだ。ゴミ=利用価値がなくなったもの。利用価値。価値という意味を持たないもの。それなら、は最初からゴミなのだ。きっと。

 私には価値がない。だから虐められるのだし、誰も私を助けない。そう思っていたのだけど。でも彼女らと話して、殺してみてわかった。。私に価値がないように、私に対する虐めには、意味がなかった。つまり、私には何もない。憎しみを向けられることさえ、ない。

 だからもそうだと思う。意味を持たない私が書いた物語これには、当然のように意味がない。

 この、青味がかった装丁のノート(一冊二千五百円。高い)に書かれているのは、私の理想の世界だ。誰にも意味がなく、何にも意味がなく、全てに意味がない。その世界でnullは、みんなが無意味nullで、一人ではないことに安堵する。そして全てがnullに溶けて、当然の帰結として、私もいなくなる。

 そこは何も無いなりの優しさに満ちていて、空っぽの安らぎでいっぱいだ。誰も意味を求めない。誰もいないから。

 だから私は、本当にいなくなることにした。教室のゴミ箱を使って。

 数年前から売られているこのゴミ箱は、入れたものをnullにして消し去る機能を備えている。作った人はどこかがおかしいと思う。もちろん、こんなものを教室に置いている学校も大概だよね。私が今しているみたいに、放課後に目的外使用されたらどうするんだろう。その答えは、今から消えるいなくなる私には知りようがない。

 どこからどう見たって何の変哲もないゴミ箱に見えるけれど、投げ込んだ死体は、期待通りに消えてしまった。本当にこの因果系から消滅したらしい。すごい、本物だ。

 というわけで、次は私だ。ぎゅっとノートを抱いて、明日になればまた鞄が満載されるはずの棚の上から、明らかに私の身長よりも浅いゴミ箱に。誰かがそばで見ていたなら、さぞや滑稽な──いや超現実的シュールな? 光景に見えたことだろう。いっそその前に、私が自殺するいなくなるのを止めただろう。

 けれど私のそばに人はなく、だから私は、この世界から完全にいなくなる。


 ──ゴミはゴミ箱へ。


 ゴミ箱に沈んでいく私は、自分が次第にnullになっていくのを感じる。私が物語を綴ったノートも、それを書いた私も、nullの中へ溶けていく。想像した安らぎも、不安だった苦痛も、ないnull。ただ、《 》になっていく。私もノートも消え去った以上、あなたがこの物語を知ることは、決してないnullだろう。

 だから、今あなたが読んでいるのは──私とは無関係に生成されたテキストだ。あなたが何かしらの感傷に浸る必要は、まったくないnull


 ──null


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